――リベラル・左派の何が問題か?(六)
相馬千春
1.「兵学的リアリズムでパワー・ポリティクスの波を乗り切る」――幕末の武士たち
前回は日本的な<わたし>というものがどのようなものかを考える際、<幕末・維新期にあった武士的エトスが大正期には消滅して、その後、欲望自然主義が近代日本の主流となった>という神島二郎の指摘に基づいて議論を展開しました。しかし、こういうと、「武士的エートスの消滅の何がいけないのか?武士的エートスなんて前近代の封建時代の産物じゃないか」と言われそうです。たしかにそれはその通りなのかもしれませんが、それでは<武士的エートスなんて、無用だ>と言って済ますことができるのか?この点に関しては、神島二郎と丸山真男の次の指摘が有益でしょう。
「これ[欧米列強の実力による開国―引用者]を敗北主義として退ける国民的主体性の要求が尊王攘夷論として展開され、これが維新革命の主導的理念となった。しかし……攘夷政策をいたずらに固持するかぎり……自滅の道をたどらねばならなかったはずであるが、……兵学的リアリズムが、革命の指導者をして、まさに強いられた開国を……みごと主体的にうけとめさせ、それがほかならぬ「開国進取」の政策となる。」(神島二郎『近代日本の精神構造』、p.187)
「伝統的意識をもった武士的階層の存在が、西欧の圧力にたいする敏速な対応を可能にし、植民地化、半植民地化の運命を免れさせるうえに……有力な要因をなしたことは否定できないであろう。」(『丸山眞男講義録〈第5冊〉』、p.251)
「幕末の動乱のなかにダイナミックな戦国状況がいわば再現したとき、この戦闘者としての武士のエートスはもう一度、最後の沸騰の機会を与えられるのである。」(同上、p.247)
「動きのとれない自然法的規範の拘束と行動の定型化から自由な〈こうした武士のエートスのよみがえりによる〉兵学的=軍事的リアリズムは、power politicsの波を乗り切るのに有利だった。」(同上、p.252)
このような丸山真男や神島二郎の指摘、すなわち<幕末の日本に「武士的エートス」とそれに基づく「兵学的リアリズム」がなければ、幕末の日本は植民地・半植民地化されていただろう>という指摘を否定することは困難でしょう。
さらに日本の近代にとって「武士的エートス」・「兵学的リアリズム」の有無が問題となったのは、その出発時点だけでないことは、少し考えるなら、容易に分かる。たとえば、昭和の日本の指導者たちが「兵学的リアリズム」を持っていたなら、「大東亜戦争」を始めただろうか。またこれからの日本も、国際的なpower politicsに否応なく巻き込れてしまう限りは、「兵学的リアリズム」――とそれを支える「エートス」――が必要とされることは、ほとんど自明ではないか。
2.「特定の思想を受け容れて、自己を<主体化>する」――近代日本知識人
このように言うと、日本のリベラル・左派からは、<「リアリズムが必要だ」というのは良いとしても、なぜわざわざ「兵学的」なんて言葉をつけるのか>とか、<そもそも「政治にリアリズムが必要」と言い出すと、けっきょく理念は捨て去られてしまうのではないか?>と反問されそうです。つまり多くの日本のリベラル・左派にとっては、軍事に関することはそもそも悪であり、「リアリズム」よりも「理念」を守ることが優先であると言うメンタリティがあるように見受けられる。このうち「兵学」の忌避は、戦後日本のメンタリティによるところが大でしょうが、「リアリズム」よりも「理念」を優先するというのは、必ずしも戦後のことではないようです。
この点については神島二郎が次のように指摘している。すなわち、「武士的エトス」があれば、「人物のスケールなり兵学的リアリズムによって……理論の呪縛を解くこともできるのにたいして、欲望自然主義のばあいには、それがほとんど不可能(1)」となった。人々が明治体制という「閉塞」を打破するには、ほんとうは「理論の呪縛から自己を解放し」、「現実そのものを直視してそこから行動の原理をくみとろうとする態度」が必要だったが、そうした態度は「デモクラシー運動や社会主義運動においてさえ、結局開かれなかった」と(2)。
