公共交通と地方衰退(三)――北海道新幹線の表玄関、「新函館北斗駅」という奇妙な名称

――函館市役所と北海道庁における公務員の無責任体質――先送りという無作為

 

田村伊知朗

 
 
 「新函館北斗駅」という新駅は、函館市内にはない。函館駅から20キロほど離れた地域に建設されている。なぜ、北海道新幹線は、在来線小樽駅、在来線函館駅に隣接せずに建設されるのか。在来線の駅に接続する新幹線の駅は、すべて町村か平成の大合併によって市に昇格した町(旧大野町、現北斗市)に建設される。唯一の例外、札幌駅を除いて。
 この事実から、北海道新幹線は「札幌」新幹線であると演繹される。北海道新幹線に関する本質的問題が、この新駅名称問題という小さな問題にも現象する。ここで、その過程を検証してみよう。そこから見えるのは、地方自治体の官僚機構に特有な現象、無責任体質である。
 2013年から2014年にかけて北海新幹線新駅の名称、「(仮称)新函館駅」が問題になった。新駅所在地の北斗市が、「北斗」の名前を新駅に挿入することを要求してきたからである。2014年6月10日現在、「新函館北斗」が最有力の名前だそうだ。各種の新聞、テレビがそのように報道している。この名称は、必然である部分もある。 それに関してある地方新聞に私の見解を掲載した。1
 函館市は北海道新幹線新駅に関して、「(仮称)新函館駅」という名称を信じてきた。北海道新幹線の誘致運動の期間を含めれば、数十年間この(仮称)という言葉に注意を払わなかった。「(仮称)新函館駅」と同時に建設される新幹線木古内駅という名称には、(仮称)が付いておらず、確定していた。この誘致運動において「(仮称)新函館駅」から(仮称)を取ることは、少なくとも今よりも容易であった。2006年以前であれば、新駅所在地は渡島管内大野町であった。大野町長が、新駅に「大野」の名称を入れろ、と主張することはほとんどありえなかった。少なくとも、20世紀であれば、この仮称という言葉を削除することは、問題なかった。
 しかし、歴代の市長、井上市長、西尾市長、工藤市長も、この問題を看過してきた。この3人ともいきなり市長になったわけではない。企画部長、総務部長、助役等の行政の要職を歴任することによって、市長になった。とくに、企画部長は新幹線問題の統括責任者であった。彼らもこの問題に気がついていたはずである。しかし、函館市はこの問題を楽観視してきた。  
 2006年に、「(仮称)新函館駅」の所在地、渡島管内大野町が上磯町と合併した。新たに、北斗市が誕生した。旧上磯町長、海老沢氏が初代北斗市長になった。旧上磯町は2005年当時、人口4万弱を抱え、市制実施の時期を模索していた。大手セメント会社等を町内に擁し、人口が増大していた。それに対して、旧大野町は1万人強であり、農業以外にはほとんど産業がなかった。人口規模は、ほぼ3倍強の開きがあった。通常であれば、この合併によって上磯市が誕生しても問題なかった。しかし、この合併を主導した海老沢順三・旧上磯町長は、上磯という名前に拘らなかった。上磯、大野という伝統ある町名を廃棄し、北斗という名称を冠した新しい地方自治体を創造=イノベーションした。両旧名にこだわるかぎり、融和は困難であった。新しい市庁舎も、旧上磯町役場が転用された。行政の中心が旧上磯町に移行することは、事実上誰もがいたし方ないと考えていたはずである。旧大野町の行政担当者、そして旧大野町民も、対等合併であったと心から認識していたわけではなかった。
 彼は、新駅の名称を「北斗駅」とすべきであると主張した。吸収合併された旧大野町に配慮した結果である。このとき、多くの函館在のマス・メディアは、海老沢市長の主張を黙殺した。
 2006年に、私は以下のような草稿を準備していていた。しかし、『毎日新聞』だけではなく、あらゆるマス・メディアから看過された。海老沢市長の主張を馬鹿げたことと嘲笑した。マス・メディアも函館市も同様であった。しかし、新駅は北斗市に建設されるという単純な事実から考察すれば、北斗市長の主張は、理に適っている。ここでその没原稿を再掲してみよう。
 「北斗市誕生に際して、北斗新市長が市域に建設予定の新函館駅(仮称)の名称を北斗駅に改名すべきであると主張した(2006年3月6日市長就任会見)。北海道新幹線新駅の名称問題が浮上している。この新駅の名称を、新函館駅とすべきか、北斗駅にすべきか、という問題である。この新幹線新駅の名称は、鉄道建設・運輸施設整備支援機構によって暫定的に使用されているだけである。この新幹線建設を推進するために、新駅の名称を渡島管内大野町(合併前の北斗市)した場合、全国的水準における社会的承認を得ることは不可能であり、暫定的に函館という名称を採用しているにすぎない。新駅の正式名称は、最終的に新幹線を経営するJR北海道によって決定される。
