「民主主義なんてないじゃないか」―丸山眞男と遠藤周作の「現実」について―

小島 望

                                  
はじめに
 
 「だって、日本に民主主義なんかないじゃないか」。投票率が下がる一方であることに不満を覚えた筆者に対する、ある知人の返答である。ここで彼は、日本に民主主義的な制度、つまり議会制民主主義や住民投票、三権分立などの不在を念頭に置いて答えたわけではないだろう。彼が言いたかったのは、自分たちの政治的な意見が政治の場に反映され、自分たちが政治に参加することを、肌で感じたことがない、ということであるだろう。確かに、多数の国民の支持を受ける大政党の前には、少数政党の力など蟷螂の斧であることは間違いなく、そうした少数派を支持する人々にとって、「民主主義なんかない」と感じることは自然である。ひょっとしたら、大政党を支持する人間にとっても、自分の声が政治の場で反映されていると感じることは日常的ではないのかも知れない。
 
第一章 丸山眞男の場合
 
 「民主主義なんかない」と感じることが投票率の低下の一要因であるのならば、「民主主義がある」と感じられるようにすれば良い。言い換えれば、自らの政治的意思や判断が、政治の場で反映されるという「現実」を作り出せばよいのだ。しかし、多くの日本人は、「現実」を常に自分たちの意思の届かぬところにあり、介在の余地がないものとして理解している。「1+2=3」は何をどうやっても「1+2=3」以外の等式を成さない、それほどまでに「現実」は固いものとして認識されてはいないか。
 日本人における「現実」へのかかる理解を危惧していた代表的な政治学者は、丸山眞男であろう。破滅的な戦争の終焉を迎えた直後に、論文「超国家主義の論理と心理」1によって一躍戦後日本の政治思想界の綺羅星となった丸山は、日本人の「現実」感覚への危惧を隠さなかった。丸山は、論文「『現実』主義の陥穽」において、日本における「現実」なるものの性格を三つ挙げている。第一の性格は、現実の所与性である。これについて、丸山は以下のように述べる。
 

現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面では日々造られて行くものなのですが、普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。言い換えれば現実とは、この国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません2

 
丸山は、「現実」の形成に二つの要素を見る。それは、所与性、つまりそれが目の前に前提として存在していることを意味する。もう一つの要素は、そうした前提と関係する形で、主体的にそれに働きかけることを意味する。丸山は、日本における「現実」は前者とイコールであると主張する。例えれば、目の前にリンゴ(所与としての「現実」)があり、それを焼きリンゴにするなり、アップルパイにするなりといった主体的な働きかけを行う可能性(主体的営為の対象としての「現実」の可能性)を頭から放棄し、そのまま目の前のリンゴを齧る(「既成事実への屈服」)ようなものだ。
 第二の特徴は、現実の多面的性格を無視するという点であると丸山は考える。丸山によれば、「現実」は様々な側面があるにも関わらず、それら側面の一つのみが、日本においては端的に強調される。これは、例えば次ような場合だ。Aという男が街を散歩中に、Bという男に声を掛けられたとする。二人は、旧知の間柄だ。懐かしさを感じたAが、やぁと言うと、いきなりBはAの横面を引っ叩いて、人ごみに消える。Aからしたら、これは通り魔にあったようなものだ。この際、この事件には「昔の知り合いによる傷害事件」という「現実」の側面が生まれる。しかし、二十年前にAがBの最愛の女性を弄び、Aがそのことをすっかり忘れていた一方で、Bはその記憶を胸に抱えて生きてきたとしたら、そこには「然るべき復讐」という、もう一つの「現実」の側面が生まれる。こうして、BがAを引っ叩いたという一連の「現実」には、複数の性格が存在することになる。このように、「現実」は常に多面的な存在であるにも関わらず、日本においてはその中の一つの側面のみが恣意的に強調されると述べるのである。
 第三の特徴は、時の政権の向かう方向が「現実的」とされ、それに抗う人々の主張はしばしば「非現実的」とのレッテルを貼られてしまうという点であると丸山は述べる。この点については、特に説明をするまでもなく、この国に生きる人々であれば周知の事実であるだろう。
 さて、ここまで丸山の考える日本における「現実」の在り方の諸特徴を確認してきた。筆者が特に重視したいのは、「現実の所与性」という問題だ。というのも、丸山は「現実」の在り方に言及する際、しばしばこの点を中心に論を進めるからだ。一例を挙げよう。丸山の数々の輝かしい業績の中で、一際光を放つものとして、「軍国支配者の精神形態」がある。1949年に発表されたこの論文は、戦前戦中の日本軍部や外交官たちの政治的資質を論じたものである。彼らの責任意識の欠如が、マキャベリ的な政治判断を自覚的に行わず、自らのスローガンや大義名分を心底から信じていたという点に由来するという分析もさることながら、丸山の日本軍部・外交官の「現実」認識の問題の指摘は鋭い。彼は、日米開戦に先立つ1940年に行われた駐日米大使グルーと松岡外相の会談でのやり取りを紹介する。
 

