「オウンゴールで敗北」―イギリスから(4)―

高橋一行

  
(3)より続く
  6月9日金曜日、つまりイギリスの総選挙の次の日、私は朝5時前に起きて、テレビを付けて驚く。予想を完全に裏切った結果がそこにあった。私はイギリス滞在中、早寝早起きを心掛けているので、前夜10時過ぎに発表された出口調査の結果を見ないで寝たのである。
  先月に書いた拙論で、私は、総選挙はメイ首相率いる保守党の圧勝と予想したのである。これはしかし私だけの予想ではなく、一か月前の世論が示していた通りに、私がまとめたまでの話である。それが一か月で完全に変わってしまった。保守党はこの一か月で急速に支持を失い、代わって労働党の人気が上がって行ったが、しかしそれでもなお、私は選挙が終わるまで、保守党は逃げ切ると信じていた。保守党が過半数をどのくらい上回るかということが問題であって、まさか過半数を下回るとは誰も思っていなかったのである。
  まず選挙結果は以下の通り。650議席のうち、保守党が318(改選前が330)、労働党が262(229)、スコットランド独立党が35(54)、自由民主党が12(9)、北アイルランド民主統一党(DUP)が10(8)、その他が13である。
どの党も過半数に届かないから、連立の可能性を探ることになる。以前第一次キャメロン内閣の時に、保守党と自由民主党が連立政権を作った時があったのだが、しかし今回は、EU離脱を強く進めたい保守党と、残留を望んで、国民投票のやり直しを求める自由民主党が組むことはない。そうすると、誰もがまったく予想しなかったのだが、保守党と北アイルランド民主統一党が組むしか他に手がない。
  また、メイ首相は、今の時点では辞めないと言っているが、辞任の要求は、労働党から出るだけでなく、身内の保守党からも出て来るだろう。保守党内部、及び国内の反対勢力と戦いながら、彼女はEU離脱の交渉を進めることになる。
 
  さて、私が選挙結果に驚いたというメールを日本の友人知人、及び身内に送ったら、彼らは一様に、日本の報道を見る限り、保守党はもっと負けると思っていた。あなたが驚いたということに私は驚いている。労働党が第一党になったら、イギリスはEUに戻れたかもしれないのに残念だというのである。しかしこれに対しては、何重にも反論をしなければならないと思う。今回書きたいのはそのことである。
  まず、選挙前の予想としては、次の5つの可能性があった。1.保守党の議席が半数を100以上、上回る。するとメイ首相の地位は5年間安泰で、首相の思うとおりにEU離脱の交渉ができる。2. 保守党の議席が半数を50以上、上回る。これだと、メイ首相はEU離脱交渉において、若干彼女が望むような交渉がしにくくなる。3. 保守党の議席は過半数だが、改選前とあまり変わらない場合、メイ首相の立場は危うくなり、EUとの離脱交渉がスムーズにできなくなる。4.いずれの党も過半数を確保できず、連立政権になる。この場合はEU離脱交渉が始められなくなる。5.労働党が過半数を獲得し、EU離脱の方向を大きく変える。
  選挙一か月前は、1.か2.かという問題であり、選挙直前には、2.か3.かという話であり、5.はあり得ないから、今回、4.になったというのは、予測できる最悪の(保守党から見て)結果なのである。そのことがひとつ。
  第二に、労働党はEU残留を主張していない。保守党が強硬な離脱を進めたがっているのに対し、労働党はソフトに離脱するという方針である。そのために、明確にEU残留を主張する自由民主党から、労働党は保守党とグルになって、EU離脱を進めていると批判されることになる。それで労働党としては、EU問題は前面に掲げず、福祉や教育、鉄道の国有化などの問題に絞って選挙運動を進めて来たのである。EU残留を望む人は自由民主党を支持し、そこは今回、前回よりかなり多くの票を集めたのである。しかし支持者を増やしたと言っても、第三政党であって、小選挙区制のイギリスでは、大した議席増ではないし、政局に影響を与えることはない。そういう状況で、仮に労働党が過半数を取って、党首コービンが首相になっても、イギリスはEUから離脱するのである。これは確定路線である。
  第三に、コービンは労働党内で非主流派であり、もっとはっきり言えば、問題児扱いされて来た人で、今回はメイ首相が、そのエリート臭さが嫌みとなり、イギリスのメディアの表現を使えば、余裕があり過ぎて、そのためにオウンゴールをして、それで支持を失ったのだが、その結果として相対的にコービンの人気が上がったのである。それで、今回の選挙の勝者とされたために、今後もコービンは労働党党首を続けることになる。しかし5年後の選挙で、彼を党首のままに据えて、労働党は政権奪還に向けて戦えるのか。へそ曲がりの、古典的な左翼の老人というのが、コービンの評価である。今回はむしろ惨敗して、その責任を取って、コービンを辞めさせて、5年後に向けて若い党首を育てた方が労働党のために良かったのではないかと私は思うのである。
 
