鳴海 游
1. 「政府がおカネを使うのに、財源は必要ないんだよ」と言われて
MMT=現代貨幣理論という言葉をよく聞くようになりました。市民運動の集まりでも、「政府がおカネを使うのに財源は必要ないんだよ。MMTを知らないの?」なんて言われる。というわけで私もMMTの俄か勉強を始めることに……。
<MMTとはどんな理論なのか>については、ネット上でも多数の記事がありますから、MMTの概説は、それら(注1)をご覧いただくことにして、さっそくながら結城剛志氏のMMT批判を紹介することから、始めることにします。
2. MMTの本質は貨幣論にある――結城剛志氏のMMT批判――
結城氏は「両氏[中野剛志、ステファニー・ケルトン]に代表されるMMTの見解が、インフレにならない限りとの留保付きではあれ、国は無制限に通貨を発行できるため、まだまだ財政赤字を増やしても問題がないと主張する、放漫財政の勧めと受けとめられてしまって」いるが、MMTの本質は政策論ではなく、貨幣論にあると言います(注2)。
氏は、MMTの主な主張を「政府は通貨を発行する権限を有する。/政府には返済能力の制約がないため、国債の返済ができなくなることはない。/したがって、財政収支を均衡させる必要はない。」と要約した上で、これに対して氏の「政府は通貨を発行する権限を有さない。/政府には返済能力の制約があるため、国債の返済ができなくなることがある。/したがって、財政収支を均衡させる必要がある。」という主張を対置し、さらに次のように言います。
「財政収支の均衡は弾力的に考える余地があるため、さほど重要な問題ではありません。問題の本質は、お金を創るのは国であると考える国定貨幣論と、市場の売買関係からお金が生まれると考える信用貨幣論の接合にあります。/MMTの独自性は国定説に信用貨幣論を組み込んだ点にあります」
「問題は、国と国民の間の国定貨幣循環(タテの循環)と国民間の信用貨幣循環(ヨコの循環)が、理論的にはパラレルな関係になっていることです。」
「しかし、税を課し、税を支払わなければ罰するという権力関係と、商品の売り買いから生じる信用関係とは本質的に異なるものです。くわえて、国定貨幣が国家権力に基づいて創出されるとの想定が適切ではありません。……国が商品を買うためには、市場がもたらす価値を国に引き上げるほかありません。つまり、課税を通じて、市場で生み出された価値を集めて使うかたちになります。」
「税債務としての貨幣が、信用貨幣のように私人間で広範に流通する根拠が示されていません。MMTは、国と国民の間の権力関係から生まれる徴税と納税の関係と、私人間の商品売買関係から生まれる債権債務関係という、まったく含意の異なる社会関係を同じものとみなしている点で決定的に誤っている」
「需要は財政支出を通じて創られ、財政支出は国による通貨発行を通して行われるため、租税収入の制約から解放されると主張する点に、国定貨幣論の限界が典型的に現れます。」
「現代の貨幣は中央銀行の債務です。そして、この債務の価値は中央銀行の資産にある商品によって支えられています。この関係は兌換があるかないか、商品が金属か金属でないか、という論点にかかわりません」
「貨幣が信用貨幣であるならば、それは市場で創造される価値であり、国は税を通じて市場からその価値を吸い上げなければなりません。税収の制約がなくなるのは貨幣を国定貨幣と見なした場合であり、信用貨幣論はその根拠を提供しません。」
結城氏の以上の主張を理解するには、(経済学でいう)「信用」についての知識がないと難しいので、私もその辺の知識を仕入れながら、氏のMMT批判を頼りにしてMMTについて考えてみることにします。
3.「信用貨幣」と「国定貨幣」
いま、おカネと言われて思い起こすのは何でしょうか?千円札や一万円札でしょうか?じっさいは、いまおカネにカウントされるもののほとんどは、預金であるわけです。「その預金はどのように形成されるのか」と言うと、或る人が――手形や債務証書を発行して――おカネを銀行から借りて、それが銀行の口座に記帳されることで形成される。こうして形成された貨幣が「信用貨幣」と呼ばれるわけですね。
MMTは民間の通貨については「信用貨幣」論に立っています――この点は正しい――が、問題は、「国定貨幣」の方です。ランダル・レイ(MMTの主導者)は次のように言います。
