ヘーゲルを読む 1 ネグリのコモン論を批判する 2014/04/25 by KIT No comments (前著『知的所有論』の紹介) 高橋一行 0より続く 1. コモン論 非物質労働とコモンという概念を出したのは、ネグリの功績である。 『マルチチュード』1では、まず、現代におい Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載③ ―近代日本人の「考え方」を考える― 2014/04/21 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載②より続く 五、近代日本人の「考え方」を考える――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を踏まえて―― 1.「会読」の解体 前回(四)見たように、江戸期の会読(文芸的公共空間)からは Continue reading →
私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(2) 2014/04/21 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 (1)より続く わたくしの視線が一度正確に作中の一文に触れるとき、その文章は突如としてスポットライトを浴びた彫像のように、怪しく闇のなかに輝きはじめる。ゲルマント公爵夫人が『ベルマ』を観ている Continue reading →
ヘーゲルを読む 0 目次と前書き 2014/04/21 by KIT No comments 高橋一行 シリーズ「ヘーゲルを読む」を連載したい。さし当たって、以下のものを、順に発表する。 0 目次と、前書き(今回) 1 ネグリのコモン論を批判する(前著『知的所有論』の紹介) 2-1 相互承認論を批判する(『精 Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載② ―江戸の読書会とは何か― 2014/04/20 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載①より続く 四、江戸の読書会とは何か 1. 「近代化」は「西欧化」を意味しない 前回、<「近代日本精神」のあり方を克服するためには、私たちは再び『江戸の読書会』を興す必要がある Continue reading →
私のマルセル・プルースト研究/『失われた時を求めて』における一人称についての私見(1) 2014/04/08 by 蒲地きよ子 No comments 蒲地きよ子 1971年7月、ちょうどマルセル・プルーストが生れて百年経った夏休みを、わたくしは二月ばかり家に閉じこもって『失われた時を求めて』の第一篇、第二篇を読んだ。日中、数頁よんでは家事をしながら考え Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載① ―福島原発と近代日本精神の「病理」― 2014/04/07 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 一、福島原発と近代日本精神の「病理」 現代日本の諸問題を真に論ずるためには、何より「日本人の精神」のあり方を論じなくてはならないと思います。もちろん問題のより「物質的」な側面――資 Continue reading →