もっともこの点は、「武士的エートス」喪失の問題だけでなく、近代化による教育・学問の変容にも注目すべきでしょう。江戸時代の私塾・藩校においては、講義だけでなく、「会読」が広く行われていましたが、前田勉によれば、「会読の第一の原理は、……参加者お互いの「討論」を積極的に奨励するという相互コミュニケーション性」であり、「第二の原理は、「討論」においては、参加者の貴賤尊卑の別なく、平等な関係のもとで行うという対等性である(3)」。「タテの人間関係」が基本であった江戸時代に、意外にも対等な関係に基づく討論が広く行われていたわけです。
しかし私塾や藩校で学問を身に付けた人たちが歴史の舞台から退場していき、その後には、試験制度を要とする近代的教育で養成された知識層が登場してくる。明治以降の教育・学問では、もっぱら西欧の厖大な学問的知識を――研究者の専門化を前提にして――吸収・導入することに力が注がれましたから、そこでは「真理」は与えられるものとなった。勉学する者は、専ら試験に受かることを直接の目標としているから、与えらた知識を疑いをもたずに受け取るだけである。こうなると「現実そのものを直視してそこから行動の原理をくみとろうとする態度」――すなわち、リアリズム――が身に付かないのは、当然でしょう(4)。
こうして近代日本の知識層では――小倉紀蔵の言葉を借りるなら――「特定の西洋思想を超越性として受け容れ、それによって自己を<主体化>する(5)」という「型」が定着することになる。
このように「近代日本知識層」を批判すると、次のような疑問が提起されるかもしれません。<「特定の西洋思想を超越性として受け容れる」ことは批判されるべきかもしれないが、“何らかの原理から実践を導く”という思想はけっして間違っていないのではないか。また、そういう思想は近代日本に特有なものとは言えないのではないか>と。
たしかに<何らかの原理から実践を導く>思想は、むしろ西欧において見出されるものでしょうし、そういう思想が間違っているのかどうかも、また別の問題です。そこで私たちも考察の対象を西欧に求めて、<原理から実践を導く>思想の問題点を考えてみることにします。西欧における<原理から実践を導く>思想の具体例としてはカントを見ることにしますが、カント哲学の近代日本における地位(6)を考慮すれば、その問題点は、日本の「知識層」にとって、必ずしも海の向こうの話とは言えないでしょう。
3.「アプリオリに与えられる諸原理」から実践を導く――カント
まずカントの『実践理性批判(7)』(1788年)を見ることにしましょう(カントの引用は、アカデミー版カント全集の巻数(ローマ数字)とページ番号で当該箇所を表示します)。
カントの『実践理性批判』では、「なんじの意志の格律が常に同時に普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ」(V. 30)という命題が「純粋実践理性の根本法則」として掲げられている。また「それ[実践的規則]は定言的に実践的なア・プリオリな命題として表象される」(V. 31)とされ、さらに「純粋に実践的な原理が、この場合どうしても端緒」(V. 16)となるとされる。
カントの「道徳哲学としての実践哲学」については、さらに『人倫の形而上学』(1797年)を見ることにします(8)。
さて『人倫の形而上学』を読んで、分かりづらいのが「自由」ということばの意味なのですが、カントによれば「自由は……、ただわれわれにおける消極的な特性、すなわち、いかなる感性的規定根拠によっても行為へと強要されないという特性としてだけ、われわれに知られるもの」(VI. 226)である(9)のだそうですから、分かりづらいのも当然でしょう。
