我々にとっての「柔弱」の意味

西兼司

 
一、『老子』のイメージ
 今、手元に、講談社学術文庫(平成9年)・金谷治(1988年)訳註『老子』と岩波文庫(2008年)・蜂屋邦夫訳注『老子』の二冊がある。金谷版も凡例で、「底本は王弼(おうひつ)本を用い、適宜、馬王堆帛書(まおうたいはくしょ)、河上公(かじょうこう)本、傅奕(ふえき)本などで改めた」とあるが、蜂屋版が2008年と新しく、楚簡(郭店楚墓竹簡、上海博物館戦国楚簡のこと)、帛書(上記、馬王堆漢墓帛書のこと)も参照し、対校資料として金谷版に加えて厳遵(げんじゅん)本、想爾注(そうじちゅう)本、成玄英(せいげんえい)本、范応元(はんおうげん)本なども使用していると書いてあるので、今回の話は基本的に蜂屋版を引用しながら行う。
 『老子』は『老子道徳経』(「道可道、非常道。」という言葉から始まる「道」編と、「上徳不徳、是以有徳。」という言葉から始まる「徳」編の上下編成に分けて理解するのが主流だった)とも呼ばれる「道教の経典」である。全81章。『論語』などと比べるとずっと短い経典である。同じ、道教の経典と言っても『荘子』の文体、文章の難しさとは比べ物にならない。論語と同じくらいの難しさで、論語より短い政治イデオロギー論集である。
 紀元前5世紀を中心とした200年から300年間を、現在まで生きて繋がっている人類の意識的思想群の基本パターンがユーラシア大陸で一斉に生まれた時代と言う意味で、「宗教革命の時代」と言うが道教も其の一つで、同時代的には「道家」と称されていた。中国思想の中心と成る孔子思想を中心としたグループが「儒家」、墨子思想を中心としたグループが「墨家」、法令による統制システムを標榜するグループが「法家」、政治的スタイルで軍事を標榜するグループが「兵家」などという具合で、十ほどの思想潮流が乱世を終わらせるイデオロギー闘争を実践しており、中国史の中では「諸子百家の時代」とも言われる。後に儒家も「儒教」を形成することになるが、当時はイデオロギーの優劣を争っており、呪術的色彩は感じられるものの「道家」も含めて独自の儀式・典礼による「宗教」的色彩は薄かった。ただ、言葉の本来の意味に従うところの、人間の「宗とすべき教え」、即ち、「価値感覚分別の大本を与える教義群」としては「宗教」と呼ぶにふさわしいものとして、現在まで連綿として継承されてきたのである。
 儒家や道家の説明の全体は長くなるので、金谷版の解説からの引用でイメージを持ってもらいたい。
 「彼ら(孔子と老子)の時代は春秋末期から戦国時代の中期と言う歴史の大変動期であって、上は諸侯のような権力者から下は農民に及ぶまで、うちつづく戦乱とそれにともなう不安にかきたてられて、安らぐ時もないありさまであった。この世界はいったいどうなるのか、安定した社会のなかで人びとが幸福に暮らせるようになるのにはどうすればよいのか、それが思想家たちの重要な課題であった。そして、孔孟の儒家のほうでは、高い道義的な理想をかかげて人びとをそれに向わせ、社会的な秩序をそれによって確立して、安定した世界を築こうとした。しかし、老荘の道家のほうでは、そうしたあるべき人間の姿の追求よりは、あるがままの本来の自然な人間にたちかえることによって、世界の争乱は静まり、人びとの安定した暮らしが復活すると考えた。
 そこで、儒家の思想が政治や社会に向って強く真っ直ぐに進んだのに対して、道家の思想では、むしろ人間の本来的なあり方を追求し、その自然性を訴えることに主力がそそがれた。儒家の側でももちろん個人の人格が問題にされるが、それはあくまでも社会的人間としての人格であった。
 道家の側でも、とくに老子において政治的な主張が多いが、それは要するに「無為自然」という政治の否定にも連なるような主張であった。道家の人びとは、人間の本来性を追求して、儒家のようにそれを社会的道義性のわくの中だけで考えているのはだめだと考え、それを広い自然世界の中に解放してとらえようとした。人間は人間の仲間どうしで暮らしているだけではない。その背後には大きな自然のひろがりがある。そして、人間もまたその自然世界の万物のなかの一つだということに目覚めると、社会的人間としてのわくでしか考えようとしない儒家思想の限界が明白になる。それが道家の人びとの立場であった。」(講談社学術文庫247から248ページ)
