「ラカンを通じてヘーゲルを読み、ヘーゲルを通じてラカンを読む」『他者の所有』補遺(6)

高橋一行

(5)より続く
 
 ヘーゲル『法哲学』を読んで、ヘーゲルの所有論を探っている。するとその論理は、「論理学」の、肯定判断、否定判断、無限判断で言い表され、その最後の無限判断が最も所有の論理を言い当てているということが分る。さらには、その無限判断論こそ、ヘーゲルの論理全体の根本にあるものではないかということに思い当たる。
 もうひとり、ヘーゲルの論理の根本は無限判断論であると考える思想家がいて、それがジジェクである。私は、彼は、『精神現象学』をていねいに読み込むことで、この考えに至ったのだと思っている。しかしそれだけではなく、やはりラカンの影響があり、つまり、ジジェクはラカンをヒントにヘーゲルを読み込んだのだろうと思う。そのことを確認したく、私自身もラカンを読む必要に迫られる。
しかし年を取ってから、フランス語という慣れない言語で、まったく理解できないことを延々とつぶやく思想家に取り組むのは、本当に苦痛で、絶望的でさえある。ヘーゲルを読むのと同じくらいの困難があり、しかし、お前は一体ヘーゲルを理解するのに何年掛かったのかとか、今でも本当にヘーゲルを理解しているのかという声が聞えて来そうである。
 さて、今回は勉強の中間報告で、ラカンについて、ふたつのテーマで短い論考をいくつか書く。まずはジジェクにおけるラカンの影響についてで、結論を先に言えば、ジジェクはラカンをヒントにしてヘーゲルを読解して行ったのだが、同時に、そうやって得られたヘーゲルの読解を通じて、今度はラカンを読み込んだのではないか。そのことを以下に書いておきたい。私自身は、ラカンそのものはまだ読み込めていない。ラカンについては、直感的に信用のできそうだと思われる研究書を頼りにし、しかしジジェクの方は、こちらはできるだけていねいに読み込んで、まずは書いてみたい。
 ふたつ目は、「ラカンの鬱論」である。もちろんラカンを解読することが目的ではなく、私自身が、所有論の帰結として、鬱論を展開しているので、それに資する限りでラカンを参照したいと思う。しかし、限定的に引用するにすぎないのに、それでもラカンの全体像が頭に入っていないとならないと思う。そしてそのためには、戦略的にラカンを読まないと、なかなかラカンの言うことは頭に入って来ない。
 さて、ラカンは鬱については、ほんのわずかなことしか言っていないのだが、しかしそこを手掛かりに、後期ラカンを読むことができるのではないかと思う。この戦略が成功するかどうか、しかし、人は自分の問題意識でしか、本を読むことはできず、私の問題意識はまさにここにあり、そこからラカンを攻めて行くしかない。
 
 今回はまず、ジジェクの、『もっとも崇高なヒステリー者 -ラカンと読むヘーゲル-』(2011=2016)と『イデオロギーの崇高な対象』(1989=2000)の2冊を使い、補足的に、『否定的なもののもとへの滞留 -カント、ヘーゲル、イデオロギー批判-』(1993=2006)を参照しながら、ラカンとヘーゲルの論理を追いたいと思う。最初のものは、ジジェクが、1985年に提出した博士論文を基にして、その後加筆、補正したもので、これが最も初期のジジェクの論文である。そのあとのものは、それぞれの前著の数年後に出されているが、そこに少しずつ進展が見られると思う。
 
 ジジェクの読者は、ラカンに親しんでいる人が多いだろうと思われる。または、ラカンを理解しようとして、ジジェクを読むということが多いのかもしれないが、私は、ヘーゲルを正当に評価するために、つまり、ヘーゲルほどきちんと読まれることなく、批判される哲学者はほかにいないのだが、しかしそのことに違和感を覚える人が、ヘーゲルを救うために、もっとジジェクは読まれるべきだと思う。ジジェクはその役割を正確に認識している。ジジェクが、先の本格的に自説を展開し始めた最初の論文の「序」において、ジジェクは、次のように言っている(ジジェク2011=2016)。すなわち、ヘーゲルは、汎論理主義の怪物だと思われており、主体の脱中心を強調しておきながら、絶対知に至る論理の運動の中で、そのことが消されてしまうと思われている。しかし、この汎論理主義というヘーゲル像は、ヘーゲル批評家の、(ラカン的な意味における)「現実的なもの」(注1)なのである。それはまさに、ひとつの穴、ひとつの空であって、ヘーゲルをラカンに照らして読むことによって、つまり、他者における欠如という問題意識で読むことによって、この穴の輪郭をつかむことが可能になるのである。
 
