安川寿之輔
1.待望の反論書の刊行―健忘症日本社会に向けて
本書は、2014年4月末以来の全マスコミを巻き込んだ『美味しんぼ』「鼻血出血描写」騒動、とりわけ安倍晋三内閣を先頭とする「風評被害」云々の誹謗的コメントにたいする、原作者・雁屋哲の(近刊『2年C組特別勉強会 福沢諭吉』[遊幻舎]の執筆を中断・先延ばししての)反論の書である。本書の発売された15年2月2日当日の新聞各紙が、一斉にその事実を報道したように(私の購読紙の見出しは、「朝日」「「美味しんぼ」鼻血描写「風評でない」「原作者が反論本」、「毎日」「鼻血問題反論本/雁屋哲さん出版」、「中日」「美味しんぼ原作者/鼻血描写で反論本」「「伝えたのは真実」」)、9か月の「沈黙」を経ての雁屋本人の反論書の出版は、待望されていた。
同じ2月初旬の「朝日新聞・天声人語」は、「忘れてはならぬことが忘れられていく」と書いて、いつも「歴史を空行く雲のように眺めている」だけの歴史健忘症症候群の日本と日本国民について、こう書いていた。「▼東日本大震災から来月で4年になる。わずかな歳月しかたたないのに「風化が堂々と進んでいる」(倉本聰「ノクターン―夜想曲」)。・・▼今も12万人の福島県民が避難先で暮らしている。なのに世の中も、喉元を過ぎたかのように関心は薄れつつあるようだ。・・」
その健忘症日本社会の現状に向けて、本書表紙オビで、いきなり雁屋はこう断言する。「何度でも言おう。「今の福島の環境なら、鼻血が出る人はいる」これは”風評”ではない。”事実”である」と。
内部被曝と低線量被曝に起因する鼻血出血と「訳のわからない疲労感」は、もともと雁屋自身と取材同行者の実際の体験であり(そのことを雁屋本人から生々しく電話で聞いた時の衝撃を、私は鮮明に記憶している)、『美味しんぼ』でも、第一原発のある双葉町の井戸川克隆(前町長)が「私も鼻血が出ます。」「疲労感が耐え難い」「同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけですよ。」と実名で証言していた。
本書ではさらに、以下の4件の事実を紹介している。①滋賀県木之本町と比べて福島県双葉町と宮城県丸森町では、「体がだるい、頭痛、めまい、目のかすみ、鼻血、吐き気、疲れやすいなどの症状」が有意に多く、「鼻血に関して両地区とも高いオッズ比を示した」という三大学の研究者合同プロジェクト班の13年9月の報告書(「オッズ比」とは二つの事物の関連性の高さを示す統計学の用語)、②「この一学期間に、保健室で気になったこと」の「一つ目は、鼻血を出す子が多かったこと」という伊達市保原小学校の「健康だより」(11年)、③チェルノブイリ周辺の「避難民の五人に一人が鼻血がでる」という(2万人を超す事故十年後までの)調査結果、④福島住民の国会証言「自分の娘をはじめとして、周囲に鼻血の症状を訴える子供が非常に多かった」(11年12月2日参院)。
くわえて雁屋は、「これ以外に、ありあまるほど否定できない真実の証言がある」と書いている。これについてはミニコミ誌『さようなら!福沢諭吉』創刊準備1号で、昨年の私の埼玉大の講義を受講した福島出身の埼大生も、5月に突然一週間鼻血出血が続いた体験を紹介した(37頁)。
雁屋は、自分たちの実体験を含め、福島の環境に身を置く人は「どうして鼻血が出るのか」の科学的な考察・究明に向かい、「X線照射で鼻血は出ない」というX線治療にかかわる医師証言や「環境省のだまし技」の論拠を批判し、三人の専門家の異なる意見も紹介しながら、郷地秀夫の証言「鼻血と放射線の関係を考えるのは難しいが、放射線が鼻血と関係がないと考える方がもっと難しい」を決定的な見解と紹介することによって、表紙オビの断言を再確認している。
2.雁屋の「福島への特別の思い」と衝撃の実体験
1963年の大学受験の夏と翌大学一年の夏に霊山町の霊山神社で世話になった雁屋は、まるで初恋物語を綴るかのような筆使いで、「人生で味わった最高の桃」の味のこと、右脚に障害があるために「私が体験した、かけがいのない思い出」、「胸にしみこむような福島弁の美しさ」についての記述を通して、「私が一方的に抱いている福島に対する(特別の)思い」を綴り、『美味しんぼ』の「日本全県味巡り」の対象から「美味しいものは最後に取っておく」思いで、福島県の取材を先送りしていたことへの「後悔」を記している。
