任侠・やくざ映画試論

積山 諭

 
   東映が任侠・やくざ路線で世を風靡したのは昭和の高度成長期だ。それは日活青春映画と対極をなすものだった。私は戦後民主主義の明るさで観客を呼ぶ路線を突っ走った日活の対極に東映が存在したことが興味深い。いまだご壮健の吉永小百合さんも新作で健闘されておられる。各作品を観てそう思うのである。もちろん映画配給者にとってそれは商売である。監督たちはそれに従う。観客を動員した数で映画会社は覇を競い、監督や俳優に配当を払う。それは資本の原則だ。もちろん、それに反発する監督も俳優もいる。それはともかく、観客は自らの好みで劇場に通った。高倉 健も藤純子(現在は冨司純子だが)も菅原文太も各脇役たちも、そのなかで国民的俳優となった。スターも名優も観客・国民が作るものである。そういう映画史の一端を任侠・やくざ映画で考察してみようというのがこの論考である。
   先ずはマキノ雅弘というこの路線の布石を作った監督作品が後に続く監督たちの規範となったことは間違いない。高倉 健というスターを世に出したのは間違いなくマキノ雅弘監督である。晩年まで芸風を変え、他の監督に生かされ一生を終えた幸いを私は言祝ぎたい。昨夜は『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(山下耕作監督)を観た。若き高倉 健、池部 良が義兄弟で義理と人情の相克に悩みながら立ち回る。片岡千恵蔵の存在も格別。この作品に重厚さを醸し余りある。小山明子、大木 実、葉山良二の助演も好し。藤純子は、山下監督作品では『日本女侠伝 鉄火芸者』のほうが素晴らしいけれども、これはあくまで藤純子が主役。人斬り唐獅子は高倉 健の背中の唐獅子が専売特許だ。この作品で山下監督は高倉 健に集中している。それに池部 良が義兄弟を演じて見事だ。
   これらの作品の背景にあり見逃してならないのは、明治末期、大正中期、昭和初年が舞台になっていることだ。『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』は、昭和はじめの玉ノ井だ。近現代史の裏舞台の義理と人情を描く。これがマキノ以下の監督たちにも通底する原則ともいえる。マキノは、あるインタビューで、自分の映画は尽きるところ男と女だ、と述べている(『日本侠客伝―マキノ雅弘の世界』山田宏一著 ワイズ出版2007年12月29日)。それは時に浪花節ともなるが、男と女の生き方の違いを描き分けて見事であることに観客は共感するのだ。それは時に口説くもなるが、男と女の情念を執拗に描くのがマキノ節だ。マキノは早撮りの達人だった。早く安く撮る。しかし時に時間をかけてもよろしかろう。それを観たい観客がいるだろうからだ。
   今や深作欣二のあと暴力映画と化した任侠・やくざ映画の起源を検証することは無駄ではない筈だ。次は各作品を観ながら新たな発見を楽しみにしていきたい。深作が昭和37年に監督した『誇り高き挑戦』は鶴田浩二が新聞記者を演じている。『仁義なき戦い』シリーズで大ヒットする前の実にモダンな深作作品だ。鶴田、梅宮辰夫、丹波哲郎、大空真弓らの若き姿も懐かしい。これと近作の『新聞記者』を比較して論じるのも面白い筈だ。
 
(せきやまさとし)
 
(pubspace-x7553,2019.12.07)