石塚正英
(上)より続く。
三 マグリブと野生
〔引用3-1〕日記1896.02-03 フランスの港を発って以来、もはや一本の樹も眼にはいらなかった。私たちはあのスーク〔市場〕へ、アーチ型に造られたり幕や板で覆われたりしているあの大きな市場へ、蔭を求めに行った。そこにはわずかに反射光線が入るだけで、場内は一種異なった雰囲気で満たされていた。これらの市場は地下にある、町の中の第二の町といった感じだった。そしてこれはチュニスのほとんど三分の一の広さを占めていた。ポール・ローランスがよく写生に出かけたあのテラスの高みからは、ずっと海岸まで、白いテラスが断続的な階段のように続いているのが見えるだけだった。テラスは処々で、ちょうど堀か何かのように中庭で途切れていた。そして、その中庭では女たちがだるそうに手足を伸ばしていた。夕方になると、白いものはすべて葵色となり、空は茶色がかった薔薇色となった。朝はまた、その白い色は微かに董色を帯びた空を背景に薔薇色となった。――だが冬の雨ののちには、壁は緑がかってくる。苔が壁を蔽いテラスの縁はちょうど花壇の縁のように見える。/私は秋のあの真っ白な、森厳な、古典的なチュニス(la blanche, sérieuse, classique Tunis)を名残り惜しく思った。たそがれ時、あの整然とした路をさまよっていると、『ファウスト』第二部のへレナや、《めのう製のランプを手にして》墓場の小道をさまよう魂(プシュケー)のことなどが思い出されたものだ。I-69-70頁、p.69.
〔コメント3-1〕私にもチュニスとチュニジアの思い出は、満天の夜空ともども我が心中に刻印されている。チュニジア調査旅行のわが日記から転記する。――2001.07.30 昨夜のエアーマルタでチュニジア入り。夜行のタクシーでガベスに直行。そこからさらにミニバスに乗り継いで午前8時にはマトマタに到着。ここは先住民ベルベル人の穴居があることで有名。ここまで来るのにそうとうかけ引きをやった。ガベスまでのタクシーにはだまされた。本当はマトマタまで行ってくれるはずがガベスでストップしてしまったのだ。運転士は途中で代わり、その時にのこり半分の料金を前の運転士に払ってしまったのが運のつき。マトマタでは、スターウォーズのロケが行われたことで知られるシディ・ドリスSidi-Drisホテルに決める。一休みしてから、ガイドを雇ってマトマタ近郊の砂漠とベルベル人居住穴を見学。ついにチュニジアの砂漠に立った。印象深い。地中海といっても、アフリカはアフリカだ。初体験に少々興奮している!

〔引用3-2〕日記1914.05 ギリシアという奇跡(le miracle)を正しく鑑賞するためには、フランスやイタリアからではなく、トルコから来た方がいい。――『ヘレンに寄す』の詩のように、《この絶望の地を長らくさまよい歩き、やつれ疲れし旅人》が《あたかもわが家へ帰るがごとく、ギリシアなる栄光へ》導かれる方がいい。私がこの旅行から得た教訓は、この国に対する嫌悪と比例している。私はそれほどこの国を愛していないのを幸福に思っている。砂漠の空気や、野生的で強烈な芳香が欲しくなったら、サハラにそれを再び求めに行こう。この惨めなアナトリア〔小アジア〕では人間が粗野というのではなく、痛めつけられているのだ(abîmé)。II-69頁、p.416.
〔コメント3-2〕アナトリアに対比されているサハラとは、文字どおりの砂漠地帯でなく、それを含めつつも地中海に面しているマグリブ(チュニジア・アリジェリア・モロッコ)をジッドは意識しているはずである。それにしても、なぜジッドはトルコを嫌ったのか。1914年に始まった第一次世界大戦ではトルコ(オスマン朝)はドイツの同盟国だったので、そのせいなのか。それから、小アジアの古名である「アナトリア」一帯は惨めで痛めつけられてきたらしいが、各地に先史古代の儀礼文化が遺存されている。その西海岸は古代自然哲学の発祥地イオニアであり、近代までにトルコ人のほかクルド人、アルメニア人、アラブ人も居住し、オリジナルに栄えていたはずである。
〔引用3-3〕『一粒の麦』マルセイユからチュニスまでの私たちの航海は、おおむね平穏だった。船室の空気はひどく息苦しく、最初の晩はひどく汗をかいてしまい、ベッドのシーツが身体に貼りついたほどだ。二晩目は甲板で明かした。遠くアフリカ方面に稲妻がきらめいた。アフリカ! 私はこの神秘の言葉をくり返した(L’Afrique ! Je répétais ce mot mystérieux)。私はこの言葉を、恐怖で魅惑をそそる気味悪さで、期待で、ふくらませた。私の視線は、茫然と暑い夜の向こうの、稲妻に包まれた胸せまる兆しの方へ向けられた。/むろん、チュニス旅行が別に珍しいものでないことぐらいは承知している、ただ、珍しいのは、私たちがそこへ出かけることだ。今なら珊瑚礁に生えた椰子の樹は、あれほど私を歓喜させはしないだろう。あのとき最初に船の舳先に立って見たラクダほど、明日、ラクダは私をうれしがらせはしないだろう。307頁、p.253.
