なぜ「新しい公共空間」か 連載① ―福島原発と近代日本精神の「病理」―

相馬千春

 
一、福島原発と近代日本精神の「病理」
 
 現代日本の諸問題を真に論ずるためには、何より「日本人の精神」のあり方を論じなくてはならないと思います。もちろん問題のより「物質的」な側面――資本主義の矛盾とか環境問題とか――を論ずる必要もあるでしょうが、問題をたんに「客体化」してしまうならば、ことの本質を取り逃がすことになるのではないか。
 たとえば、あの福島第一原発の爆発。あの爆発が千年一度の偶然の結果なら、日本人の精神構造を問う必要はないかもしれない。しかし津波による「全電源喪失」も、地震自体による配管の破断も、事故前から研究者によって指摘されていたことであり、さらに福島第一では遡上高15mの津波の可能性が試算されていたというのですから、あの爆発は起こるべくして起こったというしかない。
 いちど原子力発電が始まると、その存続が大前提となり、どのような事実が――大津波の可能性であれ、活断層であれ、制御棒の故障であれ――指摘されようと、その事実は「告発者」とともに葬られ、「無いこと」にされる。こうしたことが罷り通っているからこそ、あの爆発に到ったわけですが、このような経過はあの「大東亜戦争」によく似ているのではないか。
 燃料も潤滑油も数年で底をつくことは明らかであり、航空機や艦船の製造能力においても、彼我に雲泥の差があったにも拘わらず、「清水の舞台から眼をつぶって飛び下りる事も必要だ」(1)として、「あの戦争」は始められたわけです。しかしあの戦争を始めた人たちの「非合理性」を、地震列島に原発を並べて平然としている現代日本人は笑うことはできるでしょうか。
 最近は「日本文化」の優秀性を謳う論調――これはむしろ不安の裏返しなのでしょう――が氾濫しているようですが、自分たちの「弱点」には眼をつぶり、美点にのみ眼を凝らすというのは、「滅びゆく」者の典型的なパターンではないか。滅びたくなければ、自分たちの「弱点」に眼を凝らすしかありません。
 
二、丸山眞男が捉えた「軍国支配者の精神形態」
 
 近代日本の精神構造が抱える問題については、すでに多くの論考があるわけですが、ここでは戦後いち早くこの問題を論じた丸山眞男の発言を引用します。

「政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。いな、敢て逆説的表現を用いるならば、まさにそうした非計画性こそが「共同謀議」を推進せしめて行つたのである。ここに日本の「体制」の最も深い病理が存する。」(「現代政治の思想と構造」(2)〔以下「現」と表記〕P.92)
「彼ら[伊藤博文ら]は官僚である以前に「政治家」であつた。彼らは・・・それなりに寡頭権力としての自信と責任意識を持つていた。そうした衿持が失われるや、権力は一路矮小化の道をたどる。政治家上りの官僚はやがて官僚上りの政治家となり、ついに官僚のままの政治家(実は政治家ではない)が氾濫する。」(「現」P.127-128)

 国の命運を賭けた戦争であるのに、その戦争には何の計画性も組織性もない。ところが誰も責任を持たない戦争が始まることだけは必然であるかの如くである。指導者も、かつての日清・日露の場合と異なり、もはや本来の政治家[戦略家]ではなく、自分の職務を遂行するのみの官僚でしかない。こうした精神のあり方を「不十分さ」とか「欠点」と言うわけにはいかない。そうした部分的な問題ではなく、精神の全体を侵している「病理」というべきものです。
 
 丸山はこうした事態の根底に「近代的人格の前提たる道徳の内面化」の欠如を捉えています。
 西欧近代においては「思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保証され」たわけですが、近代日本の体制はそれを保証せず、自由民権論者に於ても「近代的人格の前提たる道徳の内面化の問題」は「軽々に片づけられ」てしまう。さらに「「私事」の倫理性が自らの内部に存せずして、国家的なるものとの合一化に存するというこの論理は裏返しにすれば国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に侵入する結果となる」ともいう。
 <個人が「思想信仰道徳の問題」を「主観的内面性」においてもつ>ということは、<個人が普遍的なもの(神・絶対的なもの)に常に対面している>ということでしょうが、近代日本にはこういう個人は極めて少ない。個人の集団(特殊的なもの)に対する帰属意識が強く、個人は「普遍的なもの」を基準に判断する習慣を持たない。他方で国家の側も普遍的なものを真には保持できず、不断に「特殊的なもの」に浸食されていく。したがって近代日本では「特殊的なもの」が「個」に対してはもちろん、「普遍的」なものにも優位に立つ。省益が国益に優位し、「ムラ」の掟が普遍的な倫理に優位する。しかもなお「特殊的なもの」は「特殊的なもの」でしかなく、「普遍的なもの」を担いきる能力もその覚悟もない。困難に直面するや、自らは単に「特殊的なもの」であると開き直り、「普遍的」な領域での決断を回避する。このような事態を丸山は次のように述べます。

