ここにきて妙な手ごたえー「風景の缶詰」

藤井 建男

 
   ようやく冬らしい風が吹くようになった11月末、今年も地元横浜で個展を開きました。ここの20年近く時局批評気味な作品を発表してきましたが、妙に風景に気持ちがなびき「今回は風景色々」となりました。「景色」という特別扱いされているような言葉の臭いが好きになれず、あえて「風景」としましたが、「景色ではない風景だ」としてみるとどこか文明にプロテストしているような気になってそこそこ楽しいものでした。多摩川河川敷の葦原、鉄道操車場の無数の線路‥台風19号の傷痕などですがその作品の中に「風景の缶詰」シリーズを並べました。

1945年5月の横浜大空襲で焼け落ちた京浜急行平沼橋駅

 
 
   この「風景の缶詰」シリーズは戦後60年の2005年、ノー・ウォー横浜展に出品した作品に数点加えただけものでした。市販の缶切りで開けるイワシの缶詰をふたの部分になるところを3センチほど残して切り開き、食べきったあとガスコンロに掛けて焼き、そこに石膏を流して上に空襲直後の横浜市電通り、焼け跡の風景、新たに加えた福島原発事故などをコラージュして貼り付けた単純なもの。飽きても缶詰のイワシを食べなくてはならないこと、近年は缶切りで開ける缶詰が簡単に見つからないのが苦労と言えば苦労でしょうか。
   個展は友人、知人、親戚、通りがかりの来場者でまずまずでしたが、驚いたことは多くの人が「風景の缶詰」を「いい」「面白い」と言ってくれたことでした。
   2005年当時はごく一部の人が「面白い」と励ましてくれましたが今回は見た人の全てに近い人が「いい」「面白い」と言ってくれたことが驚きでした。なぜだろうか…?14年前とさして変わらない作品なのに。この「風景の缶詰」にそれほど強いインパクトがあったとは思いませんが。

1945年5月の横浜大空襲で焼けた市電通り

 
  
   情報社会の急激な変化によって時代・社会・「便利」の情報の手際よく手にすることができるようになったようにも見えますが、それらの情報が前後・左右に繋がらず、単なる断片でしかなく、知らなくてはならないことを知りたくても浅く、コンパクトで、これが回答とばかり押し寄せて来る。しかも自分の記憶にとどまらない。そんな中で過去をアートで見せられたと言う手応え。見る人にある種の記憶の甦りと安心感があったのでは?などと思っています。

1945年5月の横浜大空襲で焼けた中区の市電通り

 
(ふじいたけお:画家)
 
(pubspace-x7573,2019.12.16)