「通貨は貴金属の裏づけを必要とするという考え方は誤りである。我々は「法定不換通貨(fiat currency)」と呼ばれるものに移行しているのだ。」(『MMT入門』第二章)
「政府が金や外貨などとの交換を約束しない独自通貨を発行する場合(つまり政府が通貨の価値を「変動」させる変動相場制)は・・・政府は支出を税で「まかなう」必要がなくなる。それどころか議論が逆になる。政府は、経済に通貨を支出(または貸出)しなければならないことになるのだ。支出することによって初めて納税者は通貨という形で税を納めることができるようになる。支出が先で徴税が後、という順番になる。(注3)」
つまりMMTでは、日銀券や日銀当座預金のような通貨(ハイパワード・マネー)は、民間の信用によって創造される預金通貨とは別の論理で創造されるものと捉えられている。結城が「[MMTでは]国と国民の間の国定貨幣循環と国民間の信用貨幣循環が、理論的にはパラレルな関係になっている」というは、この点を指しているのでしょう。
仮に政府が直接に国定貨幣=「政府通貨」を発行するのであれば(あるいは政府が発行した国債を中央銀行が買い取ることによってのみ通貨が発行されるのであれば)、上で引用したレイの主張は妥当でしょう――そうした通貨が流通する十分な根拠を持つのか否かは、別ですが――。しかし中央銀行が、通常の方法で創造する通貨(日銀券・日銀当座預金)についてもMMTのように「国家権力に基づいて創出される」と把握できるでしょうか。
4. 73年末の日銀のバランスシートを見ると・・・
こういう問題については、中央銀行のじっさいのバランスシートを確認しておく必要があります。そこで1973年の年末の日銀のバランスシートを見てみましょう。(日本は73年に変動相場制に移行したので、これは変動相場制移行後の初期の段階の日銀資産を示すものです。)
73年末の日銀資産の合計は124,728(単位 億円―以下同様)で、内訳は、金地金308、現金241、買入手形40,325、国債22,504(うち政府短期証券15,359)、貸出金(割引手形を含む)22,695、外国為替37,252、代理店勘定15、雑勘定1,190となっています(注4)。
この時点では買入手形と貸出金の合計が日銀の資産の5割を占めていて、政府短期証券を含む国債は資産の18%しか占めていませんから、変動相場制に移行したからといって、<通貨は政府支出によって形成されている>というMMTの主張が成り立つわけではありません。(ただし政府短期証券は日銀が直接引き受けをしていましたから、その分は政府支出によって通貨が形成されています。)
結城が「この債務[中央銀行当座預金+中央銀行券]の価値は中央銀行の資産にある商品によって支えられています」という通り、中央銀行の通貨も主に民間が保有する手形などの金融商品を中央銀行が買い取ることによって形成されているのであり、この点では民間銀行による預金通貨の形成と変わりはありません。
5. 手形(=銀行の資産)の背後には商品がある
ここで、民間の負債の主要な形態であり、中央銀行の資産とも成っている「手形」について考えてみます。私が手形をふり出して、これを銀行に割り引いてもらう場合、銀行は審査をするでしょう。銀行は、私が商品を販売して売掛金があるというような商取引の実態を確認するわけです。つまり銀行が受け取った手形が資産である背景には、商品の販売があり、つまるところ商品の価値(注5)がある。
つまり73年末の時点では、民間銀行の負債である「預金通貨」のみならず、中央銀行の負債である「当座預金+銀行券」も、その価値は、それぞれの資産側にある民間の債務(手形など)に裏付けられていて、その手形の資産としての価値は究極には商品の価値によって支えられている。
以上のことから、変動相場制下で中央銀行が創造する通貨一般について、「国定貨幣が国家権力に基づいて創出されるとの[MMTの]想定」は、不適切であることが確認できるでしょう。そもそも「この債務[現代の貨幣]の価値は中央銀行の資産にある商品によって支えられて」いる点で、現代の貨幣はMMTの想定とは異なっていますが、その中央銀行の資産も、変動相場制への移行にともなって国債となったわけではありません(注6)。