〔コメント3-3〕ここで、ジッドが絶賛するアフリカについて、私なりに調査研究した精霊信仰について説明しておく。タンザニアやザンジバルなど東アフリカに伝わる精霊「シェターニ」は、大概は人間の目に見えないものの地上の何処かに住む、もう一つの世界の存在である。タンザニアの画家ジョージ・リランガの作品に登場するキャラクター「シェターニ」は、多くは3本指だ。5本指の人間ではない。人間世界の生き物ではないが、さりとて異界の生き物でもない。その中間に位置している。天空と地上の中間存在でもある。これは、タンザニアで育った彼の環境の中にある一種の中間存在だ。リランガはこのシェターニを夢中になって描いた。シェターニは、見る人には妖精と映り、別の人が見たら人間だ。人は身に沁みついた文化の目で世界を眺める。リランガは、あるとき友人の白石顕二にこう語った。「これら私の絵画に登場する存在とは半ば人間、半ば妖怪(スワヒリ語でシェターニ)のようなものである。シェターニが私の夜の夢の中に現れてくる。つまり、すべて夜にイメージが湧き、それを昼間描いている」(白石顕二「アフリカ・フォイとリランガ」、白石顕二・山本富美子編『アフリカ・フォイ―リランガの宇宙』講談社、1993年、4頁)。リランガのこの〔半ば絵画〕にこそ、ジッドの頷く「神秘の言葉」がふさわしい。〔アフリカルチャー〕である。それは文化表象の時空を獲得できている、と私は思う。リランガの〔半ば人間〕シェターニにこそ、古代ギリシア哲学者たちが捉えどころのないものとして思索していた「魂(プシュケー)」の現実態が息づき生き続けている。先史・古代の不可視の観念プシュケーについて、ギリシア的文明人は、あるときは哲学的に概念規定し、またあるときは美学的に造形化してきた。けれども、そうした概念や造形は、とどのつまり現代欧米的理性や宗教性をもって解釈されているだけである。その結果、プシュケーに備わる原初的な価値両義性――天と地の二つで一つの心性――は一刀両断されてしまった。ところが、リランガの描く〔シェターニ〕には、強弱の度合いは可変的であるものの、原初的な価値両義性がにじみ出ている。ジッドがそうした精霊信仰に出会ったかどうか、それは分からない。それはそれとして、「アフリカに惹かれる秘密、それを彼はユゼスの田園ですごした幼少年期のバカンスの折りにすでに予感していた」(クロード・マルタン、吉井亮雄訳『アンドレ・ジッド』九州大学出版会、2003年、93頁)。
〔引用3-4〕『背徳の人』婚礼の夕べ、私たちはパリのわが家に泊まった。そこには、寝室が二間用意してあった。パリにいたのはどうしても必要なものを買い集める間だけで、その後マルセイユに行き、そこですぐにチュニスに向けて船に乗った。32頁, p.21.
〔コメント3-4〕「寝室が二間用意してあった」に以下の訳注がついている。「ジッドはさりげなく的確な伏線をはる。「原稿」によれば、「寝室が二間用意してあった」の部分は加筆されている。新婚の夜から、寝室を別々にするという細部を記して、二人に性関係のないことを暗示するのである。作中の二人はいずれ結ばれるが、現実のジッド夫妻は生涯プラトニックな愛情に止まった」(33頁)。書名の「背徳の人(l’immoraliste)」とは、「二人に性関係のないこと」を指しているのか。不倫ならいざ知らず、既婚者における性関係のあるなしはモラルに関係ないだろうから、ここはさして注目するに及ばないのだろう。だが、やがて二人の間に隙間風が差し込むことになる。その場面でもう一回、この描写について考えてみたい。
それから、主人公のミシェルが向かった先はチュニスであるから、マグリブ地方の一角である。そのことも意味深長だ。
〔引用3-5〕『背徳の人』〔ミシェルは〕チュニスにはほんの数日しかいないつもりだった。君たちに自分の愚かさを白状することになるが、初めて来たこの国で、カルタゴとローマ時代のいくつかの廃墟以外には、何にも興味をもっていなかったのだ。オクターヴに話を聞いたティムガッド、スースのモザイック、そして何よりもエル・ジェムの円形闘技場。ここには早速に駆けつけるつもりだった。まず、スースに行かなければならない。スースからは郵便馬車に乗って行く。ここからそこまでの間は、何も余計な関心を惹いたりしないようにと思っていたのだ。/ところが、チュニスにはひどく驚いてしまった。感覚に新しい刺激を受けて、私の諸々の器官、それまで眠っていたいくつかの能力が、にわかに目覚めたのだ。それはその時まで使われたことがなかっただけに、若さをそっくりそのまま秘蔵していた。それを面白く思うというよりも、私は驚嘆し、唖然としていた。そして、特にうれしかったのは、マルスリーヌの歓びようだった。36-37頁, p.24.
