高橋一行
M. フーコーとG. ドゥルーズにJ. デリダを加えて、この3人は20世紀の後半を代表する思想家である。彼らはいずれもフランスの思想家として出発して、英語圏に受容されて、グローバルな思想家になった。ここでグローバルと言ったのは、檜垣立哉に拠れば、今や彼らはアジアや中南米にまで受け入れられて、その研究が盛んになされているのだそうで、そういう事態を指すのである(注1)。さらにこの3人に続いて、S. ジジェクやJ. ランシエールがいて、少し遅れてC. マラブーがあとを追う。皆、フランスの思想家として出発して、いずれも英語圏で認められることで、今やグローバルに受け入れられている。私は今リヨンで、彼らの本を読んでいるのだが、世界中の研究者が彼らの研究を英語で発表していることに気付く。とりわけ、日本の研究者よりもはるかに欧米の言語に熟達した中国や韓国の研究者の活躍は目立つ。私がグローバルという表現を使うのは、何もそれらが英語化されているからではなく、世界中の非英語圏の人々が大勢、その研究者集団を創っていて、その中で互いに競っているからである。
そういう状況を説明しておいて、さて今回も岡本裕一朗の老いについて書かれた本を使う(注2)。彼はフーコーとドゥルーズの思想を使って、うまく老いについてまとめている。フーコーもドゥルーズも、その思想は多岐に亘り、膨大な著述があるのだが、岡本は巧みにフーコーとドゥルーズとふたりの関係に絞って、論点を整理している。私も今回はその点を確認したい。ふたりの思想家は互いに相手の仕事を意識していたのである。
まずフーコーは、監獄に代表されるような空間に人々を閉じ込めて監視し、そこで規律訓練するのが近代社会の特質だと言った。そこには学校や工場や軍隊が含まれる。またフーコー自身は取り挙げていないが、ひと昔前の老人施設をそこに入れても良い。それに対してドゥルーズは、まずフーコーの言う社会を規律社会であるとまとめた上で、20世紀の終わりころの状況を念頭において、社会は今や規律社会から管理社会に代わっていった。そこでは閉鎖的な学校や会社は消えつつあり、社会は流動的になる。老人施設も出入りが自由になり、また在宅介護も奨励されると言う。
さらにフーコーは長い間、主体性という概念を批判してきたのだが、晩年になって、一見すると、主体性を強調するようになる。このことについて、のちにきちんと説明するが、言葉尻だけを捉えると、個々人が主体的に自らの人生を生きていくべきであるというのである。ここのところを岡本は、人は自らの好奇心を追求して生きていくべきであるという話なのだとし、フーコー自身は老いに触れていないけれども、ここは老人が自らやりたいことをやり求めて、自らの人生を芸術作品として仕上げていくべきだと、フーコーを読み込むのである。まさに老人こそ、好きなことをすれば良いということになる。
このフーコーの晩年の主張について、ドゥルーズは、フーコーは決して主体性に回帰したのではなく、そこで言われているのは、生成変化する主体、自由自在に多様な状況に対応する柔軟な主体性のことであるとしている。これはドゥルーズの思想に繋がるものである。というのもドゥルーズは、これもこのあとで詳述するが、リゾームやノマドという概念を生み出して、刻々と変化している主体を論じているからである。岡本はそれらの概念を老いに適用する。
岡本によるこのまとめは、的確である。以下私は、それを補強したいと思う。
まずフーコーは1926年に生まれて、1984年に亡くなっている。一方ドゥルーズは1925年の生まれで、1995年に亡くなっている。ドゥルーズの方がひとつ年上であるが、フーコーが先に亡くなり、その後にドゥルーズはフーコー論を書いている。そこで的確にフーコーの主張をまとめて、自らの仕事に繋げている(注3)。また1990年に出た、ドゥルーズのインタビューを集めた『記号と事件』という本の第III章で、フーコーに言及している(注4)。するとあたかも、フーコーの仕事をドゥルーズが受け継いだかのように思われるのである。
ここで私は、この後者の本を参照して、フーコーとドゥルーズの関係を考えたい。まずドゥルーズが如何にフーコーを尊敬しているかが、この本を読むと良く分かる。ドゥルーズは「フーコーに心酔していた」と言う。また「フーコーは最も十全な意味で二十世紀の哲学者です。唯一の二十世紀の哲学者だと言っても良いでしょう。フーコーは十九世紀から完全に分離している。だからこそあれほど的確に十九世紀を語ることができたのです」と言う。
