戦後国権論として憲法を読む(第7回) 本説 第五章 無理筋の「国民主権論」を語る 2017/07/10 by 西兼司 One comment ―――第10条における「主権者国民の不存在」による第三章全体の混乱―――(1) 第6回より続く。 西兼司 第1節 憲法原理たる「国民主権」の憲法における不在 第2節 第10条の意 Continue reading →
東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二) 2016/10/31 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 4.路面電車の延伸計画の挫折 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、 Continue reading →
東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(一) 2016/10/30 by 田村伊知朗 No comments 田村伊知朗 はじめに 1989年にベルリンの壁が崩壊し、分裂した二つの国家すなわちドイツ連邦共和国(以下、西独と略)とドイツ民主共和国(以下、東独と略)が統合された。公共交通網の再構築がそ Continue reading →
後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その三) 2016/04/14 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 (その二)から続く 4.公共交通の復権への具体的前提 本節では、この市民意識の変容において触媒的役割を担った要素、つまりその実体的根拠に触れてみよう。官僚機構にお Continue reading →
後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その二) 2016/04/13 by 田村伊知朗 2 comments 田村伊知朗 (その一)から続く 2.後期近代における公共交通の復権 1920年代以降、自家用車の一般化が開始されて以後、公共交通は戦間期、戦後直後の混乱期を除いて衰退の一途を Continue reading →
後期近代における公共性の存在形式――公共交通における路面電車ルネサンスの政治思想的基礎づけを中心にして(その一) 2016/04/12 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 はじめに 本稿の目的は、後期近代における公共交通の意義を政治思想的観点から基礎づけることにある。とりわけ、後期近代に復 Continue reading →
ウェルベック『服従』を読む -宗教とナショナリズム(7)- 2016/01/07 by 高橋一行 One comment 高橋一行 (6)より続く ウェルベックの『服従』は、フランスでイスラム政党が政権を取るという、近未来小説である(注1)。この小説は、2015年1月7日に発売された。奇しくも、テロのあった日である。この偶然が Continue reading →
ふたつのテロの後で -宗教とナショナリズム(6)- 2016/01/07 by 高橋一行 2 comments 高橋一行 (5)より続く 大澤真幸は、2015年1月7日に起きたパリのテロに触発されて、「資本主義のに」連載を始め(注1)、同年11月13日に再びパリにテロが起きると、それについて、その連載の第13回 Continue reading →
後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして (その二) 2016/01/05 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 (その一)より続く 3.1970年代中葉以降のハレ新市における地域内の公共的人員交通 SEDの主張、つまり地域内の公共的人員交通をバスに限定するという交通政策 Continue reading →
後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして (その一) 2016/01/04 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 はじめに ザクセン・アンハルト州の一都市であるハレ市は、ドイツ民主共和国(以下、東独と略)のハレ県の県都であった。東独時代に、ハレ市に隣接してハ Continue reading →