もう一つ「人間」という語も分かりづらい。例えば「人間は自由な……存在者である」(VI. 379-380)と言われるとき、「自由」を上述のように「いかなる感性的規定根拠によっても行為へと強要されないという特性として」理解するならば、<そんな人間は本当にいるのか>と思ってしまうが、『人倫の形而上学』でいわれる「人間」とは「可想的人間 homo noumenon」のことです。これは「自由の能力をもつというまったく超感性的な特性にもとづいて、それゆえにまたもっぱらその人間性に従って、つまり物理的諸規定から独立した人格性」(VI. 239)のことであり、「現象的人間 homo phaenomenon」、すなわち「物理的諸規定を受けている主体」とは区別されている。さて、以上の二点を押さえたうえで、『人倫の形而上学』から<原理から実践を導く>ことに関わると思われるところを引用してみましょう。
「自由な選択意志」とは「純粋理性によって規定されうる選択意志」(VI. 213)のことであり、人間は「道徳的に……強制されうることが多ければ多いほどよりいっそう自由なのである」(VI. 382)。
「人間の選択意志は、衝動によって確かに触発されるが、しかし規定されはしない」(VI. 213)。「選択意志の自由とは、感性的衝動による規定からの独立」(VI. 213)しているということである。
「義務概念は、純粋理性のうちにのみその根源を有している」(VI. 382)。「その[人倫の]法則は、アプリオリに基礎づけられた、必然的なものと洞察されうるかぎりにおいてのみ、法則として妥当する」(VI. 215)。
「われわれの行動についての概念や判断は、もしそれらが、単に経験から学ばれるようなものを含んでいるならば、人倫的なところを少しも意味しはしない」(VI. 215)。
「選択意志の自由を対象とする実践哲学は、人倫の形而上学[=単なる概念からのアプリオリな認識の体系(10)]を前提とし、また必要とする」(VI. 216)。
「その[人倫性の]教説は、すべてのひとに対して、ただ各人が自由であり、実践理性を所有しているがために、またそのかぎりにおいて、各人の傾向性を顧慮せずに命令する」(VI. 216)。
「道徳的命法は、その定言的指令(無条件的な当為)によって、この[法則による自由な選択意志の]強制を告知する」(VI. 379)。
「もしその[相対立する二つの規則の]一方の規則に従って行為することが義務であるならば、それに対立する規則に従って行為することは、義務ではないばかりか、義務に反してさえいる。……したがって、義務や拘束性の衝突はまったく考えられない」(VI. 224)。
「自由立法主義 (内的立法の自由の原理)にかわり幸福主義 (幸福の原理)が原則として立てられるならば、その結果はすべての道徳の安楽死 (穏やかな死)である。」(VI. 378)
「ここでは……人間が自分の目的とすべき 対象、すなわち自由な選択意志のその法則に従った対象が、論じられる」(VI. 385)
「義務を論じる道徳的目的論は、純粋実践理性にアプリオリに与えられる諸原理に基づいている」(VI. 385)
「IV 同時に義務である目的とは何か
それは、自己の完全性――他人の幸福である。」(VI. 385)
これらの引用から、カントの「実践哲学」が<原理(ア・プリオリな命題)から実践を導く>という構造を持っている(11)ことが了解されるでしょう。つまり、カントの「実践哲学」では、もっぱら原理(アプリオリな命題)から道徳的命法が導きだされ、これが「定言的指令」すなわち「無条件的な当為」として示されることになります。
そうすると、例えば「嘘をついてはならない」という道徳的命令は、無条件に(=例外なしに)妥当することになるのですが、こうした考えに対しては、次のような疑問が生じてくる。<それなら私の友人が人殺しから追われて、私の家に逃げ込んだ時、その人殺しから“この家にお前の友人が逃げ込んだのではないか”と尋ねられた時にも、本当のことを言わなければならないのか>と(12)。
4.「もろもろの人倫的関係からなるひとつの現実」を生きる――ヘーゲル
ヘーゲルも、<友人が人殺しから追われて……>という例題を取り上げて、道徳的命令を「例外のないもの」と見做すことを批判する。すなわち「怒り狂った人が短剣をもって部屋の中に押入り、そしてその部屋に隠れている人を殺そうとしている」場合、「隠れている人について知っているもう一人の人」は、「ありのままの真実を言うことは困難」であり、「先の場合において、言葉は……一つの行為(13)」である(『1819-20法哲学講義録』)、と。
