西兼司
占領軍は日本国憲法の第一章と第二章をワンセットで考えていた。2月3日のマッカーサー三原則のうちの①と②が第一章と第二章に対応することを思い出してほしい。この二つの章がこの憲法の眼目である。だから、第三章以下と比べると格段によく検討されているのである。その意味と限界を簡単に確認しておこう。
(一)、第一章の目的は、占領目的のための妥協である。天皇に愛着があるのではなく、天皇がいなければ日本変革作業が円滑に進まないから、無害化したうえで天皇を建てたのである。したがって、本質的には「天皇制」についてほとんど考察されたものではない。王号についても、そのイデオロギーの性格についてもである。何をもって、天皇は天皇たりえ、再生産して行けるのか、行けないのかについて、考えた形跡はない。
端的には儀式について、全く考えた形跡がないことである。もちろん、儀式を支えるイデオロギーは、実は天皇を巡ってははなはだしく歴史的には変遷してきた。道教、道教日本型としての神社神道、(儒家型法治主義としての)大宝・養老律令、鎮護国家仏教、阿弥陀信仰型仏教、密教、修験道、「禁中並びに公家諸法度」、水戸学型儒学、国学などである。しかし、それらのイデオロギーが明治立憲君主制度下の日本に継承させたものについての考察はない。
敗戦後も、昭和21年1月半ばの賀川豊彦(プロテスタント系「日本基督教団」・長老派。東久邇宮内閣参与。キリスト教社会主義者。「日本社会党」発起人)による天皇への「キリスト教についてのご進講」以来、急速に聖書講義と讃美歌合唱が天皇家の家族(皇后と7人の皇子女)に浸透して、皇室はこぞってキリスト教を熱心に学びだす。昭和21年10月からは、バイニング夫人(クエーカー教徒)が皇太子の英語の家庭教師として参加する。芦田内閣下では、昭和23年6月宮内府長官に田島道治、侍従長に三谷隆信という新渡戸稲造、内村鑑三門下のクリスチャンが就任している。そのコンビが、小泉信三(昭和27年4月洗礼を受ける)を「東宮職御教育常時参与」に任命し、聖心女子大学(カトリック系・建設時名誉総裁マッカーサー)出身の正田美智子(祖父母、弟、妹がカトリック)を東宮妃に迎えることに尽力する。後任の宮内庁長官もクリスチャンの宇佐美毅である。昭和25年9月2日の田島の日記には「皇太子妃サガスコト」と記載されている(註1)。
天皇制を支えるイデオロギーは本当に何でもありだということについて、憲法は語っていないし、主権者国民も充分に考察してこなかった。現時点ではキリスト教との親和性を強く持って、象徴天皇制が、聖公会首長英国王家の「開かれた王室」路線に倣った「大衆天皇制」、「芸能人天皇制」制度の装いを持って「象徴」機能を模索しているが、それも「象徴天皇」とは何をもって言えるのか解らないからの足掻きであろう。神社の神官然として象徴天皇でいるわけではないのである。
現時点では、日本国民は「天皇」なるものが、何であるかについて、意味了解を共有し得ていないのだ。だから却って、「真床御衾の儀」による「天皇霊」の「憑依継承」を核心とする大嘗祭研究の意義が研究者にとって増したりしているのだ。「象徴」と「天皇」の齟齬が克服されないまま、「日本独自の天皇制」という呪縛に研究者の側が拘束されているのである。「天皇」は確かに道教神であり、道教イデオロギーによって齎されたものではあるが、その後の歴史を経て、境遇も、支えとなるイデオロギーも、儀礼も変化し、正統的存在様式は失われている。だからこそ、明治「万世一系天皇制」も、敗戦「象徴天皇制」も創造・組織しえたのだということは、「国権」天皇を見るときには欠落させてはならない観点である。
(二)、日本国憲法第一章は、現体制下の天皇にとって、「禁中並びに公家諸法度」(1625年9月9日)に相当するものである。徳川政権が武家からの緩やかな統制策の実施として、後水尾天皇体制の公家社会と天皇コントロールに乗り出したのと同じ性質の「天皇・皇室」統制策である。だが、それは国際法違反を承知の占領軍が、大日本帝国大権者(元首)を打擲するものとして、打ち出したものであった。だから、何ほども力を蓄積していない、婦人参政権を含む普通選挙権者を「主権者」としてでっち上げただけで、「主権者」が何ほどの者であるかを書き込む必要すら感じていなかったのだ。イメージがないのだから、主権者を規定的に明示することに、マッカーサーレベルでは躊躇があったのだ。