 私はここで、ジジェクの、ラカンによって捉えられたヘーゲル観を、ヘーゲルの論理に即して説明し直してみようと思う。1985年のジジェクを続ける。
しばしばヘーゲル論理学では、定立、反定立、総合という移行が問題となる。しかしそこで、定立があり、それが否定されて、反定立に至るのではない。あるのは、反定立という否定的行為そのものであり、そこから、否定をするためには、論理的に最初に定立が必要となり、そのために、実際には、事後的に、定立が措定される(2011, 第2章)。
 これが移行の論理である。反定立から総合に進む際にも、実は反定立と総合は同じものであって、しかし総合に向かいたいという気持ちが、すでに人の頭にあって、そのために、反定立から総合へと進む。実際に行われているのは、総合から反定立への遡行である。ジジェクの言い方を使えば、前提となっている当のものは事後的に常にそこにある。人がするのは遡行的確認でしかないということである。
つまり、定立、反定立、総合という3段階があるのではなく、まず反定立から定立に遡行してみたら、そこにあるのは反定立という否定だけだったということであり、またそれとは別に、総合から反定立に遡行してみたら、そこにあるのはやはり否定だけだったということである。
 ヘーゲルはまた、前進即背進という説明をしている。一般にあるものから次のカテゴリーが出て来ると、前のカテゴリーを分析して、その中に次のカテゴリーがあるのだが、しかし同時に、あとのカテゴリーを分析することで、前のカテゴリーがそこから要請されるという仕組みになっているのである。
 このことは、偶然から必然への移行についても言える。つまり、必然は根源的に偶然性に依拠していて、しかし、ある事態が現実化したときには、その現実化の過程を帰結から考える、つまり遡及的に考えれば、そこには確かに必然性があることになる。結果を出発点にして、シニフィアン(意味するもの)の遡及的運動こそを見るべきなのである(同)。
二番目は、反照の論理である。ジジェクはしばしば『精神現象学』の「力と悟性」の章を引用する。つまり、本質が現象するのだが、その本質は、見かけとしての見かけでしかない。現象という概念は、現象の奥に真理が隠されているということを予感させるのだが、しかし隠されていているものなど、何もない。超感覚的なもの、つまり隠されていると思われる本質は、現象としての現象でしかない。これは後にヘーゲルが、『大論理学』の「本質論」で展開することでもある(同)。
 そしてここからジジェクは、この現象の奥に隠されているものは、実は、主体という無なのであると持って行く。ここから、三番目の論理に向かう。主体は、対象という空と一体化する。この主体と客体の一致が、三番目の論理である(第4章)。
 これが無限判断論である。1985年の時点では、実はまだ無限判断という言葉は使われていない。しかしその概念は明確に説明されている。これはヘーゲルにおいては、ふたつの使われ方をする。ひとつは、『精神現象学』の無限判断で、「精神は骨である」、「財産は自己である」という言い方がなされる。つまり、精神と骨というまったく結び付かないものが、また財産と自己という、まったくべのカテゴリーに属する者が、ここでは唐突に結び付けられている、その事態こそ、ヘーゲルの論理を表している。それがまずひとつで、このことは1985年の時点で十分展開されている。つまり、事実上、無限判断を重視している。もうひとつは、『大論理学』で展開される無限判断で、これは、肯定判断があり、否定判断があって、そのあとに、肯定としての「否定の否定」が出て来るのだが、そこに至らない、つまり悪無限的に否定がなされている段階を、ヘーゲルは無限判断であるとしている。そしてのちのジジェクは、先の結び付かないものが無条件に結び付けられているという意味での無限判断と、この判断論の無限判断を同じものだとして、否定の否定は、否定の徹底であり、それこそが、定立、反定立、総合と言うときのトリアーデの最後の総合なのだとしている。
そういう作業を通じて、結局は、ラカンを救うことになるはずだ。ジジェクは、本人が言う通り、ラカンとともにヘーゲルを読んでいる。しかし私は、これは同時に、そのようにして読み込まれたヘーゲルとともに、ラカンを読み直して行くことに他ならないと考える。
 具体的にそのことは以下の観点に良く出ていると思う。ジジェクは1970年代のラカンに着目する。ひとつは、これは誰もが言うことなのだが、現実界への比重を高めたことと、もうひとつ、こちらの方が大事なのだが、現実界の定義が異なって来たことである。同時に、しかし、この観点は、すでに1950年代のラカンが、潜在的には持っていたものである。このことを示すために、先に、ラカンの思想をごく簡単にスケッチして置く。向井雅明を参照しつつ、まとめて行く(注2)。
 子どもが発達する段階において、内的な自我が最初から形成されているのではなく、自他の境界がはっきりしない段階があり、次第に、自らの外部に位置する他者の像に自分を同一化する。そしてその外部のイメージが、自らの身体の全体のイメージの理解を促す。かくして、子どもはそれを自分の自我の起源として、取り入れる。自我は外部のイメージを基盤にしている。このイメージを基本にした関係が、想像的なものである。
さて、子どもにとって、大人は絶対的な他者である。子どもは、その絶対的な他者の話す言葉によって、人間的な法の世界、つまり象徴界に入る。この法を保証するのが、言語としての他者である。言語は構造化されている。象徴界は、この言語によるシニフィアンの世界である。
 ここで他者が二種類存在することになる。象徴界における絶対的な他者と、想像界の他者である。前者を、ラカンは大文字の他者Autreと呼び、後者を小文字の他者autre、または対象aと呼ぶ。
ここに現実界が現れる。それは言葉によっても、イメージによっても把握できない次元である。さしあたって、このように考えておく。ラカンは、まずは、想像界と象徴界の関係で、主体と他者について、考えているのだが、次第に、現実界の重要性が増して行く。この現実界への比重が増すことと、さらには、現実界の定義が変化して行くこととが、ラカンの思想の変化の根本の問題となる。
 1960年前後から、ラカンの理論的転換が行われる(注3)。まず、対象aが、それまでは想像的他者、つまり想像界の他者を表すものであったのだが、それが、現実界と結び付けられるようになる。対象aは、対象と言われているけれども、実は対象性を持たない。対象とは、イメージや言語によって、表されるものであるが、しかし、真に対象を把握しようとすると、対象の想像的次元と象徴的次元を抽象しなければならなくなり、そうするとそこに残ったものが、対象性のない対象、つまり現実界の次元の対象になる。
 さらに1970年代のラカンは、この対象aが現実界の次元にあるという理解から、さらに進んで、対象aは、現実界の見せかけに過ぎないというところまで行く。詳しくは次回に書く。ここではその前に、次の諸概念だけ説明しておく。つまり、反復、欲動、享楽、一者と言った概念の意味を与えて置く。本当は、ここに、疎外と分離の説明が必要だが、これも次回に回す(注4)。
 反復は、フロイトの『快楽原則の彼岸』(1920)にある考えである。患者が分析家の解釈を受け付けず、自らの病状に苦しみ、そこから抜け出せない。そこでは、患者は、過去の不快な経験を反復して、分析家に抵抗する。フロイトはそこに、死の欲動を認めている。フロイトは、そこに、主体と現実界の最初の遭遇があると考え、それが主体の心的構造を決定すると考えた。
 ラカンはこの欲動概念を重視する。主体は、最初は存在が欠如したものとして生まれて来る。シニフィアンの世界では、自らの存在を産み出すことができない。そこで主体は、シニフィアンの外にある対象aと関係を結ぶ。欲動とは、このような主体と対象aの関係である。ここで反復と欲動が、共に現実界と結び付いていることに注意すべきである。
さて、主体はそもそも存在が欠如している。しかし主体は、現実界の役割を担っている対象aと関わることで、自らの存在を得ようとする。つまり対象物によって、自らの非存在を埋めようとするのである。これこそが欲動である。人はかくして、現実界からの返答として、主体化する。しかし、対象aが、実は現実界の見せかけに過ぎないのだとしたら、主体はこの欠如を埋めることができない。
 この問題意識が、後期ラカンにある。そこで、一者という概念を産み出すことになる。人が言語と遭遇し、言語的存在になることで、そこで、言語を超えた世界である現実界と遭遇する。その遭遇が残したものを、一者と言う。一者とは、人間が言語と遭遇したときに残された痕跡である。それはトラウマとして残り、反復現象の基になる。一者は反復する。それをラカンは享楽と呼ぶ。享楽とは、現実界において働く欲動の満足である。これは快楽のレベルを超えた強烈な体験である。
 「人間の欲望は他者の欲望である」というのが、ラカンの有名な公式であるが、ここで、この公式が成立するためには、他者を構築して行かねばならない。まず一者の享楽があり、そこから他者を構築して、欲望を成立させる。その他者の欲望を追求しながら、人は、生きて行く。
 
