戦後国権論として憲法を読む(第3回)本説 第二章 「天皇の章」(前半)

西兼司

 
 日本国憲法の第一章に「天皇」の章が来るのはおかしい、ということは第一章末尾で既に述べたので繰り返さないが、その事が、つまり降伏主体が天皇であったこと、GHQがそれを当然のこととして受け入れてGHQ草案を作るにあたって疑問に思わなかったことは、記憶しておいて欲しい。以下、各条文に即して読んでいきたい。
 
【第1条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。】
 
≪明文正読≫
 書いてあることは三点であって、天皇は、「日本国の象徴」であることと、「日本国民統合の象徴」であるということ、さらに、その地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」ということである。三点とも生きた人間が「象徴」であることの難しさを想像はさせるが、文意理解が難しいということはない。
 
≪釈義≫
 この条文の中身が、帝国憲法第1条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」、第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」、第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う」を意識して、それらを否定するものとして書かれたことは間違いなかろう。それも、「大日本帝国」のように「万世一系の天皇が古く神聖」であることを根拠として明記しているのと違って、「主権の存する日本国民の総意に基づく」という形で、「主権の根拠」が明らかでない国民意志によって否定されたのである。
 
 嫌も応もなく、天皇機関説が採用されているのであって、「天朝様の有難さ」は復活が難しい形で否定されている。これが総力戦戦争に敗北したことの深刻さであろう。
 
≪述義≫
 意味は大きく二つに分けて考えられる。一つは、主権者国民からその意思(総意)という形で、対象として措定されて「象徴」になったのだ、ということ。つまり、「象徴職公務員」として憲法で措定されたのだ、と謂うことである。このことについて、釈然としない国民もいるかもしれないが、そういう人は第99条を先回りして見てほしい。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されている。天皇は公務員として扱われているのである。
 
 そして、もう一つの意味は、「象徴」とは何か判然としないということである。「元首」であるのかどうか、判然としない規定の仕方が採用されている。生きた人間が「日本国の象徴」(物)とはどういうことで、「国民統合の象徴」(事)とはどのようなものなのか、理解ができないように書かれている。国論や国家の分裂に際して天皇は、「統合」ではなく、「分裂」した瞬間に「象徴」ではなくなるということも在り得るという書き方に為っているのである。
 
 一般的に言えば、「象徴」とは、「代置された憑き物」である。本体が、「具体的な総体」であることもあれば、「抽象的な抽出が難しい漠然とした観念」であることもあるであろう。だから、「象徴」を代置して「了解・獲得を確認」する。そのための認識装置が「象徴」である。したがって、「象徴」が認識装置でありうるのかどうかは、「象徴」の措定が適切であるか否かに当然のこととして関わる。
 
 そのように考えた時、第1条の「象徴」は、人間が象徴となることは出来ないことが、全く見詰められていない。第一に、人間は、「指導者」、「頭領」、「親方」、「王」、「神」、「仏」、「皇帝」、「天皇」になることは出来るが、それは周りのそのように推戴してくれる人々との関係で、措定される人間の主体的意思が否定されないからである。だから、周りのそうした措定を受け入れることができる。「推戴措定」された人間が、した人間にとっての「象徴」と見做されることは在り得ることであるが、推戴された人間が象徴に甘んじることは在り得ない。主体的意思を発揮して推戴者たちの想定する「象徴」を逸脱する行為を散々して、死んでから本当の意味で「象徴」として認識装置に収まりうるのである。
 
 しかし、この第1条の場合は生きた人間として「象徴」なのである。事物の統合体として、トーテム(もの)、フェティシズム(こと)の統合体であるのである。意思を持つことの許されない「象徴天皇」であり続けなければならない。意思は措定者たちから「意思を持つものとして仮象される」だけである。本当に意思を持ってしまえば認識装置を逸脱し、日本国や日本国民の「代置された憑き物」であることが出来なくなる。まして公務員として「全体の奉仕者」である以上、想定されるだけで、本当に持ってはならない。当然、人々の期待(意思)に応えられなければ、殺されなければ(殺され得るものでなければ)ならない。いわゆる神殺しである。しかし、「天皇」はそのようなものとして設計されているものではなかろう。
 
 第二には、意思なき存在の人間を想定することが許されるのか、許される筈はないだろうと謂うことである。統合は分裂の反対語であるが、本人の意思の関係のないところで、昨日までは天皇、今日は国民が分裂したから、非国民(国籍法の組織対象者ではない)、と謂う人非人な扱いが主権者国民だからといって許されるとは思えないのだ。
 
