サルトルとフーテンの寅(最終講義) (中)

永井 旦

 
(上)より続く
 
 それで、時間が大分押してきたので、話を「寅さん」の方に移そうと思います。(笑) 何故これが寅さんと結び付くのか? 寅さんというのはさすらいの人間です。決して定住しません。定住しないから常にさすらっているかというと決してそうではなくて、必ず柴又の「とらや」(そのうち「くるまや」に変わり、今は「高木屋」ですが)という団子屋に帰って来ます。この構造は何かと言えば、まさに「エディプスの構造」です。ご存じのように、寅には両親がいません。いるのは「さくら」という妹です。妹の「さくら」のいる柴又の団子屋に必ず帰って来ます。ここでは、「さくら」が一種の母の代りです。では父がいるかというといないのです。「とらや」はお父さんの弟である「おいちゃん」がやっていますが、権威は全くありません。彼は父親の代理とは言えません。あのあたりで父親は誰なのかと考えると、帝釈天の「御前様」というのがいますが、あれが父親かというと、どうもぴったり来ない。では、父親が何処にいるのか、という問題があります。
 「寅さん映画」というのは、少し調べると面白い事が見えてきます。『男はつらいよ』の第一作が作られたのは69年8月です。第二作は『続・男はつらいよ』で69年11月です。その後は副題が付いていました。最後の48本目の寅さんは、「寅次郎紅の花」という副題が付いています。第一本目が『男はつらいよ』で当たったものだから、第二本目が『続・男はつらいよ』というのを作り、それがまた当たったものだから、『男はつらいよ・フーテンの寅』というのを作るのです。そして、それがまた当たったものだから今度は『新・男はつらいよ』というのを作ります。一つ一つ、もう一本作ろう、もう一本作ろうという形で作っていって、五本目から『男はつらいよ・望郷篇』といって副題が出来て、それが48本続いていくわけです。
 『男はつらいよ』という映画は何なのかというと、当時の日本映画の状況を見るとよく分かります。60年代の後半というのは圧倒的に東映のヤクザ映画が多いのです。藤純子が「お竜」を演じた『緋牡丹博徒』など色々ありますが、東映のヤクザ映画が60年代に全盛を極めていました。それが今度は『男はつらいよ』に変わっていくのです。寅というのは渡世人なのですが、切った張ったといった暴力は一切振いません。人も決して殺しません。しかし、ヤクザ映画の男伊達に憧れていて、啖呵を切ったりします。「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天でうぶ湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します。」という仁義を切ります。これは完全にヤクザが自己紹介する時の仁義の切り方です。だから、寅というのは、ヤクザになりたかったのだけれども、ヤクザになれない。60年代にはまだヤクザの仁義や善悪の二元論がありましたが、そうしたものが完全に消えてしまった70年代の文化状況を象徴しているのが「寅さん映画」なのです。60年代から70年代にかけては文化的に非常に重要な一種の変わり目です。三島由紀夫は切腹して死にます。60年代は彼が持っていた建前が成り立つのですが、もうこれはお終いなのだということで、一種の自暴自棄になって切腹して死んだのだと思います。ビートルズが解散したのもちょうどその時期です。ビートルズは、彼らが持っていたメッセージ性も役に立たなくなる。だから後はズブズブの現実主義が始まる。だからもう自分たちは歌えない。内部的には色々な問題があったのでしょうが、少なくともビートルズが持っていた歌のメッセージ性が無くなったのは70年代です。ここでプッツリと時代が切れてきます。その時代と、高倉健や藤純子が主演していたヤクザ映画が無くなるのは全く同じ時期です。これは、日本では全共闘運動などが消えてゆく時期と重なります。そういう新しい時代になってきます。無論70年代以降も所謂ヤクザ映画はありますが、これは、明治、大正、昭和初期の古典的なヤクザではなくて、昭和のヤクザです。『仁義なき戦い』や『日本の首領』等の深作欣二とか中島悟が作ったヤクザ映画です。だから、高倉健や鶴田浩二が「自分は古い者だ、古いけれども古いなりの倫理観に従って自分は生き且つ死んで行くのだ」とよく言うわけですが、そういう建前の世界が完全に日本から消えてしまったのが70年代なのです。それからもう一つの結節点というか、時代の変わり目は89年だと思います。89年にはベルリンの壁が崩壊し、日本では昭和天皇が死に、そして中国では天安門事件が起こる。たぶんここで20世紀が終わるのです。その後まだ10年続きますが、実質的に89年で20世紀は終わります。そのように時代には必ず節目節目があり、ある時期から全く新しい時期に変わっていきます。その基本には、単なる社会現象ではなく経済構造があります。