ヘーゲルはまた、カントが『人倫の形而上学』で「決疑論」(=「一般的道徳規則の解釈に対する事例分析的手法(14)」)を取り入れている(15)点について次のように指摘してもいる(『フィヒテとシェリングの差異』(1801年))。すなわち「カントが示唆したのはむしろ、倫理学に対する決疑論の必然性であり、それと共に、自分[カント]自身の洞察などは、実に全く偶然的なものであって、信頼してはならないという必然性なのである(16)」と。
ヘーゲルのこのコメントに関しては、金子武蔵の次の指摘――これはヘーゲル『精神の現象学』(1807年)の中の「場合」(Fall)という言葉についての註解ですが――が、参考になるでしょう。
「「場合」の原語はFallであるが、これはKasuistik[決疑論]のcasus (case, chance)の訳である。行動することは具体的な状況――FallがZufall[偶然]であるところからしては所謂限界状況の意味をももつ――のもとに為されるものであるから、カントの定言命法のような形式的な一律の法則によっては律し切れないもののあることを示すために、へーゲルは「場合」という表現を今後しばしば用いる。これはとくに[VI人倫の]Cの道徳性において顕著であるが、このことの起原は、一七九八年にフランクフルトにおいてカントの『道徳形而上学』[=『人倫の形而上学』](一七九七年)について行なった研究(ドクメンテ二八〇頁)にあるようである。即ち『道徳形而上学』はむろん定言命法の倫理学ではあるが、しかしカントも自殺、嘘言、貪欲、愛などの問題にさいしては、附録としてKasuistische Fragen[決疑論的問題]について論じている。ところでへーゲルは差別の論文[『フィヒテとシェリングの差異』]においてフィヒテの倫理学を批判するにさいして、カントのこの点をとらえて、Kasuistische Fragenを論ぜざるをえなくなったのは、カントが自分の形式主義の不十分であることを自分で告白したものであると言っている(17)」
ここで言われている<行動することは具体的な状況のもとに為されるものであるから、定言命法のような形式的な一律の法則によっては律し切れないものである>ということは、ヘーゲルのカント「実践哲学=道徳哲学」批判の要をなすものであると言って良いでしょう。
さらにヘーゲルは、カントの「義務や拘束性の衝突はまったく考えられない」という考えも批判します。ヘーゲルによれば「行動することの「場合」というものは、もろもろの人倫的関係からなるひとつの現実である(18)」が、「もろもろの人倫的関係」からは「多様な義務」が生じることは避けらない。「倫理的衝動は客観的衝動そのものと同様に多様なものとなるが、実際、このことから実に多様な義務というものが生じてくる」のであり、「それらの義務は対立しあう以上、必然的に衝突しあう(19)」ことになる。
つまり「もろもろの人倫的関係からなるひとつの現実」を生きている私たちにとって、「単なる概念からのアプリオリな認識の体系」から<何を実践すべきか>を決めることは不可能であるわけです。
またヘーゲルは『精神の現象学』で、カントが幸福を道徳から分離しようとしたことをも批判しているのですが、これはカント一人に対する批判というよりは近代の「道徳的世界観」を批判する文脈で言われているものです。したがってこの点を論じるには、『精神の現象学』の「道徳的世界観」への批判を一通り検討する必要があるのですが、これは簡単なことではない。そこで、ここでは『精神の現象学』から「道徳的な意識は幸福を断念することはできず、また幸福というこの契機を自分の絶対的な目的から立ち去らせることもできない(20)」ということばを紹介するに止めておきます。
5.取りあえずのまとめ
以上の考察から、まず<「原理から実践を導く」ということが無条件に妥当するわけではない>ということが了解されるでしょう。したがってある原理が「正しい」としても、現実にそれを適用できる条件があるかどうか、吟味が必要になる。
