「中国人の方が付き合いやすい」―イギリスから(5)―

高橋一行

(4)より続く
 
 ここのところ英米のカント研究者の本を読んでいる。カントやヘーゲルは、人間の認識能力の普遍性をとことん突き詰めた哲学者だが、そしてその普遍性が追求されたのちに、マルクスが出て来たと私は考えているのだが、英米の研究者は、そのカントの普遍性の追求をあっさりと無視して、つまり認識能力の基礎付けというカント哲学の最も重要な部分を考察の対象から外して、カントの感覚論という、カントにとっては些細なものに過ぎなかったものを重視する。それはカントをイギリス経験哲学の土俵に戻して、議論するということだ。カントはロックやヒュームやバークレーの影響を受けたが、しかし私の考えでは、彼らイギリス経験論者の指摘は受け止めつつ、再び、本来の大陸哲学の伝統に戻り、形而上学を確立した。そんな風に私はカントを読んで来た。しかしここイギリスでは、そうではなく、カントはヒュームに限りなく近い哲学者なのである。それは普遍性を求める哲学を、特殊イギリス的に読むということに他ならない。
 そういう経験をしていると、どうしたって国民性というものを強く感じざるを得ない。イギリスに来ると、カントでさえ、イギリス的になってしまうということだ。
 あるいはカント研究は、日本の哲学者にとっては、哲学そのものの研究だが、つまり哲学研究者は、カントを通じて哲学を学ぶのだが、ここではカント研究は単に歴史研究のひとつに過ぎないと言っても良い(日本でも、思想史研究者なら、カントをそのように取り扱うが)。そしてそれは、特殊ドイツ的な哲学の一部を、哲学そのものだと思って来た、日本の哲学研究者に反省を迫るものかもしれないのである。
 もうひとつ併せて考えたいことがある。長い間、政治思想史上では、フランス革命が、近代的主権概念、つまり宗教的な権威や国王にではなく、自由で平等で博愛の精神に溢れた国民に主権があるという考え方を確立し、近代を創ったとされて来た。私はそれに反発し、ドイツに始まる宗教改革こそが近代を創り上げたのではないかと考え、そう発言してきた。つまり特殊フランス的なものを、あたかも政治思想の普遍的な概念であるかのように言うのはおかしいと思ったのである。
 さてしかし今、そのことについても、イギリスに来るとあらためて考えさせられる。近代は、イギリスが産業革命を始め、近代的経済を進展させたことで成立しただけでなく、イギリスはピューリタン革命と名誉革命を通じて、選挙を伴う立憲君主制を確立した。そこに近代政治は始まり、フランスはあとからそれに追いつこうとして、革命を起こしたのではないかということである。
 すると、フランスで確立された国民主権の概念は、特殊フランス的でありつつも、それでもなお、普遍性を主張し得ていたと思うのだが、ここイギリスに来ると、それは徹底的に特殊フランス的なものになってしまうのである。要するに、フランス革命は遅れてきたフランス人の劣等感が引き起こした事件に過ぎない。
 そしてドイツなどはあまりに政治的にも経済的にも遅れていて、かつてヘーゲルは、ドイツにはルターやカントがいるのだという自慢をし、無理やりその精神の優位性を主張としているのだが、それはもうまさしく劣等感の裏返しに過ぎない。
 さてそのドイツの劣等感は、多くの人が感じることで、しかし劣等感に基づいているとは言え、そのことによって、普遍性に深く到達し得たと思われていたドイツ哲学が、ここイギリスで、あっさりとイギリス風に変えられてしまい、また早くから主権概念を確立して、それをその後の共和制の理念に繋げ、そのことを誇っていたフランスの政治思想も、これまたあっさりと、イギリスの長い議会政治の前には、その影響下に過ぎないものとして扱われるのを見ると、イギリスの伝統とそこから生まれるプライドに、あらためて恐れを感じるのである。
 つまり経済で世界に先駆けたイギリス、フランス革命で近代政治概念を発達させたフランスに対して、後進国ドイツは、哲学を先に進めたという位置付けは、フランス革命に憧れつつ、自らの哲学を創り上げたドイツのものであって、イギリスに言わせれば、経済も政治も哲学も、すべてイギリスが始め、世界を先導したのである。ドイツ哲学ができるはるか前からイギリスには哲学の伝統があり、フランス革命のだいぶ前から、イギリスには議会制民主主義の伝統があり、そして誰もが認識しているように、イギリスでは産業革命があり、金融の発達があった。イギリスは常にすべての面で世界をリードしているという自負がある。
 このように、自らの意識では、常に世界の先駆けを誇っているイギリスが、そしてまた20世紀後半に、アメリカととともに、グローバリズムを主導していたイギリスが、今回も世界に先駆けて、そのグローバリズムからの揺れ戻しを政治的に実現した。それがEU離脱の選択である。そしてそれは反動ではなく、進歩なのである。
 もちろん、こういうイギリスのあり方も、特殊イギリス的なものに過ぎないと、遠くアジアの辺境から来た私は思う。しかしここイギリスにいる限り、それは普遍的なものなのである。
 そして今進展しているのは、イギリスは今までのように、ドイツやフランスと組んで、世界をリードしようというのではなく、今度はアメリカやカナダ、オーストラリアなどの英語圏と付き合いを一層深め、貿易相手国としては中国を相手にして生きて行くという選択肢を選んだのである。
 
