後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして (その二) 2016/01/05 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 (その一)より続く 3.1970年代中葉以降のハレ新市における地域内の公共的人員交通 SEDの主張、つまり地域内の公共的人員交通をバスに限定するという交通政策 Continue reading →
後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして (その一) 2016/01/04 by 田村伊知朗 One comment 田村伊知朗 はじめに ザクセン・アンハルト州の一都市であるハレ市は、ドイツ民主共和国(以下、東独と略)のハレ県の県都であった。東独時代に、ハレ市に隣接してハ Continue reading →
公共交通と地方衰退(三)――北海道新幹線の表玄関、「新函館北斗駅」という奇妙な名称 2015/10/28 by 田村伊知朗 No comments ――函館市役所と北海道庁における公務員の無責任体質――先送りという無作為 田村伊知朗 「新函館北斗駅」という新駅は、函館市内にはない。函館駅から20キロほど離れた地域に建設されている。な Continue reading →
公共交通と地方衰退(二)――国策と並行在来線 2015/10/27 by 田村伊知朗 No comments (承前) 田村伊知朗 3.第三セクター方式の問題点 整備新幹線が建設されることによって、並行在来線はJRから経営分離される。 Continue reading →
公共交通と地方衰退(一)――国策と「札幌」新幹線 2015/10/26 by 田村伊知朗 No comments 田村伊知朗 1.原理主義的哲学との関連性 時間が経過すれば、ある政治的行為(B1) は、その結果(C1)をもたらす。しかし、 Continue reading →
「民主主義なんてないじゃないか」―丸山眞男と遠藤周作の「現実」について― 2015/09/27 by 小島 望 No comments 小島 望 はじめに 「だって、日本に民主主義なんかないじゃないか」。投票率が下がる一方であることに不満を覚えた筆者に対する、 Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第6回)本説 第四章 補論・「天皇」と「戦争の放棄」の意味と限界 2015/08/22 by 西兼司 One comment 西兼司 占領軍は日本国憲法の第一章と第二章をワンセットで考えていた。2月3日のマッカーサー三原則のうちの①と②が第一章と第二章に対応することを思い出してほしい。この二つの章がこの憲法の眼目である。だから、 Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第5回)本説 第三章 「戦争の放棄の章」 2015/08/20 by 西兼司 2 comments 西兼司 【第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第4回)本説 第二章 「天皇の章」(後半) 2015/08/16 by 西兼司 2 comments 西兼司 【第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。 2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する】 ≪明文正読≫ この条文は第1条、第3条と Continue reading →
戦後国権論として憲法を読む(第3回)本説 第二章 「天皇の章」(前半) 2015/08/14 by 西兼司 2 comments 西兼司 日本国憲法の第一章に「天皇」の章が来るのはおかしい、ということは第一章末尾で既に述べたので繰り返さないが、その事が、つまり降伏主体が天皇であったこと、GHQがそれを当然のこととして受け入れてGHQ Continue reading →