 これがジジェクだと、この間のことは、次のようにまとめられるのである。もうしばらく、1985年のジジェクを見て行く。
 ラカンは、現実的なものを象徴化過程の出発点だとしている。現実的なものは、象徴的なものに先行する、生の実質であり、それは象徴的なものによって構造化される。さらにまた、現実的なものは、象徴化過程そのもののカスであり、象徴化を免れた余剰であり、残余である。現実的なものは、象徴的なものに措定され、しかし同時に、事後的に前提されている。この論理は、先のヘーゲルのそれと同じである。
 第二の論点は、ラカンとカントを比較するとその違いが良く分かるかもしれない。カントは、物自体を、認識の不可能性としてしか提示できなかったのだが、ラカンにとって、モノは、象徴化不可能な現実的なものの核であり、外傷をもたらす出会いでありつまり、そこで人はモノと出会うのである。それこそが、ヘーゲル的な仮象と本質の弁証法的な関係である。つまり、本質=モノは、仮象の仮象として措定されている。
 第三の観点は、対立物の無媒介的な一致である。ジジェクは、ヘーゲル的な弁証法の論理は、そのまま想像界、象徴界、現実界の論理であると考えている。想像的な関係が、その論理の出発点になり、それは対立物の補完的関係である。そこで成り立っている調和的な幻想は、しかし次の段階で破壊され、全体性は、象徴的関係になる。そこでは、差異性が支配的である。対立する両項の相補的関係は、共通の欠如を持ち、そのために、その対立はそこで、象徴化されるのである。そして最後に、その対立は統一される。そこで現実界が露呈するのである。そこではいかなる媒介も不可能であるとされる。そしてこの不可能な総合によって、差異性が真に認識される。ここに至って、象徴的システムが機能し始める。
 1985年の時点における、このあたりの叙述は、相当に慎重である(ジジェク2011=2016、第4章)。のちのジジェクならば、これは無限判断であると言って、簡潔に済ませているのだが。
  