 その中国の存在感が、イギリスでは極めて大きい。今回、話の後半は、イギリスにとっての中国というテーマである。
 
 さて、ここにいて毎日思うのは、中国人の存在の大きいことである。まず、学生が夏休みで少なくなった今、この街で圧倒的に多いのは観光客で、日々膨大な数の中国人がここを訪れている。日本ではケンブリッジが観光地だとは思われていないが、恐らく中国で発行されている観光ブックには、この街が紹介されているのだと思う。それは驚くほどの数である。また留学生の中でどのくらいの割合が中国人であるのか、統計的事実は把握していないが、というのも、そもそもケンブリッジで、留学生と自国の学生という区別は意味がないので、つまり、親の代からイギリスにいる場合もあり、移民と移民の子孫と留学生の境が曖昧だからであるが、しかし明らかなのは、圧倒的にここには中国人が多く、日本人は極めて少ないという事実である。
 これはひとつの象徴であって、ここでは中国と比べて、日本の存在感はまったくと言って良いほど感じられない。そしそれは要するに、イギリスが国家として付き合っていく相手として、中国を選んだということなのである。
 そしてこれはイギリスだけの選択ではなく、世界がまさしくそういう選択をしていることであり、そうなると、日本の存在意義は、大国中国の隣に位置しているということ以外になくなってしまうかのようなのである。
 
 16年前、私は一年余りアメリカに家族とともに住んだという経験がある。周りには中国、台湾、韓国の移民が多くいて、彼らに囲まれて、日々彼らと話をし、そしてその時にアジアを初めて実感した。アジアと向かい合うためには、英語を通じて、つまりアメリカを通じて互いに触れ合うしかない。アメリカを媒介することで、しかし、私たちは皆アジア人なのだという実感を持った。
 しかし今回は事情が大分違うのである。イギリスで中国の存在は日々大きくなって行き、イギリスもEUを離脱したあとは、中国との経済関係を重視して行く方針を明確にし、それが実際なかなかうまく行かないものだから苛立っていたりするのだが、しかしそういうときに、日本の存在感はまったくない。日本は中国の隣にある小さな国という認識でしかない。アジア人は、中国人か、その他の国民か、どちらかであるという区分がなされる。
 15年前、ドイツでは、例えばビザは現地で取るのだが、中国人が役所で行列を作って、大変な思いをして、ビザを取るのに対し、私は日本のプロフェッサーだと名乗ると、さっと別室に案内されて、すっとビザが発給されるという特権は、今では、そしてこの国では享受できない。
 またかつては、ここケンブリッジのみならず、欧米の大きな大学には、日本語学科や日本文化研究所などがあったのだが、それらは今ことごとくつぶされて、代わりに中国政府が莫大な資金を提供して、中国語学校や中国研究所ができている。日本はそういう流れに対して、なす術がない。
 そして今、学部の授業を見学させてもらっても、大学院生たちと議論をしても、研究者の集まりに参加しても、日本人はほとんどおらず、たまにいても、私のように、じっと黙って、ただ単に座っているだけなのだが、中国人は、必ずどこに行っても、質問をし、積極的に話に加わっている。
 さらに、10数年前なら、私は、EUをお手本にして、日中韓の3大国がアセアン10カ国をリードして、東アジア共同体ができたら良い、その際に、日本が中心になるのでもなく、中国が中心になるのでもなく、うまく力の配分ができたら良いと考えていた。
 今状況はまったく異なる。大国は中国だけである。日本は大分そこから離されてその次に来て、韓国はさらに差があってそのあとに位置付けられ、その下に弱小の国々がある。そういう状況の中で、中国がすべての国を完全に支配して、他を従属国とするという選択肢ならあり得るが、そうでなければ、東アジア共同体の可能性はない。とすれは、東アジア共同体など作らず、日本は、中国という大国の隣で、静かにしかし確実に自己主張して、その存在感を示す以外にほかに道はないと思う。
 
