私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(1)

蒲地きよ子    1971年7月、ちょうどマルセル・プルーストが生れて百年経った夏休みを、わたくしは二月ばかり家に閉じこもって『失われた時を求めて』の第一篇、第二篇を読んだ。日中、数頁よんでは家事をしながら考え Continue reading →