弱きもの、汝の名は男なり

浅川修史    「女は男から創られた」。旧約聖書「創世記」第2章では、創造主によって、最初の人間アダムのあばら骨の一部から女が創られる光景を記述する。「こういうわけで、男は父母から離れて女と結ばれ、二人は一体と Continue reading →

私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(5)

蒲地きよ子 (4)より続く  こうして、作家プルーストと、作品中の≪私≫との間の、像の重なり工合と、ずれ工合とを一応不充分ながら見てきたと思うので、わたくしははじめの疑問に戻って、どうして作家がその話者に名を与えなかった Continue reading →

私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(4)

蒲地きよ子 (3)より続く    「ただし、≪私≫とだけは決して言わないことですね。」とジッドに忠告したプルーストは、従来の小説に用いられた一人称の、≪複眼的≫でない、一般的に使用される意味の≪私≫を言っている Continue reading →