 金谷治はそれをもう一度「道家の人びとの思想は、それを自然思想という言葉でまとめるのがよかろうと、私は思っている」と念を押しているが、諸子百家の中の道家に限れば、そうした側面(自然主義的な強烈な政治思想)は色濃いであろう。
 
二、特別な重みのある具体的な「物」
 この『老子』全81章のなかに出てくる思想表現の為の手懸りとする話題は、圧倒的に抽象的な観念が多い。「道」「名」(第一章)、「美醜」「善不善」(第二章)、「賢」「欲」(第三章)、「空の器」「万物の宗」(第四章)、「天地不仁」「聖人不仁」(第五章)、「天地長久」(第七章)、「持而盈之」「金玉満堂」(第九章)、「五色令人目盲」「五音令人耳聾」「五味令人口爽」(第十二章)、「寵辱若驚」(第十三章)、「視之不見」「聴之不聞」(第十四章)、「古之善為士」(第十五章)、「致虚極」(第十六章)、「太上」(第十七章)、「大道廃有仁義」(第十八章)、「絶聖棄智」(第十九章)、「絶学無憂」(第二十章)などである。しかし、いくつか例外的に具体的なものを持って、思想を表現する事例として使っている「物」がある。
 「玄牝の門」(第六章)と「水」(第八章)と「轂(こしき)」(第十一章)と「柔弱」(第三十六章)である。
 第六章は読み下し「谷神は死せず、是を玄牝と謂う。玄牝の門、是を天地の根と謂う。綿綿として存するが若く、之を用いて勤ず(尽きず)。」で全文である。
 「玄牝の門」とは女性器のことである。加藤常賢の『老子原義の研究』(1966年)は、老子の核心をここに見ている。異端的な解釈として扱われてきたが、アナトリアのメドゥーサや崑崙の西王母やイザナミにも通じる密林のシャーマニズムの到達点として道教思想を見るときには、避けて通れない観点である。理想郷としての「桃源郷」もこの観点から出てくるのであって、「元始女性は太陽であった」と言うようなアマテラス系(一度男神に屈服してからの、美しく明るいという男神から見ての理想像)の〈世界を照らす存在〉に過ぎない太陽信仰ではなく、根源そのものである玄妙、混沌の彼方である。
 「水」は第八章では読み下しで、「上善は水の若し(如し)。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し(近し)。
 居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与る(交わる)は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。
 それ唯だ争わず、故にとが無し。」と語られている。
 他に「窪めば即ち(水が)満ち」(第二十二章)、「道が世の中にあるありさまを喩えていえば、いわば川や谷の水が大河や大海にそそぐようなもので(万物は道に帰着するので)ある。」(第三十二章)、「大道は、あふれ出た水のように、左にも右にも行きわたる。」(第三十四章)、「いにしえよりこのかた、一を得たものは、天は一を得て清らかに、地は一を得て安らかに、神は一を得て霊妙に、谷は一を得て水が満ち、万物は一を得て生まれ、王侯は一を得て天下の長となった。」(第三十九章)、「世の中でもっとも柔らかいもの(水)が、世の中でもっとも堅いものを突き動かす。形の無いものが、すき間のないところに入っていく。」(第四十三章)などと語られているが、八章と並んで中心となるのは六十一章、六十六章、七十八章である。全九章で扱われている。
 六十一章は「大国は下流に位置するべきもの。天下の流れが交わるところであり、天下の女性的なるものである。女性は、いつでも静かであることによって男性に勝つ。そもそも静かであることによってへりくだるからである。
 だから、大国が小国にへりくだれば小国の帰順が得られるし、小国が大国にへりくだれば大国に受け入れてもらえる。だから、へりくだることによって帰順を得られるものもあり、へりくだることによって容認を得られるものもある。