〔コメント3-5〕ジッドの描くミシェルはチュニスに何を発見したか。思うに、それは非ヨーロッパ的な心身世界だろう。現代の北アフリカに残存する部族社会の面影もその一つだろう。文化慣性である。フィールドワークなどで文明期の文物制度を調査分析すると、大概は、先史以来の儀礼文化と社会制度に出くわすことになる。その一つにイスラム世界における「ファーティマの手」がある。それは、まえもってマグリブのカルタゴで流行していたタニト女神信仰に由来すると思われる。文明期に至って成立する諸文化は先史期の自然的儀礼文化に支えられている、という認識を忘れないようにせねばならない。
2001年8月1日、私はチュニジアのチュニス近郊、古代フェニキア人都市カルタゴ(現カルタージュ)で「トフェットの聖域」を見学した。カルタージュ・サランボ駅ちかくのこの遺跡は、1920年に発見された古代墓跡である。墓石や骨壺、それに黒焦げの遺骨が大量に出土した。骨壺は2万個を数え、遺骨は子どもだという。新生児や幼児の生贄儀礼は、先史古代各地に事例をみるが、その目的や意義は人権概念の確立している現在からは理解できない。けれども、私の持論で行くと、そうした子どもの殺害は、インカなどメソ・アメリカでかつてチャックモール像に置かれた心臓と共通している。すべからく儀礼なのである。私が監修しているフレイザー『金枝篇―呪術と宗教の研究』(国書刊行会、2004年~)によれば、行為として残忍であることと精神として野蛮であることとは一致しない。当該民族の精神に裏打ちされる儀礼として、生きた人間を焼き殺す習俗があったとしよう。それがもし当該民族の精神に裏打ちされる儀礼としてあれば、行為として残忍・残酷とみることはできても、精神として野蛮とみることはできないだろう。ここでいう「野蛮」とは、あくまでも文明と対になったものである。フレイザーは『金枝篇』でそうした二項対立を解きほぐしており、時代や環境によっては西洋人も残忍・残酷なことを為す点につき、処々で言及している。
なお、前9世紀にフェニキアの都市国家ティルスがアフリカ北岸に建設した植民市カルタゴは、植民市とはいえ主権は完全に独立しており、最盛期には地中海の覇権を賭けて共和政ローマと争った(ポエニ戦争)。しかしこの戦いに敗北すると、ローマはカルタゴをことごとく破壊した。けれども、この墓地は現代にまで遺っている。現代の考古学調査では、黒焦げの遺骨には人骨ばかりでなくヒツジやヤギなどの動物骨もあるという。聖なる動物といっしょに生贄に捧げられたとも考えられる。
〔引用3-6〕『背徳の人』〔アルジェリアのオアシス都市ビスクラのホテルやその界隈で知り合った少年バシールの〕母親の洗濯女がやってきた。重々しいすばらしい女性だった。広い額には青い刺青がしてあった。洗濯物の籠を頭に載せた姿は祭礼の供物を入れた籠を頭に載せて運ぶ娘たち、古代ギリシアのカネポロス(canéphores antiques)と同じで、彼女らと同様に、紺色のヴェール一枚をまとっているだけだったが、それは帯で引き締められたあと、まっすぐ足の先まで垂れ下がっていた。64-65頁, p.44.
〔コメント3-6〕働くマグリブ女性たちを古代ギリシアの聖なる行列で籠を運ぶ女性たち「カネポロス」に喩えている。身体描写が意識的である。そこはかとなくマグリブ贔屓が漂う例え話ではないだろうか。マグリブには地中海文化とアフリカ文化の混交がみられるものの、基本的には遊牧系先住民アマズィグ(amazigh、別称ベルベルberber)人、および麦耕作やオリーブなどの果樹栽培で生計を営む地中海諸民族の習俗が中心になっている。キュレネーのアリスティッポスのように、古代にあってソクラテスと親交をもった思索者もいた。父方の郷里である南仏にも連なる文化であって、ジッドには居心地のいい風景だっただろう。拙稿「非ポリス的自由人アリスティッポスと非ソクラテス的思索者F・ベーコン」(拙著『人類の内なる原初性―アリスティッポスからシュペングラーへ』柘植書房新社、2026年、第3章、参照。
〔引用3-7〕『背徳の人』私たちはチュニスからマルタを経て、シラクサに至った。言葉も過去もすでになじみの古典文明の地に、私は戻ってきたのだ。発病して以来、内省も戒律もなく、ひたすら生きてきた。動物や子どもと同じように、生きることに専念していた。いまは、病気に没頭する度合いが減り、生活はより確かな、より意識的なものになった。長い断末魔の後、また同じ自分として再生し、現在をまもなく過去に結びつけることができると思っていた。未知の土地の新しさにどっぷり漬かって、私はこのように思い違いをしていることができたのだが、ここでは、もう違う。すべてが、なおも自分を驚かすことを、教えてくれた。私は変わっていたのだ。84-85頁, p.59.
