東西ドイツの統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識 ――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察(二)

田村伊知朗

 
4.路面電車の延伸計画の挫折
 
 このような公共性に対する市民意識に基づき、ハイデ北への路面電車の延伸計画がハレ市において議論された。統一直後のハレ市において、ハイデ北だけではなく、ハレ新市への延伸計画もあった。後者に関しては、すでに別稿においてその詳細を論述している。 1 両者は1992年において、ほぼ同等な意義を持っているとみなされていた。 2 両地域とも、ハレ市中心街から数km離れた郊外に位置している。その点ではほぼ同一の条件下にあった。しかし、ハレ新市への延伸計画は前世紀末に実現されたことと対照的に、ハイデ北への延伸計画は実現していない。東ベルリン市から西ベルリン市への路面電車の延伸計画と同様に、議論だけに終始した。
 このような差異が両者において生じた理由に関して、ここでふれてみよう。まず、計画段階における両者の設計規模が異なっている。ハレ新市に関する設計計画によれば、792haの敷地において22,000戸の住宅が建設される。対照的に、ハイデ北に関する設計計画によれば、250haの敷地において18,000戸の住宅が建設されるにすぎない。統一直後、前者の人口が9万人強あったことと対照的に、後者は1万人強でしかない。前者が社会主義体制下においてすでに計画をほぼ達成していたことと対照的に、後者は計画段階の途上にあった。社会主義体制が崩壊して以後、この体制下で計画された事案は、ほぼその有効性を喪失した。
 次に政治的理由も考慮の対象に入れねばならない。ハレ新市は、統一直後の1991年においてハレ市に統合された。この新興都市は、これまでの行政的かつ政治的自立性を喪失した。ハレ市の交通政策担当者は、両市の合併によってこの二つの地域の交通政策を総合的に考察することが可能になった。 3 それは、東独が西独に吸収合併されたことと類似している。西独が東独に対して、新たな共同性を構築しなければならなかった。同様に、ハレ市がハレ新市に対してその新たな共同性を構築しなければならなかった。統合という政治的熱狂がハレ市全体の様々な領域を覆っていた。伝統的都市が統合された新興都市に対して、万人にとって可視的な統合の象徴を創出しなければならなかった。

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 ハレ新市と対照的に、ハイデ北は東独時代からハレ市に属していた。ハレ市が、ハイデ北に対して新たに統一性を与える必要はなかった。ハレ市南部の高層住宅地域つまりジルバーヘーエと同様に、ハイデ北の高層住宅は、ハレ市内の機械工場労働者のために造成された。それは、地方自治団体たるハレ市による決定であり、ハレ新市が東独中央政府による直轄事業として建設されたことと対照的であった。ハイデ北における住宅建設は暗礁に乗り上げたままであった。いわんや、ハイデ北への接近方法、つまり中心街からの路面電車の延伸を実現するための方法論が深化することはなかった。
 さらに、ハレ交通企業株式会社は、ハレ市の郊外化の更なる進展を危惧していた。事実、1990年から1999年の10年間において、ハレ市の人口は急激に減少したにもかかわらず、周辺のザール郡の人口は、60,000人から80,000人へと増大していた。 4 この観点は企業経営上の問題とも関連している。郊外化がより進展することによって、路面電車の運営経費がハレ市総体において増大する恐れがあった。郊外化が進展することによって、中心街において乗客数が減少することは自明の事柄であった。「郊外における無秩序な破壊が進展することによって、さらに乗客数が減少する。それによってハレ交通企業株式会社の赤字、つまりその当時、年間7,000万DMの赤字が増大する危険があった」。 5 ハイデ北が、排除されるべき都市郊外への人口流出の範疇として選択された。
 また、ハイデ北において人口流出が前世紀末から進展していた。ハレ新市と異なり、ハレ市中心街への路面電車による接続がほぼ絶望視されていた。ハイデ北への公共交通は、バスに限定されていた。それも、路面電車の終着駅、クレールヴィッツ電停での乗り換えを必要としていた。公共交通における貧困が改善されることは、近未来的に想定不可能であった。
 人口が減少することによって、住宅需要も減少する。その結果、家賃も下落する。社会主義国家において家賃が据え置かれたことによって、所有者は住宅を改良する意欲を喪失した。同様なことが、東西ドイツの統一直後のハイデ北においても生じた。改築されない低家賃住宅から中高所得者が脱出し、それに代わって低所得者が流入した。この傾向は1990年代に徐々に進行し、今世紀初頭において誰の目にも明瞭になった。ハレ新市とハレ市南部の高層住宅地域、たとえばジルバーヘーエ等においても、その傾向は続いていた。「ジルバーヘーエにおいて全住民の33%、ハレ新市において全住民の28%が、生活保護を受給している」。 6 この資料はハイデ北と直接的に関係するものではないが、ほぼ同様な指標がこの地域にも妥当するであろう。「最近の世論調査によれば、・・・ハレ市全体における住宅に対する満足性はさらに上昇している。しかし、ハレ新市においてそれは57%であり、明らかに平均以下である。・・・将来の人口減少に関係する地域は、ハレ新市西側、ジルバーヘーエそしてハイデ北である」。7 人口が減少し、かつ低所得者が増大したことによって、中高所得者は自己の住居に対して不満を増大させた。
 行政当局ならびに住宅所有者は、この現象に対して住宅構造物の廃棄によって対応しようとした。8 住宅を破壊して、更地にすることによって、その供給を制限しようとした。しかし、住宅所有者の意図、すなわち住宅の廃棄による家賃上昇だけが、土地の更地化の効用ではない。「住宅価値を高めることの目的は、縮小過程における都市を魅力化することにある。住宅密度の減少は、生活質を改善するために利用されるべきである」。 9 ここでは、更地化の目的が、家賃上昇とは別様に設定されていた。

