森忠明
おととし、NHKテレビのリハーサルで、登校拒否の経験を喋っていると、女性ディレクターが近寄ってきて「不登校と言いかえてくれませんか」。
たしかに私の場合、学校はキョヒという苛立った響きで敵視したいような制度ではなかった。もっと根源的な違和感と虚無感による〈小学生版・時間停止暗黒体験〉だった。
昭和三十四年、立川共済病院には脳波計やその分析装置が無く、私は神経科のK先生といっしょに信濃町の慶応病院まで出かけた。順番がくるまで院内を一人きょろきょろ見物していたら、恰幅のいい大人の腹のあたりにぶつかった。故フランキー堺氏だった。虫の居所が悪かったらしい氏は、十一歳の私を仁王のように見下し、あのギョロ目でにらんだ。氏の熱烈なファンだっただけにショックは大きかった。
それから三十七年後の去年、老賢人の慈眼の持ち主となった氏の、最後のテレビドラマを見て、僭越ながら”人間の成熟”ということを考えさせられた。
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私の散歩コース、多摩川緑地は老人たちの憩いの場で、よく話しかけたりかけられたりする。五、六年前の初夏だったと思う。そこで、七十四歳の凧揚げ名人と出会った。デルタウィングと称する百五十枚のビニール製連凧(黄、紫、橙、青、緑、桃、白色)が、十五㍍もある尾っぽとともに、優雅な曲線を描いて空をめざす姿は、ちょっと浮世ばなれした美しさ。名人は誇るふうでもなく、「エッフェル塔の下でも揚げたよ」とか「ロスの風はよかった」とか「英国人の見物マナーは最高」とか「子どもの頃、二銭の凧がほしくて母親の裁縫箱から金ちょろまかした」などと楽しい問わず語り。そこへ自転車に乗った少年がやってきて、名人に科学的な質問をした。すると名人は片手で”あっち行ってろ”とすげない仕草。「日本の子どもはすぐに『いくらかかったか』『こづかいは足りてるか』なんてきくから好かん」と吐き捨てるように言う。凧揚げというファンタスティックな遊びと、因業っぽいハートレスな物言いとの差に戸惑いつつ、再び凧を見あげたら、なんだか急に百五十の罪業の連なりのように見えてきたのだった。
先月、恩師の葬式に行った日。中央線の国分寺駅から三人の上品な御婦人が乗り、小声で世間話をはじめると、スポーツ新聞をひろげていた八十歳くらいの男性が「うるさい!長電話と同じだ、いいかげんに黙れ」。三婦人のしょげかえりかたは気の毒なほどだった。
「日本人のユーモアのなさ、社交性の欠如は、真に孤立していない証左」とは劇作家山崎正和氏の卓見で、私なども真に孤立する前にアルツハイマーになってしまいそうな気がする。
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『あるがままを受け入れて』(クリスティ・ホール・作、清水奈緒子・訳、広野多珂子・絵、文研出版・一三〇〇円、九六年十月刊)は、中学一年生の女の子ジューンとその母が、フランクリンという因業?老人の家で、本当の家族のようになるまでの紆余曲折の物語。
「女の人ほど男の性質の良さを見抜くものがいない」(室生犀星)そうだけれど、私が男のせいかフランクリンの良さは分からなかった。なぜジューンは血もつながっていない毒舌じいさんと同居できるんだろう。いわゆる少女小説なのに、読後の余韻は”成熟した女性小説”。どうしてかといえば、ジューンの母と隣家の老婦人メイベルが、どこまでも寛容にフランクリンを思いやるところは、六道輪廻を経た建礼門院みたいだし、「坊っちゃん」にとっての清さんみたいだから。
ジューンの同級生で肥満した少年ホイッスラーの、清潔でおっとりした言動が、あたかも老賢人のようなのが面白く、意味深い。現代アメリカだって美器は育っているのだ。
(もりただあき)
森忠明『ねながれ記』園田英樹・編(I 子どもと本の情景)より転載。
(pubspace-x9774,2023.03.31)