 そういう状況の中で69年或いは70年は一つの非常に重要なturning pointであったと思います。この69年に『男はつらいよ』の第一作が出来て、そこでフーテンの寅のような主人公が生まれた。彼は東映の高倉健や鶴田浩二が持っていた男伊達に憧れながらももう男にはなれない。『男はつらいよ』という題はそれなのです。男になろうと思っても男になれない。男というのはヤクザの仁義に生きようとする者です。そのヤクザ擬(もど)き、或いはヤクザのパロディにしかなれない人間というのが寅さんです。寅さんはヤクザと同じように定住しません。葛飾から出かけて行って放浪して歩きますが、必ずまた戻って来てしまいます。ヤクザの世界は直線的な放浪の世界です。故郷から出て行ったらもう二度と帰らずに、最後はたいてい命を落として死にます。資本主義というのは世界的に発展していきますから、これは日本だけの問題ではなく、60年代後半に、『イージー・ライダー』や『明日に向かって撃て』と言ったアメリカン・ニューシネマが出てきます。常に主人公が場所を移行しながら最後は死んで終わるというroad movieです。ゴダールの映画も65年あたりにこうしたことを表現していました。
 寅さんはどうかというと、決して死にません。本気で恋もしません。本気で恋をしないから死ぬような失恋もしていない。死にそうになって頭から布団をかぶって寝込んでしまうことはありますが、また立ち直って新しい恋をします。これが寅さんの生き方です。「さくら」の存在も非常に面白いのです。先ほど言ったように、「さくら」が母の代理です。母の懐に子供が泣いて帰って来るみたいに、寅は柴又に帰って来るわけです。柳田國男に『妹の力』というessayがあります。妹が色々な超能力を持っていて、それによって兄を助けるという話が日本の民話の中にたくさんあります。これは、妹を所謂「いも」=妻と置き換えてもいいのですが、男の子を助ける女性の持つ神秘的な力が「さくら」にはあるのです。もう一つ、これもよく言われるのが「貴種流離譚」です。やんごとない人が故郷を離れて、色々苦労した上で成長して国に帰って来るという一種のinitiation、成長の物語です。これは男にも女にもあります。『竹取物語』などもそうです。月世界からこの世に来るお姫様がいて、そのお姫様に懸想する男たちに無理難題を言って、男たちがそれに一生懸命に応えようとするが、結局は応え切れず、そのお姫様は月世界に帰ってしまう。これは月世界からお姫様がやって来るというのは一つの試練の物語だし、それからそのお姫様に懸想して無理難題に挑戦して何とかお姫様を我がものにしようとする男たちにとっても一種のinistiationの物語です。『源氏物語』もそうです。貴人である源氏が明石や須磨に流されますが、つらい目に遭いながら成長していきます。こうした「貴種流離譚」は折口信夫の説ですが、そのパロディとして寅さんがいるわけです。寅は柴又から出て行って、色々苦労をして(女にも苦労するわけですが)、また戻って来ます。しかし、日本の伝統的な物語である「貴種流離譚」の形のようには、寅は決して成長しません。要するに同じ事の繰り返しなのです。これは「円環」です。全く出発点から到着点に完全に円を描くような形で、寅は柴又から出て行って、また柴又に帰って来る。これが延々と48話まで続いていくわけです。これは一体何なのか、という問題です。何故日本人はこういう話が好きなのか?テレビの『水戸黄門』も全く同じパターンです。水戸黄門は最初は身分を隠しているけれども、いざという時に印籠を見せて悪い代官を懲らしめる。これは完全に「エディプスの構造」です。絶対的な権力を持つ父親が最終的に揉め事を収拾する。「エディプスの構造」の中では最後はパパが収めてくれる。そういう安心感のもとに日本の視聴者は見続けています。要するに筋も結末も決まっているから見るのだというわけです。『水戸黄門』が日本の偉大なるmannerismを表しているのと同じように、フーテンの寅も日本人の持つ一種の精神風土を非常に的確に表している偉大なるmannerismです。これが『男はつらいよ』のテーマの基本にあります。
 それではこの円環は一体何なのか? 話は突然変わりますが、ニーチェの「永劫回帰」というものがあります。その「永劫回帰」と寅の持つ円環は、円環という形で同じものなのではないだろうか? ということは、『男はつらいよ』は構造的にはニーチェ的なのではないだろうか?こういうことも考えられないわけではないのですが、これは明らかに違うのです。ドゥルーズもフーコーもデリダもニーチェの思想から大きなヒントを得ていますが、ユダヤ的な一神教の世界とは明らかに違って、ニーチェの世界にはギリシャ・ローマの多神教の世界があります。ニーチェが「神が死んだ」というのは、一神教の唯一絶対の神が死んだということです。唯一絶対の神が死んだということは、神はたくさんいるということです。また、これは、神の姿に似せて創られた人間は神が創った目的に従って生きていくという唯一絶対性の神話が崩れたということです。