以下、1989年のジジェクを見て行こう(1989=2000)。基本的に、すでにジジェクは、自らの思想を、1985年時点で完成させており、あとはそれを繰り返すだけである。
 「ラカンのいう現実界も、現実には起こらなかったが、事物の現状を説明するために、事後にどうしても前提としなければならず、事後に構成しなければならない行為である」(1989, 第5章)。「現実界は、象徴界的なものによって、前提にされると同時に、措定されるものである」(同)。
 ここから、ジジェクの捉える現実界は、単になる観念的なものに過ぎないと、しばしば誤解されることになる。ラカンのそれは実体的なものなのにという訳だ。例えば、ベルシーは、ジジェクはラカンの現実界を空無なものと捉え、そこに、観念論的な主体を成立させていると批判する(注5)。その場合、ジジェクに対する批判は、文言そのものを見ると、それは正しい。しかし、その意味するところは間違っている。ヘーゲルが観念論で、ラカンが唯物論だという、通俗的な対立を前提にしているが、そもそもヘーゲルはそのような対立は超えている。観念論というのは、あとのカテゴリーが前のカテゴリーを含み持っているという意味であって、ヘーゲルは精神と物質を二元論的に対立させて考えてはいない。そういう理解をした上で、ジジェクは、ヘーゲル=ラカンは、主体と客体の相互作用から、そしてその相互の否定作用から、否応なしに成立してしまう主体について語っているのである。
 このことは、もう少しジジェクに即して見て行くことで、理解されるだろう。
 カントは、物自体と出会うことはできないとし、物自体を永遠に現象世界から引き離すのだが、しかし、モノはただの欠如、ただの空であるかもしれず、つまり、現象的見かけの向こうにあるのは、ただの否定的な自己関係だけかもしれない。しかしそのおかげで、現象は単なる見かけであると、それを肯定的に捉えることができるようになるのである。
 ジジェクは、ここでも『精神現象学』の次の箇所を引用する。それは、先の「力と悟性」の章なのだが、超感覚的なものは、真理の中にあるように措定された知覚されるものであるが、知覚されるものの真理は見かけであることである。従って、超感覚的なものは、見かけの見かけである」。同じ論理構造は、『大論理学』にもあり、ヘーゲル本質論の論理を示すものである。これをジジェクは次のように言う。「見かけはその背後に何かがあり、それが見え隠れするということを意味する。だが、現象的見かけの背後に隠されているのは、隠すものは何もないという事実である。隠ぺいされているのは、隠ぺいするという行為そのものが何も隠ぺいしていないということである」(同)。欺瞞は物の核心を構成している。現象の向こうにあるのは、その背後には何かなくてはならないと、主体が考えるという事実である。
 ここから、主体と客体の一致が出て来る。これで、一貫して説明ができる。つまり、こういうことだ。主体は、見かけの向こうに何か本質があると思い、そこに近付く。しかし、その努力は失敗する。見かけの向こうにあるのは、主体という無だけだからだ。主体は無であり、他者における穴であり、対象とはその無を満たしている内容である。従って、主体は対象の中にある。見かけの向こうにある無こそが主体である(同)。
さらに、これも1989年のジジェクなのだが、次のように、分かり易く説明をしている。
 対立する、あるいは矛盾する決定要因どうしの直接的一致こそが、ラカンの言う現実界を定義付けるものである。想像的関係では、対立する両者は相補的である。両者は、他方に欠けているものを補い合って、調和的全体性を作ることができる。また、象徴的関係においては、両者は差異的である。双方の契機の同一性は、他方の契機との差異の中にある。それに対して、現実的関係は、対立する二極が、直ちに、他方の極へと移行する。どちらも、それ自体が、すでに反対物になっているのである(同)。
 先の三段階から説明が可能である。つまり、ヘーゲル論理学において、有は直ちに無である。有を把握しようとすると、それはそのままで、それが無であることを示すのである。あるいは、本質は仮象の仮象であり、仮象は、本質の本質である。そして、否定の否定は、否定そのものであり、対立しているものは、無限判断的に一致するのである。
総合は定立への回帰ではなく、反定立そのものである。反定立によって作られた傷の治療であり、内実は、反定立そのものに過ぎない。総合は、否定の否定だから、これは否定の否定をどう解釈するかという問題で、否定の否定において、否定は、その破壊力を失っていない(同)。
 ここで、無限判断論が明確にされていて、異質なものの結び付きと、否定の否定による対立物の結び付きとが、同じことであると説明されることになる。しかもさらに、それが、後期ラカンが重視した、現実的なものの関係に他ならないと説明されている。
 補足的に、1993年のジジェクを読んで行くと、この無限判断を説明するのに、カントの定義との比較をすることになる。つまり、ジジェクは、カントの無限判断論を、現象的なものを超えた世界を指し示すものだと捉える。それは物自体を示唆する。しかし、ヘーゲルに言わせれば、物自体の世界とは、現象の限界付けそのものである。カントの無限判断論は、結局、カントの物自体論を説明するものであり、それは現象の世界とは切り離されていて、まさしくそこをヘーゲルが批判するのである(ジジェク1993、第3章)。
 
