池田龍雄さんのこと

高橋一行

   池田龍雄さんが亡くなった。先月の末日である。
   5年前の夏、入院されていた清瀬の病院に、若生のり子さんと一緒にお見舞いに伺ったことがある。私たちが病室に入ると、池田さんは起き上がって、病院内の談話室まで歩かれた。私たちはそこで話を伺ったのである。本当にお元気な姿が私の記憶に残っている。良く話をし、笑い、それから、毎日描いているのですよと言って、スケッチブックの絵を何枚か見せて下さった。それは抽象画の中に力強さとエネルギーが漲っているもので、紛れもなく、池田さんの作風であった。この歳になって、まだまだいくらでも描くことができると、ご本人が言われ、私もまたその力強さに圧倒された。その後如何お過ごしかと案じていたところに訃報を聞いた。しかし享年92歳だと伺い、確かピカソもそのくらいの年まで生きたのではなかったかと思う。画家に限らず、芸術家は多作こそがあり得べき生き方であると思う。芸術家は長生きしなければならないのである。
   「公共空間X」には、1949年から1990年までの作品30点余りが掲載されている(「池田龍雄作品集(1),(2),(3),(4), (5)」, 2015.9.29 – 2016.10.6)。池田ワールドを知るには最適である。これだけまとまって、しかも良質の画面で作品を見る機会が提供されている。これは私たちの自慢であって、他に例がないと自負している。もちろん池田さんには、このほかにも夥しい作品があり、それらについても掲載をして良いというご本人の許可を頂いているのに、ひとえにこちらの能力不足のために作業は進んでいないのだが。
   1950年代前半のルポタージュ絵画が池田龍雄の名を世に知らしめた。例えば内灘闘争を描いた「網元」が有名である。その後、大型のペン画作品がいくつかある。それらには50年代に議論された再軍備問題に対する政治意識があったと言われている。しかし私の好みで言えば、60年代に入ってからの作品が魅力的である。「百仮面シリーズ」、「楕円空間」、「玩具世界シリーズ」があり、そして夥しい「BRAHMAN」のシリーズがある。そちらの方が私は惹かれる。それらの魅力に一旦はまると、もうしばらく私たちは、池田龍雄という世界の中から抜け出せず、その目を通じて周囲の風景を見るようになる。森羅万象が池田作品のタッチで迫って来るように思う。これらのシリーズは80年代に入っても続き、また90年代になると、一層その作風は前衛的になり、様々な試みがなされる。これらの作品が「公共空間X」に掲載されている。
   60年代に入って、池田さんの作品は政治性を前面に出さなくなったかのように言われることがある。そのことに対して不満の声もあるようだけれども、それはつまらない話で、60年以降、池田さんはますます生命力溢れる作品を提供している。政治とは如何に生きるのかということであり、その生を力強く表すことこそ、芸術家の仕事であって、同時にそれは極めて政治的な営みでもある。政治性が表面に出ないだけの話だ。そして私が思うに、むしろ60年代以降の仕事にこそ、池田さんの本領発揮がされていると言うべきである。
   また60年以降に画風が変わって、使われる色彩が豊かになったということが指摘されることもある。しかし、「公共空間X」に掲載された50年代の作品を見れば分かる通り、初期の頃からその色取りは豊かである。造形力に裏打ちされたデフォルメと優れた色彩の感覚は、池田作品のすべてにある。ただそのことが60年代以降、明確に打ち出されるようになったと言うべきである。そのあたりのことについては、どうぞ、作品をご覧になって頂ければと思う。
   もっともだからと言って、ここで意図的に池田さんの政治性に触れないというのもまたおかしな話である。つまり一方で、ある時期から政治性がなくなったと言われ、しかし周囲からは常に政治的な発言が期待されていたのだと思う。だから時に政治的な発言は結構されていた。その両面に触れない訳には行かないだろう。
   要するに、私はここで池田龍雄の全体像を提示することはできない。この拙文の目的は単に、私の目から見た池田さんの仕事を紹介するだけである。というのも、池田さんには、エッセイ集もあり、交遊録もたくさんあり、理論的なことも結構言っているし、政治的な発言も実は多い。そちらに魅力を感じる人も多いだろうと思う。丸木美術館で毎年開催している「今日の反核反戦展」にも出品を続けていた。2011年に描かれた、「蝕-津波―」「壊―原発―」「萌―復興―」の3部作も評判を呼んだ。そこで初めて池田龍雄の名前を知った人もいただろう。そのことは付記しておく。多面的な活動と旺盛な発信力が池田さんの魅力であった。そのどれもが池田さんの豊かな世界を作ることに寄与していた。謹んでここにご冥福をお祈り申し上げる次第です。
 
(たかはしかずゆき 哲学者)
 
(pubspace-x8047,2020.12.21)