「ナチスの指導者は…開戦への決断に関する明白な意識を持つているにちがいない。然るに我が国の場合は…我こそ戦争を起したという意識が…どこにも見当らない…。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか。我が国の不幸は寡頭勢力によつて国政が左右されていただけでなく、寡頭勢力がまさにその事の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加される…。各々の寡頭勢力が、被規定的意識しか持たぬ個人より成り立つていると同時に、その勢力自体が、究極的権力となりえずして究極的実体への依存の下に、しかも各々それへの近接を主張しつつ併存するという事態…がそうした主体的責任意識の成立を困難ならしめた…。」(「現」p.24)

 先に<一度原子力発電が始まると、その存続が大前提>となってしまうことを指摘しましたが、これは「あの戦争の場合も同じで、この点について丸山は次のように述べます。

「[東京裁判の]被告の千差万別の自己弁解をえり分けて行くとそこに二つの大きな論理的鉱脈に行きつく…。…一つは、既成事実への屈服…。/既成事実への屈服とは何か。既に現実が形成せられたということがそれを結局において是認する根拠となることである。殆どすべての被告の答弁に共通していることは、既にきまつた政策には従わざるをえなかつた、或は既に開始された戦争は支持せざるをえなかつた云々という論拠である。」(「現」p.106)
「「現実的」に行動するということは、だから、過去への繋縛のなかに生きているということになる。従つてまた現実はつねに未来への主体的形成としてでなく過去から流れて来た盲目的な必然性として捉えられる。」(「現」p.109)

 なぜ「既成事実」は強い力を持つのか?言うまでもなく「既成事実」は様々な利害を伴っている。原発で言えば、これを推進してきた官僚や電力会社をはじめ、与野党政治家・学界・労組・下請け・地元等々が原発推進によってカネを引き出し、またそれによって権威・権力を得てきた。
 しかしこれらは全て特殊的な利益であって、普遍的な――ここで言えば、「国民的」な――利益は何処にもありはしない。原子力が「安価で安全なエネルギー」であれば、それは普遍的な利益に適うでしょうが、それが全くの虚妄だということが明らかになっても、人々は「過去への繋縛のなかに生きている」――これが日本では「大人」の生き方と称される――から、結合された特殊的な利益の力が「盲目的な必然性」として現れ、容易に普遍的な利益を圧倒してしまう。
 
 以上引用してきた丸山の「軍国支配者の精神形態」と「超国家主義の論理と心理」はそのテーマに従い、批判の主な対象は「政治家・官僚・軍人」たちですが、この丸山の分析は、実は「近代日本の知識層」全般にあてはまるのではないでしょうか?このことは経験的にも感じられることですが、「近代日本の知識層」が――「政・官・軍」も含めて――本質的には共通の制度の下で形成されてきた、ということからも頷けるはずです。
 「いや軍人と他の知識層の形成のされ方は異なる」と言われるかもしれません。確かに「幼年学校出身の軍人などは視野が狭い」という批判はありますが、それでは「帝大」出身者の視野がどれだけ広かったのか、というと甚だ疑問です。「近代日本の知識層」の形成のされ方自体に、大きな問題があると見るべきでしょう。
 
 このあと前田勉「江戸の読書会」を読むことで、この問題にさらに接近していきたいと思いますが、その前に、再び丸山眞男を引用しておきます。

「日本がヨーロッパの学問を受け入れたときには、…学問の細分され、専門化した形態が当然のこととして受け取られた。ところが、ヨーロッパでは…長い共通の文化的伝統が根にあって末端がたくさんに分化している。…それが共通の根をきりすてて、…個別化された形態が日本に移植され、それが大学などの学部や科の分類となった。…技術化され、専門化された学科というものが、はじめからアカデミックな学問の存在形態とされた…。」(「日本の思想」(3)p.132)

 近代日本は、西欧の学問を受容するにあたって、その共通の根=「普遍性」を切り捨て、専門化された学科=「特殊的もの」を受容したわけで、(普遍的であるはずの)学問も、個別化・技術化・専門化されると、容易に「ムラ」の『論理』に従うものとなります。一見西欧的な学問で教育された「知識人」たちが――「思想信仰道徳の問題」を「主観的内面性」においてもつことなく――容易に新たな「ムラ」を形成し、「ムラ」的思考に囚われてしまうのは、近代日本の知識層の形成のされ方に深く根ざしていると言うべきでしょう。
 
三、江戸から明治への教育制度転換がはらむ問題
 
 前田勉の「江戸の読書会」(4)は、近代日本精神がどのような問題をはらんでいるか、それを越えていく径が何処にあるかを考える上で、極めて示唆的な著作ですが、その中に幕末から明治にかけて学問のあり方が大きく転換していく様を活写しているところがあります。