 最後にこのように書いてみたいと思う。ヘーゲルには長く親しんで来たが、どうにも違和感が消えずに戸惑っていて、一方ラカンについては、少々齧ってみたものの、どうにもよく理解できないという思いにあった者が、ジジェクを読むと、そのもやもやが一気に解消する。つまり、こんな風にヘーゲルを読んで構わないのだということと、同時に、こんな風にラカンを読むべきなのだということを、教えられるのである。
ジジェクはラカンよってヘーゲルを救い、ヘーゲルによってラカンを救ったのである。もちろん私は、ヘーゲル研究者の中で、ジジェクを評価する人が皆無であること、一方で、ジジェクのラカン解釈は、臨床を欠いたものだという批判が精神科医の中にあるのは知っている。
 問題は、本当はマルクスにある。つまり、ヘーゲルの事後性と反照の論理、無限判断論を商品の分析に適用し、そのことによって、ラカンに先駆けて、症状を発見したマルクスがいる。商品の価値は、商品と商品の関係にあるのに、商品に内在する特性であるかのようにして現れてしまう。その商品のフェティシズムこそがマルクスの分析したことであり、それこそが、ラカンの言う症状である。
 そしてまた、マルクスは、剰余価値理論を展開することによって、ラカンに剰余享楽の概念を与えている。ふたつの価値、すなわち使用価値と交換価値のギャップが剰余価値である。それは、主体と他者のそれぞれのシニフィアンのギャップから享楽が生まれることと同じ論理を持っている。そしてそれは、対象aとも呼ばれ、主体と客体は、無限判断論的に結び付いているのである。
 ジジェクなら、次のように言うだろう。資本家と労働者の間に、労働力という商品が交換される。それは正当で等価な交換である。しかし労働力という商品は、使用されることで、余剰の価値を産み出す。その剰余価値は資本家のものとなる。つまり資本家に搾取される。しかし正当で等価な交換と、搾取という交換は、まったく同じものである。ここで、剰余価値は、普遍的交換の残余として指示される。ここで主体は、交換不可能な残余に直面している。これはラカンの、剰余享楽としての対象aを予告するものである。
 そういう論理を展開したマルクスこそが、ここで取り挙げられねばならない。ジジェクのヘーゲル=ラカン論がもたらしたのは、そのマルクスの解明であって、一方で、ヘーゲルこそがマルクスを先取りしていたのだということ、そしてもう一方で、ラカンの学説こそ、マルクスの政治イデオロギーをラディカルに含んでいるのだということ。このことが示されている。
 晩年のラカンは、さらに過激だ。存在するものすべては、症候であると、これはジジェクのラカン解釈である。厳密に言えば、存在する諸現象に一貫性を与えているのが、この症候なのであり、それは享楽の実態であり、現実的なものの核である。シニフィアンの相互作用は、それを中心に構造化されている(1989, p.113ff.)。このラカンの辿り着いた、普遍化の理論が、次に検討されねばならない。
 

