戦後国権論として憲法を読む(第10回)本説 第五章  無理筋の「国民主権論」を語る

―――第10条における「主権者国民の不存在」による第三章全体の混乱―――(4)

 
第9回より続く。
 

西兼司

 
第3節の補 アメリカ、フランス、ドイツ憲法における「主権」、「国民」、「人権」
 
(一)アメリカ独立のインチキ・不可能な「アメリカ国民規定」 
 
日本国憲法の「国民主権」性の欠陥を論うことになっているが、外国の憲法は素晴らしいという話をしたくて論じているわけではない。具体的な憲法という事になれば、どこの国の憲法も歴史やその国の国体を反映して、それぞれにユニークなのであって、論理的なごまかしが歴然と見えることは当然ある。ここでは本論の補足という意味でアメリカ、ドイツ、フランスの憲法を確認しながら各国における「主権」、「国民」、「人権」がどのように語られているのか、語られていないのかを簡単に確認しておきたい。
 
アメリカは、独立(1776年7月4日)直後の全7条の憲法では不十分すぎて、修正条文を27条加えているが、その時期は憲法制定(1789年)後2年ののち(1791年)と南北戦争ののち(1865年、70年)と、禁酒法の時代(1919年、20年、33年)と1960年代・70年代の四つの山がある。全27条の修正条文で、著しくバランスを崩しており、完成形には程遠い憲法だという事が明白である。勿論、日本国憲法と比べて、7条プラス27条で全34条だから、はるかに簡単な憲法なのだというものではない。「条」という項目の中に「節」という項目があり、条文という印象よりは文章の連なりであって、まったく簡潔簡明なものではない。恐らくは、日本語訳をしたもので云えば、1万9千字前後にはなるものであって、日本国憲法の1万字前後と比べると凡そ倍程度の分量である。
 
アメリカ合衆国憲法には、前文でのみ、「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。」と、憲法制定主体として「合衆国人民」を存在させている。本文は、国権が立法、行政、司法、各州、議会による憲法修正、債務約定の継承などが規定され、全7条であり、それを補完する形で、修正条項が付け加えられている。特徴は、奴隷や女性は憲法的関心の対象ではあっても「先住民」は関心の対象ではないということである。先住民を連邦憲法の中に入れ込んだ瞬間に土地所有権を基盤に建国以来の収奪・虐殺が表ざたになり、アメリカ国家の正統性が根本から否定されざるを得ないから「アメリカ国民」という観念は直視できないということであろう。当然のこととして、憲法前文の「われら合衆国の人民」に先住民は入っていないし、これから先の「合衆国人民」にも「アメリカ国民」にも、先住民はアメリカ強盗国家打倒のアメリカ革命でも起こさない限り入りようがないのである。
 
私の読むところ、アメリカ合衆国憲法には「アメリカ合衆国国民」規定は存在しない。また、「主権」規定も存在しない。逆に第4条「連邦条項」や修正第11条の「合衆国の司法権の制限」などを読むと主権は州に存在することを前提としているかと思われる。アメリカの「国家主権」の国内的あいまいさと「国民規定の不在」が、GHQ草案を民生局が作成するにあたってGHQの「国民」問題意識の欠如につながった可能性は大きい。ために、アメリカでは「人民主権」というような普遍主義への方向は存在しないだけでなく、修正第14条第3節に見られるように「合衆国憲法の擁護を宣誓した後に、合衆国に対する暴動若しくは反乱に参与し、又は合衆国の敵に援助若しくは便宜を与えた者」は簡単に「文武の官職につくことはできない」規定がなされ、「国権が主権」として自立しているかのような体裁が成立する根拠になっているものと思われる。
 
(二)、敗戦責任のナチスへの転嫁と自信なき正統性・穴の開いた「主権」
 
ドイツ連邦共和国基本法(1958年基本法・2008年大幅改定)は膨大な条文(日本語訳文としておよそ5万字)として存在するが、「主権」に関する直接規定がない。その代わりに前文に、「神と人間に対するみずからの弁明責任を自覚し、統合されたヨーロッパの中で平等の権利を有する一員として、世界平和に貢献しようとする決意に満ちて、ドイツ国民は、その憲法制定権力により、この基本法を制定した。(中略)の諸ラントのドイツ人は、自由な自己決定によりドイツの統一と自由を達成した。これにより、この基本法は全ドイツ国民に適用される。」という文章が掲載されている。「自らの弁明責任」と「ヨーロッパの中で」と「ドイツ国民は、その憲法制定権力により」が際立った特徴である。
 