6.民間の価値の生産が政府支出の源泉である
つぎに、日銀のバランス・シートが73年末のような状況の下で、政府が税や国債によって歳入を得る場合を考えてみます。
国債が発行されて民間銀行がこれを購入した場合、民間銀行の購入代金は日銀の当座預金で決済されますが、この当座預金のほとんどは、手形などの民間の債務を日銀が購入することで成立していたのは上で見たとおりです。つまり購入代金は民間銀行が日銀に手形を売って形成されたもので、さらにこの手形の価値は民間で形成された商品の価値であるわけです。税収についても同様のことが言えます。
ですから「貨幣が信用貨幣であるならば、それは市場で創造される価値であり、国は税を通じて市場からその価値を吸い上げなければなりません。税収の制約がなくなるのは貨幣を国定貨幣と見なした場合」(結城)である。
なお、日銀が国債を民間銀行から買い取る場合は、民間銀行の日銀口座に代金が入金され、日銀の資産に国債が加わる。(こうして日銀のバランス・シート(資産・債務)が膨らみます。)この過程は日銀と民間銀行の金融商品の取り引きですから、このことは政府が手に入れた通貨の価値の源泉が何であるかを変えるものではありません。
7. 中央銀行の資産のほとんどが長期国債になると・・・
中央銀行の資産のほとんどを長期国債が占めるようになると、事態はどのように変化するでしょうか(注7)。この場合は、貨幣はMMTの貨幣にかなり近づいているようにも見えます。
まずハイパワード・マネー(中央銀行券と中銀当座預金)のほとんどは、政府支出によって形成されたものであると言えるようになります(注8)。
さらに中央銀行の独立性が失われるならば、事実上の統合政府(政府と中央銀行とを統合したもの)が成立していて、中央銀行保有分の国債=政府債務は相殺され、統合政府が徴税権を持つ一方で、資産の裏付けを欠いた政府通貨が発行されているということになるでしょう。
ここで、二つの問いを設定することにします。
第一に、中央銀行の資産のほとんどを長期国債が占めることによって、現代の貨幣はMMTの理解する貨幣となったのか?
第二に、MMTの貨幣は貨幣たり得るのか?
ここでは後者の問いから考えていくことにします。
8. MMTの「貨幣」は貨幣たり得るのか?
中央銀行券のように対応する資産を直接に持たず、納税に使うことが出来るだけの政府通貨は流通する根拠を持つのでしょうか?
早川英男氏(元日本銀行理事)は次のように言います。
「現金が納税に使えるからと言って、それで価値が保証されるというのは、単純に誤りである。最近で言えばアルゼンチンでもベネズエラでも、歴史を遡れば第一次大戦後のドイツやハンガリーでも、現金を納税に使うことは可能だったが、ハイパーインフレに陥ってしまった。納税に使えたとしても、政府財政に対する信用がなければ、現金通貨の価値は保証されないのである」(注9)
「原理論」的視点から見ると、MMTの政府通貨はどのように把握できるのでしょうか。
小幡道昭氏は氏の『経済原論』で、「「法貨を定めるのは国家である.ということは,けっきょく,国家が貨幣をきめるのだ」.この主張は正しいか.」(注10)という問題を設け、これに対して「正しくない」との解答を与え、次のように解説しています。
「法貨の規定を貨幣の生成と混同してはならない.国家にできるのは,商品所有者たちが選びだした商品貨幣に,法貨という地位を与えることまでである./国家といえども,1万円と印刷された紙券を発行して,それで1万円の商品を自由に「買う」わけにはゆかない.「買う」といってきても,商品所有者は拒絶することができる./たしかに国家は徴税権をもち,国民に納税義務を課している.その意味では,国民は国家に対して一種の金銭債務を負っているといってもよい.だが,その支払いに必要なのは,納税者が自己の商品を市場で売って,既存の貨幣を獲得することである.この場合,国家が新たな紙券を支出する機会はない./国家が,商品のかわりに交付した紙券による納税を認めるということはあろう.だが,納税に使えるからというだけで,この紙券で他の商品所有者から,自由に商品が買える保証はない.」(同上p.299-300)
MMTの貨幣は、流通するための原理論的根拠を欠いているわけです。
9. 現代の貨幣はMMTの貨幣なのか?