〔コメント3-7〕「私は変わっていたのだ」という事態はマグリブ滞在で生じた。これまでの文学や哲学などの既存世界の外にいる自分を発見したのだ。「私はそれとは異なる自分を見出した。なんと歓ばしいことだろう、私はそのような探究の外に(en dehors d’elles.)、存在しているのだ! 専門家としての自分は滑稽に見えた」(86頁、p.61.)。なお、引用文中に「発病して以来」とあるが、ジッドは1892年11月にナンシーで兵役につくが結核と診断され免除されている。『背徳の人』刊行は1902年なので、結核と何らかの関連があるのかも知れない。
それはそうと、蛇足ながらわが日記をもとに少々寄り道しておきたい。私は、2001年の夏に、ミラノに一泊してからマルタへ、そこにしばらく滞在してからチュニスへと移動した。地中海沿岸の先史氏族文化・母権習俗を調査する旅だった。――2001年7月下旬から8月中旬にかけて、母神信仰の足跡をもとめて地中海沿岸を旅してきた。まずはイタリアのミラノに立ち寄って、市中のカテドラル(完成まで500年を費やしたあの荘厳なドゥオモ)をはじめ主としてマリア信仰に関連する文化財を見学する。それから拠点のマルタ共和国スリーマにいく。前年夏の首都バレッタ滞在に続いて2年連続のマルタ訪問になる。同島ではすぐさま、前年に調査できなかったイムナイドラ巨石神殿に出向いた。遺跡の外郭において先史マルタの母神をもっともよく象徴する神殿である。ちなみに、これは2001年3月に何者かによって一部破壊された。
ただし、この年はマルタ共和国のみにかかわってはいられなかった。まずは北アフリカのチュニジア共和国へとぶ。イスラムの聖なる女性ファーティマ信仰の足跡を確認するため、サハラ砂漠近く先住ベルベル人の村落マトマタへいき、引き返して首都チュニスで同国最古のモスクを見学する。さらには、古代地中海海域で各地の女性たちに広く信仰されたディオニューソスの祭儀そのほかを調査するため、チュニス近郊の遺跡都市カルタゴにいく。マルタに引き返すや、今度はギリシアのアテネにとぶ。なにはさておき、パルテノン神殿下のディオニューソス劇場遺跡をアクロポリス丘の上から確認する。詳しい調査は後回しにして、ディオニューソスゆかりの島クレタにとぶ。クノッソス遺跡を訪問しラビュリントスを歩き、ギリシア神話世界のルーツに接する。アテネにもどるやディオニューソス劇場遺跡を再度調査した。それから極めつけとして紀元167年に造られたヘロド・アティクス音楽堂(Odeon Herod Atticus)でエウリピデス作『バッカイ』を観劇した。バッカイとはバッコスつまりディオニューソスを崇拝する女性信徒「バッコスの信女たち」のことである。地中海域に母神信仰の足跡をもとめて行なった二度目の旅で、私は多くの成果を得た。つまり、私はジッドと違って、ペロポネソス半島にもマグリブにも類似しつつ多様な地中海文化を見いだしているのである。
〔引用3-8〕『背徳の人』人間にとって貧困は隷属である(La pauvreté de l’homme est esclave)。食べるために、貧困は喜びもなく仕事を引き受ける。楽しくない仕事はすべて嘆かわしい、と私は思った。そこで、何人かに休息代を支払ってやった。私は言った――「働かないでいたまえ、仕事はいやなんだろう?」と。私は各人に暇を与えることを夢見た。暇がなければ、いかなる新しいものも、いかなる悪徳も、いかなる芸術も、花開くことができない。245-246頁, p.166.
〔コメント3-8〕主人公がシラクサの旧港で「空腹に苦しむ」労働者に接して感じた印象を綴った文章だが、「貧困」とか「暇」とかに対する思いに、私は納得がいかない。いずれも相対的・両義的な価値や意義を有するに過ぎないにも関わらず、ジッドは一方的な捉え方をしている。少なくともマグリブ的ではない。イスラム以前のアラビアやマグリブでは超自然的な宗教でなく呪術的な自然信仰が存在していた。神官・僧侶でなく呪術師が重きをなす儀礼社会(氏族共同体)が存在していたのである。その面影は、北アフリカはヒッポ・レギウス(カルタゴ近郊)の司教として生涯を送ったアウグスティヌスの思想における、先史ベルベル系文化から文明キリスト教文化への展開に垣間見ることができる。アウグスティヌスの回心を私なりに解説すると以下のようになる。彼はまずもって、アマズィグ文化を含む地中海先史文化の土壌に成立したユダヤ・キリスト教文化を土台とするマニ教の物質・精神混交主義に心酔した。そうした前段階から新プラトン主義を経た超越神信仰への転回である。私なりの表現を取れば、先史アマズィグ文化から文明ヘレニズム文化への移行とも読めるわけである。マグリブの生まれでないジッドには、思想的な価値転倒の渦中にある異教のアウグスティヌスは理解できないだろう。拙稿「マグリブ文化に垣間見える原初性―アウグスティヌスの母をヒントに―」、拙著『人類の内なる原初性―アリスティッポスからシュペングラーへ』柘植書房新社、2026年、参照。
〔引用3-9〕日記1929.01.16 昨日から信じられないほど長時間眠った。老衰のせいだろうか? 疲れが重なったためだろうか? それとも病弱のせいだろうか? まったく虚無への耽溺だ。季節の冷たさと醜さが、アルジェに対する全的な無関心が、そしてあらゆる欲望の完全な欠如が、私をそこへ誘うのだ(手元にはゴンチャロフの陰鬱で凡庸な『オブローモフ』しかない)。いつまでもうたた寝を続けたあとに外出したが、雨のため帰ってくる。そしてまた一時間以上眠った。III-254頁、p.906.
〔コメント3-9〕「アルジェに対する全的な無関心」は翌日にはひっくり返る。ジッドの日記にはそうした前言撤回のような書き込みがまま読まれる。たとえば以下に続く日記のように。
〔引用3-10〕日記1929.01.17 昨日の夕方、町の山手の方をもう一度散歩する。カスバを通って帰ってくる。そして最初の時の陶酔ではないとしても、少なくともあの陶酔の要素を再び見い出す。20歳の頃の私があんなに純潔でなかったら、今はもっと楽に諦められるのだろうが、といった気がする。III-254頁、p.907.