松岡氏はそこで、歴史は急激に動く世界にあっては必ずしも制御することができない盲目的な勢力の作用に基づくことが大きいといった。私(グルー)はこの盲力が歴史上作用したことは認めるが、外交と政治の主な義務はかかる力を健全な水路に導き入れること〔である-筆者補〕〔……〕といった3

 
先に述べた日本における「現実の所与性」をここまで典型的に浮き彫りにするものは、なかなか見当たらないだろう。松岡の主張では、外交関係という人間の主体的営為によって左右される性格が非常に強い事柄が、まるで自然災害かおみくじの結果であるかのように考えられている。それに対して丸山は、対ポーランド開戦を決意したヒトラーの訓令を示す。
 

既成の情勢に自己を適応せしめることによって問題の解決を避けようとするが如き原則は許されない。寧ろ、情勢をして自己に適応せしむべきである4

 
引用部での「情勢」を「現実」に置き換えれば、丸山の言う「現実の所与性」がナチスにおいては、対ポーランド開戦という極めて主体的な営為による働きかけの対象であるということは明らかだろう。誤解がないように願いたいが、何も丸山はヒトラーの訓令の内容を支持している訳ではない。ここで彼が問題としているのは、「現実の所与性」を疑い、それを変革することで「現実」を変化させることが可能であるという非日本的な思考の在り方だ。
 ここまで、丸山の「現実」観について見てきた。丸山が特に重要視していた、「現実の所与性」を踏まえ、丸山は「民主主義なんてない」という筆者の知人に対して、いかに返答するのだろうか。この問いに対しては、丸山の発言や記述の中でも、最も有名な以下の文章が的確に答えてくれるだろう。
 

永久革命はただ民主主義についてのみ語りうる。なぜなら、民主主義とは人民の支配―多数者の支配という永遠の逆説を内に含んだ概念だからだ。多数が支配し少数が支配されるのは不自然である(ルソー)からこそ、まさに民主主義は制度としてでなく、プロセスとして永遠の運動としてのみ現実的なのである5

 
丸山のノートに記されたこの文章は、彼の「現実の所与性」と民主主義の関係について、示唆的だろう。民主主義を「永遠の逆説」を含んだ理念であるという考え方は、それが永遠に「現実」として現れないということを踏まえたものである。しかしながら、または、それゆえに、丸山は民主主義を、その実現に向かう「永遠の運動」と見なすのだ。つまり、民主主義がその理想を完全な形で姿を見せることは決してなく、「追いかけても追いかけても、近づくほど見えない」状況が永遠に続く。しかし、そのプロセスの中で、民主主義が目指す理想は、どんなに小さなものでも実現する。こうした立場に立てば、「民主主義なんてない」という言葉は決して出てはこない。それは、理想とする場所に永遠に到着しない旅を行き、その旅の過程で、僅かながらに立ち現れるものであるのだから。「民主主義なんてない」という「現実」は、丸山のような覚悟を持って進むことによって、変化を遂げるのだろう。
 
