スンニ派過激派組織がイラク第二の都市モスルを制圧

イラクのシーア派主導政権は非常事態宣言へ

 

浅川修史

 
 驚くべきニュースが飛び込んだ。2014年6月9日から10日の戦闘で、イラク共和国第2の都市モスル(人口145万人)が、わずか数百人の「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」の戦闘部隊によって、簡単に制圧された。ISISはアルカイダ系(スンニ派過激派)の組織とされ、イラクの隣国シリアにも拠点を置く。戦闘の際、イラク軍幹部が逃走し、指揮系統が乱れ、ISISが政府施設、軍基地、警察署、空港を一気に制圧した。イラクのマリキ首相は、議会に「非常事態」の発令を要請した。同時にイラク全土に厳戒態勢を敷くことを宣言した。イラク国営テレビなどが報じた。
 AFP通信は、「イラクのウサマ・ナジャフィ連邦議会議長も同日「(モスルのある)ニナワ州全体が武装勢力の手に落ちた」と報じた。
 人口の60%を占める多数派アラブ人・シーア派が権力を手中に収めているイラクで、北部のクルド人は、独立色を強め、自治区を構成している。イラクの人口の20%を占めるクルド人の大多数はスンニ派だが、アラブ人シーア派、アラブ人スンニ派とは民族が異なることから、両者とも一線を画す独自の存在である。クルド人自治区はイラク内部では治安が安定していること、有力な油田が存在することから、周辺国から投資が増えていた。特にクルド自治区の首都であるアルビール(人口66万人)は、主要な国際空港があること、欧州への近さから、「第2のドバイ」とはやされ、大型ビルやショッピングセンターが建ち並び、湾岸戦争、イラク戦争からの復興が遅れている感のあるイラクにあって、別世界の様相を呈していた。
 2011年末に米国は最後まで残っていた教育訓練部隊を撤退し、完全にイラクから撤退した。イラク国内の治安維持は新生イラク共和国軍に任された。今回の事件は、イラク軍の脆弱さを露呈し、治安が良いとされたクルド人自治区の安全神話も崩した。
  2006年にアラブ人シーア派主導で誕生した新生イラク共和国では国内に駐留する米軍をどう扱うか、議論があった。まだまだイラク軍だけでは治安の維持は困難だ。米国の意図は筆者には知る由もないが、イラク国内では、米軍の完全撤退と部分的な駐留(イラク軍を教育訓練する部隊など)を望む意見で分かれた。イラクの国会議員らは、日本を訪問して、在日米軍基地を視察した。イラクが米国と安全保障条約と地位協定を結ぶ道もあったが、結論は、「(米国が大規模基地を擁して半永久的に駐留する)日本のようになってはいけない」というものだった。
 
 さて、ここからは推測を交えて、今回の事件の背景と今後を考える。モスルはあっけなく、陥落したが、イラク政府軍の反撃体制が整えば、攻撃用ヘリコプターや戦車・装甲車など装備で優れるだけに、モスルは奪回可能だ。
 イラク戦争後、米軍占領下で激化した宗派、民族間の血で血を洗う争闘をひとまず収束したかに見えたイラクだが、今回は外部からスンニ派系過激派の挑戦を受けた形だ。
 背景には、イラン、サウジアラビアというガルフ(ペルシャ湾)で相対峙する地域大国間の闘争がある。サウジアラビアの国教であるワッハーブ派は18世紀に開祖ワッハーブのイラン、イラクのシーア派に対する批判、反感、憎悪から生まれた。ワッハーブ派から見れば、シーア派の聖人崇拝、飾ったモスク、シーゲ(一時的な結婚=スンニ派は売春と見なす)などは、イスラム教の原則からの逸脱だ。
 テヘラン南方にホメイニ師の遺体を収めた華麗なモスクがある。信者が参拝する。ところが、サウジアラビアの場合、筆者が知る範囲では、(王家(サウド家)や、ワッハーブの子孫といえども、シーア派のイマームを祀る華麗なモスクはつくらず、ずっと簡素な墓で済ませている。ワッハーブ原理主義では、人間を祀ってはならないからである。
 9.11事件の記憶が強烈なせいで、アルカイダ系は「米帝国主義」を主敵にしているかのような認識があるが、実際は、湾岸戦争後もサウジアラビアから撤退しない米国への威嚇だった、と筆者は考える。その後、米国はサウジアラビアの基地を放棄し、撤退した。アルカイダ系の理論的な主敵はシーア派である。
 ある国の反政府勢力に武器や資金を与えて、その国の政権を揺さぶるという方式は、中東ではイランが、ペルシャ湾岸諸国(GCC)やレバノンなどで実行した。レバノンではシーア派武装組織ヒズボラが育つ成果を上げている。それを真似て、今度はサウジアラビア、カタールなどGCC諸国が、イランと同盟関係にあるシリアの反政府勢力を支援した。しかし、2013年にイランの支援を受けたヒズボラがアサド政権側について参戦すると、形勢は逆転して、アサド政権は延命することになる。
 今回の事件は武装勢力が「イラク・シリアのイスラム国」を自称していることから、スンニ派系過激派がイラクのシーア主導政権に揺さぶりをかけたこと、その背後にサウジアラビアがいることは想像できる。
 サウジアラビアは米国に安全保障を依存している。それだけではなく、国内外で王家に逆らいそうな勢力のガス抜きをするために、シリア内戦など国外での闘争をあおるなど万全の対策をする。そうした勢力にはイスラム基金を通じて、資金を援助する。
 さて、イラクとイランの関係は微妙だ。イラクのシーア最高指導者である大アヤトラ・シスターニはシーア世界でもっとも権威と学識があるイスラム法学者である。シスターニ師はイラン人だが、ホメイニ師の「イスラム法学者の統治(ヴェラーヤテ・ファキーフ」論に正面から反対する。イスラム法学者は政治に関与しない政教分離の立場だ。さらに、「イラクのアラブ人・シーア派でイランのような統治体制を望む人はほとんどいない」(専門家)。
 ただ、話は複雑になるが、イラクにもイランと呼応する勢力はある。アラブ人シーア派は国内のアラブ人スンニ派(イラク王国、バース党政権時代)から弾圧されていたので、スンニ派から内外で圧力を受けた場合、イランに傾く力学は働く。現在のイラクはアラブ人シーア派とクルド人が緩やかに連携して、アラブ人スンニ派(人口の20%)を本来占めるべき少数派の位置にとどめている。
 この状態にシリア内戦の余波も加わり、国外のスンニ派から武力闘争で揺さぶりがかけられたと推測する。
 6月12日現在危機は拡大している。モスルからの避難民は急増し、油田の操業にも影響を与えている。国連安全保障理事会も動き出した。イラクのマリキ首相はモスルなど過激派が制圧した地方の奪回を語り、米軍の援助(無人機による爆撃など)を要請した。事態は流動的である。(終わり) 
 
(あさかわしゅうし)
(pubspace-x1014,2014.06.12)