次に現実の中では複数の正しい目的が生じてきて、それらを実現しようとする複数の正しい実践が互いに衝突し得る。例えば「命が大切だ」ということと「自由は大切だ」ということは衝突するのであって、だからこそ「自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」という言葉も生まれる。
ところが「特定の思想を超越性として受け容れ、それによって自己を〈主体化〉する」と、<一つの思想(原理)を無条件に妥当するものと見做し、それに対立する別の原理は無視する>ことが一般的になります(こうなると、「対話」というものは成り立たなくなる)。
こうした態度は近代日本の知識層によく見受けられるものですが、それはまた神島二郎が「理論の呪縛」と呼んだものの内実ともいえるでしょう。
しかも近代日本においては「特定の思想を超越性として受け容れ」ることは、必ずしもその思想に対する深い帰依や確信に基づいているわけではない。偶然にある思想を受け容れたとしても、ほとんどの場合、そのことは同時にある集団に帰属することを意味するので、「個人」が成立しているとは言い難い日本(21)では、さらに<集団による呪縛>が加わることになります。
リベラル・左派の皆さんとお話していると、いまの日本の問題を政治レベルの問題として捉えていると思われることが多いのですが、じっさいは近代日本システムそのものが劣化して、崩壊過程に入っているのではないか。そしてこの劣化の根底にあることこそ、日本全体の「知的な劣化」、すなわち「ラディカルな思考」の喪失と「対話」の喪失に他ならないと思うのです。
さらにそれは、「ラディカルな思考」を可能にする「現実そのものを直視してそこから行動の原理をくみとる」力の喪失と、「対話」を可能にするような「エートス」の喪失であると言い換えてもよいでしょう。
次にカントvs.ヘーゲルという西欧哲学における論点に関しては、ヘーゲルがカントなどの「道徳的立場」を「そもそも客観的なものから区別された主観的なもの(22)」と見做し、これに対して「人倫性」の立場を「客観的目的が主観的目的と一体化している立場」としている(23)点は踏まえておくべきでしょう。
しかし「道徳性」という「主観的もの」から「人倫性」という「客観的なもの」に至ったとしても、その「人倫性」は<完成されたもの>ではありません。この点は、ヘーゲル『1817-18自然法と国家学講義(24)』の「世界史」のテキストによって確認しておきます。
そこでは、まず「特殊な国民精神の諸原理」が制限されているものであることが確認されている。そしてこの特殊な国民精神の諸原理に対して「絶対的権利を行使する普遍的な精神」が登場しますが、その担い手は「世界史のなかでその画期[エポック]にとって支配的な国民」であり、特殊な国民精神の諸原理に対する「絶対的権利」というのも世界史のそのエポックにおけるものです。そうすると、この「普遍的な精神」は、直接的には一時代の「特殊な諸国民精神」に対する「普遍的な精神」であるわけですが、それはまた、世界史の諸段階――それは支配的国民に担われているが、彼らもまた特殊な国民的原理をもっている――を“越えて進んでいく(25)”「普遍的な精神(26)」でもあるのでしょう。しかし、この「普遍的な精神」は<完成されたもの>として提示されているわけではありません(27)。 このように――カントの「道徳性」を批判するものとしての――ヘーゲルの「人倫性」の議論を見ていくと、最後の「世界史」のところで私たちは「普遍的な精神」に出会うことになります。
そうするとさらに<次のエポックの「普遍的な精神」はどのような内実のものであるのか?>という問いも生じてくるでしょうし、またヘーゲルの<国民を単位とする>世界史認識自体が、近代史の「現実」とは乖離していますから、近代の世界システムを把握し直すことも必要になる。しかしこれらは難問ですから、これらが課題として残されていることを確認したところで、今回は終了と致します。
(七へ続く)
注
1 『近代日本の精神構造』、p.203なお「欲望自然主義」についてはこの連載の(三)ならびに(五)を参照されたい。