〔コメント3-10〕ジッドはやはりマグリブが肌にあっているのだな。私はモロッコやアルジェの「カスバ」は知らないが、チュニスのそれらしき町並みは2001年の夏に歩いている。目的はスーク(市場)の見学だったが、当然ながらカスバ(旧市街)をも歩いた。ただし、チュニスにはメトロ(路面電車)が走っていて、あまりいい雰囲気ではなかった。宿泊したホテルの窓から眺めた風景はよかったが、メトロの音が気になった。ジッドの時代から70年ほど経っていたので、彼がアルジェの旧市街で感じた「あの陶酔」はありえようはずもなかった。肩に小銃を下げた兵士が笑顔で挨拶してくれた。元気な子どもたちが観光客のあとを賑やかに追いかけていた。
ただ、チュニスはさすがに都会であって人心はモノトーンでありはしない。私は武装兵士の動きに何か不自然を感じていた。翌月にはニューヨークでイスラム武装組織アルカイーダによって、いわゆる「ニューヨーク同時多発テロ」(9.11)が発生することになる。
四 近親愛と原初愛
〔引用4-1〕日記1896年頃 要するに、キリストはすべてを捨てて自分に従わない者は神の国に入ることができないと幾度か断言したではなかったか。たしかに、持っているものをすべて捨ててしまわねばキリストにはついて行けぬことを理解しなければならぬ。《持っているもの》の中に家族が入っていないといえるだろうか?「我は男とその父、娘とその母の間を割くべく来たる者なり……なんとなれば、我よりも己の父あるいは母を愛する者は我に従うに値せず……我は平和ではなく剣をもたらしに来たりし者なり」といった人にとってはそうは言えないだろう。なおキリストは他のところでこんなことも言っている。「わが名の故に、その兄弟を、姉妹を、あるいは母を、妻を、あるいは子どもを捨てし者は、百倍の報いを受くべし」と。家族が否定されるや(sitôt que la famille est niée)愛の対象は無限に拡大して行く。I-101頁、p.97.
〔コメント4-1〕『狭き門』最後のところに、この修羅場が出てくる。〔アリサの日記〕――ああ! もう分かりすぎるほど分かっているのだ。この私が神とあの人を隔てる障害なのだということを。あの人が言ったように、最初にあの人を神に近づけたものが愛だったとしても、いまはその愛のせいであの人が神に近づけなくなっている。あの人は私にこだわり、神より私を大切に思い、私を偶像(l’idole)にした。そのせいで、健全な魂の力を保ったまま、さらに先へ進むことができなくなっている(230頁, p.193.)。
神に近づくか偶像にこだわるかという選択が、本物か代理かという選択に擬せられている。そうではないだろう。私にすれば、神へと通じる『狭き門』は本物へと通じる門でなければならない。アリサは偶像(イドル)でなく物神(フェティシュ)であり、どちらも本物なのである。ちょうど、同一の量子が同時に0であり1であるという状態の〔重ね合わせ〕に模すことができよう。
ジッド作品から約100年ともなればいっそう現実味を帯びているが、家族の否定は血縁という擬制の解消であり、家父長的暴力の否定であり、性的マイノリティの人権擁護でもある。その協同世界(association)ではもはや経済的単位としての家族は存在せず、個人が端的に経済単位・生産単位となるはずである。
〔引用4-2〕『鎖を離れたプロメテ』私は公的道徳(la moralité publique)については語るまい。そのようなものは存在しないからだ(parce qu’il n’y en a pas)。ところで、それについて、一つ物語がある。コーカサスの山の上で、鎖や留金や刑衣(camisole)や壁などなどでずっと身動きのできなかったプロメテウスが、姿勢を変えようとして左半身から身を起こし右手を抜き、ある秋の日午後4時か5時頃、マドレーヌからオペラ座に通じる大通りを歩いていた。404頁, p.17-18.
〔コメント4-2〕ジッドが理解する公的道徳とは、いわば公序良俗に関係するものと理解しておくとして、「そのようなものは存在しない」となれば、ではいったい、ジッドにとって存在して然るべき道徳は何なのだろうか。彼の場合、「公的」でない道徳はあるのだろうか。倫理と違って道徳は、たしかに公的というよりも個人にかかわるものである。道徳の「道」とは、人が踏み進むべき道すじ(道理)である。また、「徳」とは道理を体得する実践的行為である。道徳とは、行為する主体ないしその人物の問題意識に関連する。 漢代の『礼記』に、「徳は得なり、身に得るなり」とある。それに対して倫理の「倫」とは、友、仲間、共同体を意味する。また、「理」とは道すじ、道理を意味する。倫理とは、行為する主体がその仲間との間や集団の中で守るべき規範のことである。人はいかにして道徳的に生きるか、をめぐって種々の考察を行うのが倫理学である。倫理学の課題には、倫理=規範自体の改変も含まれる。さて、ジッドにとって存在して然るべき道徳や倫理は四次元的である。時間・時代を貫通せねばならない。その代表例が性道徳である。いとこ婚や同性婚の自然性である。過去の遺物としてはならない。なお、この作品に登場するプロメテウスは譬喩ではない。歴史を貫通し、本物がギリシア神話の世界から移動してきたのである。「鎖を離れたプロメテウス(Le Prométhée mal enchaîné)」が古代の神話世界から現代社会にやってきたのである。なるほど四次元的な構成である。ジッドの本作品を読む場合、この〔メソフィジカル・バース〕(半自然圏域)を意識してかかる必要がある。拙稿「自然と超自然の緩衝域を考える―メソバース(時空中間域)の想定」(拙著『原初性漂うハビトスの水脈』社会評論社、2024年、第2章)参照。
〔引用4-3〕『背徳の人』そう、断わっておくが、私は彼女を優しく愛していた。しかし、どう言ったらよいのだろう……自分を尊敬する気持が減るにつれて、私は彼女をますます崇敬したのだ――人間には敵対する情熱、相反する考えがどれほど共存しうるものかを、誰が言えよう…… (— et qui dira combien de pas-sions et combien de pensées ennemies peuvent cohabiter en l’homme…)238頁, p.161.