 大国は小国の人々を併せて養おうとするだけであり、小国は大国の傘下に入って大国に仕えようとするだけである。
 いったい、両者がそれぞれ望むことを実現しようとするならば、大きいものの方がへりくだるのがよろしい。」(訳文)と言うものである。下流として、水の集まるところが想定されている。
 六十六章は「大河や大海が幾百もの河川の王者でありうるのは、それらが十分に低い位置にあるからである。だから幾百もの河川の王者でありうるのだ。
 そういうわけで聖人は、人民の上に立とうと思うなら、かならず謙虚な言葉でへりくだり、人民の先に立とうと思うなら、かならず我が身のことを後にするのだ。
 そういうわけで聖人は、人民の上にいても人民は重いとは思わず、人民の前にいても人民は障害とは思わない。
 そういうわけで、世の中の人々は喜んで彼を推戴して、いやだとは思わないのだ。そもそも誰とも争わないから、世の中の人々は彼と争うことが出来ないのだ。」(訳文)と言うものである。最も低いところが水(人)の集まるところとして、王者の前提にして態様だと言っている訳である。
 七十八章は柔弱のところで触れる。
 第十一章の「轂(こしき)」は、要するに車輪のスポークの中心で車軸を通す空間である。
 「三十本の輻(や)が一つの轂を共にする。その空虚なところにこそ、車としての働きがある。埴(ねんど)をこねて器をつくる。その空虚なところにこそ、器としての働きがある。戸や窓をうがって部屋をつくる。その空虚なところにこそ、部屋としての働きがある。
 だから、形あるものが便利に使われるのは、空虚なところがその働きをするからだ。」(訳文)と言うものである。たまたま、「器」の例が使われているが、日本では好く「器」と「用」として使われる例が、ここでは「器」にあたるものとして「車」、「器」、「部屋」として例示され、「用」に当るものが「空虚」(原文では「無」)とされているわけである。轂(こしき)関連の例はここだけである。
 
三、「柔弱」の話
 さて「柔弱」である。「柔弱」は「柔弱」として、三箇所、第三十六章、第七十六章、第七十八章で語られ、「柔」として第十章、第四十三章、第五十二章、「雌」として第二十八章、「弱」として第四十章、「赤子」として第五十五章で語られている。第十章は「嬰児」の例でもある。81章中の全九章で出てくる具体例である。「柔弱」という言葉(訳)は「水」と並んで、『老子』の中でのキーワードであると言ってよい。
 直接は「柔弱」は、当然のこととして「柔らかくて、弱いもの」である。生まれたばかりの「嬰児」や普通の意味での「赤ちゃん」をいうものと考えてよい。赤ちゃんとして具体的にイメージして欲しい物である。拡大されて「弱い者」、「女」(女性とはあえて言わない。本性論が重なってくるので複雑になる)、「水」、「繊細さ」まで含意してくるのである。実際の使用例ではイメージを使用しながら文脈で意味するものが違ってくる。
 第三十六章は訳文で「縮めてやろうとするならば、かならずしばらく拡張してやれ。弱めてやろうとするならば、かならずしばらく強めてやれ。廃してやろうとするならば、かならずしばらく挙げてやれ。奪ってやろうとするならば、かならずしばらく予えて(与えて)やれ。
 これを奥深い明知という。柔弱なるものは剛強なるものに勝つ。
 魚は淵から離れてはいけないが、国の鋭い切れ味の統治法も人民に示してはいけない。」と言うものである。全体の『老子』を読んでいるとやや違和感のある功利主義的な「柔弱」論であるので、「竹簡」特有の保存事情によって最古型が伝えられていない可能性はある。
 竹簡は竹の茎の部分を縦長さ(短いもので20センチほどから、長いもので60センチほど)に切り、それを鉈のような物で0.1センチメートルほどの厚さで割って作っていくものである。したがって幅は、竹の茎の部分の厚さに規定され大きくても1センチメートルぐらいにしかならない。例えば天地30センチ、幅6ミリ(から1センチほど)、厚さ1ミリの竹簡が一本の竹から大量に作られ、それに次々と文章が書かれ、それがおそらくは麻の糸を綴じ紐として一行ごとに横に編まれ、巻物のようにして包まれ外側が麻縄かワラ縄、皮紐で一巻ごとに縛られて保存、移動させられたものである。研究者も日本で見られる紙の巻物とほとんど厚さ大きさは変わらなかっただろうとしている。ただし、綴じ紐としての麻糸が弱いのが共通した弱点で、一行ごとの組み合わせがバラバラになりやすいという欠点を持っており、長期保存上の欠陥はそこにある。(『諸子百家〈再発見〉』浅野裕一・湯浅邦弘編、第二章「諸子百家の時代の文字と書物」福田哲之)