だからこそ雁屋は、「私は自分の愛する福島が原発事故にめげず復興していっている様子を描こうと意気込んで、福島取材を始めた」のである。ところが最初に訪ねた相馬市松川浦漁港で、津波による賠償で船だけは新しくそろっているが、放射能汚染された魚介類は捕ることも売ることもできず、それが原発周辺だけでなく、(その後2014年現在でも)福島県沿岸すべてがそうなっていることを知るのである。東京電力も公表しているように、毎日80億ベクレル、毎月2000億ベクレルの汚染水が福島の海に流れ出し、第一原発の汚染水処理が「もはや手を付けられない段階にまで来てしまっている」のに、2013年のIOC総会で、オリンピックの東京招致のための演説において、安倍総理が世界に向けて「福島原発の汚染水は、0.3平方キロの範囲内で完全にブロックしている」という特大の嘘を語ったことは記憶に新しい(その汚染状況を調べるために民間団体が海水の放射線量を測定しようとすると、海上保安庁が制止する事例も紹介されている)。
「福島といえば米どころ」の福島産の米も同様である。汚染がほとんどゼロの「アイガモ栽培米」も売れない。「米作り名人」も高い放射線量で米作りを断念。「福島の土壌汚染の深刻さ」、「放射能が残る田んぼに入る恐怖」、2.5メートルをこす「恐怖のセイタカアワダチソウ」、「イノシシ天国になった田んぼ」などと、雁屋は、福島各地を「回れば回るほど、福島に来る前には予想もしなかった不安感が、・・どんどん明確な形をとって私の心の底に居座るように」なっていった。
大臣が「死の町、ゴーストタウンだ」と言って辞職を余儀なくされた町は、車も通らないのに、信号機だけが、赤、青、黄と点滅し続けており、「まさにゴーストタウン」そのものである。国の作った網の目2キロという粗い汚染マップは、「原発事故による汚染は大したことではない、と人々を安心させるために作ったのではないか」という証言などと出合うなかで雁屋は、「どうやら、福島の実情を語ることはタブーなのです」という認識を深める。
フグ料理の取材で長いつきあいの東京麻布の「凄い料理人」の野崎さんと従兄弟の岡部町長の案内で、野崎の出身地の県「中通り」古殿町の郷土料理を味わった雁屋たちは、野崎から「古殿町は汚染されていない」と聞いていたことと、実際の食材の放射線量の高さの食い違いの「まさかの事実」にうろたえた。ついで雁屋たちは、同じ岡部町長の好意で、第一原発のすぐ近くで立ち入り禁止「警戒区域」の(大変な放射線量の荒涼とした)富岡町を取材した。町役場の人の案内で、大震災時に災害対策本部だった施設を訪れ、毎時7・68、8・06マイクロシーベルトと途方もない数値に「線量がどんどん上がる「魔の視聴覚室」」に案内されたり、「何が怖かったといって、その目つき」が恐怖であった野生化した牛の群れに襲われる体験もした。
3.福島第一原発見学の実現―もっと重篤な、破滅的な事態も
2013年4月5日、岡部町長と野崎の尽力のおかげで、「一介の漫画原作者」にはありえない福島第一原発の見学が実現(町長も同行)することになり、結果として雁屋は、第5章以下で「お二人の好意・ご恩を裏切る」ことを書く羽目となる。2013年に発覚した第一原発から漏出した汚染水が、広島原爆の放出した全放射能24兆ベクレル以上の「数十兆ベクレルの放射線量」であるのに、第5章に並ぶ小見出し「命がけで仕事を続ける作業員たち」、「あまりに安易な、汚染水タンク」、「地面の底にビニールシートを敷いた(だけの)貯水槽」、ホースは特別の材質でなく普通のホースを利用と、「何もかも「応急処置」でしかない」が示唆するように、第一原発の敷地内は悲惨そのものであり、「その実状をこの目で確かめたことで、私は『美味しんぼ 福島の真実編』をどんな形でまとめるか、その決心が固まった」とのことである。