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 たとえば、住宅協同組合「幸福な未来」は、住宅を廃棄した後に、中高所得者向けの住宅を新たに建設しようした。住宅所有者の意図にも配慮しつつ、別の選択肢を模索していた。「ハイデ北において新たに住宅を建築することの利益は、『幸福な未来』にとって大きい。我々は、ここにおいて賃貸者用の集合住宅を建設するだろう」。 10 この住宅協同組合の主張は実現されなかった。2000年代後半には、ハイデ北の住宅複合体Ⅰの一部が解体された。 11 住宅解体の結果として、家賃は上昇した。しかし、この住居政策は人口減少を止めるどころか、それを促進することになった。
 さらに、ハレ市交通政策担当者は、都市の郊外化の危惧と同時に、中心街における路面電車の充実の必要性を優先した。東独末期の路面電車網が、中心街において寸断されていたからである。「1989年6月22日、テールマン広場とダーマシュケ通りの間において路面電車網が閉鎖された」。 12 テールマン広場(東西ドイツの統一以後、リーベック広場と改称)とハレ中央駅間が閉鎖されていた。全国鉄道網とハレ市中心街を媒介していた路面電車が、事実上解体された。
 この復旧が、東独の崩壊直後におけるハレ交通企業株式会社の重大な使命になった。1990年代後半において、ハレ市都市計画局は、この都市総体における地域内の公共的人員交通の存在形式を次のように認識していた。「地域内の公共的人員交通の路線網の欠陥は、とりわけハレ新市への路面電車網の結合の欠如、ハレ中央駅と中心街との直通網の不在から生じている」。 13 ハレ新市への延伸を除けば、中央駅周辺とりわけリーベック広場の再開発が焦点になった。
 リーベック広場は中央駅から、1kmほどしか離れていない。しかし、ハレ市全体の路面電車網からハレ中央駅周辺が除かれたことは、市民的公共性の形成という観点からだけではなく、営業収益という観点からも問題の多いものであった。ハレ市中心街における公共交通の充実が、ハイデ北への路面電車の延伸に対して優先された。「調和がとれ、すべてが混合し、コンパクトな住居構造は地域内の公共的人員交通を志向する。この住居構造の建設的な枠組設定が、未来の住居構造と交通構造の基礎を形成すべきである」。 14 路面電車が、この住居構造において主導的役割を担うと設定されていた。路面電車が、都市の密度を増大させる地域内の公共的人員交通手段としてみなされていた。とりわけ、人口減少と人口高齢化が不可避であったハレ市において、中心街の整備が最重要課題であった。
 