「主権者国民」が第一章に書かれておらず、「天皇」が措定されている意味は斯様なものとして受け止めなければならないであろう。そして、それ故にこそ象徴職公務員「天皇」は、憲法に明記されている「国事行為」以外の行動を脱憲法的に「ご公務」として積み重ねていく。これを、国権を構成する公務員は誰も問題にしえないどころか、主権者国民ですら問題にしえない。問題は、自民党のような「元首」化策動ではなく、それ以前にある。
戦後設計の出発点で、憲法によって規定された「象徴職公務員天皇」が三つに分裂しているのだ。「象徴」と「公務員」と「天皇」の分裂である。(1)、「象徴」としては、うまく設定できていない。英国国教会首長風に「国民と親しく接触すること」を以て、象徴業務たらしめんと「ご公務」なるものをでっち上げているが、生きた人間が事物の統合体として、「代置された憑き物」になれないことを見誤っており意味ある役務として設計できていないのである。第4条の「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」という規定の制約も極めて大きい。(2)、「公務員」としては、「憲法的国事行為」が仕事、すなわち公務として明確にされている。繁忙の差が極端に大きいことはあるにしても、一公務員の仕事としては相当程度多すぎる。(3)、「天皇」としては、天皇霊の継承と血肉化に、宮廷祭祀を法的位置付けの曖昧なまま適当に形を変えて、実行している。天皇が天皇であるためには避けられない業務であるが、同時に明治天皇や大正天皇が熱心ではなかった「虚」業務でもある。憲法や法律によらない業務であって、当事者が必要としている業務をどう考えるのかは主権者が丁寧に考えるよりほかはない。
いずれにしても、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と言う第1条の規定が成立しないと謂う無理に規定されているのである。(イ)、だから憲法順守義務のある公務員天皇に「ご公務」という違憲行為をさせているのである。天皇の公務は「憲法的国事行為」だけなのだ、と確認することが憲法理解の第一歩である。(ロ)、今、行っている「ご公務」は「私的行為」として整理し直すことである。(ハ)、どうしても必要な私的行為以外の行為なら立法職公務員が憲法に違反しない範囲で法制化すべきである。違憲行為を立法化することの難しさは厳然としてある。(ニ)、また、人間天皇が他の公務員と連携することなく、単立独歩の行為として実行したい行為もあるだろう。それはまた、それでできる範囲を立法することである。(ホ)、宮内庁に、違憲・不法行為を延々と続けさせるべきではない。面の皮を厚くしてそうした行為を続けさせておくことは、天皇の周辺の人間の精神を歪め、弱くし、貧しくし、腐らせることに繋がる。
(三)、こうした思考と模索の上で、現実には空論、違憲の策源となっている日本国憲法の出鱈目さを議論し、「象徴天皇制」という虚を真面目に改定することを考えるべきである。多くは語らないが、国民にとっても、天皇家にとってもそれが必要な時期が来ている。
「象徴」と、「公務員」と、「天皇」との重みを衡平に考えてみれば、敗戦によって「主権者」として与り知らぬところで措定されたわが祖先(爺婆世代・父母世代)よりも、当然のこととして利害関係が深いのは、そのように措定された昭和天皇自身である。彼にとっては当たり前のことであるが、象徴でも公務員でもなく、「天皇」が本体であったであろう。
天皇として、敗戦の決断をしたのであり、「象徴」も「公務員」も受け入れたのであろう。「国権」ではなく「天皇」そのものが、天皇家の人々にとっての実なのである。だから、現憲法体制下であっても一番考えなければならないのは、「天皇」とはいかような存在で、いかなる意味を持つものなのか、ということである。