 作成者は、ウエストミンスター憲章(1931年制定)前文に出てくる非常に良い文言だと話しているが、「アメリカ人ならば十人が十人とも、<精神的な要素も含んだ高い地位>という意味を、すぐ理解する言葉です」(註1)などと言われても「アメリカ人だから日本語については無教養でも仕方がない」とは思うものの、日本人なら教養の問題として許されないことが、すぐ理解できるであろう。 
 
【第2条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。】
 
≪明文正読≫
 「皇位」とは天皇の位のことであるが、それは「世襲」で在りつつも「皇室典範」という法律が決めた順位手続きによって継承されるものだという規定である。
 
≪釈義≫
 これは帝国憲法第1条と、第2条「皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す」を継承して書かれた条文である。一見して、特段の変化はないと謂っても良い様な条文であるが、二つの点で変化している。一つは、継承対象者が「皇男子孫」から「世襲者」に拡大していることである。男一本やりから、女も含めるだけではなく、世襲という形でほとんど無制限に相続可能な制度に憲法規定としては変えられたわけである。
 
 もう一つは、「皇室典範」の性格が変わっているのである。戦前の皇室典範は天皇大権の下での皇室大権下で、国会などが関与できる法律ではなく、天皇家の家内法(皇族統制法でもある)として国家国民を拘束し、国法として存在していた。皇位継承順位などは(皇室典範で規定された)皇族会議で決めていたが、成年以上の皇族男子で組織され天皇が議長であり、外に内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長が参列できるに過ぎなかった。それが、現憲法下の皇室典範では、完全に一般法であり、現実には男系主義、直系主義、長系主義が執られているものの国会で皇室典範の改正さえすれば、その変更は容易なわけである。事実、小泉内閣が男系主義を改めて女子を天皇に登用できるようしようとして、秋篠宮家の懐妊報告によって国会答弁中に方針変更したことは記憶に新しい。
 
 この二つの点を総合すると、国会で皇室典範を変えれば、誰でも天皇の後継者に成れ、従って誰でも天皇に成れるわけである。
 
≪述義≫
 釈義の通り、世襲と国会が決められると謂うことが、この条文の本質であるが、もう一つ、憲法にも皇室典範にも定められていない現実がある。「側室制度」が大正天皇、昭和天皇、今上天皇を通じて採用されず、そのことによって事実上、「嫡系主義」が覆すことの難しい制度として定着している。明治天皇も大正天皇も庶子であったが、反対に「世襲」が「嫡系主義」に拘束されると継続が著しく困難になることは常識である。勿論、嫡子、庶子という区別の方がおかしいのだという見方の方が正しいことに異論はないが、つまり、それは婚外子をどう位置付けるのかと謂うことに関わり、権力権威の相続の問題として着目し、主権者(国権の設計者)である限りは考えていかなければならないことである。ただし、権力権威の相続に関してだけ考えれば、嫡子、庶子の区別よりも被相続人の実力が核心であることは論じるまでもない。
 
 嫡系主義が明確になればなるほど、庶子の代わりに、ご落胤がはびこることも世の習いである。ご落胤を養子(認知)にという話は、歴史的にはいくらでも例があるが、天一坊も出てくる。DNA鑑定で、世襲天皇を決めるという著しく権威を損ねる方法も、考えられなくはないのである。
 
 継体天皇、(安徳天皇を継いだ)後鳥羽天皇、持明院統・北朝の天皇など傍から見ていると違和感のある世襲はいくらでもある。世襲といえば、長い間後継が決まらない世襲もある。そんな時は世襲者が前任者より年長であることも当然考えられる。
 
 いずれにせよ、「天皇・条約・授権規定に関する小委員会」(リチャード・プール海軍少尉26歳、ジョージ・ネルソン陸軍中尉、ジョセフ・ゴードン陸軍中尉、I・ハースコウィッツ陸軍中尉の4名)では、「世襲」と「皇男子孫之を継承す」の違いについてはほとんど検討されていない。結果として、養子や空白を経ての年長者への可能性が出来てきたのである。これは昭和天皇、その側近も真剣に考えた節がない。油断である。
 