一方フーコーの方も次のように言っている。「ひとつの閃光が走った。それはドゥルーズという名を持つだろう。ひとつの新しい思考が可能になった。再び思考が可能になったのだ。その思考が、今、ドゥルーズの文章に息づいている。私たちの目の前で、私たちとともに跳躍し、軽やかに舞っている。・・・いつの日か、世紀はドゥルーズのものとなるだろう」と言っている(注5)。
互いに相手を褒め合っているというところだろう。そういうことを確認して、以下、両者の思想を見ていく。
まずフーコーから始める。社会が個人の肉体を訓練することによってその個人を規律化する方法を論じているのが、『監獄の誕生―監視と処罰』である(注6)。これは、1975年に出版された。近代以降の刑罰は犯罪者を監獄に収容し、そこで彼らの精神を矯正する。監獄に入れられた人間は常に権力者よって監視される。J. ベンサムが考案した、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所がここで考えられている。
さらに近代が生み出した軍隊、学校、工場、病院は、実はどれも監獄と同じ原理を持っている。つまり規則を内面化した従順な身体を創り出す装置なのである。
このフーコーの規律社会論を受けて、ドゥルーズは管理社会という概念を出す。『記号と事件』の第V章では、この管理社会は、「フーコーが近い将来、私たちにのしかかってくると考えていた」ものとして、すでにフーコーが考えていたものだとしている。フーコーは、監獄、学校、軍隊、工場といった規律社会を18世紀と19世紀に位置付け、20世紀初頭にその頂点に達したのだとドゥルーズは言う。そしてそれは20世紀の後半、管理社会にとって代わるはずだと、繰り返すが、これはフーコーの記述の中に潜在的に見えているものなのである。この管理社会という概念は、社会がもはや監禁によって機能しなくなった時代に、管理とコミュニケーションによって人々を支配するものである。それは監視カメラやデータベースなど、個人情報の大規模な集積を容易にする電子技術の発達を受けて、規律に代わる個人の管理のための新たなテクノロジーの発展を予期したものである。
フーコーの提起するもうひとつの論点は、以下の通りである。未完に終わったフーコー最後の著作が『性の歴史』で、第1巻『知への意志』(1976年)、第2巻『快楽の用法』(1984年)、第3巻『自己への配慮』(1984年)の3巻が刊行されたのだが、ここで議論が起こったのは、この第3巻である(注7)。つまりあれだけ主体化を批判していたフーコーが、あたかも主体化の必要性を唱え出したかのように受け取られたからである。というのも、先の『監獄の誕生』では、監獄、学校、軍隊、工場は規則を内面化した従順な身体を造り出す装置であって、主体とはそういう装置の中から近代において生み出された概念に過ぎないとされていたからである。
しかしここで西川耕平を参考にすると、後期フーコーの主体とは、自らにまったく確信をもてない主体であり、恒常的に外部に置かれる不安定で関係的な主体であって、フーコーはリベラリズムが措定するような確固たる主体像とは反対の未完成なものとして主体を捉えているのである。かつ、こうした不安定な主体、強固な同一性を欠いたものとしての主体は、すでに以前のフーコーにあったものだと西川は言う。それは以前の「自分自身からの離脱」や「別の仕方で考えること」を試みるフーコーの思想と一致するものである(注8)。
そしてこれこそ実はドゥルーズの主張する主体である。ドゥルーズによれば、主体化、自己との関係は絶えず生成され、しかも変身しつつ、様式を変えつつある。またこれは権力関係によって、知の体系に収拾されるが、別のところで、異なる仕方で、復活し続けるものである。こうした自己は絶えず生成変化する自己であり、別様な存在になる自己である(以上、ここも西川を参照した)。
実際、先の『記号と事件』を読むと、そこでドゥルーズは繰り返し、フーコーの主張は、これはいわゆる主体化ではないと言う。あるいは主体化に回帰したのではないと言うのである。ここで言われているのは、プロセスとしての主体化であり、関係としての自己であるとも言う。強度によって作用する個体化だとか、熱情のことだとも言う。従来とは違う生の様態や新たな様式を求める実践的探究という言い方もする。生存を様態や芸術に変えるとか、自己同一性なき主体だとも言う。
そこから積極的なドゥルーズの主張が出てくる。
