「呼びかける」―森忠明『ハイティーン詩集』(連載1)

(1966~1968)寺山修司選

 

森忠明

 
呼びかける
 
カニンガムチェックの良く似合う それはフラッパーなジュンコよ
カルロス・モントーヤのフラメンコギターファン ケンイチロウよ
タッパウェアの中で納豆を腐らせる母よ
百貨店の旗騒ぐ領邦の碧空よ
細く堅い鎖骨を撫でながら 迷彩飛行機の離陸をみつめる踏切警手シミズさんよ
五月の砂塵を被ったクルーナー・ビング・クロスビーのジャケットよ
豊胸施術の失敗に死ぬ若妻の悲壮よ プラスチック漬け物ダルよ
湘南一休憩所のウェスタァン・トイレットよ
下着干す寮生の質朴な眉と頬骨の真摯よ
東京都立高等学校女子用便所の各々に一式十円也の生理用品を設置した帝大卒優しいアイデアマン教務主任よ
中央線沿線で一番うまいという仏蘭西料理店の六分目のウォーターよ
棲みなれた町の鉄橋をくぐる時間の感慨よ
空のように厭き 渉禽のように信じないカズエよ
蛮勇は未練がましいその横のぼくよ
凌辱されよ 凶暴せよ なんて女々しい夜半よ
スペルマよどろどろホワイトシャツを浸せよ
ハリー・アングストロームの生国アメリカ
ニューヨーク・マンハッタンの黒眼鏡の御コジキよ
――THAT YOU CAN SEE
そして未亡人サラウェイの孤独よ
駐留軍将校の次男坊ディーン・ジャンプの生毛よ
おもいがけないジェーン・マンスフィールドの母性よ
なぜジェーンの乳房に飛び込まなかったか獅子ナポレオンよ
バラストのように観念する新宿駅の人人よ
夕餉のおかずを考える電気屋のおばさんサカモト・サヨよ
私大講師の唇とそのアフタヌーン・シャドウよ
遊園地バトントワラーの鳥肌たつ腿の裏よ
田園都市線に居眠る男とスポニチよ
横断歩道のキャッツアイにすっころぶ中古三段変速の自転車のぼくよ
アフレコの下手な梨園の若者ナントカよ
愛車モーリスで去るタニカワ・シュンタロウの後頭部よ
彼の離婚原因を想像する女子高校生セツコよ
家族の食器では食えないが
ぼくの食いかけならば何でもない あゝ ぼくの友アリアケ・アキイチロよ
今日もサンスターで歯をみがく寝ぐせのついたぼくの頭よ
あんまり鮮やかだ出血よ
だぶついた制服の改札よ
あんまり鮮やかだ富士山型パンチの切り口よ
陥没する人人 ぼくよ ターミナルステーションよ
遠くの声声あかぬけゆく人人よ
目がしぶく突然の歯痛よ
ヒロイン・アンネ・ヒイロ・トモエの傍白よ 溶暗よ
見える触れたい怒れ! いじましい風景よ
押し黙る。きりりと立つ。すっぱりと近代よ
涙だ、ためらわないで! 溢れる酸っぱい風よ
ほんとうに淋しい歌流れる情愛フラワーカラー
宇宙とは嫉妬に灼い男の病名
非情ぶるだろう出前持ちシロウの童貞よ
リアルなリアルなリアルな落書きよ
縮んだ縮んだ縮んだ海こわい遠泳はるかな島
泣く泣く沈んだ父母見守ったはずのぼくよ
夢よ醒めてよいのだよ気取るぼくのキリコよ
そして静かなたそがれよ
美しい鼻すじの女よ
開き直る風呂屋の男よ
あゝ歩く歩くひとたちひとたちよ
ぼくは何を耐えようとする郷愁のぼくよ
そんなに不実ぶらないで窓の季節よアドバルーンよ
今日も愉快な鉄道モハ一〇〇〇八は
車窓の花壇と若い主婦を過ぎたところよ
そしてぼくはニッポンの若い……
 
 
●ぼくのノート 寺山修司
  森忠明くんの詩は強烈だ。この詩を街の騒音の中で、大声で読んだら、さぞかし胸の中がスッとするだろう。ぼくはこんな実感にあふれた詩がとても好きである。
  アレン・ギンズバーグがナオミというおかあさんの死に愛と恨みをこめてわめきたてた「カデッシ」という詩にも共通したところのある「そしてぼくはニッポンの若い……」は、とてもハイティーンの人が書いたとは思えないほど技巧的で、しかもハイティーンならではのエネルギーにあふれている。
  森くん。いままでの作品をまとめて、一冊の詩集にでもしてみたらどうですか?
 
(もりただあき)
 
*「呼びかける」は、はじめ「そしてぼくはニッポンの若い……」という題で発表されましたが、六八年十二月号『現代詩手帖』に転載のとき、「呼びかける」と改題されました――編集部。
 
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