すでに、戦前の「国家神道」が、決して「天皇」号と一体のものでないことについては語った。道教神「天皇大帝」が、アマテラスを祀る場を伊勢に置き「神社神道」の祖型の一つを為し、一体の形で「天皇」となったが、恐らくはその時に東アジア権力の正統的形式「姓」を捨てた。孟子の「易姓革命」を恐れたからだと謂うのが松本健一説であるが、そのことによって裏返して支配の正当性をも捨てた。ついに万機を決裁する「皇帝」型の天皇は続けられなくなったのである。それを、「万世一系の皇祖神の末裔」として「維新」はあっても「革命」はないわが国体の原基を定めたものと理解するのは自由だが、逆に人々の現実、特にまつろわぬ(服さぬ、祀ろわぬ・別の神を戴く人々)集団との関係では心を得る原理を失ったことを見ないのは、「中庸」でも、「虚心」でも、「自然」でも、「正直」でもない。
「天皇」では、戦前といえども祀ろわぬ(服さぬ)人々をどうすることも出来なかったのだ。これを、無理に「象徴」とする愚を犯しても、日本国民統合はできない。天皇自身も考えなければならないことであるが、それ以上に主権者国民が考えなければならないことであろう。
私は、反天皇制主義者ではないので「天皇制廃絶」などということは考えないが、日本史の過程大部分で、「天皇」が「道教神」として振舞ってこなかったこと(註2)は承知している。いくら痕跡を残していても、今さら道教神へ戻ることは出来ないであろう。仏教との関係の整理も難しい。鎮護国家仏教では、「仏の下」になって祈らなければならない。阿弥陀信仰でも同様である。密教神では、近代のあからさまな詮索に耐えられないだろう。キリスト教への帰依は、やってみなければわからない側面があるにもせよ、亡命の下準備にしかならない可能性が強いであろう。
結局、神道しか残らないのだが、「天皇」号と神道イデオロギーの乖離は残る。天皇は北斗信仰を前提とした天界=星の世界の物語を前提とした王号である。ところが、日本書紀、古事記は天地開闢からの「国の常立の尊」などからして、「天界」を視る問題感覚がない。その中での、高天原からの国産み神話の果ての「葦原中津国」への「天孫降臨」者の末裔の、東征した神武(カムヤマトイワレヒコ)子孫たちが祖霊を祀ったからと謂って、「大王」を名乗ることは出来ても、「天皇」とは本来何の関係もない。権力から離れてしまった「由緒」は、権力と一体であった時よりもはるかに厳しく吟味されざるを得ないのだが、「天皇」号の寿命は尽きて終っていることを視ないわけにはいかない。
「天皇」ではなく、「大御神」を諡号に憑けることにして、「姓」を復僻して、「日本国民」(主権者の一員)と正式になったうえで、「現御神(あきつみかみ)」となること以外に、天皇と天皇家のイデオロギー的存続基盤はないのではないか。大きな選択さえしてしまえば、儀式などは教養家イデオローグが適切に創造してくれるに違いない。
(四)、第二章は、日本の武装解除を目的とした占領目的そのものである。したがって、面倒な難しい話をして意味と限界を指摘するほどのこともない。
正しくは、憲法原案作成時(昭和21年2月)に、実は大日本帝国軍隊は解体していたから、占領目的の過半は既に完了していたのである。あとは、世界戦争をするような気力を排除し、そのような実力組織を建設する手がかりを排除する規範を残しておけばよいだけだったのだ。
昭和20年7月26日にトルーマンの手(チャーチル、蒋介石の名も使って)で発せられたポツダム宣言は全13条分のうち、実に、2、3、4、6、7、9、10、11、13の各条、つまり過半の9条にわたって日本の軍事力、軍国主義イデオロギー、戦争遂行能力、武装、再軍備への拒絶感の強いものだった(註3)のだが、これに天皇は誠に速やかに対応しているのだ。
経過の詳細は省く(註4)が事実の経過から見て、憲法案作成時には既に、「軍事力は解体」され、「軍国主義勢力組織(国家総動員体制など)は解体」され、「軍需産業は解体」されていたのだから、将来への簡単な条文だけを付け加えればよかったのである。第一章が8条もあるのに対して、ポツダム宣言が最も重大視していた帝国の軍事力の解体作業条文がたった1条で、しかも、「戦争の放棄」という主題の章になっているのは実にここに理由があるといわなければならない。9月からは信書の検閲が始まり、マスコミの検閲も始まり、12月からはNHKラジオで「真相はこうだ」という日本帝国主義の悪行暴露番組も始めていたのだから、「軍国主義イデオロギー再生産」のコントロール方法も手中にしていると謂う自信はあったであろう。