 実際、「廃してやろうとするならば、かならずしばらく挙げてやれ」という部分は、読み下し文(魏の王弼注本である『道徳真経註』が底本として使われている)では「之を廃せんと将欲せば、必ず固く之を興せ。」とあるが、「廃」と「興」の字が(魏よりも古い漢の時代の)帛書では「去」と「与」であるとされている。意味の共通(「廃」と「去」)や形の近さ(「興」と「与(正確には與)」)が訳の理由にされているが、研究の進み方で理解が変わる可能性は大きいと思われる。
 第七十六章はそのようなことはない。読み下しで示し、中に判り難い部分だけ訳文で補足する。
 「人の生くるや柔弱(柔らかくてしなやか)、其の死するや堅強(堅くてこわばっている)。万物草木の生くるや柔脆(じゅうぜい)(草や木など一切のものは生きている時は柔らかくてみずみずしいが)、其の死するや枯稿(枯れて堅くなる)。
 故に、堅強なる者は死の徒、柔弱なる者は生の徒。
 是を以って、兵強からば即ち勝たず、木強からば即ち共さる(木は堅ければ伐られて使われる)。強大は下に処り、柔弱は上に処る(強くて大きなものは下位になり、柔らかくてしなやかなものは上位になる)。」と言っている。
 この章は「兵強からば即ち勝たず」の解釈が難しいが、全体として抑制を説いているものと理解すれば、この感覚は現代の我々にもある種の常識として受け継がれているものである。
 第七十八章は「水」と「柔弱」の両方に掛かる章である。書き下しに必要に応じて訳文を添える。
 「天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強を攻むる者、之によく勝る莫きは(しかし堅くて強いものを攻めるには水に勝るものはない)、其の以って之を易うる無きを以ってなり(水本来の性質を変えるものなどないからである)。
 弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざる莫くして、よく行う莫し(世の中の誰もが知っているが、行えるものはいない)。
 是を以って聖人云く、「国の垢を受く(国中の汚濁を自分の身にひきうける)、是を社稷の主と謂う(それを国家の君主という)。国の不祥を受く(国中の災厄を自分の身にひきうける)、是を天下の王と謂う(それを天下の王者という)」と。正言は反するが若し(正しい言葉は、常識に反しているようだ)。」と言うものである。
 意味としての「柔弱」の具体的態様は「水」状態に勝るものはない、「水」の強さは常識だが、誰も使えないのは「水」の性質を変えられないからである。「柔弱」の「剛強」に勝つのは常識だが、実際に行えるものはいない。そこで聖人は国中の汚濁を引き受ければ良いんだよ、災厄を全部引き受ければ良いんだよ、と言った。それでこそ、人の上に立つ者といえる。正しいことは、常識的感覚とは少し違う印象ですね。と謂った感じであろうか。
 これも人の上に立つ者の心構えとして、現代にも継承されている「家庭教育」の精神であろう。老子らしい言である。
 
四、「柔弱」の適例
 ただ、こうした述語として確実に出ている例よりも、「柔」「嬰児」としての十章、「赤子」としての五十五章の方が「柔弱」に相応しい例だと思われるのでそちらをも引用しておく。
 まず、十章からである。