雁屋は東京大学の学生時代、物理学でも量子力学を学び、放射線については全く無学であると断りながら、取材に同行した自分たちが「どうして鼻血は出たのか」をつきとめるために、肥田舜太郎の著作以下の無数の本や情報を懸命に学習し、「環境省のだまし技」を暴き、(世界の原発推進勢力の影響の強い)「ICRP(国際放射線防護委員会)」、「権威の上にあぐらをかく怠惰な失格研究者」や「雇われ科学職人」の弁明をこえて、第6章において、研究の遅れている飲食と呼吸による内部被曝と低線量被曝のメカニズムの解明に向かった。
その過程で同書は、「「年間20ミリシーベルト以下」という謎」の小見出しで、放射線基準値「年間1ミリシーベルト」以下の法律(X線撮影を行う「放射線管理区域」は年間5.2ミリシーベルトで、飲食は禁止)が、科学的根拠のないICRPの定めを準用して、2011年12月の有識者会議で(20倍もの)「年間20ミリシーベルトの放射線量を避難区域の設定基準」とされて、実際に一四年四月から年間20ミリシーベルト以下の地域の避難指示を解除している事実を明らかにしている。つまり、日本人一般には、年間1ミリシーベルト以下の基準(X線管理区域でも飲食禁止で5.2ミリシーベルト以下)があるのに、年間20ミリシーベルト以下で避難地区指示を解除された田村市や川内村の住民は、現に子どもも妊婦もそこで生活し飲食も認められているのである(素人が考えても、この「寛大な」施策は、福島県民の憲法25条の基本的人権は、他県民の20分の1に制限・剥奪されていることを意味する)。
雁屋は、その措置に「福島の人たちはなぜ怒らないのか」と問いかけ、それを大問題にしないマスコミを責めたうえで、「福島県の人間を思い遣る心と、国の法律違反をとがめる気概を日本人は失ってしまった。日本はいつからこんな情けない国になってしまったんですか。」と結んでいる。
4.低線量被曝のメカニズム―なぜ鼻血は出るか
最後に雁屋は、二冊の翻訳書―肥田舜太郎・竹野内真理訳『人間と環境への低レベル放射能の脅威』と肥田舜太郎ほか四人訳『低線量内部被曝の脅威』と出合うことによって、「私が鼻血を出した原因」と「訳のわからない疲労感」の原因を突き止めることができた。
否定的な意見のあることも紹介しながら、「これだけ論理的に説明した議論は他にありません。」として、雁屋の紹介した低線量被曝のメカニズムは、「少量で慢性的な放射線被曝は、高線量の放射線を短時間被曝するよりその影響がより大きい(損傷は桁違いに大きい)」、「細胞膜の場合はDNAと違って、受ける被害は放射線の直接の結果ではなく、放射線の作り出す活性酸素、フリー・ラジカルによって間接的に起こる」、「低線量被曝によって赤血球が変形し、筋肉と脳からの適切な酸素と栄養を奪うことで、慢性疲労症候群、いわゆる「ぶらぶら病」が生じる」というものである。
雁屋は、さらに念押し的に後者の訳書から、アメリカの60カ所の原子炉施設ごとに、その施設から半径80キロと160キロ以内の1300郡の(1950年から1984年にわたる長期の)調査の結果、全米3000余の郡全体と対比して、原子炉施設に近い1300郡の女性の乳ガンによる死亡率が原子炉施設のない郡より高いのを統計的に示していることを紹介している。
多くの文献やデータの学習を進めながら、「2011年11月から2013年5月まで、福島を回ってこの目で見た真実、この耳で聞いた真実」の取材をふまえて雁屋は、同書を「福島の人たちよ、逃げる勇気を」という衝撃的な終章の題で結んでいる。その第7章の最初の小見出しは「原稿を書き進める中での葛藤」であり、雁屋は「野崎さんと岡部町長には深い恩義があります。」「申し訳ないのですが」と書きながら、「『美味しんぼ』の読者に真実を伝える、・・姿勢を守るしかないと、私は決心した」と記す。
