老いの解釈学 第5回 プラトンとアリストテレス 2024/12/28 by Ω No comments 高橋一行 プラトンとアリストテレス間に、老いを巡って意見の対立がある。そのことを岡本裕一朗が紹介している。今回はその話から始める。 岡本は、プラトンが国 Continue reading →
老いの解釈学 第4回 映画の中の認知症 2024/12/23 by Ω No comments 高橋一行 短い間奏を挟む。 先だって、「大いなる不在」という映画を見る機会があった。近浦啓監督のもと、森山未來と藤竜也が親子役で共演している。2024年 Continue reading →
老いの解釈学 第3回 マラブーの破壊的可塑性について 2024/12/18 by Ω No comments 高橋一行 老いと病は異なるカテゴリーのものとして分けて考えたいと前回書いた。しかしC. マラブーは、基本的に両者は同じものではないかと言う。老いはゆっくりと来るもので、病は急激に来 Continue reading →
老いの解釈学 第2回 ヘーゲルにおける病と老い 2024/12/10 by Ω No comments 高橋一行 老いと病を分けて考えたい。両者はもちろん重なる。老いとは、いくつもの病が発症して、それらが治癒されることなく、日々進行し、やがて死に至るものだと考えれば、老いとは病そのも Continue reading →
老いの解釈学 第1回 リヨンでレヴィナスを読む 2024/11/16 by Ω No comments 高橋一行 リヨンに滞在して、E.レヴィナスを読んでいる。老いという単語が度々出てくる。身体と他者というふたつのキーワードを通じてレヴィナスを読み直そうと思っていたのだが、身体は必然 Continue reading →
路面電車の語ること – 田村伊知朗『ドイツ路面電車ルネサンス 思想史と交通政策』に触れつつ – (政治学講義番外編) 2024/07/28 by Ω No comments 高橋一行 田村伊知朗『ドイツ路面電車ルネサンス 思想史と交通政策』(論創社、2024年7月)を読む。題名の通り、ドイツの路面電車の復活を論じたものである。触発されることがあり、この Continue reading →
政治学講義第四回 嫉妬の充満、またはリベラリズムの衰退 2024/05/15 by Ω No comments 高橋一行 この10年くらいジジェクに拘っていて、しかし専らそれはヘーゲル論理学との関わりで関心があり、そういう論文を書いてきたのだけれども、今回は政治的な問題である。   Continue reading →
身体論補遺(4) ロボットの身体 2024/01/16 by Ω No comments 高橋一行 このシリーズの最終回である。今まで身体というテーマで書き散らしてきたのだが、それらをまとめて本に Continue reading →
身体論補遺(3) 間合い 2023/12/09 by Ω No comments 高橋一行 間合いという言葉を聞くと、私は武道、特に空手と居合の稽古を今でも続けているので、それらが念頭にあ Continue reading →
政治学講義第二回 カント平和論を読む 2023/10/21 by Ω No comments 高橋一行 カントの『永遠平和のために』(以下、『平和論』)を読む。 まずカントに Continue reading →