第二章 遠藤周作の場合
 
 先に、丸山眞男の「現実」の認識と、それを踏まえて彼の「永久革命としての民主主義」を論じてきた。突然、遠藤周作の名が現れて、驚く読者もいるかもしれない。遠藤周作といえば、『海と毒薬』を思い浮かべる方もいよう。日本人の倫理的責任感の欠如を正面から描いた傑作を踏まえ、丸山との共通点を探る――。残念ながら、本稿はそのようには進まない。むしろ、遠藤の理解する「現実」と主体的営為という観点から、彼と丸山の基本的視座が共通したものであることを主張したい。
 遠藤の代表作としては、『海と毒薬』に並び、『沈黙』が有名だ。隠れキリシタンを救わんと密かに来日した修道士が、隠れキリシタンたちの苦難に「沈黙」する神への不信を乗り越え、苦しめる者、嘆く者の「同伴者」としてのイエスを発見する様を描いた、傑作である。遠藤のキリスト論は、『沈黙』に典型的に見られる「同伴者」たるキリストという観点から論じられることが多いようだ。
 しかし、本稿が注目するのは、遠藤の作品の中でもややマイナーな、『女の一生第二部―サチ子の場合』である。1982年に刊行されたこの作品は、『女の一生第一部―キクの場合』の続編であるが、両者は内容上の関係はほとんどなく、二人の主人公が親類であることくらいしか、つながりはない。第二部は、第二次世界大戦直前から、長崎に原爆が投下されるまでを期間として、主人公サチ子と幼馴染の修平の淡い恋を描いた作品だ。二人ともカトリックであり、特に修平は、大学進学のために上京するも、学生猶予が停止されて戦争へ行くことになり、信仰と自分の定めのはざまで揺れる。そしてとうとう特攻隊へ志願し、修平は戦死する。このように書くと、ありがちな恋愛小説だ、と感じられるかもしれない。しかし、この作品には、話の本筋とはかなり外れた形で、ポーランドの実在の神父、コルベのストーリーが展開される。筆者が注目するのは、コルベを巡る遠藤の記述だ。
 コルベ神父は、幼いころのサチ子の住む長崎の修道院に拠点を置き、伝道活動に努めていた。サチ子はどちらかといえば、コルベとともに来日した「陽気なゼノ修道士のほう」6に好感を持っていた。幼少期の記憶とともに、ゼノを置いてポーランドへ帰国したコルベの思い出は、サチ子から消え失せていった。コルベは、祖国に戻ったのち、ナチスに囚われ、アウシュヴィッツへと移送されるのである。史実でも、ナチスはポーランドの指導者層を片端から処刑、ないしは強制収容所送りにした。
 アウシュヴィッツで、コルベは一人の男と出会う。ヘンリック・カプリンスキィ、19歳の青年である。アウシュヴィッツの発車場で偶然コルベと知り合ったヘンリックは、何が何でも、自分は生き残るという、信念とも本能ともつかないことを願う。体力不足を理由に処刑された同室の者たちと同じ運命を辿ることを恐れ、ただただ、生き残ることに執念を燃やす。コルベは、アウシュヴィッツの地獄の中でも、神への祈りを決して欠かさない。
 

「神だって?神など糞くらえ」とヘンリックもいつか考えるようになった。あのコルベという神父が一人、労働の合間に、食事の折に、眼をつぶり祈っている姿を見ると、ヘンリックはむしろ怒りを感じた7

 
死の恐怖に震える毎日を送るヘンリックにとって、コルベは、収容所の外での価値観――女性や老人、子供、そして労働者として不向きな体力弱者がガス室へ送られることのない世界での価値観――を否が応でも想起させる存在だった。怒りをぶつけるヘンリックに対して、コルベは繰り返し、「愛」を説く
 

「神父さん。俺は天国は信じんが、地獄のほうは信じるぜ。この収容所が地獄だ」
「まだここは地獄じゃない。地獄とは……ヘンリック、愛がまったくなくなってしまった場所だよ。しかしここには愛はまだなくなっていない」8