次に、<現代の貨幣はMMTの理解する貨幣となったのか?>について考えてみると、現代の貨幣には、たしかにMMTのような把握が生じる素地もあるけれど、やはりMMTが想定している貨幣とは異なっている点があるでしょう。
まず、通貨(=負債)を発行する中央銀行は国債を資産として保有している。この国債が資産たりえる根拠はなんでしょうか。国債が資産であるのは、満期に償還されて通貨が引き渡されることが信用されているからですが、それはさらに政府が徴税などによって通貨を吸収できる能力があると考えられていることによるでしょう。そしてその徴税力は、名目価値を吸収する能力にとどまらず、財やサービスの一定量を、したがって実質価値を、吸収する能力である。したがって、中央銀行が通貨を発行する場合、商品の価値→徴税力→国債→通貨というリンクが存在していると考えてよい。 もっとも国債の価値が市場で評価される場合、価値の評価がどれだけ徴税力に左右されるものであるかについては疑問もあります。しかし国債の価値評価が、徴税力(実質価値を吸収する能力)の裏付けを主な要因とする(注11)ことについては、否定できないでしょう。
他方、MMTでは、政府通貨はそれで納税できるものとされていますが、それだけでは政府通貨の価値と実質価値ベースの徴税力との間に、リンクが付けられていることにはなりません。
資産を裏付けに持つ中央銀行の通貨とMMTの政府通貨の以上のような違いは、インフレ期においては次のような違いとなってあらわれる。すなわち前者の通貨の場合は、中央銀行が保有する国債を売却して通貨価値を維持できますが、MMTの通貨は、資産の裏付けがないので、追加的な徴税を行うことによってしかインフレを抑制できない。しかし増税は容易ではありませんし、まして民主制国家の場合は増税を迅速に実施することはできないでしょう。
これは、国家が同じだけの徴税力を持っていても、MMTの通貨制度ではインフレ期にその徴税力を有効に生かすことが出来ないということです。その点では中央銀行が一定の独立性を保持していて、国債という資産を保有し、通貨価値が下落する局面では資産=国債を売却してインフレを抑制できるというシステムのほうが優れていると言えるでしょう。
10. 現代の通貨制度は通貨価値を保障しているか?
