高橋一行
(5)より続く
『ケンブリッジのフロイト』という本が出て、それを題材に、ロンドンにあるフロイト博物館で研究会が開かれた。この分厚い本は、その内容を簡潔にまとめれば、フロイトは決してケンブリッジに足を踏み入れることはなかったのだが、その弟子たちが随分と頑張って、ケンブリッジでフロイトの学説を広めようと努力し、それなりに広まる。しかし最終的には、ケンブリッジの伝統の厚い壁に阻まれて、フロイトの影響は次第に消えて行ったというものである(注1)。ケンブリッジには、カントもマルクスもフロイトも入ることはできない。ハイデガーもフーコーもラカンも入れない。
フロイトは、ウィーンで人生の大部分を過ごすが、晩年、彼はユダヤ人であったため、ナチスに追われ、ロンドンに亡命し、そこで亡くなる。それでフロイト博物館は、ロンドンとウィーンの二か所にある。私はロンドンの博物館を訪れた一週間後に、ウィーンで学会があって出掛ける機会があった。そして学会での発表の合間に、ウィーンの博物館の方も訪れることができた。
いや、そもそもイギリスで研究を3カ月余り続けて来たのだが、この息が詰まるような雰囲気から逃れたいと思っていたところに、フロイトの導きでウィーンに行くことができて、そこで束の間の息抜きができたというところだ。
さて、フロイトに導かれてロンドンからウィーンに行き、ふたつの博物館を比較することができる。
ウィーンのフロイト博物館は、フロイト自身が使っていた家具類は皆、ロンドンに持って行ってしまったので、ここは写真ばかりが飾ってあって、かえって、ロンドンの博物館の方が、実際にフロイトの使っていた家具が展示されているから、ウィーンの雰囲気を良く伝えている。これは皮肉だ。しかし、ウィーンのこの博物館は、実際にフロイトが数十年間に亘って、臨床をしていた家であり、患者を待たせるスペースがあり、その隣に患者と接する場所があり、その奥に研究をする部屋があって、ここからあのフロイト理論が生まれたのかと思うと、感慨もひとしおである。やはりロンドンの博物館にはない臨場感が感じられる。
私の今回の在外研究は、たったの半年しかないことだし、当初はドイツ語圏の大学に出掛けて、そこでのんびりとフロイトでも読んで過ごそうかと考えていたのだが、出掛ける直前になって、ケンブリッジから来て良いという連絡があった。受け入れてくれたのは、ニュートンとホッブズの自然哲学研究で著名な学者で、それで私は、ニュートンとホッブズ以降ライプニッツまでの自然哲学の、カントにおける影響を調べたいと、テーマを急いででっちあげて、ケンブリッジに来たのであった。そしてこの3か月、カントを英語で読んで来た。そして何とか大雑把な草稿を書いて、この国際学会で発表をすべく、ウィーンに来たのである。
カントをイギリス哲学的に解釈してしまうことに違和感があるのは、このシリーズの前回に書いた通りである。彼らはカントの物自体をあっさりと捨ててしまう。しかしこの物自体というのは曲者で、知性でもって解明はできないけれども、確実に存在し、私たちを強く触発するものであって、これはまさにフロイトの言う無意識なのではないか。つまり客観は主観に立ちはだかって、それに抗うものだと考えれば、無意識こそ、主観の意識的な言動を制御するものだから、それこそ客観そのものなのである。そう私は考える。すると、私は、この3か月、英語でカントを読みつつ、イギリス哲学風にカントを解釈することに抵抗して、無意識の内に、カントをフロイトに重ねて読んで来たのではないか。それはフロイトが仕組んだことであり、それこそが私の無意識がなせる産物である。
かくして私はフロイトと逆のコースを辿って、ロンドンからウィーンに来たのである。そしてウィーンの街を歩きながら、そんなことを考えたのであった。
以上は長い枕である。このあと、短い本論に入る。それは、オーストリアのような小国がEU内において、何をすべきかという問題である。
私が参加したのは、ヨーロッパの将来を話し合うための学会ではないが、しかし世界中から様々な人が集まって、とりわけ、これは当然なのだけれども、ウィーンを中心に、開催国のオーストリア各地からの参加者が一番多く、またヨーロッパ各国からも参加者が集まって来て、そうなると自然に、話はそういうことになる。
ひとつは、オーストリアを情報のハブ(hub)にしようということが言われる。ハブというのは、情報の集まるところ、結節点、拠点というような意味である。ネットワーク理論では、しばしば使われる。オーストリアは地理的にヨーロッパの真ん中に位置するから、ここから情報をヨーロッパに発信し、またヨーロッパ中の情報をここに集めて来ようというのである。しかしこれはどこでも誰でも考えることだ。これは要するに、今後私たちが生き抜いていくためにすべきことの内の、必要条件であって、十分条件ではない。つまり、どこの国であってもやらねばならないことであって、ヨーロパの独自性を発揮するものではないのである。
もうひとつは、多様な人が集まって、皆で時間を掛けて議論をし、その中で解決策を探って行こうということが本気で主張される。本気でというのは、それが理想に過ぎないことは誰もが分かっていても、しかしそれしか他にやりようがないだろうという意味で主張される。あるいは多少なりとも、その試みがなされ、わずかにでもその成果があれば、その点が強調される。つまり、小国においては、理想を掲げることが現実的な選択なのである。理想主義であることが、際立って現実的な話になる。