 この問題が発生した原因は、函館市が新駅の建設場所を自らの市域においてではなく、その域外に設置したことにある。もちろん、形式的には、その決定主体は旧鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)である。しかし、公団という国家機関の一部が函館という歴史的かつ行政的名称を使用する際、函館市の了解を必要とするはずである。この意味で、函館市も実質的な決定主体の一部である。
 函館市が、その中心市街地ではなく、そこから遠く離れた場所に建設することを推進してきた。新駅に関して名称だけは函館の名を冠して、実質的には北斗市に建設しようとしてきた。函館市が市街地中心、たとえば在来線函館駅、あるいは五稜郭駅周辺に新駅を誘致していれば、この種の問題は起こりえなかった。名称と実質はほぼ一致していたからである。この名称と実質の分離という捩れ現象を、北斗市長が解消しようとしている。
 この名称問題を一般化すれば、次のようになるであろう。通常、同種の問題は、知名度の低い都市(たとえば、千葉)が知名度のより高い都市(たとえば東京)の名称を用いることによって発生する。この事例として、実体的には千葉県に位置している施設が東京という名称を冠する事はありうる。その著名な例として、東京ディズニーランド(千葉県浦安市)を挙げることができよう。しかし、東京にある施設が千葉という名称を冠することは、通常ありえない。全国的な、あるいは国際的な知名度を上げるためには、より知名度の高い都市名(ここでは東京)を冠する場合が多い。
 函館市と北斗市の論争に戻れば、北斗市が新駅建設に際して、市内に建設されようとする施設、すなわち新駅をより知名度の高い函館という名前を冠することはありうる。北斗市は平成の大合併によって誕生した新しい都市であり、全国、あるいは道内に限定しても、その都市名が社会的に認知されているわけではない。しかし、函館市が自らそれを強制することは、困難である。東京都が、千葉県に建設される施設に東京という名前を冠することを強制できないことと同様であろう。このような論理に従うかぎり、北斗市の主張は正当なものになろう。
 もちろん、函館市が最近の数十年間新幹線誘致運動を中心的に展開したことは、顧慮されるべきであろう。そのために、膨大な税金が投入されている。しかし、この誘致運動は、新駅が函館市外に建設されるとういうことを明瞭にして展開されたわけではない。新幹線新駅建設による経済効果が強調されることによって、新駅が市外に建設されることを明瞭にしないまま、誘致運動が展開された。道外に居住する多くの日本国民は、函館市内に新幹線が建設されるという認識しか持ち得ないはずである。しかし、厳密に言えば、函館市に隣接する北斗市に新幹線新駅が建設されるにすぎない。函館市は全国的な新幹線網から除外された町にしかすぎない。さらに、重大な問題が看過されてきた。在来線函館駅には、札幌からスーパー北斗号、本州からスーパー白鳥号がそれぞれ10本近く入線しているが、新幹線が札幌まで延伸された暁には、これらの特急列車は廃止され、かつ新幹線も入線しない。函館駅には特急電車が入線せず、1両編成の各駅停車しか停車しない地方駅にすぎなくなる。しかも、この地方路線は、JR北海道が経営を放棄した第三セクターによって運営された鉄道網でしかない。函館市は、このような未来図を税金投入によって推進してきた。
 しかし、現在なお、函館市はこの新駅建設によるばら色の函館将来図を市民に対して提示している。この北斗市長によって提起された名称問題は、この隠蔽された問題を白日の下に晒したという点から評価できるであろう。現在、函館市の行政は、新幹線建設によって、観光客、商人が函館に来ることを前提にして、函館奉行所の復元、国際海洋研究会館等を建設しようとしている。しかし、この前提の存立基盤が破壊されようとしている。どのようにして新函館駅(あるいは北斗市駅)から、鉄道によって観光客等を運ぶべきか、という点に行政の中心を移さないかぎり、その衰退に拍車をかけるであろう。江差線、函館本線等の複線化工事、高架工事、及び新函館駅の在来線結合形式の改変等を推進しないかぎり、本州からの新幹線乗客は函館まで足を運ぶことなく、札幌方面へと向かうであろう。第三セクターによって運営される鉄道網しか持ち得ない都市が、繁栄を極める可能性は限りなく少ない」。(2006年脱稿、未公表)この草稿は今でも有効性を持ち得ていよう。
 
