老いの解釈学 第1回 リヨンでレヴィナスを読む 2024/11/16 by Ω No comments 高橋一行 リヨンに滞在して、E.レヴィナスを読んでいる。老いという単語が度々出てくる。身体と他者というふたつのキーワードを通じてレヴィナスを読み直そうと思っていたのだが、身体は必然 Continue reading →
パウロ・ルター・フォイエルバッハ―柴田隆行死去3年目によせて 2024/11/04 by Ω No comments 石塚正英 はじめに わが畏友の柴田隆行(1949-2021)は、勤務先の東洋大学で講座「社会文化思想史」を担当し、その講義概要(2000年度)に、次の文を記していた。 Continue reading →
中島正の思想研究序説―その著作目録と都市論に対する序文 2020/12/02 by Ω No comments 田村伊知朗 第1節 都市という概念の歴史 社会的な主要産業が農業であるかぎり、都市の発展は限定的である。もちろん、前近代においても商業は必然であり、統治機構は都市を必要としていた。し Continue reading →
主体の論理 (2) 当事者研究とは何か 2020/12/01 by Ω No comments 高橋一行 「主体の論理」というテーマで話を続けたい。今回は補論に入れるべき事柄かもしれないと思う。 当事者研究とは、2001年に北海道の浦河べて Continue reading →
未明―森忠明『ハイティーン詩集』(連載12) 2020/11/30 by Ω No comments (1966~1968)寺山修司選 森忠明 未明 女のような流し方をする あの懐しくも愚劣な街の銭湯で したたか友情に酔いながら おれはついそんな批評を君に呈したことがあった 別れ Continue reading →
リベラル・左派にとって民衆と「前近代」は啓蒙の対象でよいのか? 2020/08/15 by Ω No comments ――リベラル・左派の何が問題か?(二) 相馬千春 1.近代日本教育の産物としての「リベラル・左派」 前回は、日本のリベラル・左派の低迷の背景に、<日本の「リベラル・左派」のセ Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(2) 無限判断論 2020/03/22 by Ω No comments 高橋一行 無限判断論は、ジジェクのヘーゲル理解の要(かなめ)と言っても良い概念である。これは二千年の昔から哲学史上議論されているのだが、それを活用したのはカントである。そのカントの無 Continue reading →
M代議士の「税制」についての質問に答えて 2020/01/17 by Ω No comments 鳴海 游 地域の立憲民主党代議士のM氏から私が関与している市民団体に対して「適当な税制をどう考えるか」についての質問がありました。 市民団体としての共通見 Continue reading →
現代の貨幣とは何か?―結城剛志氏のMMT批判を手掛かりに― 2020/01/01 by Ω No comments 鳴海 游 1. 「政府がおカネを使うのに、財源は必要ないんだよ」と言われて MMT=現代貨幣理論という言葉をよく聞くようになりました。市民運動の集まりでも、「政府がおカネを使うのに Continue reading →
シンギュラリティは来るのか -加速主義について( 補遺)- 2019/11/20 by Ω No comments 高橋一行 シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人間の能力を超えるようなAI(人工知能)が出現し、かつそういうAIが廉価で普及するようになる日のことで、あと20数年もすれば、そういう時代が来るだ Continue reading →