本当に長い時間を掛けて、じっくりと参加者全員の意思を探りつつ、合意形成をしていくという理想は、小国にしか主張できないものだ。そしてそれが如何に現実的に無力であっても、それを主張するほかに道はない。それはEUの運営においても、世界の協調という場においても、当てはまることだと思う。
アメリカや中国や、また大国になりたがっているロシアや、EUにおけるドイツが、何を言っても、白々しく聞こえるのは、彼らは現実的に、大国のやり方で強引に世界を仕切って行くしか、他に道がないからである。しかしそういう世界にあって、小国の理想主義は、貴重である。
ジジェクに言わせれば、ヨーロッパの将来は、ちょうどローマ帝国にとっての古代ギリシアのようなものになるだろうとのことである(注2)。それはアメリカ人と中国人が、観光に訪れる場所になるだろう。それは現代世界には何の影響力も持たず、ノスタルジックな文化的遺産に過ぎないものであろう。ここは、今は落ちぶれてしまったが、かつて世界の中心であって、様々な理念を発信していたのだとガイドが説明するだろう。経済的に生き残っているのは、アメリカ人と中国人だけで、ヨーロッパは、彼らを相手に、観光業をしつつ、細々と生き残るしかない。しかしその時に、国民主権や基本的人権という、リベラルデモクラシーを支える理念を主張し続けることで、かつての人類の理想が今なお生き残っている地域として、ヨーロッパは自己主張をする。それが観光地としての価値を増すものになるのではないか。カントやフロイトの思想も、観光資源のひとつとして立派に貢献するだろう。そういう皮肉な見方をしつつ、しかし半ばそうなるだろうという諦念とともに、私はヨーロッパの将来を思い描くのである。
学会会場のすぐ隣には、マリア・テレジアの父カール6世が作ったと言われる荘厳な教会があり、そこで夜になると音楽会が開かれる。私は、一日学会の議論で疲れた頭を、音楽を聞いて休めることにする。ウィーンゆかりの、モーツァルトやシューベルトやベートーベンなど、次々と華麗な音楽が奏でられ、私はそれに身を委ねる。教会の外観も内装も煌びやかで、かつ厳かであり、また音楽が華かであればあるほど、この街はもう観光で生きて行くしかないのかという、先のジジェクの皮肉が思い出される。ここはかつて、ヨーロッパの大半を支配したハプスブルクの拠点なのである。ヨーロッパそのものと言うべき遺産が街中に点在し、街全体がその雰囲気に包まれている。そして、建物という物質的な資産の点でも、音楽などの知的財産においても、この街は相当に豊かであると言うべきで、それを活用して生きていくのは、悪いことではないと思うのである。つまり生き残るための様々な可能性を考えて、それらを同時に実行して行かねばならず、その際の、それら方策の内のひとつとして、観光というのは悪くはない。
EUには現在、イギリスを含めて28カ国が参加している。各国の経済を見ると、大きい順に、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スペインと続く。イタリアやスペインの経済が調子良いとは思えないが、しかしまだそこまではそれなりの規模だとしても、その次のオランダになると、だいぶGDPは小さなものになる。オーストリアはさらに小さく、ポーランドやベルギーの下に来る。要するにEUはイギリスが抜けたあとでは、ドイツという大国をフランスが何とか押さえ付けて、あとは中小25カ国が集まっているのである。これが実態である。そしてドイツが大国だと言っても、それはEU内での話に過ぎない。
もちろん私は、昨年の12月に行われたオーストリア大統領選で、あわや極右が勝つかもしれないという事態になっていたことは知っている。実際には、「緑の党」前党首で親欧州連合派のアレクサンダー・ファン・デア・ベレンが極右政党「自由党」のノルベルト・ホーファーに勝利している。
事前の世論調査では接戦が予想されていた。英国のEU離脱を巡る国民投票や米大統領選と同様に、世間の言い方では、ポピュリズムの波に乗って移民反対派のホーファーが勝利し、EU加盟国で初めてとなる極右系の国家元首が誕生するかどうかということが、議論されていたのである。
得票率は、おおよそファン・デア・ベレンが53%強、ホーファーが47%弱であった。また、その選挙は5月に行われた大統領選決選投票の再投票である。5月の投票ではファン・デア・ベレンが僅差で勝利したが、開票方法に問題があったとして当選は無効とされ、やり直しがなされたのである。
つまり、小国でも、EUを離脱する可能性はあり、何かきっかけがあれば、次々とEU離脱ドミノが起きる可能性はある。しかし現実的に、イギリスのように、直接アメリカや中国と付き合うつもりであれば、そしてそれが可能ならば、長期的に見て、EU離脱のメリットはあるが、小国にそれができるか。小国は理想主義を掲げて、EUの理念を実現して行く方が現実的ではないか。ドイツ+フランス+25の中小国は、宙ぶらりんという言い方がしばしばなされるのだが、これ以上緊密な関係にならなくとも、解体はせずに、それなりにまとまって、アメリカと中国に伍して、情報化社会を生き抜かねばならない。
2017.7.18
注
1. Forrester, J., & Cameron, L., Freud in Cambridge, Cambridge University Press, 2017
2. Zizek, S., Against the Double Blackmail – Refugees, Terror and Other Troubles with the Neighbours –, Penguin Books, 2016
(たかはしかずゆき 哲学者)
(7)へ続く
(pubspace-x4242,2017.07.20)