 ここケンブリッジで確実に存在感を失っている日本について、そのように考えざるを得ないのである。
 
 ここで知り合った数少ない日本人や、また日本から来てくれる友人と話すと、最初の内、街中で騒ぎ、またマナーの悪い中国人にしばしば遭遇し、彼らに対して、「あんな風にはなりたくないね」とか、「少し前まで日本人もそうだったのだから仕方ない」という、簡単に言えば「上から目線」で話をするのだが、しかし気付くと、イギリス人にとって、日本人はまったく問題にされていないようで、中国人の方が圧倒的にイギリス社会に受け入れられている。私が中国人に間違われて、以前なら「私は中国人ではない。日本人だ」というと、「ごめんなさい」という反応が返って来たのだが、今は一体何が違うのか。お前はただの大人しい中国人に過ぎないだろうということになる。そして欧米で、自己主張をしないのは、決して美徳ではないから、それは日本人が中国人よりも付き合いにくいということを、つまりイギリス人にとっての位置付けでは、むしろ私たちの方が下にいるということを意味するのである。
 
 中国は今後、今しばらくは経済発展を遂げるが、その後日本よりも少子化高齢化の影響を受けて、急速に失墜して行くだろうと思う。韓国は日本より大分遅れて、しかし著しい経済発展をし、そしてその後日本よりも早く衰退して行った。私たちは隣国の盛衰に付き合う必要はないが、しかし、日本は今後確実に、中国という大国の隣にいる国として位置付けられ、日本のアイデンティティーはそこにしかないのである。21世紀は中国が台頭し、世界を掻き回し、やがてその過剰な人口を持て余して、なお世界にプラスマイナス両方での影響を与え、次第にそのマイナス面が大きくなるというのが、私の見立てだが、そこで日本はどう振る舞うかということである。中国に振り回されるだけの存在でしかないのかということだ。
 
 7月1日は、ひとつはかつてイギリス領であった香港が、中国に返還されてから20周年の記念日であった。テレビでは香港の今を取り挙げていた。私はあらためて、イギリスと香港の気持ちの上での繋がりと言うべきか、その近さを感じた。もうひとつは、その日は、カナダが独立150年を記念する日でもあった。数年前のこの独立記念日には、カナダ女王でもあるエリザベス女王が出席している。今回は皇太子が出席した。ここでもカナダとイギリスの近さを思わざるを得ない。イギリスは、かつての英語圏と付き合い、そして経済的には中国を相手にして、生きて行こうとしている。ドイツやフランスがそのことについてどう考えるかは、彼らの問題である。私は日本のことを考えねばならない。
 私は今、大いなる危機感を感じている。日本が中国に抜かれてしまったという感覚はもうずいぶん前のものである。今や、まったく日本の存在が世界で感じられなくなってしまったという寂しさを覚えるのである。
 対策はひとつしかなく、それは留学生を増やして、自己主張できる日本人を増やすしかない。ここケンブリッジ大学の学費は、日本の大学の学費の3倍以上で、かつイギリスの物価は尋常でないほど高く、また留学には高度な英語力が要求されて、それを身に付けるには、幼い内からの訓練が必要で、それをすべて個人負担で、つまり親が用意するというのでは、絶対に留学生は増えないから、奨学金を出すしかない。ひとり当たり数百万円を、それも毎年多くの青少年に給与するという、大規模な奨学金が必要だ。しかしそうやって多くの人たちが留学をして、彼らが世界に向けて自己主張して行くしかない。

2017.7.3

(たかはしかずゆき 哲学者)
(6)へ続く
 
(pubspace-x4187,2017.07.04)