  さて、それにしても、この一か月にいろいろなことが起きている。この原稿を私は、月に一回は書こう思っていたが、もっと書くべきだったと反省している。しかし逆にいろいろなことがあり過ぎて、整理できず、結局は、月に一回しか書けないということになる。
まず本当に、一か月前の予測では、今回の選挙は、「超低リスク」で、「総選挙はメイ氏の戴冠式」とまで言われたのである。具体的には、世論調査で保守党の労働党に対するリードは20ポイントもあり、保守党が下院650議席中400議席くらいは少なくとも押さえるだろう、つまり、先の可能性の1.と2.の間くらいに落ち着くだろうと言われていたのである。それがなぜこういう結果になったのか。
  まず、保守党のマニフェストに盛り込んだ高齢者介護の本人負担増が不評で、それが撤回に追い込まれた。そしてそのことを、メイ首相は反省せずに、強気の姿勢を崩さず、そのためさらに信用を落としたのである。第二に、マンチェスターとロンドンで相次いだテロも、これもメイ首相は、かつて警察官の数を削減したという事実があり、コービンに、俺がやれば警察をもっと強化するのに、という批判をされることになる。また、「強く安定したリーダーシップ」といった決まり文句を繰り返すだけのメイ首相の演説や記者団との問答は、次第に飽きられ、そして嫌われていったのである。しかし私は、そしてまたメディアも、それでもなお、保守党が過半数割れをするとは思っていなかったのである。
 