1.「現実的なもの」の意味は、このあとすぐに扱う。これがラカンのキーワードである。
2.向井雅明2016は、元々『ラカン対ラカン』という題で、1988年に、金剛出版から刊行されたものに、1970年代の後期ラカンの記述を付け足し、かつ大幅な改定をしたものである。
3.ラカンのセミネール第7巻『精神分析の倫理』を挙げて置く。1959-60の講義である。
4.以下の説明は、セミネール第8巻『転移』を使っている。1960-61の講義である。また引き続き、向井雅明の解説に全面的に拠っている。なお、次回に、1970年前後及びそれ以降のものとして、セミネール第17巻『精神分析の裏面』(1969-70)と第20巻『アンコール』(1972-73)を読んで行きたい。
5.ベルシーは、その著作の題名通りに、主として現実界を扱っており、その第4章は、「ジジェク対ラカン」となっている。本文の指摘は、そこに記されている。
 
参考文献
ベルシー, C., 『文化と現実界 -新たな文化理論のために-』高桑陽子訳、青土社、2006
フロイト, S., 「快楽原則の彼岸」『自我論集』所収、中山元訳、筑摩書房、1996 
ラカン, J., 『精神分析の倫理』(上)(下)、ミレール, J-A., 編、小出博之、鈴木國分他訳、岩波書店、2002
——  『転移』(上)(下)、ミレール, J-A., 編、小出博之、鈴木國分他訳、岩波書店、2015
向井雅明『ラカン入門』筑摩書房、2016
Žižek, S., The Sublime Object of Ideology, Verso, 1989 = 『イデオロギーの崇高な対象』鈴木晶訳、河出書房新社、2000
——   Tarrying with the Negative -Kant, Hegel, and the Critique of Ideology-, Duke University Press, 1993 = 『否定的なもののもとへの滞留 -カント、ヘーゲル、イデオロギー批判-』酒井隆史他訳、筑摩書房、2006
——-   Le Plus Sublime des Hystériques -Hegel avec Lacan-, Presses Universitaires de France, 2011 = 『もっとも崇高なヒステリー者 -ラカンと読むヘーゲル-』鈴木國分他訳、みすず書房、2016
 
(7)へ続く
 
高橋一行(たかはしかずゆき)哲学者
 
(pubspace-x3250,2016.06.13)