『あゆみの時間』他

森忠明

 
   漱石の『三四郎』は青年期の退屈の美しさを描いたものだといったのは、たしか河上徹太郎で、”平成の三四郎”というのは講道館柔道のヒーローに与えられた称号だった。
   一九六八年静岡県生まれの若手映画監督・佐分克敏さぶりかつとしが毎回主人公に選ぶのは、平成の逸民的大学生であり、その退屈ぶりが美しいかどうかはともかく、映像全体から湧き出る成心なき精神というか、今時めずらしい清爽の印象によって私が彼につけた名は”平成の『三四郎』”である。
   六月二十九日、世田谷区桜の貸ホールで行われた〈SABURI・FILM=少しマルケ風に〉に招待された私は、過ぐる年「ぴあフィルム・フェスティバル」において上映ずみの三作品(『平成元年の初夏』’89・33分/『手紙』’91・5分/『春のささやき』’92・44分〉と、初公開の『あゆみの時間』(’92・30分)を見ることができた。
   副題にあるアルベール・マルケの名は、佐分が捉えようとしているものを慎ましやかに明かしていて好ましい。映画の舞台の二子玉川や四谷駅周辺の色調と構図、そこを通過する人物たちの心境は、じっさいマルケの禁欲的で淡白な、ややマットな質感に似ている。岡鹿之助はマルケの芸術を「閑雅」であり「人柄はかげろうのようにフンワリ」していたと書いていたが、こけおどかしなドラマも薄汚い官能性もないサブリ・フィルムは、まさしく閑雅のありがたみと、かげろうのようにフンワリ生きることを許された者の全く慕わしい無為を定着している。
   編集や録音などは未だしでも、梅雨時の室内と野外風景への配光および音楽のよろしさ、街頭でのカメラワークに上等の才を認めた。
   特に曳かれたのは『あゆみの時間』における姉役、山崎直子の演技だった。ホモ気のある夫と離別、レズ気のある女と同居している姉は某日、大学生の弟の下宿にあらわれて、「元亭主から養育費を取ってきて」とか、幼い実子を弟に「もらってくれない?」などと言う。弟が渋々取りに行くと、元亭王は布団の中で温めていた缶コーヒーを差しだし「すみません。お金ないんです」。駄目男どもを人屑よばわりするでもなく、諦観の面持ちでアルバイトの翻訳にうちこむ姉。弟は甥っ子と無邪気にふざけあう。上智大グラウンドを遠望する場所で、その若い母親は上智でも下愚(かぐ)でもなく、幸せでも不幸せでもなさそうに、とりとめない話を弟とする。
   一昔前のテレビドラマ『北の国から』には、いしだあゆみ演じる母親が、亭主不信や子ども確保に身悶えし、作者の固陋な倫理観が用意した愁嘆場で、やたらにドタバタする鬱陶しいシーンが多出した。それとくらべ、山崎直子の静けさからは、ルサンチマンや脱家庭を止揚した、女のもう一つの本然がにじみ出て、リアルな新しい母親像を示していた。『平成元年の初夏』の主人公も酔生夢死的大学生である。
   必修レポートや就職活動には不熱心、どうなとなれ式なのに、ニューロティックな美青年にはそそられめずらしく能動。尾行するのである。だがすぐに幻滅、また酔生へ還ってゆく。ジョギングの教授に伴走しながら就職あっせんをたのみ断られても、不採用で履歴書がつっかえされてきても、主人公はいたって平穏である。おなじような経験をした私などは、屈辱感にさいなまれ、呪詛をロックミュージカルに仕立てたり、それなりに灼く青春していたものだが、理想はこの映画の大学生のように社会をナメもせずアガメもせず、清虚な気分でやり過ごし、「頭のイカレた我々は、せめて目だけでも楽しもう」(ゴッホ)とか、「居候を美術の一つにしてみたい」(デュシャン)ぐらいのことは言っておくのだった。
   しかし、これらの映画に世代論をあてがったり、規範喪失後の実験作などというケチくさいレッテルを貼るのは本当ではないだろう。平成ごとき狭い時空をこえた、あまねし旅人のまなざし、と高く評価するべきだろう。セーヌかと見紛う多摩川のその土手、豪雨の大ロングを走り去る美青年が、なぜか千年前の貴人、けぢめみせぬ色好み、在原のなにがしと見えないこともなく、スクリーンを横切って帰巣する鳥たちが、かの都鳥の後裔とも見えたからである。といって佐分は想像力をかきたてようとするのではなく、物欲しげな暗示をほどこすわけでもない。
   かつて寺山修司は「映画は与えるのではなく、ただ疑問符を提出するくらいの役割しかもつべきではない」と記したが、疑問符を提出する役割さえ負おうとしない佐分克敏の、天真きわまるイージー・リビングは、世界の有意義ぶりに食傷している中年男の目に、美しくも嬉しい無内容として映ったのである。
 
(もりただあき)
 
(初出『演劇と教育八・九月合併号』一九九五年・晩成書房)
 
(pubspace-5892,2019.01.20)