「天皇論」的には、誰でも天皇になれるという話は与太話だが、「憲法論」的には、明確にその余地が生まれた憲法だということは常に留意して置かねばならないことである。
 
【第3条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う】
 
≪明文正読≫
 天皇の国事に関するすべての行為が、「内閣の助言と承認を必要」とされ、天皇は責任を問われない=「無答責」の規定である。帝国憲法第4条の「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う」と第3条の「天皇は神聖にして侵すべからず」と第55第1項の「国務大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」を合体させた、「統治すれども責任は負わず」規定を敗戦により無力化させるとともに、相変わらず、責任は取らせない、取らせると日本占領が厄介になるという判断の産物である。
 
≪釈義≫
 ここで読まれなければならないのは、「国事に関するすべての行為」とはどのようなものであるのかということと、「内閣の助言と承認」とはどのようになされるのかということと、「内閣が負う責任」とはどのような形でなされるかということの三点である。
 
 第一には、「国事行為」とは何を指すのかである。これは、はっきりしている。この憲法の「第4条第2項」、「第6条」、「第7条」の行為のみである。国事行為以外の「国事に関する行為」が考えられるから、「すべての行為」とわざわざ断ってあるので、独自の「国事に関する行為」が、「国事行為」以外にも考えられると謂う人がいるかも知れないが、それはあり得ない。第4条で、「 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い」と明記してあるからである。憲法に規定してある「国事行為」以外の「国事に関する行為」は考えられないのだ。
 
 第二には、「助言と承認」とは何を指すのか難しい。もちろん、本当に助言と承認をしているのかも疑わしい。第6条に関わる国事行為について、内閣が「助言と承認」をすることが出来る筈がないだろう。第7条についても、そのすべてに内閣が助言をしている筈もない。機械的に承認をしているか、内閣の指揮下にある「宮内庁」が「国事行為の輔弼」を行っているだけであろう。天皇に対する「助言と承認」を内閣が直接行っているとは考えられないのであって、この点で第3条は空論規定である。
 
 第三には、「内閣が負う責任」ということであるが、これは論理的には、主権者国民に対して、直接的には国民が直接選挙で選出した公務員集団「国会」に対して負うのであろう。天皇が「国事行為以外の行為」をなした時、天皇が内閣を無視した「国事行為」をなした時の二つが考えられるが、内閣総辞職ということは考えられても、基本的にそれによって「天皇の行為」が否定できるわけでも、改変できるわけでもない。「任命」、「公布」、「国会召集」、「衆議院解散」、「選挙の施行の公示」、「認証」、「栄典の授与」、「儀式を行うこと」などは取り返しのつかない「国事行為」だからである。別の「国事行為」をもって先の「国事行為」を実質的に解体することはできるだろうが、それは内閣ができることではない。それこそ天皇の専権事項であって、やる気さえあれば内閣の無力化を図る余地は天皇には残されていると謂うことである。
 
 つまり、「国権の一部」である天皇に対する、別の「国権の一部」である内閣による牽制規定であろうなどということは想像できるのだが、同時に格別の意味がある規定だとも考えられない。まして、「国事行為以外の行為」をした時に、内閣がどんな責任をとれるのか。日常的に国事行為以外の「ご公務」は為されていて、それを宮内庁は堂々とホームページで報告している。「内閣が、その責任を負う」と書いてあるからと謂って、「玉としての天皇」を否定できる規定ではないのである。
 
 この条文はGHQ草案によると、相当に長い条文であるのだが、それは他の条文などで整理され、内容についての趣旨は完全に生かされている。GHQ草案の隙がそのまま継承されているのであって、遣っ付け仕事の抜かりだということはここでも否定できない。
 
≪述義≫
 基本的には、この条文は無意味な条文である。偽善、欺瞞の塊であって天皇という人間を馬鹿にしている。あるいは、「国事行為」を単なる形式と考えている。「国事行為」を単なる形式と考えるような政治は、道家の(政治を超克する)政治か、表ではなく裏が操る闇の政治である。憲法を定めるような政治が道家政治である筈はないのであるから、主権者はこの条文に、「主権者」と象徴職公務員「天皇」を愚弄していることと、その背後の精神の腐敗を剔抉すべきである。
 
 国事行為主体天皇が、「内閣の助言と承認を必要」と明記されているから、「助言と承認を受けるのだろう」と主権者が想像するだろうと想定すること自体が、主権者である国民の人間性の衰弱、想像力の枯渇を前提としている。「一億一心」、「一億火の玉」、「一億玉砕」を掲げて戦ったからと謂って一億人がそんな間抜けばかりの筈がないと思うのは主権者である以上、私だけではないだろう。公僕ならばいざ知らず、主権者も、かつての主権者天皇もそんなお人好しである筈はないのだ。愚弄されるに相応しいと推定されたから愚弄されたのだろうが、こんな条文とは速やかにおさらばするのが、主権者の責務である。
 
