M代議士の「税制」についての質問に答えて

鳴海 游

 
   地域の立憲民主党代議士のM氏から私が関与している市民団体に対して「適当な税制をどう考えるか」についての質問がありました。
   市民団体としての共通見解をまとめるには、かなりの議論を要すると思われますので、ひとまず私見をまとめて、同事務所にお送りましたので、今回はこれを掲載することにします。
 
「適当な税制をどう考えるか」の御質問についての考え  (2020.01.04) 
   
   頂いた以下の点についての御質問について、私見を申し述べます。
   「(1) 社会保障は現在のレベルでよいかどうか/(2) 国民負担率は現在のレベルが適当かどうか/(3) 租税の直間比率は現在のレベルが適当かどうか/(4) 適当と思われる法人税率/(5) 適当と思われる所得税率」
   
一、「適当な税制は何か」についての「正解」を一律に決めることはできない。
   御質問の(1)「社会保障は現在のレベルでよいかどうか」については、答えは「否」ですが、その他の御質問については、<中長期的に妥当な「正解」を一律に決めることはできない>というのが、私の考えです。
   「適当な税制」は<これしかない>というものではなく、特定の社会状況の下でも、異なった選択が同程度の合理性をもつ場合もあるでしょうし、まして社会の状況が異なれば、答えも異なったものになるでしょう。
 
二、「国民負担率は現在のレベルが適当かどうか」について
   したがって「どのレベルの国民負担率が適当か」も、一律な「正解」があるわけではなく、「社会の状況」によって変わると思います。
   この問いに対して、「社会保障充実のために国民負担率をあげてもよい」と答える人もいるでしょう。現に北欧諸国は「高福祉、高負担」を選択していて、それは人びとに支持されている。しかし今の日本で「高福祉、高負担」は支持されるでしょうか?
   北欧諸国で「高福祉、高負担」が支持されるのは、「政治」(=負担と福祉を媒介する機能)に対する信頼があるからこそで、スウェーデンの選挙の投票率が高い(18年総選挙では87.2%)のは、その信頼の表れでしょう。しかし日本はどうか? 私たちの税金の使われ方は、残念ながらデタラメです。
   日本では本当の意味での民主政治は未だ定着していません。日本の民衆には、政治に対する「客分」意識(牧原憲夫)――「マツリごとはおカミがやるもの」という意識――が根強く残っていて、民衆が政治について「お客様」(=オブジェクト)である一方で、多くの政治家は「特殊的な利益」だけを追い求めている。負担と福祉を媒介するはずの「政治」とその主体――与党も野党も――が信頼されていないのだから、「高福祉、高負担」という主張が理解されないのも当然でしょう。
   そうした政治風土を変えるには、まず野党が政権を取って、税金を、特殊的利益のためにではなく、人びとのために使う政治を定着させる必要があります。そういう政治を十年は行って、特殊的な利益のための政治を根絶やしにして、はじめて人びとは「政治」を信頼するようになるでしょう。「高福祉、高負担」を掲げるにしても、「政治」への信頼を確立することが先決ではないでしょうか?
   さらに現時点では、<国民負担率引き上げ>ことに賛成できないあきらかな理由があります。日本の経済の現状はどうでしょうか。経済は停滞し、出生数は年間90万人を切るに至りました。今日の暮らしに悩み、あるいは将来に不安を感じている人びとに「高負担」が理解されるとは、とても思えないのです。まず政治の力で、人びとに十分な所得をもたらし、将来への不安を払拭して、生きることへの自信、子供を産み育てることへの安心を回復することが、先決でしょう。 
   この経済の現状は、不景気というよりも、構造的なものです。とりわけ労働運動の弱体化と大企業・中小企業の二重構造が賃金・所得の停滞を招いている。まずこうした構造的な要因をまず解消して、人びとの所得を引き上げていかねばならない。
   ですから現段階では、まず「優遇され過ぎてきた、担税力のある人、担税力のある法人企業に応分の負担を求め」て、「消費税率を引き下げる」という「日本の未来を立て直す公平な税制を考える会」の提言は、時宜に適ったものと思えます。
   この場合、消費税減税と同時に福祉の改善を行うとすると、たしかに財源が不足する恐れもありますが、その場合は、不足分を当面国債発行に頼っても問題ありません。「国債を発行し続けているとインフレになる」という人がいますが、国債を発行しても、財政出動が供給力にたいする需要の超過をもたらさない限りは、内生的インフレは起きない。また政府債務残高/GDPの比を抑制するためには、プライマリー・バランスだけが問題なのではなく、GDP成長率や金利水準が重要です。単純にプライマリー・バランスの赤字を削減するだけでは、GDPが収縮して税収は落ち込みますから、「財政再建」もできないでしょう。
 
