主体の論理 (1) フロイトの事後性について 2020/11/07 by Ω No comments 高橋一行 この古色蒼然たる題名は、しかしM. フーコーやJ. ラカンやJ. バトラーの理論が私たちの共通認識になったと思われる現在において、あらためて意義を持って来るのではないかとい Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(3) 具体的普遍 2020/04/10 by Ω No comments 高橋一行 ジジェクのキーワードの一つは具体的普遍である。「ヘーゲルのとは何か」(以下、「具体的普遍とは何か」)という論文を見て行こう。 ジジェクはここで、ヘー Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(2) 無限判断論 2020/03/22 by Ω No comments 高橋一行 無限判断論は、ジジェクのヘーゲル理解の要(かなめ)と言っても良い概念である。これは二千年の昔から哲学史上議論されているのだが、それを活用したのはカントである。そのカントの無 Continue reading →
ジジェクのヘーゲル理解は本物か(1) 闇と鬱 2020/03/07 by Ω No comments 高橋一行 S.ジジェクは、その単著の内30冊が邦訳されている。また共著やインタビュー集なども10冊の訳が出ている。未邦訳のものは単著で10冊以上、あちらこちらに寄稿しているものは一体 Continue reading →
病の精神哲学10 カントの無限判断を問う 2018/08/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 9より続く 石川求『カントと無限判断の世界』(法政大学出版局、2018) を読む。これは面白い本である。 まず、無限判断は、「プラトンからゆうに2000年を超えてヘーゲルまでを貫 Continue reading →
病の精神哲学6 実在論から目的論へ 2018/03/17 by 高橋一行 No comments 高橋一行 5より続く ジジェクはドゥルーズを論じた本の中で、私が前回取り挙げたボグダーノフの主張にドゥルーズのそれが近いのではないかと言 Continue reading →
病の精神哲学5 人間が生まれる前に自然は存在したのか 2018/03/10 by 高橋一行 No comments 高橋一行 4より続く 17世紀のデカルト以降、主観と客観の関係が問われ、そこから意識が分析される。それは認識論的転回と言って良いものである。それ Continue reading →
病の精神哲学4 カントとヘーゲル 2018/02/09 by 高橋一行 No comments 高橋一行 3より続く 本稿を3回分書いて来たが、ここで短いまとめを提出する。次回以降、さらにテーマを広げて行く予定だ。 柄谷行人は、カントの物 Continue reading →
病の精神哲学1 ヘーゲルの構想力論 2017/11/15 by 高橋一行 No comments 高橋一行 すでに前著『所有しないということ』の最終章において、私自身の精神哲学と自然哲学を書きたいと言い、それは「偶然の自然哲学」と「病の精神哲学」という題になるだろうということを示しておいた。いよいよ Continue reading →
「身体の使用」アガンベンを読む(5) -『他者の所有』補遺(5)- 2016/05/25 by 高橋一行 No comments 高橋一行 (4)より続く アガンベン『身体の使用 -脱構成的可能態の理論のために-』を読む。原文は2014年に出て、邦訳が、2016年に入ってから出ている(正直に言えば、翻訳が出て、読んでみたら、私の問題 Continue reading →