ただただ、マッカーサーでは判断できない、スターリン、金日成、トルーマン、毛沢東らの手による「朝鮮戦争」への流れが、たった1条しかない盲腸のような「戦争の放棄」の章を、国権と国体の誤読を前提として、戦後70年の今日も国民の間の先鋭的な対立の火種とすることは、当時誰も予想しえなかったであろう。
(五)、だからこそ、正しい憲法第9条の解釈は切実である。状況の変化によって解釈が変わるという経験を第9条こそが積み重ねてきた。解釈の変更による「違憲」と「合憲」の変化の積み重ねは当然のこととして、「立憲主義」はもちろん、「法治主義」の正当性を根本的に揺るがす。
そして、第9条の場合は、実は世間でも国会でも議論されている第9条解釈が根本的に間違っていることがそれに加わっている。端的には、「自衛隊は違憲」か、「自衛隊は合憲」か、に加えた「公務員の武装は違憲で、主権者総武装が合憲」かの対立である。「国民主権」下で、主権者国民は公務員に武器を委ねて自分は丸裸でいるのか、それとも仕事をさせる公務員は(主権者にとって)危険だから武器を与えないで主権者が武装するのかである。
結果的に、敗戦国体は占領者の意図を超えて憲法論的には、公務員は信用できないから主権者が武装する道を選んだ。戦後70年を迎えて、東亜・太平洋戦争の回顧話もたくさん掘り起こされているが、共通しているのはアメリカがいかに中国権益をめぐり日本を排除したかったかという話と、天皇、軍部、外務省などの(現在の)公務員集団が自己保身に走り、結局日本全体の利害計算については無責任であったかという話だけである。公務員が国民にとって、信用するに足らないと謂う事例は、まさに今掘り起こされつつあるのだ。
公務員(正確には、天皇とその官吏)たちが起こした戦争で、国民は惨害を受けたのだ。総力戦戦争で負けたのだ。「国体は護持された」が、「国体は変革された」のだ。第9条はそれを鮮明に開示したものとして読み込まれなくてはならない。
そして、このように読むことによって、第9条の先進性も鮮明になるのである。「近代」という存在するはずの時代を支えるイデオロギーの矛盾も完膚なきまでに開示されるのである。近代には国民が存在し、主権が存在することになっている。その両者を結合する観念が「民主主義」だということになっている。民主主義の説明もいろいろな偏差があるものの主題は「人民主権主義」ということで、ほぼ異論はない。
しかし、「人民主権」は何との関係で語られるのか。歴史的には「王権」であるが、実在的には「公務員」との関係で語るよりほかないであろう。主権者に仕えるものとしての公務員を措定してこその「人民主権」であろう。そして、主権の核心は自然人を殺人して、その示威効果を持って他の自然人を従わせる軍事力である。軍事力とはいかなる自然人でもかなわない破壊力であり、殺傷力である。
これを公務員組織にゆだねて、「人民主権」が実現可能なのかという問題である。たまたま、アメリカなど連合国は戦勝国になったこともあって、「人民主権」と「公務員武装」は両立のままで来ているが、いずれは、「ソ連」のように「(プロレタリア独裁を解体した)労農民主独裁」の破産のように、「民主」を掲げた「官僚」制支配への反発は不可避であろう。たまたま、カッコつきの「社会主義」は主権者プロレタリアートがほぼあらかじめ武装解除されていたが、アメリカはそうではない。
そして、再度繰り返すがそれが健全なのだ。そのアメリカよりも、「国権(公務員)の非武装」を謳っているだけ、日本国憲法のほうが本来は先を進んでいるのだ。しかし現実は逆になっている。公務員が武装して主権者が非武装である。「立憲主義」を語るなら、このことを問題にしなければならない。これを問題にしない「民主主義」者は、「公務員(官僚)主権主義」に毒されているのだ、と指摘しないわけにはいかない。それが、近代主義の帰結であることについて直視することが必要である、と差当り言っておきたい。
〔以下註釈〕