 「営魄を載せ抱一させ、よく離すこと無からん乎(心と身体をしっかり持って合一させ、分離させないままでいられるか)。気を専らにし柔を致して、よく嬰児たらん乎(精気を散らさないように集中させ、柔軟さを保ち、赤子のような状態のままでいられるか)。玄覧を浟除(てきじょ)して、よく疵(し)無からん乎(玄妙な心の鏡を洗い清めて、傷をつけないままでいられるか)。民を愛し国を治めて、よく知を以ってすること無からん乎(人民を愛し国を治めるのに、知恵によらないままでいられるか)。天門の開闔(かいこう)して、よく雌為らん乎(目や耳などの感覚器官が活動するとき、女性のように静かで安らかなままでいられるか)。明白に四達して、よく知を以ってすること無からん乎(あらゆる物事についてはっきり分かっていながら、知恵を働かさないままでいられるか)。
 之を生じ之を畜ない、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず(万物を生み出し、養い、生育しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない)。是を玄徳と謂う(これを奥深い徳というのだ)。」と言うのが第十章である。
 これが典型的な老子の言である。
 五十五章は以下のごとくである。
 「徳を含むことの厚き者は、赤子に比ぶ(豊かに徳をそなえている人は、赤ん坊にたとえられる)。
 蜂蠆虺蛇(ほうたいきだ)も螫(さ)さず、猛獣も拠(おさ)えず、攫鳥(かくちょう)も摶(う)たず(赤ん坊は、蜂やさそり、まむし、蛇も刺したり咬んだりせず、猛獣も襲いかからず、猛禽もつかみかからない)。骨弱く筋柔らかくして握ること固し(しっかりと拳を握っている)。未だ牝牡の合を知らずして而も全作つは、精の至りなり(男女の交わりを知らないのに、性器が立っているのは、精気が充足しているからである)。終日泣いて而も嗄れざるは、和の至りなり(一日中泣きさけんでも声がかれないのは、和気が充足しているからである)。
 和を知るを常と曰い、常を知るを明と曰う(和の状態を心得ていることを恒常的なあり方といい、恒常的なあり方を知ることを明知と言う)。生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う(生きることに執着(しゅうじゃく)することを妖祥(わざわい)といい、欲の心が気持ちを活動させることを頑張りという)。
 物は壮んならば即ち老ゆ、之を不道と謂う(ものごとは勢いが盛んになれば衰えに向うのであり、このことを、道にかなっていない、というのだ)。不道は早く已む(道にかなっていなければ早く滅びる)。」と謂うのである。
 過剰なほど、柔弱と徳を連動させ、「和」と言う観念を媒介することで、普遍法則としての不道を戒めているのである。論の進め方に納得するかどうかは別として、これも老子の論に相応しい。
 
五、我々にとっての「柔弱」
 ざっと、『老子』の中で「柔弱」がどう扱われているかを見てきたが、「水」と同じく具体例としては最重要視されていることが分かったであろう。道家思想展開のためには欠かせない概念なのである。その「柔弱」を我々はどの様に受け止めればよいのであろうか。私はそれを三階層で受け止めるべきだといっておきたい。
 まず、もっとも基本的なところでは、「柔弱」そのものを大切なものとして受け止めることである。繰り返しになるが、「柔らかくて、弱いもの」は「嬰児」であり「赤ちゃん」である。「柔弱」「柔脆」(じゅうぜい)は「柔らかくて、しなやか」であり、「柔らかくて、みずみずしい」から「生のなかま」なのである。「柔弱」は「水」に象徴され、「弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは」天下の常識であるが、ただ、実践するのは「国の垢を受」くこと、「国の不祥を受」くことだから難しい、「社稷主」、「天下王」の仕事だからね。だから大切なのだ、という事はいくら強調されてもよいことである。
 そうしたものとして、「弱い者」、「女」、「しなやかな若い女の肌」(第七十八章)、「厚徳」、「玄徳」、「其の雄を知りて、其の雌を守らば、天下の谿と為る。天下の谿と為らば、常徳離れず、嬰児に復帰す」(第二十八章)、「天下の至柔は、天下の至堅を馳騁(ちてい)し、無有は無間に入る。/吾れ、是を以って、無為の益有るを知る。不言の教え、無為の益は、天下、之に及ぶもの希なり」(第四十三章)、「天下の牝」(第六十一章)、「水」、「繊細さ」まで含意してくるのである。これらは皆、権力(衡平を図る力)が調整しなければならない「政治」が、因って立たなければならない課題として政治の対象である。ただ、当然のことながら実践的課題として現在の人類史まで残されている政治思想なのであって、実践そのものが難しい。