『千のプラトー』においてドゥルーズは、記憶に対しては忘却を、歴史に対しては地理を提示する。そこからさらに、樹木状組織に対してリゾームという概念を出す。それは地下茎であって、自らを地下の中で多様な方向に広げていくものである。また歴史は普通は、定住民、マジョリティに帰せられているのだが、それに対してドゥルーズは、生成を重視し、そこでは、ノマド、マイノリティが重要になる。ノマドとは、遊牧民と訳しても良い概念である。一か所に留まらず、自由自在に動き回る人々を指す。
歴史にはマジョリティの歴史しか、あるいは、マジョリティとの関係において規定されたマイノリティの歴史しかないとドゥルーズは言っている。ノマドは歴史を持たないのである。彼らは地理しか持たない。そしてノマドの敗北は実に完璧であったために、歴史は国家の勝利と一体化するしかなかったとも言う(注9)。
岡本はこのドゥルーズを受けて、次のようにまとめている。すなわち樹木状組織からリゾームへ、定住民からノマドへというのは、人々が学校や会社に根付いていた時代から、学校がオンライン化されたり、生涯教育が重視されたりするようになり、また転職をしたり、フリーランサーなどの特定の会社に属さない人々が増加するといった、多様な方向に広がるポスト近代に移ったことであるとしている。
さらにここから老人の生き方について、岡本は提案をする。まず確認すべきは、平均余命が伸び、少子高齢化が著しく進む、今の社会である。今や先進国では、3人にひとりが65歳以上の老人になろうとしている。これは人類の歴史上かつてなかったことなのである。私たちは時代の転換期を迎えている。そこで人々はどう生きていくのか。
少なくとも私たちは定年退職をして、そこで人生が終わるのではなく、そのあとが重要で、どう生きるかが問われる。人々は好奇心の赴くままに、好きなことをして生きていくのである。そして自らが考えるところに従って、自らの生を完成させる。そこでは仕事が遊びになり、遊びが仕事になる、そういう時空間が待っているのではないだろうか。
岡本は、例えば老人が大学院に行くことを奨励する。それは私も同感だ。円安と日本経済の不振のために、現実的には極めて困難だと思うが、留学をするのも良いだろう。「公共空間X」のようなところに入って、皆で議論をし、論稿を書き、作品を発表する。そういう活動に従事するのも良い。またこれは別稿を要するが、メタバースこそ、老人が親しむべきものである(注10)。もっともこれは時間の問題であって、メタバースに馴染んでいる若者が歳を取ったら、その時の老人は皆、メタバースの世界に遊んでいるということになるだろう。
今回のテーマは、フーコーからドゥルーズへ、また一歩その先へということである。監獄に代表される閉鎖的な社会から情報によって管理される社会へ、そしてその管理社会を積極的に活用する方法を見つけたい。そこでは老人が社会の最先端にあって、新しい時代を切り開いていくのである。
岡本はこの本で、前回取り挙げたプラトンとアリストテレスに始まり、様々な古典の中で老いがどのように捉えられているかを調べ、さらに現代に至って、これは来月取り挙げる予定のS. ボ−ヴォワ−ルとJ-P, サルトルに言及し、そして最後にこのフーコーとドゥルーズで話を締める。この最後のまとめの個所の、岡本の説明は秀逸で、今回私の仕事はそれを実際にフーコーとドゥルーズに当たって確認しただけである。
注
1. 檜垣立哉『生命と身体 フランス哲学論考』勁草書房、2023 特にその中に収められた「ドゥルーズ没後20年の<世界的現在>」を参照せよ。
2. 岡本裕一朗『世界の哲学者が悩んできた「老い」の正解 』ビジネス社、2023
3. G. ドゥルーズ『フーコー 』宇野邦一訳、河出書房新社、2010
4. G. ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』宮林寛訳、河出書房新社、2007
5. M. フーコー「劇場としての哲学」『ミシェル・フーコー思考集成Ⅲ』所収、蓮實重彦訳、筑摩書房、1999
6. M. フーコー『監獄の誕生<新装版> : 監視と処罰』田村俶訳、新潮社、2020
7. M. フーコー『性の歴史 3 自己への配慮』田村俶訳、新潮社、1987
8. 西川耕平「法・権利の創造と主体化 – フーコーとドゥルーズにおける – 」『倫理学年報』No.69, 2020
9. 『千のプラトー 資本主義と分裂症』(上)(中)(下)、宇野邦一訳、河出書房新社、2010
10. 拙著『身体の変容 メタバース、ロボット、ヒトの身体』社会評論社、2024
(たかはしかずゆき 哲学者)
(pubspace-x12543,2025.01.03)