 
こう語るコルベは、囚人が体の弱った他人にパンを分け与えたのを見た、と告げる。エゴに凝り固まったヘンリックは、コルベの話を信じようとしない。いや、信じたくなかった。
 コルベは、「愛」にこだわる。それは、他人への奉仕や自己犠牲を説く、「神の愛」である。ヘンリックに限らず、他の囚人たちも、コルベをあざ笑う。絶望的なアウシュヴィッツでは、コルベの説く「愛」など、「現実」ではないのだ。
 

「ここに……愛があるのかね、神父さん」
ひきつった声でその囚人は笑った。
「あんた、本当にそんなことを信じているのか」
「ここに愛がないのなら……」と神父はかすれた声で言った。
「我々が愛をつくらねば……」9

 
「愛」も「神」も、アウシュヴィッツでは「現実」ではない。当然の認識というべきだろう。しかし、コルベは愚直に「愛」を説き続けるのである。
 そんな中、事件は起こった。ある囚人がアウシュヴィッツを脱走し、脱走者と同じ棟の囚人の内の何人かが、脱走者が18時までに発見されない場合、見せしめとして処刑されることになったのである。結局、脱走者は発見されなかった。冷酷な監督官ミューラの「死の選抜」が行われ、結局、計十人の処刑が決まる。ヘンリックの隣の男が、ミューラに指名され、泣きじゃくる。「女房と……子に……会いたい」10と。救われた囚人たちは解散を命じられたが、「まるで玩具の人形のように緩慢で、鉛の足を曳きずっているよう」11にコルベが列から離れ、ミューラに告げる。「その泣いている人と、かわらせてください」12と。
 コルベの申し出は、ミューラや他の親衛隊の兵士を驚愕させるが、結局、副所長のマルティンはコルベの申し出を許可する。コルベと他の選抜された九人の囚人たちは、「飢餓室」へ送られる。これは、一切の食事や飲料を絶たれた状態で囚人たちを監禁する、一種の処刑室である。一部始終を見ていたヘンリックは、コルベの真意に思いを巡らせる。
 

副所長のマルティンと同様に、ヘンリックも、その神父の心に自分を立派にみせようという宗教的虚栄心や、善行を行っているという自己満足をかぎとろうとした。〔……〕
 だがいくらコルベ神父の行為の動機を虚栄心や自己満足で眺めようとしても、ヘンリックはやはり、それだけではないことを認めざるをえなかった13

 
虚栄心や自己満足のために死ぬ者はいないからである。ヘンリックの頭には、「(愛のない世界ならば、愛をつくらねば……)」14というコルベの言葉が思い起こされてならない。結局、飢餓室に入れられたコルベたち十人は、賛美歌を歌い続け、最後には石灰を注射され、処刑されてしまう。
 コルベが死んだという話が囚人たちに知れ渡った日、辛い作業を終えた囚人たちの一人が、夕暮れを眺めてつぶやく。
 

「なんて、この世界は……美しいんだ」
みんな黙っていた。ああ、なんてこの世界は美しいのだろう。昨日までこの世界には愛もなく悦びもなかった。ただ恐怖と悲惨と拷問と死しかない世界だった。それが今日、この世界はなんて美しいのだろう。彼等はその世界を変えてくれたものがわかっていた。愛のない世界に愛を作った者を……15

 
ここで、遠藤は、コルベの自己犠牲という主体的営為によって、アウシュヴィッツの囚人たちにとっての「世界」、つまり「現実」に変化をもたらしたと描写するのである。その中には当然、ヘンリックの心境も含まれていた。とはいえ、囚人たちの心境が決定的に変化したり、外部の環境が急激に変化したわけではない。アウシュヴィッツが世界のどんなところよりも恐ろしい場所であることには全く変わりがなく、ヘンリックも生きるためにずる賢い行為をしたり、時には新入りの囚人たちに残酷に振る舞う。しかし、確かにコルベはアウシュヴィッツに「愛」を成し、「現実」を変えたのだ。このことは、コルベを巡るエピソードの最後の場面で明示される。
 ヘンリックの同室の男が栄養失調になり、彼に「死」が迫っている。誰の目にも、彼の「死」は間近だった。そんな時、ふとコルベの声がヘンリックに響く。
 

