ピレンヌとトッドのイスラム観  -宗教とナショナリズム(4)-

高橋一行

(3)より続く
 H. ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』を読む。原著は、1935年、翻訳は、1960年に出ている(注1)。ヨーロッパにおいて、古代が終わり、中世が始まったのは、ゲルマン民族の大移動があり、それが西ローマ帝国を滅ぼして(476年)、ローマ文化を終わらせたことによると考えられている。まもなく、ゲルマンの土地、つまり、今日のフランス、ドイツのあたりに出て来たフランク王国が、ローマ教皇と提携し、他のゲルマン民族を征服して、ヨーロッパを統一する。これがヨーロッパ中世の始まりであるというのが、通説である。
 しかし、ピレンヌによれば、そうではない。ゲルマン民族が大移動をし、ローマ帝国内に入って来ると、直ちに、彼らはローマ文化に同化したし、また、西ローマ帝国が滅びた後も、コンスタンチノープルに拠点を置く、東ローマ帝国が存続していて、そことの交流があり、その時点では、まだ中世が始まった訳ではない。つまりまだ、この頃は、新しい原理が出て来た訳ではなく、ローマ文化が続いている。
 ピレンヌによれば、中世が始まったのは、イスラム教が成立し(マホメットがアッラーの啓示を受けたのが、610年)、その後、8世紀には、地中海沿岸部に広がり、ヨーロッパは地中海での交易ができなくなり、商業と思想の交通路が閉ざされる。ヨーロッパは止むなく、北方へ移動するしかなく、ゲルマンの土地に、新しい王国を作る。そして東ローマ帝国はイスラム教徒との戦争に追われ、ローマ教皇を庇護する力がなくなり、ローマ教皇は、この新しい王国と提携するようになり、ここに中世ヨーロッパが誕生するのである。つまり、イスラム教が広がって、ヨーロッパは、北方に押し上げられて、中世が始まる。実は、『ヨーロッパ世界の誕生』という書名は、訳者の作ったもので、原著は、『マホメットとシャルルマーニュ』と言う。シャルルマーニュは、カール大帝のフランス語読みであり、つまりマホメット=イスラム教が、フランク王国の興隆を促し、やがてカール大帝の時代に、ヨーロッパ中世の原理ができるのである。彼は、西ヨーロッパを統一し、キリスト教を保護して、教会と修道院を作り、封建制が完成する。これが中世の原理である。
 カール大帝の死後、フランク王国は3つに分裂し、今日の、フランス、ドイツ、イタリアの基礎ができる。フランスでは、しばし、強力な諸侯が分立する地方分権的な封建制度ができるが、次第に中央集権化されて行く。ドイツには、神聖ローマ帝国ができる。
 さて、私の疑問は、ピレンヌの主張は、十分に説得的で、また、すでに専門家の間では、評価されているのに、あまり、世間では認知されていないように思えることだ。それはなぜか。イスラム教が、ヨーロッパ中世を作ったという題の論文は、イスラム教の影響を、あまりに大きなものと捉えすぎていて、欧米では受け入れられないのだろうか。
 しかし、中世の終わり、つまり近代の始まりに、イスラム教の影響は再び、際立って大きなものとして現れる。度重なる、十字軍の遠征があり、それが教会の権威を落とし、相対的に王権を伸長させる。また、東方との交易のため、イタリアの経済が活性化し、そこに富が蓄積される。さらに、イスラム文化に保存されていた、古典古代文化が、西ヨーロッパにもたらされ、それが、ルネッサンスを興して行く。かくしてヨーロッパ近代が、イスラム教を通じて、イスラムとの交易の下で、始まる。
 さて、こちらの方は、高校の世界史の教科書にも書いてあることである。しかし、先の、古代の終わり、つまり中世の始まりにおけるイスラム教の影響については、残念ながら、あまり知られていない。
 さらに私は、グローバリズムと情報社会化が進展して、高度資本主義社会が成立すると、三度(みたび)、イスラム教が、西欧に、根源的な影響を与えていると思う。まずは、イスラム諸国の、世界の中での発言力が増している。それから、欧米諸国の、イスラム圏からの移民が自己主張を始める。例えば、フランスでは、500万人とも言われる、イスラム教徒の移民、または移民の子孫が、差別されていることに対しての不満を表明する。それが、西欧近代を揺るがしている。西欧近代の方が、イスラム文化の台頭を受け入れられない。実は、問われているのは、西欧近代の原理である。フランスで言えば、すでにこのシリーズで書いているように、フランスの近代化を進めてきたライシテの原理が、今、見直しを迫られている。その原理に固執していたのでは、イスラム文化と共存ができない。しかし近代を超える原理は、まだ見出されない。
 
