ヘーゲル「論理学」の「否定の否定」と「無限判断」の解釈について――高橋一行『他者の所有』を読む① 2015/03/18 by 相馬千春 No comments 相馬千春 高橋一行氏の『他者の所有』(御茶の水書房)について、何回かにわたりコメントを書くつもりですが、初回は、高橋氏のヘーゲル「論理学」(1)の――そのうち「定在」と「定在の判断」の――解釈を扱います。 Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載④ ―近代日本人の「考え方」を考える(続き)― 2014/05/13 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載③より続く 五 近代日本人の「考え方」を考える ――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を踏まえて――(続き) 6.近代日本における〈朱子学的思惟〉以外の諸要素 小倉は「日本の近代化」を「社会を「再儒教化」する Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載③ ―近代日本人の「考え方」を考える― 2014/04/21 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載②より続く 五、近代日本人の「考え方」を考える――小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』を踏まえて―― 1.「会読」の解体 前回(四)見たように、江戸期の会読(文芸的公共空間)からは Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載② ―江戸の読書会とは何か― 2014/04/20 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 連載①より続く 四、江戸の読書会とは何か 1. 「近代化」は「西欧化」を意味しない 前回、<「近代日本精神」のあり方を克服するためには、私たちは再び『江戸の読書会』を興す必要がある Continue reading →
なぜ「新しい公共空間」か 連載① ―福島原発と近代日本精神の「病理」― 2014/04/07 by 相馬 千春 No comments 相馬千春 一、福島原発と近代日本精神の「病理」 現代日本の諸問題を真に論ずるためには、何より「日本人の精神」のあり方を論じなくてはならないと思います。もちろん問題のより「物質的」な側面――資 Continue reading →