なぜ「新しい公共空間」か 連載④ ―近代日本人の「考え方」を考える(続き)― 2014/05/13 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載③より続く 五 近代日本人の「考え方」を考える ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を踏まえて――(続き) 6.近代日本における〈朱子学的思惟〉以外の諸要素 小倉は「日本の近代化」を「社会を「再儒教化」する Continue reading →
私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(4) 2014/05/04 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 (3)より続く 「ただし、≪私≫とだけは決して言わないことですね。」とジッドに忠告したプルーストは、従来の小説に用いられた一人称の、≪複眼的≫でない、一般的に使用される意味の≪私≫を言っている Continue reading →
ヘーゲルを読む2-3 無限判断論を再述する 2014/05/03 by KIT No comments (『精神現象学』読解3) 高橋一行 2-2より続く 『精神現象学』の章立ては、ヘーゲル自身が途中で方針変更をしているために、錯綜としているが、ごく単純化すれば、まず、I「感覚的確信」、II「知覚」、III「 Continue reading →
部落文化・再生文化 連載 ③ (第三章 農村とキヨメ―関係性と分断と未来) 2014/05/02 by 川元祥一 No comments 循環型社会の基軸/地域社会の再生 川元祥一 作家/評論家 連載②より続く 第三章 農村とキヨメ―関係性と分断と未来 ■農業にみる再生文化と牛馬 江戸時代初期、 Continue reading →
私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(3) 2014/05/01 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 (2)より続く アンドレ・ジッドは1921年5月14日の日記に、プルーストについて次のように書いている。「――私が自分の『回想録』 Continue reading →
ヘーゲルを読む 2-2 知的所有論を展開する 2014/04/30 by KIT No comments (『精神現象学』読解2) 高橋一行 2-1より続く 前回は、「自己意識」の前半部分を見たが、今回は、その後半を見て行く。結論を先に書けば、そこでは、先に私が、第4の原理と呼んだものが展開されているのだが、そ Continue reading →
ヘーゲルを読む 2-1 相互承認論を批判する 2014/04/29 by KIT No comments (『精神現象学』読解1) 高橋一行 1より続く 『精神現象学』の意義は、しばしば相互承認論にあるとされる。これが何を意味するのか、かねてから良く分からないでいる。ヘーゲルは、以下に詳述するよ Continue reading →
ヘーゲルを読む 1 ネグリのコモン論を批判する 2014/04/25 by KIT No comments (前著『知的所有論』の紹介) 高橋一行 0より続く 1. コモン論 非物質労働とコモンという概念を出したのは、ネグリの功績である。 『マルチチュード』1では、まず、現代におい Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載③ ―近代日本人の「考え方」を考える― 2014/04/21 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載②より続く 五、近代日本人の「考え方」を考える――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を踏まえて―― 1.「会読」の解体 前回(四)見たように、江戸期の会読(文芸的公共空間)からは Continue reading →
私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(2) 2014/04/21 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 (1)より続く わたくしの視線が一度正確に作中の一文に触れるとき、その文章は突如としてスポットライトを浴びた彫像のように、怪しく闇のなかに輝きはじめる。ゲルマント公爵夫人が『ベルマ』を観ている Continue reading →