1937年公開の映画2本

積山 諭

 
 フランク・キャプラ監督の『失われた地平線』は1937年の公開である。公開時は132分の上映時間。やがて107分の短縮版が上映されたらしい。ところが1967年にはオリジナルネガが完全に損傷し完全版のフィルムも消失。それを1973年、ソニーピクチャーズとUCLA研究所が最新のデジタル技術で完全版復元に着手した。世界中に散らばったフィルムを探し出して丹念に比較検討したが7分間の映像が発見されない。その部分を俳優たちのスチール写真で構成し125分の映像と132分のサウンドトラックを復元した、と冒頭に説明されている。舞台は先の大戦が始まる前の中国。主人公はイギリスの外交官。彼は戦争が始まり戦火を避けようと空港に殺到する群衆から英・米人を優先し飛行機に乗せる任務に奔走する。冒頭のシーンは実にテンポの良いカットで映像に観る者を引きつける。
 この作品は戦争に突入する前後に米国で撮られた。舞台は中国だが中国でロケが行われたか定かでない。1937年は辺見 庸氏の近著、『1★9★3★7★』が「(戦争に)“行く皆”1937」と日本国が日中戦争の泥沼にはまりこむ前の南京陥落の戦勝に日本国中が酔い、後に軍と政府が隠蔽した大虐殺が戦後の東京裁判で暴露された象徴的な年とみなした年だ。皇軍(日本軍)が南京や中国戦線で殺戮を繰り広げていた年に米国の映画監督は中国を題材にしたこのような映画を撮影していた。一方で同じ年、ドイツではアーノルド・ファンク監督が16歳の原 節子をヒロインに日本に取材し『新しき土』というプロパガンダ作品を撮りドイツで大好評を博した。このような出来事は偶然であるより人間の歴史の中で必然と思われる。それは世界史という枠組みの中で人間たちに生じた出来事である。それを後世の人間たちは深く学ばなければならないのに未だに世界では戦争が繰り返され殺戮が止むことがない。
 この作品の内容は欧米人には不可思議で神秘的な東洋、という思い込みと想像に駆られたものだ。それはドイツ人のアーノルド・ファンクにも未開の地というイメージで日本でロケーションを行ったにもかかわらずある。それは東洋、アジア蔑視というようにも受け取られる日本人からすれば奇妙な描き方になっている。何しろ日本は火山の恐怖のもとに暮す民族として描かれているのだから。一方でキャプラにとって東洋、アジアはユートピアである。その地名はシャングリラ(桃源郷)。騒乱の中国から飛行機は上海を経由しロンドンへ戻る筈がチベットへと飛行機は誘導される。そこで遭遇する物語がこの作品のメッセージである。
 欧米社会とは異なる世界が東洋、アジアに存在し、それは欧米人が省察し考察し新たな世界に変えていくモデルとなるべき場所と人々として描かれる。戦争の悲惨もなく人びとは穏やかに長寿を保ち生きている。主人公がシャングリラを統治する賢者と対話する場面にはこの作品の強いメッセージが込められている。賢者は次のように述べる。
 「どんな人間でも一生の中で永遠をかいま見る瞬間がある、というあなたが書いた一文に私たちは感動し、あなたを誘拐し招いたのだ」、と。そして、この200年の寿命を長らえている賢人はベルギー人の神父なのだが、さらに主人公に話し続ける。「君が人生で生きていくのはせいぜい、(これから)20年か30年だ」。それに主人公は答える。「人生には生きる目的が必要です。目的がないのならば人生も無意味です」。それに神父は答えて言う。「私はかつて夢を見た。あらゆる国家が強力になる。知的にではなく、俗悪な情熱と破壊欲においてだ。兵器のパワーは増し、一人の武装兵士の力が殺しのテクニックを楽しむようになり、その風潮が世界に広まる」。
 それは、まるで現在の世界を予言しているではないか。というよりも、既に20世紀に入る前からそれは準備され明敏な人々には予測されていたことである。それは辺見氏が警告する日本の現在も南京の1937年も同じ位相で見はるかす視角が必要ということである。ペロー神父は、世界が突進している宿命から守るために世界中の美術品や文化的な遺産を収集した。人びとの熱病を止めなければ残忍さと権力欲が自らの刃で滅びなければいいが、その時のために私はこうして生き長らえている、と語りかける。「強者が互いを滅した時に人間らしい倫理が成就される。温和な人々が、この地球を受け継ぐのだ」と主人公に伝えペロー神父は息絶える。
 そのメッセージは先の戦争に対するキャプラの意志でもあろう。それは現在の我々に世界とそこに生息し生きる人類に改めて熟考を促さないだろうか?私は、このメッセージに回答し残り少ない娑婆での人生を生きるわけだ。その際の導きの糸となる思索は次のような思索に刺激され促される。
 われわれが、導きの糸として受け取られた根本命題である「現‐有の「本質」はその実存のうちにある」を今こそ改めて徹底的に思索すると、以下のことが生じる。すなわち、『有と時』の意味で考えられた「実存」が見通されるのは、問いが現‐有に向かう場合に限られるということである。そして現‐有が問われるのは「有の意味が問われるからである。(『ドイツ観念論の形而上学(シェリング)』 ハイデッガー著 創文社 p56)。この1941年にフライブルクで行われた講義の中でハイデッガーは自らの著書に加えられた批判と誤解に繰り返し回答し未完の著作で提出された問いを再認し、さらに問いと回答を提出している。それは難解だが実に生き生きと著者の思索を強く読者に伝えるではないか。その思索に私も共振し考察を続けていきたい。 (積山 諭)
  
(せきやまさとし)
 
(pubspace-x3539,2016.08.23)