老いの解釈学 第7回 小説の中の認知症(1) 2025/01/16 by Ω No comments 高橋一行 永井みみ『ミシンと金魚』を読む(注1)。これは認知症の老婆が一人称で語る物語である。壮絶な人生を送った女性が、自分の人生を振り返り、やがて死が近付いてきたことを悟って、穏 Continue reading →
生き物語ー自然は尋常ではない!<ザクロ(柘榴)>110 話 2025/01/10 by Ω No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 真冬というのに 年を越しても未だ尚、青々と葉が茂り、小ぶりながらもしっかりと実を付け そのあっ晴れな姿に愛しく感じます 昨秋東京は、11月としての過去最高 Continue reading →
老いの解釈学 第6回 フーコーとドゥルーズ 2025/01/03 by Ω No comments 高橋一行 M. フーコーとG. ドゥルーズにJ. デリダを加えて、この3人は20世紀の後半を代表する思想家である。彼らはいずれもフランスの思想家として出発して、英語圏に受容され Continue reading →
THE GLOVES STORY COLOR SERIES 51(現代美術) 2025/01/02 by Ω No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) Continue reading →
一字の師――『パプーリとフェデリコ』 2024/12/31 by Ω No comments 森忠明 神戸で十一歳の可愛い男の子が惨い殺され方をした時、我が娘に「変な人間に注意しろ」と言おうとしたら、「パパ、夜の散歩は犯人と思われるからやめなさい」と先手を打たれた。妻には「 Continue reading →
老いの解釈学 第5回 プラトンとアリストテレス 2024/12/28 by Ω No comments 高橋一行 プラトンとアリストテレス間に、老いを巡って意見の対立がある。そのことを岡本裕一朗が紹介している。今回はその話から始める。 岡本は、プラトンが国 Continue reading →
生き物語ー自然は尋常ではない!<ショウリョウバッタ・オンブバッタ・コメツキバッタ・ショウジョウバッタ>109話 2024/12/27 by Ω No comments 若生のり子(NORIKO WAKO) 細長いスマートな体型のショウリョウバッタ(精霊蝗虫) 8月の旧盆(精霊祭)の時季になると姿を見せ、精霊流しの精霊船に似ているこ Continue reading →
老いの解釈学 第4回 映画の中の認知症 2024/12/23 by Ω No comments 高橋一行 短い間奏を挟む。 先だって、「大いなる不在」という映画を見る機会があった。近浦啓監督のもと、森山未來と藤竜也が親子役で共演している。2024年 Continue reading →
北総湿原ドライブ記 2024/12/22 by Ω No comments 西兼司 11月28日のドライブ紀行文を書けとWさんからの要請ですから、久しく文章を書いていない身ながら、一筆啓上致します。まず、前提に石塚さんの立派な紀行文がありますので、それを補足するところから書き始めていこうと思いま Continue reading →
老いの解釈学 第3回 マラブーの破壊的可塑性について 2024/12/18 by Ω No comments 高橋一行 老いと病は異なるカテゴリーのものとして分けて考えたいと前回書いた。しかしC. マラブーは、基本的に両者は同じものではないかと言う。老いはゆっくりと来るもので、病は急激に来 Continue reading →