ただし、第116条に「ドイツ人規定」がある。それは「ドイツ国籍を有する者、または1937年12月31日現在のドイツ国の領域内に、ドイツ民族に属する亡命者もしくは難民またはその配偶者もしくは子孫として受け入れられている者をいう」であって、歴史的正当性を持つと現在のドイツ国家が考えている領土を前提としたものであって、憲法の他の条文が削除されたり大量に追加された痕跡を見れば暫定基本法に過ぎない(不磨の大典では全くない)性格から来ているものであることを示している。
 
これはドイツ憲法(正確には、ドイツ基本法)が、世界大戦の敗戦国であって、戦勝国の過酷な賠償と戦犯の追及を免れるために「戦争責任をすべてナチス運動」に転嫁し、冷戦の中で西側のショーウインドゥとして過剰な援助を受けつつ、欧州一の経済大国として「EU統合を主導」した屈折を反映した証であろう。
 
実際、第12条a(4)において、「女子は、いかなる場合にも武器をもってする役務に従事してはならない」としたり、第16条〔国籍、外国への引き渡し〕が「(1)ドイツ国籍は、剥奪してはならない。国籍の喪失は、法律の根拠に基づいてのみ、かつ、当事者の意思に反するときは、その者が無国籍とならない場合に限って認められる。」と事実上国籍の剝奪条件になっていたり、第18条 〔基本権の喪失〕が「意見表明の自由、とくに出版の自由(第5条1項)、教授の自由(第5条3項)、集会の自由(第8条)、結社の自由(第9条)、信書、郵便および電気通信の秘密(第10条)、所有権(第14条)または庇護権(第16条a)を、自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。」と体制への政治攻撃者には基本権を奪うとしていることなど、現国体への自信を持っていないことは率直にうかがえる。
 
このことは、基本法最終条文「第146条 〔基本法の有効期限〕ドイツの統一と自由の達成によって、全ドイツ国民に適用されるこの基本法は、ドイツ国民が自由な決定によって決議する憲法が施行される日に、その効力を失う。」と確認もされており、ドイツは憲法を持たない国という自覚の下の暫定基本法体制という非正統性のもとにあるのである。ドイツの考える正統憲法体制は、「ドイツ国民が自由な決定によって決議する」日以降なのであるから、一体如何なるものなのか、非常に興味深いものである。
 
それが、「主権」についても通底しており、「すべての国家権力は、国民より発する」(第20条(2))としたり、「政党は、国民の政治的意思形成に協力する。その設立は自由である」(第21条(1))としているにも拘らず、「政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指すものは、違憲である」(第21条(2))としたり、「連邦は、法律によって主権的権利を国際機関に移譲することができる」(第24条(1a))とする、主権観念=憲法を直視しえない混乱に通じているのである。結果、ドイツ基本法は日本国憲法のおよそ5倍、しかも毎年一度のペースで改正されるざま(1958年の制定以来およそ70回の改正をしたという)になっており、普通のドイツ人が自分たちの基本法として読み、理解するものからは縁遠いものになっているのである。
 
(三)、虚構の戦後史・全ては領土が保証する「理念」
 
フランス憲法(1958年憲法)は、2万6千字程度の分量があり、日本国憲法の2.5倍、ドイツ憲法のおよそ半分、アメリカ憲法より一回り分量が多いものであり、日本人の感覚から見るとすこぶる多い。内容も入れ子構造があり、憲法改正も23回以上行われており、現代ヨーロッパ史の激動(EUが出来たり、ユーロが導入されたり、隣国ドイツの統一があったり、ソ連が壊れたり)を反映して、理解・了解するだけでも相当のエネルギーが必要とされる非エリート人民にとっては縁遠いものとなっている。
 