1. 田村伊知朗「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の延伸過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年、213-223頁参照。
2. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale), Dezernat Planen und Umwelt: Verkehrsplanung in Halle und Ihre Umsetzung bis 2001. Halle 2002, S. 65.
3. Vgl. STaH A4.3, Nr. 22/9, Beigeordneten Konferenz (16.07.1992), S. 1.
4. Vgl. H. Sahner: Großwohnsiedlungen der Stadt Halle. Heide-Nord im Vergleich. Halle 2000, S. 12.
5. StaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale). Beschluss des Stadtrates der Stadt Halle (Saale) vom 8. Januar 1997, S. 13.
6. STaH: S. Zöller: Nicht nur Jubel beim Fest. In: Mitteldeutsche Zeitung, 15.09.2007.
7. STaH: A. Lohmann: Hallenser ziehen sehr um. In: Mitteldeutsche Zeitung, 19.03.2008.
8. Vgl. Wohnumfeldverbesserung in Heide-Nord (27.7.99). Nachrichten v. Halle
(Saale). In: http://www.halle.de/de/Rathaus-Stadtrat/Aktuelles-Presse/Nachrichten/?NewsID=330
[Datum: 04.04.2015]
9. Ch. Westphal: Dichte und Schrumpfung. Kriterien zur Bestimmung angemessener Dichten in Wohnquartieren schrumpfender Städte aus Sicht der stadttechnischen Infrastruktur. Dresden 2008, S. 114.
10. STaH: A. Lohmann: Reihenhäuser lassen auf sich warten. In: Mitteldeutsche Zeitung, 24.03.2007.
11. Vgl. ebenda.
12. B. L. Schmidt: 100 Jahre elektrisch durch Halle. Halle 1991, S. 196.
13. STaH: Hrsg. v. Stadt Halle (Saale). Dezernat Planen und Umwelt. Stadtplanungsamt: Verkehrspolitische Leitbild der Stadt Halle (Saale), a. a. O., S. 12.
14. Ch. Holz-Rau: Verkehr und Siedlungsstruktur-Eine dynamische Gestaltungsaufgabe. In: Raumforschung und Raumordnung. H. 4. Jg. 59, Köln 2001, S. 265.
 
5.路面電車の延伸計画の挫折以後
 
 ハイデ北への路面電車の延伸は、前節において言及した諸根拠から現実化されなかった。それに代わって、2005年にクレールヴィッツ電停とハイデ電停の間、約1kmが結合されることになった。路面電車だけによるハイデ北から中心街への結合はほぼ断念されたが、ハイデ北からクレールヴィッツ電停までのバスと、この電停から中心街への路面電車によって、両者が結合された。 1 ハイデ電停あるいはクレールヴィッツ電停からハイデ北への路面電車による延伸計画は、二つの最終電停の結合による路面電車網の改善という形で完全に断念された。