〔コメント4-3〕「人間には敵対する情熱、相反する考えがどれほど共存しうるものか」という心理現象は、たとえばグドルーン神話(北欧神話の一つ)における夫婦愛と家族愛の相克に観察される。アイスランドの詩人・歴史叙述者であるスノッリ・ストゥルルソンは、1200年頃北欧神話と英雄譚を編集して『エッダ』に集大成した。その中に「アトリの歌」という詩がある。これは、西ローマ帝国の将軍アエティウスが436年フン人の王アッティラの援護を得てゲルマンの一派ギューキ(ブルグンド)を破り王一族を殺戮した史実に起因する物語である。ただし、物語ではギューキの王族を滅ぼしたのはアエティウスでなくアッティラ(アトリ)という設定になっている。
だだ一人遺されたギューキ(ブルグンド)王族の娘グドルーン(クリームヒルト)は、前もってアトリ(エッツェルすなわちフン王アッティラ)の妻となっていたが、彼女の夫つまりアトリに招かれアトリの城で殺害されたグンナル(グンテル)、ヘグニ(ハーゲン)ら兄たちの仇を討つため、まずアトリの息子たちつまり自ら生んだ子どもたちを殺してその肉=心臓をアトリに食べさせた。それから、酒に酔って前後不覚となったアトリを討ちはたし、最後にアトリの城を焼きはらった。こうしてギュ-キ王の娘グドルーンは、数奇な運命の道すがら、一族ともども自民族を滅ぼされた異民族の王アトリの妻となり、グンナル、ヘグニ兄弟をはじめ自分の肉親の仇を討つため夫を殺した。兄弟の仇を夫に対してはらすのである。この物語は古ゲルマンの英雄譚の特徴をよく残している。
しかし、これと同じ英雄譚がやがてキリスト教の影響を受けるに至ると、思わぬ変化をみることになる。その変化は、中世ヨ-ロッパのキリスト教的騎士時代にできあがった『ニーベルンゲンの歌(Das Nibelungenlied)』にはっきりと刻印されている。「アトリの歌」との相違をみると、「アトリ」では妻が肉親の仇を討つために夫を殺す。これに対して『ニーベルンゲンの歌』では妻が夫ジークフリートの仇を討つために兄グンテルと家臣ハーゲンを殺し、出身民族のブルグンドを滅ぼす。いやそればかりか、ついには自らの生命をも滅ぼすのである。
『ニーベルンゲンの歌』に記された尊属殺人は明らかにキリスト教時代の産物である。そこには、一夫一妻制の家族形態とそこから醸し出される夫婦愛が漂っている。それに対して「アトリ」に記された尊属殺人と食人習は明らかに先史時代に根を張る遺物である。そこには、多夫多妻制の氏族形態とそこから印象づけられる血縁の同族愛が漂っている。
〔引用4-4〕『背徳の人』エル・カンタラを離れる力をどこに見出したのかさえ、わからない。時おり、自分の抹殺したものに復讐されるのではないかと恐ろしくなる。新たにやり直したいのだ。私はまだ残っている財産を処分したい。見たまえ、この壁はまだそれで覆われている…… ここでは、ほんのわずかなもので暮らしている。片親がフランス人の宿屋の主人が多少の食べ物を用意してくれる。君たちが来たときに逃げ出した子どもが、少しばかりの小銭と愛撫とを引き換えに、朝夕、それを運んで来てくれる。見知らぬ人に対しては人見知りするあの子も、私には優しく、犬のように忠実なのだ。彼の姉はウーレッド=ナイル(Ouled-Naïl 訳注)の出身で、冬ごとにコンスタンティーヌに戻り、通りがかりの人に体を売るのである(où elle vend son corps aux passants)。とても美しい娘で、ここに来て最初の何週間かは、時折僕のところで夜を過ごさせてやったのだ。264頁、p.180.