(註1) 『昭和天皇7つの謎』加藤康男第7章「皇居から聞こえる讃美歌」参照。
(註2) ただし、天皇家そのものには、「北斗信仰」は存在した。その痕跡は「大極殿」などの名称や、礼服などの刺繍に「北斗七星」などが織り込んであったりして、はっきりとうかがえる。だが、それが政治の場で制度や階級として生かされたことは、天武以降の短い時間を除いては、儒教、仏教に取って代られて、後世には残らなかった。
(註3) 当該ポツダム宣言の文言は、「吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ」、「無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ」、「吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」、「日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ」、「日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ」、「日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス」、「日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス」といったものである。
(註4) 8月14日のポツダム宣言受諾通告の直後、17日には「陸海軍人に賜る勅語」を発し、「汝等軍人克く朕が意を體し鞏固なる團決を堅持し出處進止を嚴明にし千辛萬苦に克ち忍ひ難きを忍ひて國家永年の礎を遺さむことを期せよ」と語り、厚木航空隊の反乱が18日に終わるや、同日、「帝国陸軍復員要領」制定、陸軍総復員(解体ということ・ポツダム宣言の「軍隊は家庭に返せ」という要求に答えたもの)方針明示、21日、海軍軍人第一段解員指令、22日、最高戦争指導会議の廃止、同日、大本営、外地部隊に対し戦闘行動の即時停止を示達(25日0時停止)、24日、陸軍大臣下村定、軍旗奉焼の特別命令を通達、25日、復員に関する勅諭を下賜、同日、海軍解体を開始、26日、大東亜省・軍需省を廃止(商工省復活)、30日、「外地(樺太を含む)及び外国在留邦人引揚者応急援護処置要綱」決定、引揚証明書による食糧・物資配給、定着地までの鉄道無償券交付を定める、9月1日、内務・厚生両省「朝鮮人集団移入労務者等の緊急措置の件」全国地方長官に通牒、結果、12月中には「復員軍人、応徴士、移入集団労務者」優先輸送はほぼ完了、2日、一般命令第1号(陸・海軍)公布、大本営、連合国軍の本土進駐に伴う武装解除・兵器引き渡し・施設等の保管接収の処理要領等を発令、などが2日の降伏文書署名までの主たるポツダム宣言に対する受け入れ準備である。
9月13日には、大本営が閉鎖廃止され、10月1日に海軍が復員収容部を設置し、14日には、内地部隊の復員がほぼ終了し、15日には参謀本部、軍令部が廃止され、11月5日には帝国在郷軍人会が廃止され、陸軍現役将校学校配属令が廃止され、30日には海軍軍人第三段解員指令が出され、12月1日には第一復員省(陸軍)、第二復員省(海軍)が設置される。20日には、国家総動員法及び戦時緊急措置法が廃止され、1月4日には、GHQが軍国主義者の公職追放と超国家主義団体27の解散指令を出し、19日には、マッカーサーが極東国際軍事裁判所設立の特別宣言を出していたわけだから、「武器」も、「軍事的構想力」も、「軍人」も、「軍属」も、「軍事主義的イデオロギー生産組織」も、みんな自ら解体してGHQを迎えたのだ。再軍備のための工業力は空襲で解体され尽くしていた。例外としては、将来の毒ガス戦をにらんで、アメリカの側が望んで、キーナン検事に話をつけて、毒ガス戦技術者のA級戦犯指定を外したことぐらいである。
(連載第6回終わり)
前回 第5回 「戦争の放棄の章」
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(にしけんじ)
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