(あの男は死ぬかもしれぬ。君のパンをやってくれないか)
ヘンリックは首をふった。今日あてがわれたたった一つのパンを他人にやれば、倒れるのは自分だった。
(俺はいやだ)
(あの男は死ぬかもしれぬ。だから死ぬ前にあの男がせめて愛を知って死んでほしいのだ)
哀願するようなコルベ神父の声。ヘンリックはその時、八月の夕暮、身がわりになるために列外にのろのろと進み出た神父の猫背を思いだした。ヘンリックはパンをその男にやった。男は眼にいっぱい泪をためて「ああ、信じられない」とつぶやいた。ヘンリックができた愛の行為はこれだけだった。それでもヘンリックは愛を行った16

 
コルベの身代りのための死という主体的な行いは、一人の囚人に「愛」を行わせたのだ。それは、一人の人間の死の引き換えとしては、あまりにも小さな「愛」であるのかもしれない。だが、このことは、コルベが「愛」をアウシュヴィッツに産み出し、「愛のない世界」という「現実の所与性」に働きかけ、もう一つの「現実」へと変革したという遠藤の描写を損なうものではないだろう。遠藤の描く「神」とは、苦しむ者、嘆く者自身が発見する、自分に寄り添うイエスであるとしばしば指摘される。しかし、『女の一生第二部』においては、「神の愛」はそれを信じる人間の主体的営為の結果として、人間の社会関係の中に生じるものとして描かれている。「神の愛」の源泉である「神」もまた、それを信じる人間が産み出す。遠藤のイエス論には、こうした「現実」の人為性という側面もあったのではないか。
 
おわりに
  
 本稿では、それぞれの分野で戦後日本を代表した二人の人物、丸山と遠藤の「現実」への理解の仕方を確認してきた。まず二人に共通する認識は、「現実の所与性」は絶対不変なものではない、というものだ。丸山が、人間の主体的な営為によって「現実の所与性」に働きかけ、結果として「現実」が変化すると主張したように、遠藤は、『女の一生第二部』におけるコルベが、「愛なきアウシュヴィッツ」とそれを認めてしまう囚人たちの見方という「現実の所与性」に、愚直なまでに「愛」を行うという主体的な営為によって働きかけ、それらを部分的にだが変化させる様を描き出した。つまり、二人の世界観の中で、「現実」はそのあるがままの姿で固定されたものでは決してない。むしろそこには、人間の主体性によってそれを部分的にではあるが変化させる契機がある、というのが二人の見方だ。
 「民主主義なんてない」という「現実」に対して、丸山と遠藤の二人であればどのように答えるか。読者諸氏には既にお分かりのはずだ。人間一人一人が、政治意識を持ち、時にはデモに参加し、自らの政治的意思が政治の場に結実するという「現実」を作り出す以外に方法はない。コルベが「愛のない世界」に「愛」を作ったように、「ここに民主主義がないのならば……われわれが民主主義をつくらねば」ならないのだ。
 
 

1 「超国家主義の論理と心理」(『丸山眞男集』第三巻、岩波書店、1995年)。煩雑さを避けるため、論文からの引用に際しては論文名、上記全集の巻数、頁数のみを記す。
2 「『現実』主義の陥穽」(第五巻、194-195頁。)
3 「軍国支配者の精神形態」(第四巻、120頁。)なお、丸山による引用の典拠はジョセフ・グルー『滞日十年』石川欣一訳、下巻、四九頁である。
4 同上。丸山による引用の典拠はニュルンベルク採決録である。
5 丸山眞男『自己内対話―3冊のノートから』みすず書房、56頁。
6 遠藤周作『女の一生第二部―サチ子の場合』、新潮社、1986年、23頁。ちなみに、ゼノ修道士も実在の人物である。
7 同上、147頁。
8 同上、162頁。
9 同上、152頁。
10 同上、241頁。
11 同上、242頁。
12 同上。
13 同上、249頁。
14 同上、250頁。
15 同上、264頁。
16 同上、268頁。
 
(こじまのぞむ 政治史専攻)
(pubspace-x2621,2015.09.27)