訳注:アルジェ地区の一部族、ウーレッド=ナイルの娘たちは、慣習により、思春期に達すると数年間国を離れ、体を売って持参金を蓄え、国に戻って夫を「買う」ことを余儀なくされる。ジッド自身、1894年初頭に、友人ポール=アルペール・ロランスとビスクラ港在中に、ウーレッド=ナイルの美しい娼婦メリアム=ベン=アタラを知り、性の手ほどきを受ける。が、同時に弟のモハメッドに惹かれる経験をしている。265頁
〔コメント4-4〕ウーレッド=ナイルの「体を売る」習俗は、バビロニアの神聖娼婦(神殿娼婦)ミュリッタの習俗が悠久の歳月を隔てて現代に残ったのだろうか。ミュリッタについてはヘロドトスによる以下の証言が遺されている。「バビロン人の風習の中でもっとも破廉恥なものは以下のものである。この国の女性はだれも、一生に一度はアフロディティーの神殿内に座って見知らぬ男性と交わらねばならぬことになっている。……いったん座ったならば、見知らぬ男性が女性の膝に喜捨を投げ与え彼女と神殿の外で交わるまでは家に帰れない。喜捨をなげた男性は「ミュリッタさまの御名にかけて、お相手願いたい」と告げるだけでよい。アッシリア人はアフロディティーのことをミュリッタと称している。喜捨の金額は問わない。けっして拒否されることはないからだ。この金は神聖なので、掟により突き返してはならないのである」。Herodotus, with an Englisch Translation by A. D. Godley, in 4 vols., Ⅰ, The Loeb Classical library, London, 1990, pp.251-253,(BookⅠ, 199). 松平千秋訳『歴史』上巻、岩波文庫、148-149頁。訳者あとがきにはこうある。「ミシェルは「控える」、控えてしまう……ある意味で「奴隷」にとどまる。奴隷だからこそ、夜に飢え、野性の生活を渇望し、アナーキーに焦がれる。禁断のものに酔う、それがミシェルだ。そして、ジッドが読者の興味を引き続けるには、ミシェルは奴隷でなければならない、と述べるのである」(273頁)。「奴隷」は文明期に登場する存在であるから、原初的ではないので、ジッドの解説はおかしい。その後の解説では妥当な言い回しが出てくる。「『背徳の人』の第一の大きなテーマは、肉体である。それも、肉体をめぐる死と生の問題が、はっきりとキリスト教の基盤の上で問われている。死の翼に触れた者が、肉体の快復の過程で、爆発的に「生」の歓びに引き戻される。まさに復活・再生の喜びを、肉を捨てて霊に赴くのではなく、肉体を、官能を充足させる過程で噛みしめることになる。キリスト教が肉体の苦痛と死とを経て霊として再生するイエス・キリストの姿をもって「新しい人」を示したのに対し、ミシェルはその「新しい人」の教えによって覆い隠されていた「旧い人」、つまり肉体をもち無疪の原始の力を発揮するものとして生まれかわろうとする。「新しい存在」になろうとする。少なくとも、そのように本質的な変貌を成し遂げたと一時は信じ、肉体の歓びを、知性に拘束されぬ感覚の充足を倫理の基本にすえるのである。この意味で、ミシェルの変貌は、キリスト教圏においては、間違いなく、背徳への重い意味を帯びた一歩である」(275-276頁)。背徳の意味は原初への回帰である。ニーベルンゲン的愛からグドルーン的愛への回帰に近い。ジッドにその類型的区別はできていただろうか。
〔引用4-5〕『狭き門』〔従姉の〕アリサは福音書に語られる高価な真珠のようなものだった。私〔ジェローム〕はその真珠を得るために自分の財産をすべて売りはらう男だ。まだ子どもの私が、従姉に抱いた感情を愛と名づけ、愛について語るのはおかしいだろうか?(Si enfant que je fusse encore, ai-je tort de parler d’amour et de nommer ainsi le sentiment que j’éprouvais pour ma cousine ?) だが、その後、私が経験した中で、これ以上愛の名にふさわしいものはない――それに、私がひどい性欲に悩まされるようになった時でも、私の感情の本質はほとんど変わらなかった。子どものとき、私はなんとかしてアリサにふさわしい人間になりたいと思っていた。だが、アリサをもっと直接的なやりかたで自分のものにしようなどとは想像もしなかった。仕事、努力、慈善活動、すべてを神秘的な気持ちでアリサに捧げ、自分が彼女のためだけにしていることを、彼女にはそうだと気づかせないようにして、美徳を磨きあげていったのだ。こうして私は謙虚さという陶酔に満たされ、自分の楽しみから遠ざかり、哀れなことに、なんらかの努力を要することしか受けいれなくなっていった。36頁、p.33.