それでは、<中央銀行が発行する通貨は資産の裏付けがあるから、その通貨価値は安定している>と言えるかといえば、そうとは言えません。
中央銀行の資産のほとんどが長期国債になると、インフレが発生した場合、資産=長期国債の現在価値は下落してしまう。満期まで保有すれば、中央銀行は額面の通貨を回収することが出来ますが、インフレを抑制するためには、価格が下落している時に、資産を売って通貨を吸収しなければなりません。その場合は中央銀行のバランス・シートに穴が空いてしまいます。
更に、政府の要請によって、中央銀行のバランス・シートが膨らんでいるときには、その損失も莫大なものとなる。たとえば、現在の日銀の資産は、金利は2%上昇すると90兆円程度の損失が生じることが予想されます(注12)。
しかもこの場合には、中央銀行のバランス・シートを修復するだけでは、問題は解決しません。インフレ率が2%になれば、今まで、中央銀行の当座預金にブタ積みされていた資金が流動化するので、これを止めるためには、定石からすれば――FEDがそうしたように――当座預金に付利をするの必要が出てくる。しかしいまの日銀の場合は当座預金残高が400兆を超えていますから――インフレ率が2%の場合――当座預金に付利をすると年間で約8兆円の金利負担が発生する。このように中央銀行のバランス・シートが膨らんでいる状況でインフレが発生した場合は、政府が資金投入するだけはインフレを抑制することは困難であり、預金封鎖や資産課税が視野に入ってくるでしょう。
要するに、中央銀行の資産のほとんどが長期国債である場合に、インフレが――例えば外生的要因で――発生すると、中央銀行は外部からの支援なしには、インフレを抑制することができなくなります。そして、そうなるのは、通貨価値を裏付ける――インフレを防ぐ――はずの資産が、インフレとともに減価する長期債であるからです。このような点を考えると、現代の通貨制度は、通貨価値の安定を自律的機構を備えたものとは言い難い。
もちろん、これはじっさいにインフレが発生した場合のことで、財政支出を需要超過を招かない範囲に留め、また政府債務残高/GDP比を一定範囲におさめておけば、プライマリーバランスが赤字でも内生的インフレを防ぐことは可能でしょう。
11.財政支出と通貨価値
ここで財政支出とインフレの関係をを考えてみます。
まず、政府が中央銀行の発行する通貨によって財政支出をするためには、政府は、税や国債発行などによって民間から中央銀行が発行する通貨(ハイパワード・マネー)を吸収する必要があるわけですが、政府が国債の発行によって通貨を吸収することには、制約はないのでしょうか。民間貯蓄の総額が制約になるようにも思われるのですが、この点は、MMTが指摘する通り、政府が吸収した通貨が民間に還流する限りは、制約はないと考えてよいのではないか。
財政支出に制約が表れてくるのは、政府支出によって民間から商品(財やサービス)が吸収される過程でのことです。政府支出(フロー)の増大によって需要が供給力の限界を越えた場合はインフレが発生する。これが財政支出を制約するわけですが、この点はMMTも主張している通りです。
それでは、政府債務残高(ストック)には制約がないのでしょうか。まず政府債務残高が増加しても、国内の価値生産(GDP)も同じ割合で増加する場合を考えると、この場合は国債の価格が変動する必然性はないでしょう。しかし政府債務残高/GDPが上昇する場合はどうか(注13)。この場合は金融資産に占める国債の割合も増加しなければならないが、そのためには国債価格の下落(金利の上昇)が必要になるでしょう。しかし金利の上昇は、金利負担によって政府債務残高を累増させるとともに、通貨価値の裏付けである中央銀行の資産を毀損するので、そのまま放置はできない。このように金利の上昇は、国債発行を制約するものといってよいでしょう。このばあい中央銀行が国債増発分を民間から購入することで金利を抑制することも可能ですが(注14)、これは中央銀行のバランスシートを膨張させますから、潜在的インフレリスクを増大させるものです。
12. 取り敢えずのまとめ
「現代の貨幣」という言葉では、多くの場合、変動相場制移行後の――金とのリンクを断ち切られた――通貨が理解されており、MMTの「現代の貨幣」もその点は同様でしょう。しかし、<変動相場制への移行=通貨と金のリンクとの切断によって通貨がフィアット・マネーになった>のかと言えば、そんなことはない。金と切断されても、通貨は商品の価値とのリンクを失ったわけではありません。