あらためて雁屋は、「食べ物に含まれる放射線は何ベクレルなら安全なのか。」と問い、日本政府の基準、1キロ当たり100ベクレル、というのは論外です。ドイツ放射線防護協会は、2011年3月の「日本における放射線リスク最小化のための提言」で、「乳児、子ども、青少年に対しては、1キロ当たり4ベクレル、成人に対しては8ベクレル以上のセシウム137を含む飲食物を摂取しないこと」を推奨しているとして、「せめて、このドイツ放射線防護協会の提言くらいは、最低限守りたい」と書いて、雁屋は、野崎・岡部町長の勧めで古殿町の郷土料理を楽しんだ時の「街の検査機の限界下限値25ベクレルは受け入れがたいのです。」と言う。
『美味しんぼ』の最後に「私は一人の人間として、福島の人たちに、国と東電の補償のもとで危ない所から逃げる勇気を持ってほしいと言いたい」と書いたことが、「私の取材に協力して下さった福島の方たちを、ひどく傷つけてしまったのではないか。」とためらいながら、雁屋は、では「福島頑張れ」と書けばよかったのかと自問する。大事なのは「土地としての福島の復興」ではなく、「福島の人たちの(人間の)復興」である。
福島の人たちは、福島を逃げ出さない理由として、「福島の伝統を守りたい。伝統のある土地に愛着がある。コミュニティを守りたい」と言います。しかし「どんなに伝統があって愛着のある家であっても、その家が燃え上がって自分たちの命が危ないとなったら、逃げだすのではありませんか」、「今の福島は、その燃えている家です。・・その火とは、放射能です。放射能は、その場では熱も匂いも感じない。しかし、確実に人体を犯します。・・年間20ミリシーベルトは論外です。年間3ミリでも2ミリシーベルトでも、低線量被曝による危険はあるのです。」と書いて雁屋は、アメリカの原子炉周辺の人々の乳ガン死亡率の高さ、チェルノブイリの低線量被曝でのDNA異常、さらに別の頁で、アメリカが中東で用いた劣化ウラン弾によって、イラクばかりか、アメリカの帰還米兵たちの間にも、放射線によるDNAの損傷に起因して、少なくない数の死産や障害児の出産のある事実に言及している。
5.衝撃の提言―「福島の人たちよ、逃げる勇気を」
終章の最後の小見出し「私が最後に伝えたいこと」において雁屋は、「福島第一原発から放出された放射性物質は、広島原爆の168.5倍の量です。」その上に未収束の第一原発は「毎日、海中に80億ベクレル、空中に2億4000万ベクレルの放射性物資を放出しているのです。人間が住んでいてよい環境でしょうか。」と書き、さらに「福島第一原発は応急措置しかなされていません。いつ、もっと重篤な、破滅的な事態が起こっても不思議はない状態にあると思います。①体内被曝、②低線量被曝、そして、③福島第一原発が持つ危険性。この三つを合わせて考えて、私は福島から逃げ出した方が良いと強く思うのです。」と結論づけている。
「逃げ出しても、行く先がない。行った先で職業がない」という切実な声に対して雁屋は、「それは、福島の人たちが負う責任ではありません。」「福島の人たちは、東電と国に、自分たち(の生活)を守るための要求をするべきです。」と書き、「福島の人たちよ、どうか声を上げてください。自分たちの命をまもるために、声をあげてください。・・皆さんが声を上げれば、日本中の人たちが、かならず、福島の人たちのために立ち上がります。」と呼びかけている。
福島にいる限り、人は大地、建物、植物、大気の放射線微粒子からの被曝を逃れられないとして、雁屋は「福島の人たちよ、福島から逃げる勇気をもってください。・・自分を守るのは自分だけです。福島から逃げる勇気を持ってください。」と繰り返し書いて、同書を結んでいる。
6.終わりに―蛇足
恋心にも近い特別の思いをもつ福島の「応援団として意気込んで福島にやってきた」雁屋が、「汚染地に残れば被曝により、身体が傷つく」「避難すれば生活や家庭が崩壊し、心が潰れる」として、「去るも地獄、残るも地獄」と小出裕章も(講演レジュメで)いう「苦しい選択」を迫られている福島の人たちに対して、本書を執筆した結論として、あえて「福島の人たちよ、逃げる勇気を」と提言するにいたった雁屋の葛藤・苦悩・苦衷は、想像をこえる。