2 同上、p.174ならびにp.204。
3 前田勉 『江戸の読書会』pp.55~63)。
4 「武士的エートス」に代わって「欲望自然主義」が成立したのなら、<知識層も「理論」からも自由になるはずではないか?>と言われるかもしれない。しかしK・レーヴィットの譬喩を使えば、西欧文明を受け入れた日本人の精神構造は二階建てであって、「欲望自然主義」の成立は一階の和風の世界の話であり、二階では依然として西欧的「理論」が権威を持っているわけである。
5 小倉紀蔵 『朱子学化する日本近代』pp.30~31
6 例えば「大正時代のアカデミー哲学において王座を占めていたものはカント→新カント派哲学である」(『舩山信一著作集7大正哲学史』p.108と言われる。
7 訳文は、河出書房新社『世界の大思想11 カント〈下〉』樫山欽四郎訳による。
8 カントの「実践哲学」は――『判断力批判』(1790年)、「序論、一 哲学の区分について」(V. 171)によれば――哲学の「原理上まったく異なる二つの部門」の一つである「道徳哲学としての実践哲学」であって、もう一つの部門である「自然哲学としての理論哲学」と並ぶものである。以下では、カントが<理性の根本法則から実践はなされるべきである>と考えている点だけを見ていく。『人倫の形而上学』(Die Metaphysik der Sitten)の訳文は、岩波版カント全集第11巻 樽井正義、池尾恭一訳による。
9 カントは消極的な意味での自由の他に、「積極的な意味における自由」についても述べていて、『実践理性批判』(V. 33)では、「純粋な、かつそのようなものとして実践的な理性が、みずから[道徳的―引用者]法則を与えること」が「積極的な意味における自由」であるとされている。(脇坂真弥「人間的自由の深淵 – カントの自由概念を中心にして」 (https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/156979/1/ybunk00145.pdf )の訳文による。原文は、“diese eigene Gesetzgebung aber der reinen, und, als solche, praktischen Vernunft ist Freiheit im positiven Verstande.”である。)
自由の積極的概念はこのように定義されはするが、「自由がどのようにして感性的選択意志に対して強要的であるのか、したがってその積極的な性質に関しては、自由を理論的にまったく明らかにすることができない」(VI. 226)とされる。
10 「人倫の形而上学」=「単なる概念からのアプリオリな認識の体系」とするのは、この引用箇所の前に、「単なる概念からのアプリオリな認識の体系が形而上学と呼ばれるならば」という文言があることによる。
11 この点に関連して、福田喜一郎は以下の指摘している。
「カント倫理学の特徴の一つは、……純粋理性を根源とする義務概念から目的概念を導出することにある。したがって、それは道徳法則としても妥当しうる格率から義務でもある目的を探究するのである。」(「カント『人倫の形而上学』第二部読解の試み」 https://core.ac.uk/download/pdf/230127489.pdf )
「人間を目的とするかぎり、「自己の完全性」と「他者の幸福」だけが義務としての目的となるのである。人間に徳というものが考えられるならば、こうした目的設定を省くことはけっしてできない。人間には同時に義務である道徳的目的があり、その体系が本来の倫理学なのである。言いかえれば、意志規定の形式性にのみ関わる義務は実質を伴わないから、そのままでは徳の義務を構成できない」(同上)。
12 バンジャマン・コンスタンがこの問題で1796年にカントを批判し、これに対してカントは、「人間愛から嘘をつく権利と称されるものについて」(VIII. 423-430)で反論している。
13 法律文化社刊、ヘーゲル『1819-20法哲学講義録』 中村浩爾、牧野広義、形野清貴、田中幸世訳p.71