 もうひとつ、本を読む。E. トッドの『文明の接近』(注2)である。トッドについては、私は、何度か引用し、拙論を補強するのに使っている。トッドを有名にした、『帝国以後』(注3)の主張を、思いっきり乱暴に要約すると、イスラム文化圏は、確実に近代化し、民主化が進んでいるのに、それをアメリカは理解せず、戦争を仕掛けて、世界を民主化しようとしている。しかし、そういうアメリカを世界は必要としなくなっている。むしろ、世界の民主化を邪魔しているのは、自らの民主主義を退化させ始め、かつ、そのことに気付かないでいるアメリカであるというものだ。
 『帝国以後』の5年後に出た『文明の接近』では、さらに詳細に、イスラム文化圏が分析されている。その主張を、ここでも思いっきり乱暴に要約すると、イスラム文化圏は、確実に近代化を進めているのに、欧米はそのことを理解できず、イスラム嫌い、イスラム恐怖症に陥っているというものだ。
 もう少し詳しく見て行こう。トッドが着目するのは、識字率と出生率の関係である。ヨーロッパをはじめ、世界の歴史を見て行くと、ある時点で、国民の識字率が上がり、そして識字化は、人々に自らの意志で物事を考えさせることを可能にする。さらにそれは、出生率を低下させて、つまり、子どもの数を減らして、女性に自分の人生を自由に生きさせることを可能にし、かつ、子どもに教育を受けさせることを可能にする。かくして識字率の上昇と出生率の低下は、既存の社会体制を大きく変革させる原動力となる。それこそが近代化の指標であり、民主主義は、このような条件の下に成立するのである。
 これがドッドの主張するところである。そしてこの現象が、今、イスラム社会でも起きているのである。
それは脱宗教の流れでもある。文字を知って、自ら考えることを知り、それが既存の宗教への疑念を生む。そしてこの流れもまた、イスラム諸国で見られるというのである。
ただし、現在は移行期である。脱宗教は容易には進まず、原理主義という反動を伴う。宗教が退潮するときには、却って、原理主義が勃興してくるのが、歴史の示すところである。イスラム諸国は、多くが今、その段階にある。
 加えて、移行期特有の危機的状況も訪れる。識字化の進展は、文盲の親世代に対して、字の読める子世代が優位に立つということを意味し、ここに、伝統との断絶が生まれる。この混乱は、しかし、ヨーロッパも経験して来たことなのである。
 テロはこのような背景から生まれる。イスラム教が好戦的なのではない。テロは、イスラム教の本質から来るものではない。移行期における、原理主義の台頭と、社会の混乱があり、そこに、欧米諸国の無理解と差別と抑圧が、拍車を掛ける。まさにテロはそこから生まれる。
 この本は、以上の主張をするために、詳細に、イスラム諸国の、識字率と出生率の変化を調べている。そうして、移行期の必然的な到来を論証する。
 さて、私は、イスラム圏が確実に近代化をしているということ、しかし、今、移行期にあるために、却って混乱し、そのことが見えにくくなっていること、さらに悪いことに、欧米諸国の無理解が、その状況を悪化させていることという、以上の主張について、全面的に同意する。
 とすると、変わらねばならないのは欧米の方ではないか。イスラム圏の近代化を温かく見守らねばならないのではないか。そして自らの、民主主義が退化していることについて、反省すべきではないか。そしてイスラム圏とどう付き合うべきなのか、考えて行かねばならないのではないか。イスラム圏の台頭は、そのことを欧米諸国に促している。そして、その欧米諸国の中には、日本も入れて良い。今や、イスラム圏が、私たちに共存の原理を作り直すことを要求している。
 
補足的に以下のことを確認しておく。
トッドの論点の中には、世界史の普遍的な進展の様式を確認することができる。つまり識字率の上昇、出生率の下落があり、そのことによって、近代化が起き、脱宗教が起き、民主主義が成立する。
 しかし、その進展は、単調ではない。
 まず、脱宗教が進むということは、大きな流れから言えば、そうかもしれない。しかし、ひとつには、その反動として、却って、原理主義が引き起こされるということと、第二に、国によって、それはトッドによれば、家族制度の違いが原点なのだが(注4)、脱宗教のスピードや形態は異なるということ、そして第三に、そしてこれが一番重要なのだが、脱宗教は、マルクス主義者がしばしば考えるように、いつかは宗教が完全になくなるということではないということ。以上に注意すべきである。
 この、第一と第二の観点については、トッドが十分に論じている。ここでは、第三の観点について、言及しておく。例えば、私はアメリカが著しく宗教的であることを指摘してきたが、そしてそのことは、日本人がしばしば気付かないことなので、そう論じて来たのだが、実は、そのアメリカにおいてさえ、脱宗教は進行している。つまり、それは政教分離なのだが、フランスのライシテとは異なった形態で、起きている。それは人々を動かす原理が、宗教的であっても、政治の仕組みが直接に宗教的ではないということである。
 だから、宗教がなくなる訳ではない。しかしそれにもかかわらず、政教分離は起きている。そしてその政教分離の形態が、国によって、様々である。それらを具体的に見て行かねばならない。
 また、民主化の進展も必然的だが、しかし、それが後退することもある。今のアメリカがそうだと、トッドは言っている。つまり、トッドの説を、単調な進歩史観だと見てはならない。世界は確実に近代化へと進んでいるが、それを邪魔し、撹乱し、停滞させ、さらには退歩させるものがあまりに多い。
 
注1
H. ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生 -マホメットとシャルルマーニュ-』(中村宏、佐々木克巳訳、創文社、1960)。私は、この本を、古本屋で、安値で入手した。帰宅して、ネットで調べたら、結構、高価な値段で取引されていて、儲けものをしたと思っている。大学の図書館には置いてある。
 
注2
E. トッド、Y. クルバージュ『文明の接近 -「イスラームvs西洋」の虚構-』(石崎晴己訳、藤原書店、2008)。巻末に、「平和にとって、アメリカ合衆国はイランより危険である」という、著者のインタビューと、詳細な訳者解説がある。
 
注3
 E. トッド『帝国以後 -アメリカ・システムの崩壊-』(石崎晴己訳、藤原書店、2003)。この本は、世界的なベストセラーとなった。
 
注4
 移行期の危機にあるとき、どのような混乱や崩壊、または革命が起きるのかは、その国の家族構造の違いによる。トッドは、別の本で、様々な国の家族構造の違いを分析して、国によって、変化の現れ方が異なるということを論じている。このことについても触れたいが、それはまた別の機会にしたい。
 
(5)へ続く
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x1618,2015.02.19)