 「内閣」が本当のところ「助言と承認」をしている、あるいはできると読むことが、格別の意味を持っていると読むのは間違いである。それは釈義で述べたので繰り返さない。
 
【第4条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
  2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる】
 
≪明文正読≫
 第1項は二重の制限規定である。「この憲法の定める国事に関する行為のみ」と「国政に関する権能を有しない」である。「憲法的国事行為のみ」が公務員天皇に許された実践行為だと読めるので、国事行為以外の行為=行事は天皇としては出来ないという風に理解される。
 
 第2項は、その国事行為を法律に従って、「委任することができる」、と謂うことである。この委任行為も国事行為とされている。代行規定であるが、何にでも穴を見つけようとする人間は、当然見付けるであろう。
 
≪釈義≫
 この条文は、意義が掴み辛い条文である。第1項の二重の制限を素直に読めば、「大嘗祭や宮中祭祀は出来ないはずだ」という見解は当然の疑問であって、これを正面から問題にしないだけでも、「護憲派」、「改憲派」の憲法読解の現実への追従ぶりは不実を謗られても止むを得ないものである。大嘗祭ともなれば、通常の国事行為などよりもはるかに国政に対する影響は大きなもので、これを想定しない憲法の「天皇」の章は甚だしく出来の悪いもの、という印象が生じるのである。
 
 第2項は、いわゆる「国事行為の臨時代行」の根拠規定と解されているが、その法律ができたのは昭和39年であったように、如何様にも読める規定であって無くても不自由は特にない。かえって、「国事行為の臨時代行に関する法律」第6条に「第2条の規定による委任を受けた皇族は、その委任がされている間、訴追されない。ただし、このため、訴追の権利は、害されない」と規定されることによって、「天皇の元首性」が浮かび上がるような作為の余地があり、且つそれが使われており、良く判らない面白さがある。
 
≪述義≫
 この条文は、無意味だということに止まらない。「天皇」号が持つイデオロギー的基盤を確認しつつ存在し続けるその様式を、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行い」という形で否定し、しかし、現実には「天皇イデオロギー」再生産儀礼を承認し続けるより他に方法はないために、規定が直ちに現実に裏切られる憲法逸脱保証規定になっているのだ。そのことによって、憲法的国権の解体規定になっているのである。
 
 もちろん、これはGHQのお粗末さに起因するのだが、日本国憲法である以上、日本人が考えていかなければならない。
 
 「憲法逸脱保証規定」たる所以は、始めに第1項後段の文言の無内容さで気が付かせられる。「国政に関する権能を有しない」と言えばこの場合何か意味があるのだろうか。「権能を有しない」とは、「国事行為」を行い、国政の正当性を担保する規定になっている天皇を掣肘できる規定だろうか。すでに、「内閣の助言と承認」は空論規定であることは述べた。「国事行為」が、内閣によって掣肘できるようなものでないことも述べた。「ご公務」がなされていることも述べた。「ご公務」が政治的意味を持つことは、第7条に列記されている各号「国事行為」よりもある側面では明確である。第1項前段が何か意味があるかのように見せるためだけの、粉飾としか言いようのない規定が、「国政に対する権能を有しない」という文言なのである。
 
 「天皇」号は、その採用の年月の確定は学問的定説として確立されていないが、まず、間違いなく唐王朝の高宗が皇帝ではなく「天皇」号を採用した(660年「天皇」号を採用)直後である。時代的には武則天が「周」を復辟(690年)する直前の則天武后の時代である。白村江の戦に日本が敗北(660年)して、壬申の乱(672年)を経て、天武が鎮護国家仏教を保護しつつも、王権を道教で染め上げていく過程(陰陽寮の設置・676年、八色の姓・「真人」の称揚・684年、死(686年)後「八角墳」の造営など)での国号「日本」と並ぶ象徴である。三皇五帝説の地皇、人皇に対する天皇(てんこう)である可能性もあるが、やはり、道教で措定する「天皇大帝」(北極星・てんおうたいてい)を唐王朝に倣って採用したものであろう。
 