主権を第一編としてきちんと起こしているが、内容は「共和国の言語・国旗・国歌・標語・原理」と「主権の帰属・選挙・平等参加」と「政党の任務」であって、その前の第1条「共和国の基本理念」によるナショナル・アイデンティティの高唱があって初めて理解できる形式になっている。また、1789年の「人権宣言」、1946年の憲法前文、2004年の環境憲章も前文の中に憲法の前提とすることが明記されており、平等主義や政治社会目的などが国民主権に優先するものとして、人民主権的要素を明確に残している。ただし、これは恐らくナショナル・アイデンティティと人民主権の「折衷主義」であろうと推定させるものでもあって、理念的にきれいに整理がついているものとは考えられない。
 
だから、「国民規定」は存在しないが、海外領土の人民を、理念を以てフランス人民とすること(「第73条の2」、「1946年憲法前文」)など植民地主義は憲法的には現在でも堅持されている。理念を掲げることによる「フランス人民たる要件」が実質的には生きているのであるが、これは「フランス人民」の要件以前に海外も含めて「フランスの領土」が前提として存在することを明白にしてしまう。第二次世界大戦で客観的には「フランス国」の正統政府はヴィシー政府(ペタン・フランス国主席)であったが、そのフランス国はナチスドイツと協調して延命した。それを一介の国防次官に過ぎなかったドゴールがラジオ放送で「自由フランス」を名乗り、邪魔にされながらも連合国側で戦った。結果、連合国のドイツ、イタリアに対する勝利とともにドゴールのごり押しで戦勝国としての位置を確保した訳だが、この屈折を戦後のフランスは隠ぺいした。
 
そして、戦勝国としてベトナムとアルジェリアを植民地としてそのまま保持しようとして挫折した。このヴィシー政府の時代を伏せて戦勝国入りをしたこと、戦勝国であるから植民地独立を承認しなかったことを隠ぺいしたから、領土内人民を「フランス人民理念」で誤魔化した。それが様々な国内矛盾を過剰化しているという事は云えるであろう。
 
(四)、近代建国以来の欺瞞を隠す建前・「人権」
 
アメリカ、ドイツ、フランス共に、対外関係における「主権」は明確であるが、アメリカ、ドイツは連邦国家であり、二重権力体制であるために国内関係における「主権」の所在は判然としない。当然、「国民主権」などは謳っていない。
 
また、「国民」は、アメリカは先住民の措定に失敗しており、二重国体であることとも重なりアメリカ国民を明確にすることが出来ていない。「市民権」・「公民権」と云われるものは先住民との関係を整理できていないところで暫定的に処理されている有権者の範囲規定である側面を脱していない。
 
フランスは主権を明確に語っているかのように見えて、それをはっきりと第3条1項で、「国民の主権は人民に帰属し、人民はそれを代表者を通じておよび国民投票の方法で行使する」と、「人民主権」と「代議制」と「国民投票」の三要素に矮小化している。人民主権と国民主権の関係を語るよりほかないところまで来ていながら、国民主権論を国権論としては語っていないし、国権従事者「公務員」と「主権者」の関係を発見しているわけでもない。
 
そして、「国民」は、第2条の〔共和国の言語・国旗・国歌・標語・原理〕によって抽象化され、第2条を認めたものはすべてフランス国民になれる形式をとって植民地を肯定している。
 
こうした「主権」、「国民」の規定の著しい不均衡と比べると、「人権」は過剰なくらい憲法の規定として尊重されることが共通している。人権の尊重が国権の正統性の根拠であるかのような体裁になっているのであるが、考えるまでもなくこれは偽善的な論理である。国家権力の正統性の根拠が人権の尊重であるならば、国家分立の根拠がなくなるのであり、云い方を変えれば「国家主権」という「一定空間を支配する暴力組織力割拠体制」の論理を認める理由がなくなるのだ。「人権」イデオロギーに対する検討は、第10条の検討の次に「基本的人権」問題を取り上げるところで、まじめに検討することとする。
 
「国家主権」を認めるのならば、「君主主権」か「国民主権」体制を確立し、その下での「国民」の「福祉」と「人権」を図るよりほかはないのだ。逆は成立しないのだということが、「近代人」たちは直視できていないと思われるのである。

(以上第3節まで終わり)

 
(にしけんじ)
 
(pubspace-4298,2017.08.18)