三、「法人税率、所得税率をどうするか」は日本社会の未来をどう設計するかによる。
   ご質問の(4)、(5)「法人税率、所得税率をどうするか」については、日本社会の未来をどう構想するのかを抜きに語ることはできないでしょう。
   未来を構想する場合には、一般に「供給サイド」の政策、いわゆる「成長戦略」や「未来への投資」が不可欠ですが、少子高齢化が進む日本では、この点は特に重要です。社会保障制度の改善も成長戦略や未来への投資の効果抜きには考えられません。
   具体的な成長戦略を立案するには、多くの専門家の意見を伺わねばなりませんが、何より根本的な問題として教育システムの問題があります。社会を成長させる根本的な力は人間の心であり創造力に他ならないからです。
   安富歩は、現代という時代を「明治維新によって成立した日本の「国民国家」システムの緩慢な解体期」であると指摘していますが、こうした近代「国民国家」の中核に位置しているのが教育システムであり、近代の教育システムは、子供たちに知識・技術・規律を注入して、彼らを「国民化」することを目的とするものです。しかしいまや、そうした近代的教育システムの行き詰まりは明らかになっています。知識・技術・規律を注入する教育は、いま人びとを幸せしないものであるだけでなく、これからの社会に対応しないものとなっている。
   必要なのは、好奇心や思いやりのような人間的な心であり、創造性です。クラウス・シュワブ(ダヴォス会議創設者)も「特に優先すべきは、4IR[第四次産業革命]の要請に教育を適応させることである。その際、創造性やクリティカルシンキング(批判的思考)、デジタルリテラシーを育み、共感性や思いやり、協調性を伸ばすことに重点が置かれなければならない」と言っている。歴史を振り返ってみると、江戸時代の寺子屋・藩校・私塾のほうが、このような人間的な心や創造性を育てる点では、むしろ優れていた(前田勉・高橋敏)とも思えます。そうした歴史にも学びながら、日本の教育システムを再構築すべき時ではないでしょうか。
   なお「何処まで法人に課税できるか」について考えると、私たちが経済的により平等な社会を構築していくとしても、企業が利潤原理に基づいて生産しサービスを提供する限り、企業への課税に限界があるのは当然です。しかしその限界以前に、グローバルな経済環境のもとでは、「キャピタル・フライト」が企業への課税へのより直接的な制約となるでしょう。したがって「キャピタル・フライト」対策を立てながら法人への現実的な課税水準を設定せざるを得ないでしょうし、「富裕層」への課税に関しても、同様のことが言えるでしょう。
 
四、「租税の直間比率のレベル」について
   私たちの勉強会でも、奢侈品に対する物品税が論題となっています。消費税を5%に引き下げる一方で、奢侈品に対する物品税を導入すべきと思われます。
   なお消費税を引き上げることが経済学的にも合理的となるのは、次の二点が満たされる場合ではないでしょうか。すなわち①消費が旺盛で、消費を抑制することが、経済全体にとって合理的な選択となる場合であり、かつ②誰もが消費増税に十分に耐えられる所得水準を確保できる場合です。 
   
五、インフレの恐れと資産課税について。
   政府+日銀の債務残高――以下では「統合政府債務残高」と言います――の膨張に危機感を持っている方も多いでしょうし、私もそれを否定するものではありません。しかしまず、インフレにいたる機制を正確に把握しておく必要があるでしょう。まず「統合政府債務残高」の膨張が内生的インフレをもたらすわけではありません。
   「統合政府債務残高」の膨張がインフレに繋がるのは、外生的なショック――戦争などによる輸入材価格の高騰や大規模災害による供給力の毀損など――が引き金となる場合です。日銀当座預金残高が膨張していると、こうした外生的ショックがあった場合、通常の政策でインフレを抑制することが困難になる。したがって外生的なショックが生じたときは、通常とは異なる政策を取るしかありません。野党が政権に就いた時には、アベノミクスの負の遺産への対応策として、その点は明らかにしておいた方がよいと思います。
   「統合政府債務残高」の膨張がインフレ危機の根源であるのなら、それへの対応策としては、当然「統合政府債務残高」の削減が課題となりますが、「統合政府債務残高」の削減は、必然的に民間の資産の削減を意味します。なぜなら誰かの債務は必ず誰かの資産なのですから。つまり「統合政府債務残高を削減する」ということは、本質的に「資産課税をする」ことに等しい。
   そうすると「誰の資産を削減するのか」が問題になりますが、仮に「日銀当座預金残高400兆円」分を全国民に頭割りすると、一人当たり300万以上の「資産課税」が必要です。しかし全世帯の3割はそもそも金融資産を持っていませんし、純金融資産3千万以下の世帯が全体の78%を占めていて、その平均純資産は1600万円です。
   「老後の暮らしのためには2000万円の貯蓄が必要」と言われていることを考えると、このレベルの金融資産に「資産課税」をすること――形式上は消費増税などフローへの課税の形態を取るかもしれませんが――が無理なのは、明らかでしょう。
   そうすると、本当に「インフレ」を心配して「統合政府債務残高」を削減するのであれば、現実的な選択肢としては、富裕層・大企業に「資産課税」をするしかありません(なおケインズはすでに1923年の時点でインフレへの対応として資産課税――彼の言い方では「資本課税」――を行うことを提起しています)。
 
六、税制の具体的な構想について
   いまのところ、野党の中では共産党が税制の具体的な構想を提示していますが、立憲民主党にも税制の具体的な構想を提示していただいて、複数の提案をもとに野党と市民が税制の具体的な構想について議論をすることが出来るようになることを願っています。(以上)
 
(なるみゆう)
 
(pubspace-x7641,2020.01.17)