 この時天武は、伊勢神宮の場所をほぼ現在地に移設し、アマテラスを祖先神として定めた。神社神道もまた、道教の倭国民俗文化への適応、習合の産物であるが、単なる自然崇拝から脱して、「社」を持ち「ご神体」を持ち、「斎宮の宮」という神人を持つ形を作ったのである。祖型ではあっても、「天皇」号の使用とともに伊勢神宮儀礼は始まった。皇祖神崇拝という、それ自身は儒教の「祖霊崇拝」イデオロギーを借りつつも、北辰信仰を太陽神末裔の女にさせて、無限の再生=「常若イデオロギー」を纏って、いかにも崑崙の西王母信仰(密林の呪)の蓬莱版と呼ぶに相応しい形を作ったのである。
 
 こうしたイデオロギー的儀礼・儀式を否定して天皇が存続しうると考えるのは、愚かである。実際、昭和天皇も、即位にあたって「憲法を守る」と闡明した今上天皇も、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行い」と云われ乍ら、宮廷祭祀の祝詞をあげている。誰が現実に天皇の存在を認めた上で、「宮廷祭祀は国事行為ではないから、してはいかん」と言えるのだろうか。天皇が天皇である限り、別のイデオロギー再生産形式を発明しないと宮廷祭祀は否定できないのだ。
 
 宮廷祭祀が「天皇イデオロギー」を保証する根幹であるということについて、確かにGHQは無知であった。しかし、主権者が無知を自認するだけでいることは許されないだろう。そして、これが当たり前のことであるが、信教の自由や、思想信条の自由と謂う主権者の持つ自由権との衝突・調整は避けられない問題ではある。
 
 GHQと吉田内閣が残した国権解体規定であるが、この憲法にみられる国体(日本国という習合的共同体)にとっての第一の亀裂なのである。
 
【第5条  皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行う。この場合には、前条第1項の規定を準用する】
 
≪明文正読≫
 この条文は難しいことは何もない。「摂政」を置く規定であり、その摂政は天皇の名で国事行為を行う、という規定である。
 
≪釈義≫
 注目されるのは二点である。一つは、摂政規定はあるが、関白は排除されている。もう一つは、「天皇の名で行う」と謂うのはどのようなことであるのか、ということである。
 
 前者は「帝国憲法になかったから」と謂うのが最もありそうな答えであるが、関白の「(関)あずかり(白)もうす」と謂うそもそもの性格規定が、業務の秘密性を物語っており近代の明確な政治決定システムに馴染まないため排除されたというのが本当の理由であろう。慶応4年3月14日(1868年)の五箇条のご誓文は、「広く会議を興し万機公論に決すべし」とあり、その後、天皇大権下での立憲君主政体を採用しており、その改正憲法であるという制約であろう。
 
 後者の「天皇の名で行う」というのは、適当に粉飾(国事に関する行為)されて語られているが、実際には難しい問題を孕んでいる。第3条の釈義で述べたが、実際にはこの憲法は「玉としての天皇」を否定するには抜かりのある規定しかしていない。摂政が置かれるのは普通、天皇が幼いか、病態であるか、高齢で任をこなせない時である。天皇の地位が不安定な時で、その時に「天皇の名で行う」「国事行為」を掣肘することは極めて難しい。
 
≪述義≫
 難しいことを何も考えないままに、天皇の章が全8条に膨らんでしまった緩みがここでも出ている。憲法で摂政を置く規定を書き込む必要があったのか疑問だが、書いてみたら、第1条(象徴)、第2条(世襲、国会で議決された皇室典範)、第3条(天皇無答責)、第4条(国事行為のみ、委任)と併せて考えざるを得なくなり、摂政は、皇室典範改正によって、誰でも可能、当然無答責、しかし、国事行為はやれば否定はできないもの、と謂うことで、クーデター装置の様相を帯びてきているのである。
 
 実際には極めて難しいことではあるが、帝国憲法体制下の摂政とは違って、憲法の改正、法律の公布が国事行為として明文化されている。帝国憲法下の摂政では禁止されていた「憲法改正」、「皇室典範改正」公布が無答責で手の内にあるのである。
 
(第二章  「天皇の章」を読む 前半)ここまで
〔以下註釈〕
(註1) 日本国憲法を生んだ密室の九日間p130
 
(連載第3回)終わり
前回 第2回 第一章 日本国憲法の制定形式
次回 第4回 第二章「天皇の章」後半
 
(にしけんじ)
(pubspace-x2251,2015.08.14)