今思うこと――言葉の誤用、言葉の詐術

海老坂武

 
(1)「人命第一、テロに屈せず」この言葉が何回繰り返されたことか。しかし、二つの文句は明らかに矛盾している。命は相手の手に委ねられている。その命を助けようとすれば相手の要求に応じなければならない、すなわち「テロ」に屈しなければならない。逆に「テロ」に屈しなければ人命は失われる。その間の隙間などはありはしない。こんなことは小学生にもわかることではなかったか。新聞もテレビもこの表現を鵜呑みにして伝えるだけだった。どちらにするのか、二者択一ではないのかと、新聞記者はなぜ問いただせなかったのか。少なくとも「人命第一」は国民向け、「テロに屈せず」はアメリカ向けの二枚舌であることを指摘してよいはずだ。もちろん二枚舌が相手に通用するはずがないことをも。結果はごらんのとおりだ。
(2)ある段階から「テロに屈せず」の意味が変化した。最初は「脅迫には屈しない」、「取引はしない」の意味だったはずだ。ところが国会では、首相は二億ドルが人道支援であることを強調し始め、「テロに屈せず人道支援を続ける」と意味内容をすり替えた。「テロとの闘い」という旗印をそっと引っ込めた。相手を刺激してはいけないとやっと気がついたのだ。もう一つはカイロ演説が事件の引き金になったと批判されたためである。私が知る限りこのすり替えを追求したマスメディアはなかった。そしてこうなると、「人命第一、テロに屈せず」という表現、が矛盾するどころか、関係のない二つの文句になってくる。「人命第一」、おおいに結構。「テロに屈せず人道支援を続ける」、おおいに結構。だからどうするのだ?どうしたのだ?
(3)「テロに屈せず」というウマシカの一つ覚えを今そのまま引用したが、実を言えば、「テロ」という言葉の使用法が根本的に間違っている。そもそも今回の事件はテロなのか。これは人質をとっての脅迫であり、テロではない。脅迫に失敗しての殺人である。2月6日の参議院における決議文のタイトルは「シリアにおけるテロ行為に対する非難決議」とあるが、国会議員たちは「テロ」を何と理解しているのか。テロとは何か。例をあげればすぐわかるはずだ。フランスの「シャルリー・エブド」の事件、これがテロである。アルカーイダによる9.11事件、これがテロである。少数の人間がこれと定めた敵を有無を言わさず襲って殺す、これがテロである。今回の湯川氏、後藤氏の拘束、取引の余地のあった拘束と殺害とは、まったく事情が違う。
 さらに言うなら、テロには「屈する」も「屈さない」もないのだ。テロは脅しではなく実行そのもので、テロに対して出来ることは事前に「防ぐ」ことだけなのだ。フランスのシャルリー事件の真っ最中に「テロには屈せず」などと呑気な台詞を発した鈍がいただろうか。
 将来の姿勢を語ろうとするのなら、「テロには屈せず」ではなく、言葉を正確に使い、「テロリスト国家」、「テロリスト組織」には屈せず、と言うべきであろう。ただそのときにはそれなりの覚悟をし、戦争をする覚悟を国民に求めるべきであろう。
 シャルリー事件は、フランスがいち早く「有志連合」への参加を表明し、昨年9月「イスラム国」の支配地域を爆撃したことが最大の原因である。「今、フランスで発言すれば<テロリストにくみする>と受けとめられ、袋だたきになるだろう」と語り、それでも日本の新聞へのインタヴューに応じた歴史人類学者エマニュエル・トッドが指摘しているように(読売新聞1月12日)、フランスは戦争をしている国なのである。「私はシャルリー」というプラカードをかかげて行進したフランス人のどれだけがこのことを自覚していただろうか。
 幸いなことに、袋だたきを恐れず「<私はシャルリー>の国民的団結に反対する」と宣言する勇気ある声も上がっている。フェミニストのセシル・リュイエ。彼女はほぼこんなことも語っている。「『シャルリー』は人種差別、性差別、ホモ差別、とりわけイスラム差別の雑誌になった」。同じく『時のかさなり』の作家ナンシー・ヒューストン。事件を起こした若者について「あの子たちを見捨てたのは、私たちフランス人です」と語っている。
 ご存知だろうか。世界各国のメディア規制の動きを監視している「国境なき記者団」が発表した報道の自由度のランキング、日本は日本は2014年になんと59位、そして今年はさらに下がり61位に格下げになった。アジアの国では台湾よりも、韓国よりも下である。日本のジャーナリストは何をやっているのか。報道の自由を妨げているものと闘わないのか。
 私たちは、原発事故についても、今回の人質事件についても、真実を知らされていない。二人が囚われてからの数ヶ月、政府は何をやっていたのか。検証委員会がたちあげられたようだが、メンバーは役人ばかり。何を隠すかを相談する委員会になりかねない。真実を知らされていない国、にもかかわらず真実を知らされていると思っている国での国民的団結、国会での満場一致(幸いにして一票欠けた)、これほど危ないものがあろうか。異を唱える者にはやがて「テロにくみする」の言葉が投げかけられるかもしれない。
 (2015年2月10日)
 
(えびさかたけし 仏文学者)

(2015.02.20 著者の要請により、「オリヴィエ・トッド」を「エマニュエル・トッド」に訂正しました。[編集担当者])

(pubspace-x1611,2015.02.14)