死にゆく人間釈尊―フレイザー『金枝篇』と親鸞「正信偈」を参考に 2025/07/01 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 本稿は、前稿「空海〔即身成仏〕に関する〔身体知〕的考察」の姉妹編である(☆01)。この数年、私は研究活動において、人類の生活と思考の圏域を以下 Continue reading →
空海〔即身成仏〕に関する〔身体知〕的考察 2025/06/24 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 論題に記されている〔身体知(bodisophy)〕のうち「知(sophy)」の部分は、通常なら身体でなく頭脳・精神に関係する。これはギリシア語由来で、内容として Continue reading →
葬送文化の諸類型―仏陀の涅槃経と親鸞の改邪鈔を参考に 2025/06/15 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 本稿は、私がこの数年間継続して研究してきたテーマ〔賽と葬の文化誌〕について、その後半部〔葬の文化誌〕をまとめたものである。本稿に先立って、前半 Continue reading →
賽(さい)のトリプルダンス―賽子・賽銭・賽の河原 2025/06/11 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 本稿は、私がこの数年間継続してきたテーマ〔賽と葬の文化誌〕について、その前半部〔賽の文化誌〕についてまとめたものである。本稿に続いて、近々、後半部 Continue reading →
好奇心から萌え出づる知の全方位 2025/05/20 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 1990年代、私は東京電機大学で講義しつつ、大手予備校の河合塾で小論文の講座を担当していた。池袋校、千葉校、立川校、大宮校など年々各校舎をめぐ Continue reading →
科学と非科学と擬似科学―パスカルの確率論を事例に 2025/05/15 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 昨今、様々なタスクを難なく支援するテキスト生成ツール、という触れ込みで一気にデジタル市場に出回ったChatGPTについて、1940年代末の生ま Continue reading →
記憶力・理解力・編集力のトリプルワーク 2025/05/08 by Ω No comments 石塚正英 一 コミュニケーションにおける〔頭がいい〕 物理学者にして文筆家の寺田寅彦(1878-1935)は、エッセー「科学者とあたま」において、次のように語って Continue reading →
滝寺不動と毘沙門堂 2025/05/03 by Ω No comments ――第19回くびきのフィールド見学会(頸城野郷土資料室主催)報告―― 石塚正英(見学会案内人) 民俗調査を目的として初めて私が滝寺不動と毘沙門堂(上越市大字滝寺)に出 Continue reading →
人はなぜ学問するか―数学者エヴァリスト・ガロアを事例に 2025/04/05 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 今から10年程以前になるが、『科学するこころを開くScience Window』(2015年冬号)という雑誌で特集記事「なぜ数学を学ぶの?」を Continue reading →
非ポリス的自由人アリスティッポスと非ソクラテス的思索者F. ベーコン 2025/03/22 by Ω No comments 石塚正英 はじめに 紀元3世紀に、古代ギリシアの哲学者とその諸潮流に関する概説書『ギリシア哲学者列伝』を著したディオゲネス・ラエルティオスは、同書の冒頭でこう記し Continue reading →