しかし、通貨価値の裏付けになる中央銀行の資産のほとんどが長期国債となったときには、通貨システムに質的な変容が生じていて、通貨価値は、中央銀行だけではその価値を維持できないものとなっています。
MMTは、まず通貨の流通を原理的に支えている「通貨と商品の価値とのリンク」の重要性を把握できていない。そのために現代の通貨が国債などの資産に裏付けられている点をも見失っている。その結果、資産の裏付けを欠いた政府通貨が原理的にも流通し得るものとみなし、インフレ期には増税によって対応するという非現実的な方策を提起している。これは通貨を支えるはずの「政府の徴税力」を有効に活用できないということでもある。
なお、財政支出は、供給力の枠内での追加的な需要をもたらす限りでは内生的インフレをもたらさないでしょうし、またプライマリー・バランスの赤字も、政府債務残高/GDP比を押さえている限りは、金利上昇をもたらさないと考えてよいでしょう。
ただし政府債務残高、日銀当座預金残高が膨張している局面で外生的インフレが発生した場合は、通常の政策の枠内では対応が困難であると思われます(注15)。
注
1 MMTの概説として、次の2論文を挙げておきます。
朴勝俊「MMT とは何か - L. Randall Wray の Modern Money Theory の要点」
https://economicpolicy.jp/wp-content/uploads/2019/05/report-012.pdf
望月慎「Modern Monetary Theoryの概説(note版)」
https://note.com/motidukinoyoru/n/n504ea7f59582
2 結城剛志氏からの引用は以下によります。
「現代貨幣論(MMT)はどこが間違っているのか<ゼロから始める経済学・第7回>」
https://hbol.jp/195466?cx_clicks_art_mdl=2_title
「現代貨幣論(MMT)はどうして間違ってしまったのか?<ゼロから始める経済学・第8回>」https://hbol.jp/196715?cx_clicks_art_mdl=1_title
なお、「通貨」については、「ポンド,円,ドルのような固有の貨幣の度量基準を用いて授受される貨幣を通貨という」(小幡道昭『経済原論』p.42)と理解しておきます。
3 ランダル・レイ「税は何のためか? MMTのアプローチ」http://econdays.net/?p=9227
4 日本銀行勘定( https://www.stat.go.jp/data/chouki/14.html に掲載されているもの)によります。
5 ここで「価値」については「他の商品と交換できるという一般的性質,交換可能性,すなわち交換性を価値とよぶ」(小幡道昭『経済原論』p.29)と理解しておきます。
6 各年末のデータに関する限り、短期政府證券を含む国債が、日銀資産の過半に達するのは78年末で、同年末の日銀資産208,924億円のうち国債は113,312億円です(注4の資料に拠ります)。
7 令和元年度上半期末では、日銀資産5,698,026億円のうち長期国債が4,693,821億円を占めています(https://www.boj.or.jp/about/account/zai1911a.htm/)。なお各年末のデータに関する限り、長期国債が、日銀資産の半ばに達するのは2012年末です。同年末の日銀資産158,363億円のうち長期国債は89,179億円です(https://www.stat.go.jp/data/nenkan/back63/14.htmlに掲載されている日本銀行勘定によります。)
8 このことは政府支出が不足すれば、民間銀行はハイパワードマネーを入手できなくなるということではありません。なぜなら、中央銀行が民間の負債を購入することによっても通貨(当座預金)は形成されますし、中央銀行が国債を民間から吸収することで中央銀行の当座預金が膨らんでいるからです。
9 早川英男「MMT(現代貨幣理論):その読解と批判」https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/knowledge/opinion/er/2019/2019-7-1.html
10 小幡道昭『経済原論』p.72
11 この点については、岩村充『金融政策に未来はあるか』の「第二章物価水準の財政理論」に拠って、FTPL(物価水準の財政理論)の考えを紹介しておきましょう。
FTPLでは政府と中央銀行は、財務的に統合されたものとして、すなわち統合政府として把握されており、「政府債務償還財源」が資産として把握されています。