14 http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/casuistry.html による。
15 カントは 『人倫の形而上学』で「決疑論」について以下の様に述べている。
「決疑論は、学問でもなければ、その一部門でもない。なぜなら、学問であれば、それは教義学となるであろうが、また、いかにしてあることを見いだすかの教説というよりはむしろ、いかにして真理を探求すべきかの訓練であるからである。決疑論はそれゆえ、倫理学の中に体系的に織り込まれている(学問ならそうでなければならない)のではなくて、断片的に織り込まれ、ただ注釈のように体系につけ加えられているにすぎないのである。」(VI. 411)
また同書における「決疑論的問題」の一例を挙げておく。
「偉大な君主が、ご自身で指揮した戦いにおいて、もしも捕らえられでもした場合に、自国にとって損失となりかねない身代の条件に同意せざるをえないようなことがないよう意図して、即効の毒薬を携行されていたとして、これを君主の犯罪的な企図に数えることができるのか。」(VI. 423)
16 公論社刊、ヘーゲル『フィヒテとシェリングの差異』戸田洋樹訳pp.95-96。
17 岩波版ヘーゲル全集、『精神の現象学』(下)金子武蔵訳p.1180、七三九頁(1)の註。
18 同上p.739
19 公論社刊、ヘーゲル『フィヒテとシェリングの差異』戸田洋樹訳 pp.94-95。
20 岩波版ヘーゲル全集、『精神の現象学』(下)金子武蔵訳 p.918。
21 近代日本では「個人」が成立していない点については、この連載の(三)で論じた。
22 法律文化社刊、ヘーゲル『1819-20法哲学講義録』 中村浩爾、牧野広義、形野清貴、田中幸世訳p.71。
23 法政大学出版局刊、ヘーゲル『1817-18自然法と国家学講義』高柳良治監訳、p.68。この訳書ではSittlichkeitは「人倫」と訳されているが、本稿ではSittlichkeitには「人倫性」という訳語を使ってきたので、ここでも「人倫性」と表記しておく。なおSittlichkeitのもとになっているSitteは「人倫」とも訳されるが、平易に訳せば「習俗」であり、その意味は「エートス」とも重なっている。
24 同上、pp.277-278による。本文ではヘーゲルの言葉を断片的に引用したので、引用個所の訳文を以下に掲げておく。
「特殊な国民精神の諸原理は制限されている。制限されない精神は、世界審判としての世界史においてその諸原理に対し絶対的権利を行使する普遍的な精神である。しかも、この世界審判は、たんに威力の審判でも盲目的な運命の審判でもなく、自己意識の必然的な展開という審判である。自己意識の必然的な展開によって、個々の契機や段階を執行することは、その契機が原理として帰属する個々の国民に委ねられている。そうした国民は、世界史のなかでその画期にとって支配的な国民である。そして、世界精神の現時点における最高の展開段階の担い手であるこうした絶対的権利に刃向っては、他の諸国民の諸原理に権利はない。」
25 「ある国民の最も見事な最高の原理も、特殊な国民の原理である以上、制限された原理であり、時代精神は、それを超えて進んでいく」(『1817-18自然法と国家学講義』p.278)と言われる。
26 「世界史は、普遍的精神が歴史に関して催す世界法廷です」(『1819-20法哲学講義録』p.215)と言われる。
27 ただし、ヘーゲルが世界史のうちで<完成されたもの>を排除しているのか否かは、別の問題である。
ヘーゲルは「有限な精神はそれ自身においてみずから和解へと高まるものであるが、他方また世界史において、この和解に到達し、和解をもたらす……。世界史における和解は「神の平和」である。」(創文社刊行、『ヘーゲル 宗教哲学講義』山崎純訳p.391)と言うが、この「神の平和」は世界史(客観的精神)における<完成されたもの>であるようにも思える。またヘーゲルがこれを『宗教哲学講義』において語っている点も興味深い。
(そうまちはる:公共空間X同人)
(pubspace-x8183,2021.07.06)