本書を(日本滞在中の)逗子の自宅で書き上げて12月中旬にオーストラリア・シドニーの自宅に戻った雁屋は、その苦衷を私宛のメールで「「鼻血本」は、その内容も辛いもので、こんなに書くことが辛いと思ったことはありません、おかげで、心身共に疲労し尽くし、シドニーに戻ってきてから五日間ベッドの中で過ごしました。」と伝えてきた。
雁屋は学生時代、物理学を学びながら放射線については全く無学であったと断りながら、自ら(取材班一同)の鼻血出血と慢性疲労症候群体験にこだわりながら、いつもの雁屋流の取材スタイルを貫き、2011年11月から13年5月まで、食をめぐる「福島の真実」の徹底した事実探求の取材を進め、他方で研究の遅れている体内被曝、低線量被曝についての数少ない文献の徹底した探索も進め、結局、「福島の人たちよ、逃げる勇気を」の提言を導き出すことになった。
私自身は、雁屋と違い文系の研究者の上に、高校時代は「物理」コンプレックスを筆頭に理系教科は苦手の青年でした(近著『福沢諭吉の教育論と女性論』[高文研]40頁で指摘したように、不思議なことに、その安川の福沢諭吉研究を早くから珍しく推奨・評価する者に理系の人間が多いという興味ある事実は、存在する)。だから、本書について、その内容を正しく評価するまでの自信や能力はない(雁屋と私を結ぶ共通のフィールドとなっている福沢諭吉研究についてならば、半世紀に及ぶ研究実績をふまえて、例えば本書に次いで刊行される雁屋の福沢研究―『2年C組特別勉強会 福沢諭吉』[遊幻舎]に対してならば、正しく評価しコメントできる100%の自信がある)。
だから正直にいって、最初は「福島の人たちよ、逃げる勇気を」という雁屋の提言に「ドキリ」とした。しかし、素人ながらに再読を重ねて、本書の事実の解明過程と文献資料に基づく「なぜ鼻血がでるか」についての論理的な究明の過程を十分納得できたので、私はあえて、本書が『美味しんぼ 福島の真実編』の見事な増補版となっていると評価し、「福島の人たちよ、逃げる勇気を」という、雁屋の重い思いの提言を、積極的に支持することを表明する。
こんな生意気なことを書いたのには、ちょっぴりひそかな「自慢」もあってのことである。本書において、「怠惰な失格研究者」や「雇われ科学職人」ではなく、雁屋が本書の結論を引き出すうえで依拠することの出来た数少ない信頼できる研究者として名前を出している松井英介さん(岐阜環境医学研究所所長)は私の福沢研究書を直接入手いただいている読者であり、ミニコミ誌『さようなら!福沢諭吉』創刊準備1号の42頁に記載したインターネット報道メディアIWJ社の記念イベント「饗宴Ⅴ」で顔を合わせた(3月末に京都大学を助教で定年を迎える)小出裕章さんと西尾正道さん(国立病院機構北海道がんセンター名誉院長)は、ひきつづきこのミニコミ誌を届ける関係になっている(逆に言うと、本誌のこの拙い紹介文を、この三人の専門家の目にさらさなければならない)。
最後の「あとがき」において雁屋は、「電力会社、大企業、学者、マスコミ、政治家という、原子力産業の利権に群がる」人々を、世間は「原子力村」と呼んでいると書きながら、「「村」という、日本人にとっては懐かしい言葉」を使うのは「「村」を汚す行為」だとして、雁屋は彼らを「原子力村」とは呼ばず、「「ゲ集団」と呼ぶことにしました。「ゲ集団」の「ゲ」は「原子力産業利権集団」の「ゲ」です。」と書いている。
私は、雁屋が私よりはるかに気性が激しく、それでいて結構「やんちゃ」坊主の一面を残している老青年と認識しているので、「原子力産業利権集団」を簡略化した「ゲ集団」という説明は彼の本心ではなく、彼ら利権集団こそ「下劣」「下卑」「下品」「下下」「下等」「外道」な「下種・下衆・下司」的野郎たちダ、という確信的な思いをこめて、「ゲ」集団という表現を思いついたと推測している。
備考:本稿は、安川寿之輔さんが発行しているミニコミ誌『さようなら!福沢諭吉』創刊準備2号に掲載された論考を安川さんの了解を得て転載したものである。なお、安川さんが発行する無償提供のミニコミ誌を希望される方は、「公共空間X」の「窓口」によりお問い合わせください。
(やすかわじゅのすけ 近代日本思想史研究家)
(pubspace-x1925,2015.04.29)