「幕府は…文久元年(一八六一)に…西洋医学所を設け…緒方洪庵を招いて頭取として、文久三年…に、医学所と名を改めた。緒方洪庵の急死の後を受けて…頭取となったのが松本良順…だった。/彼[松本良順]は…安政四年(一八五七)に幕命で長崎に行き、オランダ海軍三等軍医ポンペから、日本で初めて系統的・組織的な西洋医学教育を受けていた。」(「江戸の読書会」〔以下「江」と表記〕p.353)
「良順からみれば、会読によってオランダ書読解を中心においた、医学所の教育・学習方法は飽き足らないものがあった。…池田謙斎はその[洪庵の]時代を回顧して、「会頭は黙て之を聞いて居て、先づワキから質問をさせる。いよいよ分らぬと、討論になる…其の質問も先づ初めに文章の意味を問ひ、次に性や格をただし…なかなか綿密にやつたのじや」…という。…緒方洪庵の適塾での会読が、そのまま医学所にもちこまれていた…。」(「江」p.354~355)
「[ところが良順が]監督する医学所では、文法を学び、難文を読解することを禁じて、もっぱら理化学、解剖学、生理学、病理学、薬物学、内科学、外科学の七科目を定めて…順次に講義をして、他の書物を禁止する。・・・医学所の俗吏たちは、会読が行われなくなって、討論の喧(やかま)しい声が聞こえなくなったために、校内の静粛さをいぶかって、「前日緒方氏の校長たるや、昼夜会読輪講あり。…今日は生徒沈黙ただ机上に書を見ると、午前午後通じて三回の講義を聴くのみ。これ学問に不熱心の故ならん」と言ったという。」(「江」p.355~356)

 これはたいへん示唆的な話だと思います。引用箇所を読むとつぎのことが理解できる。まず江戸期の学問の中心には、学生たちによる「テキストの会読」があった、ということ。(後でより詳しく紹介しますが、「会読」は儒学の私塾で始められ、各藩校や国学・蘭学に広まっていった方法です。)そしてこの「会読」に際して「師」はあえて「黙て之を聞いて居て」、学生がまず自分でよく考え、次に討論を通じてさらに深く考えるように仕向けている、ということ。
 これに対して松本良順が始めた教育は、「師」による一方的な「知識」の注入です。たしかにこれは、大量の西欧の学問を日本に導入するためには極めて効率が良い方法であるわけですが、他面では江戸期の「会読」で行われた「考える」訓練のほうは放棄されてしまう。そして近代日本の教育は今日に到るまで松本良順の教育方法と本質的に変わっていない。
 しかし会読の有無は――「考える」訓練の有無というより――さらに本質的な問題として把握されるべきでしょう。「会読」では、まず各人が――「師」に頼らず――直接「テキスト」に向き合い、自分なりに「テキスト」を解読することが求められる。
 個人が「テキスト」という「普遍的なもの」・「絶対的なもの」に直接対面しなければならないということは、外的な権威を排除した「思想の上での主体性・内面性」の形成が求められていることに他ならないでしょう。さらに討論の中で各人の解釈が相互に批判されるということは、各人の推理の客観性(理性性)が不断に試されている、ということです。
 ところが近代日本で採用された教育制度では、「知」や「テキストの解釈」は師がもたらすものであり、学生はただそれを受け取ればよい。つまりこの制度のもとでは、「理性」――ときとして師に異論を唱える理性――は、不要であり、あるいはむしろ邪魔でさえある。
 現代日本人の「歴史観」とは異なり、「「自発的自己陶冶」的な「自ら学ぶこと」は、明治期に西欧思想によって移入されたのではなく、むしろ「古来」からの儒学の教説だった」(「江」p.351~)。江戸の教育方法が、「理性」を形成するものとしては適切であり、「近代日本が採用した教育制度」が不断に「理性」を抑圧する教育制度である。皮肉な話ですが、これは「近代化とは何か」を考える上で極めて重要な点です。
 それはさておき、こうして江戸の教育方法と近代日本の教育制度を比較すると、「維新の元勲」たちが自分で考える力を持ち、また議論の中から「真実」を見いだす能力を持っていたのに対して、近代日本になって形成された「知識層」がそうした能力を喪失していったことは、何の不思議もないでしょう。
 なお、ここで言う「知識層」には、『リベラル派』・『左翼』の「知識人」も含まれることは、言うまでもありません。彼らもまた「近代日本の教育」の所産であり、「日本的アカデミズム」の申し子なのですから。
 日本の左翼・リベラルはいまや見る影もなく痩せ細っていますが、そうなった本当の原因は、彼らが根本のところで精神の在り方を体制と共有していたからではないでしょうか。 体制vs.反体制という対立――保有する「知」のコンテンツによる対立――にも、「近代日本的な精神のあり方」という共通の「根底」があり、両者はその根底へと没落する必然性(さだめ)にあるのではないか。そしてこの「近代日本精神」のあり方を克服するためには、私たちは再び『江戸の読書会』を興す必要があるのではないか?もちろんそう言うには、「江戸の読書会」をもっと知る必要があるでしょうが。
連載②へ続く
 
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(1) これは、近衛文麿「失はれし政治」(131頁)にある東條英機の言である。
(2) 丸山眞男「現代政治の思想と構造」増補版 (未来社 1964)
(3) 丸山眞男「日本の思想」(岩波新書 1961)
(4) 前田勉『江戸の読書会』(平凡社選書 2012)

(そうまちはる 「公共空間X」同人)
(pubspace-x209,2014.03.28)