統合政府の純負債は、ベースマネーM+民間保有国債B-対市中与信Lで、これらは名目価値で測られる。これに対して、統合政府の資産は、統合政府債務償還財源S+金準備等Z で、これらは実質価値で測られている。なおZには中央銀行が保有する株なども含まれています。
名目価値で測られる統合政府の負債と実質価値で測られる統合政府の償還財源額をバランスさせるように貨幣価値Pが決まると考えて、これをP= (M+B-L)/(S+Z) という式で表す。さらに比較的小さなLやZを無視すれば、P= (M+B)/S。
こうした推論の前提になっているのは、「FTPLでは、国債が人々に受け入れられている以上は、発行済みの国債に見合う何らかの償還財源についての予想が資本市場で共有されているはずだという考え方」です。
この「考え方」がどこまで現実的であるかについては、疑問もあるのですが、ここでは、国債の価値の裏付けとなっている政府償還財源――これをもたらすものの中核には徴税力があるでしょう――が、実質価値で測られている点には注意しておきたいと思います。これは、国債という金融商品が、徴税力を媒介にして、実質価値に結び付けられているということです。
12 この点については、拙文「「人びとのための経済政策」について考える――松尾匡氏への質問」 http://pubspace-x.net/pubspace/archives/7402 を参照願います。
13 政府債務残高と国内総生産(GDP)の比については、ランダル・レイ『MMT現代貨幣理論入門』「専門的な補遺――債務対GDP比率の力学」(第2章のコラム)に掲載されている式を紹介しておきます。
Dt=Dt-1 +iDt-1 +St
これは、今期(t期)の政府債務残高Dtと前期(t-1期)の政府債務残高Dt-1 、金利i、今期のプライマリー赤字St(財政支出額Gから租税収入Tを引いたもの)の関係をあらわす式です。
他方、今期の国内総生産(GDP)をYt 、前期の国内総生産をYt-1 、経済成長率をgとすると、
Yt=Yt-1 (1+g)
そうすると政府債務残高と国内総生産(GDP)の比Dt/Ytは次の式で表されることになります。
Dt /Yt=(Dt-1 (1+i)+St)/Yt-1 (1+g)
財政の健全化というと<プライマリーバランスSの赤字をなくすことが大事だ>と考えてしまいがちですが、この式にはプライマリーバランスSの他に金利iと経済成長率gという二つの変数があって、じっさいに計算してみると、Dt /Ytを抑制するためには、(低めの)金利iと(高めの)経済成長率gが極めて重要であり、一定の条件の下では、プライマリーバランスSが赤字でもDt /Ytの抑制が可能であることが分かります。
14 政府債務残高/GDPの比と金利の関係については、川端望「最大の課題は財政膨張のコントロール:早川英男氏のMMT批判に寄せて」https://riversidehope.blogspot.com/2019/07/MMT_9.html を参照願います。
15 日銀当座預金残高が400兆円に達していることを理由として消費税増税を正当化する論者は少なくありません。例えば金子勝氏。 https://www.youtube.com/watch?v=zI5Wc_nc0HI
しかし「政府+日銀」の債務残高(日銀当座預金400兆円はその一部)を削減するということは、論理必然的に――山本太郎のセリフではないが、「誰かの債務は誰かの資産」だから――民間の資産を400兆円削減すること=実質的な「資産課税」に他なりません。
そうすると、次に「それでは誰の資産に課税するか」が問題になりますが、金子氏らは、「日銀当座預金残高400兆円」を論拠に、消費税増税=庶民への「資産課税」を正当化しているわけです。しかし富裕層以外はたいした資産を持っていないのですから、この政策が現実的であるのは、それが中間層の無産化と下層民衆の『債務奴隷』化を意味する限りでのことです。
なお、2017年末の日本の総資産は1京円を超える規模となっています(https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h29/sankou/pdf/point_stock_jp_20190128.pdfによる)から、多くの資産を持つ「大企業・富裕層」を対象に資産課税することは可能ですし、またそれ以外に「政府+日銀」の債務残高を削減する方法はないでしょう。
(なるみゆう)
(pubspace-x7564,2020.01.01)