  5月4日の地方選のことも書いておこう。
  イギリスの地方選においては、このときまでは保守党が圧倒していた。我がケンブリッジの市長選挙においても、一回目の投票の順位は、保守党、自由民主党、労働党、イギリス独立党、緑の党、という順位であった。この選挙は、contingent vote、またはsupplementary voteと言い、投票用紙に有権者は、第1選好の候補と第2選好の候補と順位を付ける。自分が第1選好に投票した人が、1位か2位になれば、そのままカウントされるが、3位以下だった場合、第2選好の順位を付けた人が、1位か2位であれば、そちらがカウントされる。それで、保守党と自由民主党のふたりが一回目の選挙で残り、3位以下の候補者の票の、第2選好の順位を付けた人の票を足して、最終的に、保守党が選ばれた。フランス大統領選挙は、二週間の間隔を置いて、第一回投票で、上位2位に入った人の中から、決選投票で最終候補者を選ぶが、それとよく似たシステムで、それを一日の内にやってしまおうという方式である。
  さて、私の実感では、選挙運動においては、2位になった自由民主党の候補者の応援がすさまじかった。我が家にも何度も訪問者があり、ビラが入った。もっともこれは、我が家の前の住人が、自由民主党を支持していて、その人がまだここに住んでいると勘違いをして、多くの人が来たのかもしれず、しかしやはり、2位になるという事前の予測があったから、支持者はあともう少しで何とかなると思って、運動に熱が入ったのだろう。
  同時に、地方議員選挙もあり、私は短期間で人の名前を覚えきれず、とにかく毎日のように、私の家の郵便受けにビラが投げられているので、それらを集めて読んでいた。ここでも当選した議員の数は、保守党、自由民主党、労働党の順であった。ここでは、労働党が、はっきりと、ビラに「今、自由民主党と接戦です。ぜひ応援を」と書いていて、焦りが感じられた。保守党は余裕であった。
  この、保守党の圧勝、労働党の惨敗、自由民主党のそこそこの躍進は、予想通りであり、EU残留を強く望んでいる自由民主党が、それなりに善戦したのは、国民の間に、まだ残留派が結構多くいるということを示しているが、しかし小選挙区制のイギリス国政選挙で、第三政党はどうしたって、議員数が少なく、影響力を行使できない。結局、自由民主党は、地方で存在感を示すが、国政は、EU離脱に向けて進んでいくことになる。
  さてこの地方選で、ある程度流れが見えてしまって、国政は、ただ単にその確認をするだけのように、5月の上旬の時点では思われたのである。
  それが下旬になって、先にメイ首相のオウンゴールと書いたが、そのエリート臭さが嫌われ、そうなると、今まで左翼すぎるということで敬遠されていたコービンが、俄然輝き始める。コービンの、金持ちと貧乏人の対立をなくすという訴えは、単純で、しかしそれこそ、労働党の本領発揮と言うべきものだ。分りやすさが、情に訴えるのである。EU残留を訴える自由民主党と、離脱を進める保守党に挟まれて、存在意義をなくしていた労働党がやっと息を吹き返したという感じであった。二大政党制のはずが、今では、「大きな三つの政党」と言われており、三者どうなるかと、選挙の最後のところで面白くなって来たのである。
  そこにテロが起きる。
  このテロはしかし、十分予想できた。というのもひとつは、5月下旬からラマダン(イスラムの断食の期間)に入ったのだが、この数年、ラマダンになると世界のどこかでテロが起きている。また総選挙が近付くと、フランス大統領選挙の直前にもテロが起きていたものだから、ここイギリスでも何かしら事件が起きるのではないかと私は思っていた。このふたつの理由でテロは起こるべくして起こったのである。
  テロが起きて、労働党は、早速「テロと戦う」というメッセージを出した。私はこのテロが起きたことが、保守党の人気を下げ、労働党に優位に働いたとは思わない。しかし、即座にテロ対策に言及したコービンに対して、相変わらず余裕を示したままで、いささかワンパターンの、それもあまり熱意の伝わらない演説をするメイと、両者の差は感じられたのである。
  テロはイギリスで今年だけで3回起きている。3月22日にビッグベンの前の橋で、車と刃物を使って、5人が死亡している。5月22日には、マンチェスターで爆弾があり、22人が死亡する。6月3日に再びロンドンで車と刃物を使い、7人が死亡した。
  テロに対して、イギリスではしかし、過剰な反応はなかった。もちろんテレビでは連日犠牲者を悼む特集が組まれていたが、しかし反イスラムを訴えたり、反移民を主張するようなことはここではない。すでに以前から、移民に対しては厳しい国であり、入国審査は一層厳しくなって、実は私は6月上旬、短期間イギリスを離れたのだが、帰国の際に、空港での入国審査の厳しさは尋常ではなかった。出身国によっては、すぐに別室に連れて行かれたりしているのを、私は目撃した。しかしこれは新しいことではなく、今までもそうだったものが、強化されたに過ぎない。そしてマンチェスターのテロの実行犯は、移民ではなく、移民の息子であり、本人はマンチェスター生まれであった。それは、この問題の根深さを示している。つまり移民の受け入れを制限するだけでは物事は解決しないのであり、そのことを国民は知っている。
  だから、今回、コービンがポピュリスト的な人気を示したという訳ではなく、アメリカ大統領選のサンダースやフランス大統領選のメランションの出現のように、左翼的であることが評価されたという訳ではない。メイに情熱が感じられなかったのである。それに対して、コービンの大衆性は、感覚的に理解された。そして選挙は、理性に訴えるだけでなく、強く感情に訴えないと、勝てないということを今回の選挙は示している。
 