 難しいことを承知で大切なものを見失わないために、欠落させてはならない観点だと確信したから我々は「柔弱」を直視していこうとしているのだ、と言って良いだろう。「目的」と「手段」という分類方法があるが、「柔弱」は言論活動の「目的」に係る大義なのだ。「柔らかくて、弱いもの」のことを語らない論の分野は当然あるが、それは「事実」であったり、「作戦」であったり、「利益」であったり、「娯楽」であったり、いずれも開かれた空間で論じられなければならないものではない。裁判、軍事、企業活動、学術・技術・芸術活動のことである。特権的な閉鎖空間で確認する必要のある議論であって、「公」を「共」にするために必要な「論」ではない。
 「柔弱」は天下の主題、「天下王」の課題、だということである。
 第二階層では、我々の規約との関係での確認である。
 我々が準備している文芸結社の「規約」によれば、我々はその規約四条の3項で、我々は「柔弱を尊重し、虚心な相互討論を目指す」と確認しようとしている。第二の話は「柔弱を尊重」するといった場合には、どういう事態が現出するのか、ということである。
 「柔弱を尊重」するということは、自覚的にこれを行うということである。客観として、「柔弱」を見つめる、他者の「柔弱」を尊重する、ということである。「無為自然」そのものではなく、むしろ「作為」をもって、「柔弱」に対しては「不作為」は犯さないと謂うことである。『老子』から一歩距離を置くことを決意しているということでもある。
 我々は「公」を「共」に作ろうとしているのであって、金谷治の説明を借りれば、「高い道義的な理想をかかげて人びとをそれに向わせ、社会的な秩序をそれによって確立して、安定した世界を築こうとした」儒家的発想を否定しないのである。
 儒家的発想を否定しないことで、我々は「開かれた空間で論じられなければならないものではない」議論をもまじめに行っていくことができるのだ。「作為」的な提案、言論の「手段」にかかる発言、それそのものが「公」ではなくとも作って行く上で意味があるかもしれない「学術・技術・芸術」活動などである。
 したがって、第三に指摘しておかなければならないことは四条3項後段に係る話である。「虚心な相互討論を目指す」ことと、「柔弱」の関係である。
 「虚」と「虚心」が全く違ったものであることは明白である。「虚」とは「姿」、「態」である。客観的対象化が可能なものである。「虚心」とは「姿勢」であり、「意志」である。あるいは「作為の結果」である。「うつろな心」ではない。「雑念を排除して、聞こうと努力する主観」である。
 「聞こうと努力する意志同士の討論」を目指すのが、我々の作ろうとする文芸結社である。そこで、「柔弱」が言論の目的的課題となることは述べた。「尊重し、虚心な相互討論」は言論の「手段」として、我々が最重要なものとして確認した課題である。とすれば、話の内容は「柔弱」に拘束される話題を一気に超えることが可能になる。「法家」、「兵家」、「墨家」は言うに及ばず、「農家」、「縦横家」なども出てくる可能性が開かれる。「仏教」、「ヒンズー教」、「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」の話も、その仕方は難しいだろうが、出来るようになる可能性がある。
 我々は、「混沌を見つめ、世界を読み解き、未来を展望する」場を作ろうとしているのである。「混沌」に排除されるものなどあっては、「混沌」など見られるはずもない。しかし、我々は「柔弱」は手放さないと確認して、「混沌を見つめ」ようと決意したのだ。
 そうした我々の出発にあたっての決意が理解してもらえたら、この説明を書いた人間の喜びである。

以上


 
(にしけんじ)
(pubspace-x1144,2014.09.21)