 その時から換算しても、8年の年月が経過している。この間、函館市は問題を「先送り」してきた。仮称とはいえ、新函館駅が数十年間定着したし、函館というブランドに安心してしまっていた。 開業を控えた本年になって、北斗市の政治的主張が認知されてきた。駅舎が存在する北斗市の名前を新駅名称に挿入すべきであるという主張である。経済界にはこの主張を支持する意見は多い。この主張には理がある。JR北海道も、駅建設及びレール敷設にあたって、北斗市の了解を取る案件は多々あるからだ。 新幹線線路そして駅舎を建設する企業は、その利益を貫徹するために函館市ではなく、北斗市と交渉しなければならない。
 この問題は日本の官僚制の問題一般と関連している。多くの官僚は、特にキャリア官僚という上級公務員は、多くの部署を渡り歩く。2-4年のサイクルで移動する。しかも、最近では中級公務員も多くが移動する。上級、中級、下級という区別が、官僚機構を機能不全の原因にされている。多くの自治体の場合、ほとんど形式上意味のないものになっている。また、中央官庁の場合も、できるだけこの区別を柔軟にしようといる。  
 しかし、課長補佐、係長が実務の細部を把握しなければならない。また、時間的一貫性も必要である。公文書の保存期間は5年だそうである。もちろん、重要な文書はそれよりも長いであろう。しかし、同一の部署に詳しい人が、10年、20年居ないと、歴史的経緯が分からなくなる。中級公務員がかつてはその役割を担っていたはずである。このような人間が現在では、減少している。少なくとも、広範囲でかつ重要な案件であればあるほど、この問題に精通した人間が必要である。
 また、5年間を経由すれば、市役所によって作成された文書はほとんどすべて破棄される。ある問題がどのような過程で設定され、その過程でなされた馬鹿げた決定がどのように準備されたか。このような事象を再検討される可能性はない。ここでも、無責任体制が維持される。否、このような無責任体制を維持するために、5年という時間が経過した後、廃棄される。地方官僚、地方公務員の利益を実現するために、様々な規則が整備される。規則の本質は、「公務員の、公務員による、公務員のための利益」を実現することにある。
 西欧の都市には、都市文書館が存在している。したがって、今でも旧東独時代の文書が実名入りで閲覧可能である。たとえば、ハレ市の文書館には、東独時代の路面電車延伸に関する膨大な資料が保存されている。2今でも、第三帝国時代のある都市における政治過程が問題になるのは、このような資料が保存されているからである。但し、過去20年の文書は、公文書館ではなく、市役所に保存されており、市民には閲覧されない。もちろん、この市民にはその都市の住民だけではなく、外国人も包摂している。
 「(仮称)新函館駅」の問題に戻せば、多くの函館市の公務員がこの問題に気が付いていたはずである。しかし、重要な問題になればなるほど、これを歴代企画部長が「棚上げ」つまり「先送り」してきた。前任者は後任者に引き継いだだけである。問題が大きくなればなるほど、その問題は棚上げされてきた。官僚だけではない。多くの人間も一般にその傾向から免れない。この問題については、2014年5月23日のブログ「花輪和一『刑務所の前』」において論じた。3
 「先送り」が繰り返された。最後になって、元企画部長であり、現函館市長がこの問題を取り上げたとき、外堀は埋まっていた。2013-2014年にかけて、北斗市が「函館北斗駅」を、函館市が「新函館駅」を主張した。後者の主張が通るはずもない。
 通常、対立する二つの集団は、その両者の利益が貫徹される。かつて金丸信副総理は、「政治とは、足して2で割ることである」と、主張した。この政治学的名言は、多くの政治学者によって嘲笑の的になった。しかし、金丸氏の主張を単純な図式として考察すれば、(A+B)÷C=D という図式になる。この図式そのものは真理をついている側面がある。対立する二つの相異なる主張を取り入れ、両者が満足する結論を引き出すという点は、政治学の基本である。あるいは、ヘーゲルの弁証法における正・反・合もその図式と似ている。もちろん、2という単純な数字ではなく、複雑な係数等が必要であろうが・・・。しかし、今回の新駅名称問題において、「政治とは2つを足して、2で割ることだ」という政治の基本的図式そのものを破壊している。もはや、政治ではない。北斗市の主張する函館北斗駅と函館市の主張する新函館駅を足しただけである。2で割ることは、新たな水準において事柄の本質を揚棄するはずであった。しかし、今回の新駅名称問題は、足しただけである。足して「新函館函館北斗駅」から重複する函館を引いただけである割り算まで至らない。足し算と割算だけで、新駅名称が決定された。
 もはや、「北斗」という名称を入れざるをえなくなっていた。 歴代の函館市役所の先送り体質が、このような奇妙な事態を招いた。
 
注1 田村伊知朗「新函館北斗駅名称問題」『北海道新聞』(2014年6月12日)、28面。
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2015/08/post-8.html [Datum: 06.08.2015]
北海道新聞記事①
注2 田村伊知朗 「後期近代の公共交通に関する政治思想的考察――ハレ新市における路面電車路線網の拡大過程を媒介にして」『北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)』第66巻第1号、2015年参照。
注3 田村伊知朗「破滅への予感と、日常的営為への没頭――花輪和一『刑務所の前』と福島における放射能汚染」『田村伊知朗 政治学研究室』
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2014/05/post-aabb.html [Datum: 23.05.2014]
注4 なお、本稿はホームページ「田村伊知朗 政治学研究室」において掲載されている。
http://izl.moe-nifty.com/tamura/2015/10/post-2141.html
 
(転載は御遠慮ください)。
 
(たむらいちろう 近代思想史専攻)
 
(pubspace-x2671,2015.10.28)