〔コメント4-5〕作品上のジェロームと従姉アリサの関係は、作者ジッドと母方従姉マドレーヌの関係をモデルにしている。母方いとこ婚である。それは、キリスト教信仰に先んじる先史社会の原初的な人間愛、兄弟姉妹愛を起源とするのだろう。それは隔世的にジッドの魂魄に潜んでいて間欠泉のように湧き出てくる。余人はジッドを性欲盛んな人物と評価するが、欲の次元が違う。虚飾でなく彼の生き様そのものであり、おのずと作品に滲み出てくるのである。その意味で、私はジッドの文学的思索の奥深さに感嘆している。
人類学者はこれまで、時代を遡れば遡るほど、血縁の絆はそのまま社会組織の絆に相応すると考えてきた。ただし、それは人類社会に固有のもので、動物的な本能(群棲)というよりも共同的な制度であると見てきた。ブラジルのアマゾナス州に現存する民族ピダハンは、人類最古の原初的なライフスタイルを維持している。親族名称について「いとこ」どころか「兄弟姉妹」を表わす言葉もないのである。それから、血縁であれば当然ながら発生するはずの近親婚禁忌(インセスト・タブー)を欠いている。近親(兄弟姉妹)婚という概念や倫理があってそれを破るとか守るとかではない。多くの人類学者たちが、人類社会の端緒に存在していたはずがないとしていた無規律婚(プロミスキティ)が、ピダハン社会では現代にまで文化慣性として残存しているのである。参考――拙稿「兄弟姉妹婚の残影―アマゾン流域のピダハン社会―」、webジャーナル「公共空間X」2026.07.04 http://pubspace-x.net/pubspace/archives/15532
それから、「アリサは福音書に語られる高価な真珠」とあるが、その真珠はキリスト教の象徴でなく、ジェロームとアリサに共有される〔他我(alter-ego)〕になっている。ジェロームにとって真珠はアリサ自身(フェティシュ)なのである。フェティシュはフェティシズムに関わる用語で、それ自体が自己と一致する。それと似た言葉に、当世性風俗前線でよく耳にする「フェッチュ」がある。こちらは、なるほど出自はフェティシズムに見いだされるものの、語に備わる意味はフェティシュと異なる。フェティシュは崇拝や愛情の直接対象であるが、フェッチュはそれらの間接対象である。たとえば、谷崎潤一郎はある女性の足形ないし足の拓本をこよなく愛しているとして、もしその足形(=部分)が彼女(=全体)の代理であり、その足形への愛が彼女への愛の手がかりだったり、本人に会えないときの気晴らしであったりすれば、その足形は谷崎にとってフェッチュである。しかし、その足形が自立していて、それのみで愛の対象であって、本人はむしろ二の次であるならば、その足形は谷崎にとってフェティシュである。フェティシュの論理はシャルル・ド=ブロスに発し、フェッチュの論理はジクムント・フロイトにおいて典型的である。ジェロームにとっての真珠、ジッドにとっての十字架はフェッチュでなくフェティシュなのである。拙著『脚フェティシズム―フロイトを蹴飛ばす脚・靴・下駄理論』廣済堂出版、2002年、参照。
〔引用4-6〕『田園交響楽』確かに、彼女はありったけの勇気を振り絞っていた。聞く方の私にしても同じく一生懸命だった。ところが彼女を悩ましていた疑問が、次のようなものであろうとは。――/「盲目の女性が生む子は必ず盲目に生れつくものですの?」/この会話のやりとりが、二人のうちのどちらにとっていっそう苦痛だったかは知らないが、こうなってはもう、先を続けるほかはなかった。/「いいや、ジェルトリュード」と私は言った、「それはね、ごく特殊の場合に限ったことだよ.だいいち、そうなる理由なんか、全然ありはしないのさ」/彼女はとても安心したらしかった。どうしてそんなことを聞くのと、今度はこちらから尋ねてみたかっだが、さすがにその勇気は出ず、ぎごちない言葉を続けた。――/「だがね、ジェルトリュード、子どもを持つには、まず結婚しなければいけないのだよ」/「そんなことおっしゃっても駄目、牧師さま。本当でないことぐらい、知っていますもの」/「私はあなたの耳にふさわしいことを言ったのだよ」と、私は言い返した、「しかし実際は、人間や神の法則が禁じていることを、自然の法則は許しているのだ(Mais en effet les lois de la nature permettent ce qu’interdisent les lois des hommes et de Dieu.)」。/「神の法則はすなわち愛の法則だって、あなたはよく話して下さいましたね」/「ここで言う愛は、別の名を慈悲とも呼ぶあれとは違うのだ」/「あなたはその慈悲で、あたしを愛して下さるの?」/「そうでないことは知っているじゃないか、ジェルトリュード」/「では、私たちお互いの愛は、神の法則に外れているとおっしゃるのですの?(Mais alors vous reconnaissez que notre amour échappe aux lois de Dieu ? )」/「というと〜」/「まあ、よくご存じのくせに。そんなこと、あたしの口からはとても言えませんわ」/何とか言いくるめようとしてみたが駄目だった。総くずれになった私の論法の退却を告げる太鼓の音のように、私の心臓は激しく鳴っていた。76-77頁、p.126-127.
〔コメント4-6〕「人間や神の法則」と一括りにしているのはどうかしている。「自然の法則」でなく、「人間や自然の法則」ならわかる。それよりなにより、「まあ、よくご存じのくせに。そんなこと、あたしの口からはとても言えませんわ」という言い回しが気にかかる。ジッドが何を念頭に置いていたかは別として、私はこれをプロミスキティに妥当する男女関係だと思う。これは乱婚とは違う。乱婚は一夫一妻制など何らかの性秩序・性道徳を前提としている。何らかの規律が乱されるから、破られるから乱婚となるのである。しかしモ-ガンの言うプロミスキティでは、破るべき性秩序・性道徳は未だ存在しないのである。いかなる種類であれおよそ秩序というものがまだ登場する前の両性関係であるプロミスキティは、氏族社会には概ね存在していたが、家族の出現とともに潰え去った。このプロミスキティ段階の男女関係に、バッハオーフェンは人間社会の素晴らしさを発見したのである。それに対して、ギリシア・ローマの文明期に出現する家族においては、もはやプロミスキティという自然的男女関係は失われている。作家のジッドは同性愛や少女愛を夫婦愛に先行させている。あるいはそれらを分け隔てなく感受している。私はそこに遥かなるプロミスキティの残り香を嗅いでしまう。

(いしづかまさひで)
(pubspace-x16254,2026.10.05)