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 この路面電車網の改善に関してより詳細に触れてみよう。まず、パークアンドライドがクレールヴィッツ電停において採用された。このシステムは、公共交通の停車駅とりわけ最終停留所周辺に駐車場を整備することによって、公共交通の利用者を増大させることを目的にしている。単純化すれば、公共交通を存続させる最終手段として喧伝されている。クレールヴィッツ電停周辺にも、100台ほどの自家用車両を収容するための場所が確保されている。人口10,000人弱のハイデ北にとって、100台ほどの駐車場は理に適っているようにみえるかもしれない。しかしパークアンドライドは、都市周辺部においてかろうじて残存していた公共交通を破壊することにもつながる。「パークアンドライドは、自家用車に有利な平面を都市周辺部に拡大し、・・・そこに残存している公共交通を最終的に破壊することに他ならない」。 2 この設置は路面電車の利用を促進するが、ハイデ北からのバスの利用を妨害する。地域内の公共的人員交通をより拡充すべきであるという観点からすれば、パークアンドライドは問題の多い交通政策であろう。
 また、ハイデ北からクレールヴィッツ電停へのバスは、平日日中において毎時15分間隔で運行されている。もちろん、乗車人数、乗務員の確保等の観点から、単位時間当たりの運行が制限されることもある。しかし、1時間あたりの本数が制限されていたとしても、路面電車そして公共交通一般は定間隔運行を必要としている。たとえ、1時間に1本の運転であったしても、毎時定時に運転されることによって、その運転が市民に周知される。たとえば、ハレ市とデッサオ市間を運行しているドイツ地方鉄道は、毎時15分にハレ中央駅を出発している。 3
 逆に言えば、すべての時間帯において異なる発車時間であれば、人間はそれを記憶できない。定間隔運行であれば、人間はこの事象を記憶することができる。後期近代において人間は、高度な知識に基づく専門家としてふるまっている。後期近代において知識が細分化され、高度化される。しかし、どのような専門家であれ、専門外の事柄に関して素人としてふるまわざるをえない。自然的個人にとって、専門知の高度化は限られた領域において生じるだけである。「我々の世界において経験がより科学的になればなるほど、・・・それだけ我々は噂を信じるしかなくなる」。 4 自然的人間が世界における複雑な事象をすべて認識することは、不可能であろう。公共交通における運行時間に関する問題も、この観点から考察されるべきであろう。交通計画者の専門知は、利用者の素人知に適合しなければならない。ハレ市交通政策担当者が、定間隔運行によって公共交通としてのバスの存続に対して配慮しているのであろう。
 この配慮はさらに、クレールヴィッツ電停からハイデ北方向への路面電車からバス路線への乗り換え形式にも現れている。この乗り換えのためには、道路を跨ぐ必要はない。路面電車の軌道、停留所、バスの3車線が並列している。路面電車の終点で下車した乗客は、そのまま電停横に待機しているバスに乗り換えることができる。さらに、路面電車の停留所にバスが直接的に乗り入れている場合もある。ハレ新市の都市鉄道駅電停等の一部の停留所だけであるが、路面電車とバスを結合するための究極的様式であろう。5

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おわりに
 
 本稿は、1980年代の東独末期から東西ドイツの統一過程におけるハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程を考察してきた。統一直後において、ハイデ北への路面電車の延伸計画への期待は、市民の公共性に対する社会意識の変化、とりわけ環境保護政策と高齢者福祉的政策に対する意識が増大することによって上昇した。しかし、住宅地としてのハイデ北において、家賃相場が下落し、住宅そのものが廃棄された。そして居住人口が減少した。この社会的現実態の急激な変化によって、この延伸計画は挫折した。公共性に対する市民の社会意識が変化したにもかかわらず、社会的需要の減少という経済原則に直面することによって、ハイデ北 への路面電車の延伸計画は現実化されなかった。
1. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Strecken für die Zukunft. Die neue Verbindung Heide-Kröllwitz. Halle 2005, S. 4.
2. W. Wolf: Berlin-Weltstadt ohne Auto? Eine Verkehrsgeschichte 1848-2015. Köln 1994, S. 158.
3. Verkehrsmittel Vergleich. In: http://www.verkehrsmittelvergleich.de/bahnticket/1154804?st_affiliate_id=1. [Datum: 25.11.2014]
4. O. Marquard: Zeitalter der Weltfremdheit? Beitrag zur Analyse der Gegenwart. In: ders.: Apologie des Zufälligen. Stuttgart 2008, S. 84.
5. Vgl. Hrsg. v. HAVAG: Das neue Liniennetz der HAVAG-umsteigen auf Tram und Bus. Die bessere Verbindung. Von Anfang an. Halle 1999, S. 2.
 
Abkürzung:
STaH: Stadtarchiv Halle (Saale)
HAVAG: Hallesche Verkehrs-AG
 

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注釈
本稿は、「東西ドイツ統一過程における公共交通と公共性に対する市民意識――ハレ市・ハイデ北への路面電車の延伸計画とその挫折過程に関する考察」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』(第67巻第1号、2016年、73-83頁)として既に公表されている。なお、統一脚注を節ごとの注に直している。また、頁番号を手動で入力している。
同時に、『田村伊知朗政治学研究室』hhttp://izl.moe-nifty.com/tamura/2016/10/post-1a96.htmlにおいても掲載されている。

 
(たむらいちろう: 近代思想史専攻)
 
(pubspace-x3736,2016.10.31)