だから人間は自由に生きていいし、どのようにも生きられるのだということが、ニーチェの言う「神は死んだ」ということです。そこから実存主義的な自由の問題が出てきて、「自由であるが故に自分の自由に従って世界を作って行かなければならない」ということがサルトル的なアンガジュマンの理論です。サルトルは直接的には余りニーチェのことを言っていませんが、やはりニーチェがいなかったら、実存主義はあり得なかったと思います。ニーチェは「神が死んだ」ということだけではなくて、神はたくさんいるのだ、「私」というのも一人ではなくてたくさんいるということを言っています。これが要するにニーチェの「神が死んだ」ということの意味だと思います。ニーチェ的な「永劫回帰」は、出発点にもう一遍戻って来るのですが、その時は出発した自分と到着した自分は違う自分なのだということ。そうやって、自分というものは多様性の中でいくつにも生き続けることができるということ。これがニーチェ的な循環の思想です。ところが寅の場合はどうなのか? 寅は何時でも同じ服装です。茶色や黄色の縞のスーツを着てパッチを履き、腹巻をして帽子を被ってトランクを持っています。この服装のパターンが一作からずっと変わっていません。この服装から解るように、寅は出発点から到着点まで全然変わらない。そして「寅さん映画」は何作繰り返しても決して変わっていかない。だから観客はそのことに安心するわけです。ちょうど『水戸黄門』のテレビが視聴者を安心させるのと同じように、「寅さん映画」を見てほっとする。盆と正月にこれを見て、「ああ、人生というのはこういうものなんだ。何事も起こらないんだ。すべてはこうやって上手く収まっていくんだ。」と思い、その安心感の中で日常が送れるのです。
 しかし、果してそうなのか、という問題です。何故、循環の思想というものが何事も変わらずに「寅さん映画」の中で貫徹されていくのかというと、寅さんや柴又の「とらや」や「くるまや」という団子屋を中心にした世界を決して変わらないものとして統御している何か「父親」がいるはずなのです。寅の父親の弟である「おいちゃん」が「父親」なのか、或いは、地域的な共同体の長=ボスであるところの「御前様」が「父親」であるのかというと、実際はそうではない。あそこには実際に姿を見せないで隠れている「父親」がいるのです。それは何かというと、たぶん僕は、天皇制、天皇だと思います。だいたい帝釈天というのは江戸城の東側の鬼門に据えられています。鬼門から入ってくる悪霊を防ぐのが帝釈天の意味です。京都では東寺というお寺が東側の鬼門に建てられたもので、悪霊が都に入ってくるのを防ぐのです。江戸城にとって、その東寺にあたるのが帝釈天です。その帝釈天の「御前様」が父かというとそうではない。江戸城にいる将軍が「父親」になります。それから、明治以降の近代的な政治制度の中では、無論頂点にいるのは天皇です。天皇というのは滅多に姿を現しませんが、しかし、隠れた存在ながら日本人の意識を完全に掌握している。それが天皇です。寅さんは「フーテンの寅」ですから、自由勝手気ままに動いているように見えるけれども、実際に彼は見えざる天皇の中で、天皇を中心とした円をぐるぐると描いているに過ぎない。まさにこれが「フーテンの寅の構造」であるし、日本の政治的、社会的状況であるし、この映画を日本人が盆暮れに見ることによって、「これが日本なんだ」と何かほっとする、アットホームな気持ちを抱く。まさにここに問題があったのではないかと思うのです。
 ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』がまだ有効であるのはまさにここなのです。「エディプスの構造」にパパ、ママ、ボクがいる。パパがボクを常に支配している。だけれども、ボクは大きくなったらいずれ新しいパパになる。この「エディプスの構造」は何代にも渡って循環して行きます。この「エディプスの構造」そのものを壊さないとダメなのだ。「エディプスの構造」の中で家庭の中に閉じ込められてしまったボクというものが家庭を飛び出して行かなければならない。そして世界を放浪して行く。定住する場所というものを常に動かしていかなければいけない。柴又から出て行ったらもう二度と柴又に再び帰って来ない。だからと言って別にヤクザ映画のように死ぬわけではありません。また新しい場所に自分の生活基盤を見出し、さらにそこに定住することなしに、新しく自分の生活というものを次々に作り出していく。それが結局は「アンチ・オイディプス」という問題なのです。
 
(下)に続く
 

備考:本稿は、永井旦氏が慶應義塾大学文学部を定年退職するに当たって、2000年3月4日に有楽町の東京国際フォーラムにおいて、永井ゼミ卒業生等によって自主的に開催された「最終講義」の映像記録を文字化したものであり、「公共空間X」への掲載に当たっては永井ご夫妻の了解を頂いた。

 
(ながいあきら 仏文学者)
(pubspace-x1528,2015.01.31)