  さてしかし、今のところメイ首相は強気だし、保守党が第一党であることに間違いはないし、北アイルランド民主統一党という、日本のメディアにはまったく出て来ない地方政党と組めば、ぎりぎり過半数は超えるので、今後もしばらくは、イギリスの政策は現状維持で、EUとの交渉を進めるだろう。
 
  フランスの大統領選挙についても書いておく。これは5月中旬に書いたものを、6月のイギリス総選挙が終わったら、併せて発表しようと思って、取っておいたものである。
  ここでは、すでにこのシリーズで書いたが、4月23日に行われた第一回目の投票で、メランションの躍進が唯一の興味深い現象であったと思う。しかしそのほかは、予想通りの展開で、マクロンの圧勝は、誰もが予想した通りであり、そしてその結果、今後しばらくは、EUは維持されるだろう。
  さて、5月7日(日)の決選投票の翌日、私はBBC放送が長くマクロンの紹介をしていて、それを興味深いと思った。確かに彼の個人的な魅力は、勝因の大きな要素としてあったと思う。それはアメリカ大統領選挙で、ヒラリーが私の予測を超えて、個人的に嫌われていたということと好対照である。39歳の若さ、投資銀行出身で元経済相で、経済に強いという印象があり、何より、高校生の時の恩師である、25歳年上の国語教師と結婚し、その彼女がまた好印象で迎えられているということなどを挙げることができる(ちなみにアメリカ大統領も、奥さんとの年の差は24歳である。しかし、金持ちの老人が若い美女と結婚するというのは、嫌みで、そういう人物しか大統領に選べなかったアメリカ人を可哀想に思う。こちらは、既婚で、しかも子持ちの女性教師と結婚したいと思った高校生が、大人になって実際にその女性と結婚し、そしてついに大統領になった訳で、それはフランス人のために祝福しよう)。
  しかし実際には、フランスでは、反極右連携が容易にできるということが、今回の大勝の背景にあると思う。つまりルペンに勝ってもらっては困るということで、他の候補の支持者がすぐに集結したのである。そういう意味で、前に私は、『服従』という小説を取り挙げ(ウェルベック『服従』を読む -宗教とナショナリズム(7)-, 2016.1)、極右かイスラム政党か、大統領決選投票で、そのふたりの候補が残った場合、フランス国民は果たしてどちらを選ぶかということは、どちらに勝ってほしくないかという問題であって、こういうケースは将来的にはあり得ることで、さて、そうなった場合に本当にどうするのだろうと思う。小説自体は際物狙いで、嫌みではあったのだが。
  もうひとつの問題は、マクロン新大統領にとっての課題は今後の運営で、つまり彼は主要政党から出ていないから、今後どの程度、彼の下で動いてくれる人が出て来るのか、どう人集めをしていくのか、そこが問題となる。
 
  そうすると、いろいろ波乱はあったが、イギリスは着々とEUから離れ、フランスは、しばらくはドイツを支えて行く。イギリスは、英語圏のつながりを重視し、また中国との貿易を強めて行く。EUは相対的に小さくなっていくが、しかしなお、それを必要とする国々によって支えられるだろう。つまり今しばらく、大きな方針転換はなく、2016年に決定した政策が確実に先に進められることになる。
  さてこのあと、このシリーズでは、ひとつには、ウクライナについて書いてみたいと思う。と言うのも、教え子が、今ウクライナの外交官で、彼と話をして行くことになると思う。これはEUとロシアの問題である。また来月は学会があって、ウィーンに行く予定である。その際に、オーストリアのような、小国がEU内でどのような役割を果たすのかということを考えたいと思う。そして最後はやはりドイツについて取り組まねばならず、8月と9月に掛けて、ドイツに出掛けたいと思っているし、選挙もあることで、いろいろと考えることは多いだろう。
 

(2017.6.10)

(たかはしかずゆき 哲学者)
(5)へ続く
 
(pubspace-x4123,2017.06.11)