石塚正英
(中)より続く。
五 生きることに関する思索
〔引用5-1〕『背徳の人』自分の専門分野の人たち、考古学者や文献学者にはもう少し積極的な気持ちで再会した。しかし、彼らと話しても、よい歴史事典の頁をめくる以上の歓びも感動も得ることはできなかった。初めは、誰か小説家か詩人に会えば生に関するもう少し直截な理解(un peu plus directe de la vie chez)を得られるのではないか、と期待した。しかし、彼らは理解しているのかもしれないが一向にそれを見せなかった、と言わなければならない。大部分の者は生きてなどいないように思われた。生きているように見せかけることに満足しているようで、生などは書くことを妨げる厄介ごとになる、と思いかねない様子だった。それでも、私は彼らの考えを非難することはできなかった。しかも、間違ったのは私ではなかったと断言する気もない…… 第一、私自身、「生きる」とはどういう意味だと思っていたのか――それこそまさに、教えてもらいたかったことなのだ――皆それぞれに、人生の様々な出来事を器用に語りはしたが、その動因については何も言わなかった。/幾人かの哲学者はといえば、その役割は私に教えてくれることだったろうが、彼らに何を期待しうるかはもうずっと前からわかっていた。数学者にせよ新批判主義者〔訳注:ヘーゲル流の形而上学に反対し、カントの理論的厳密さに戻ることを説く流派〕にせよ、どろどろした現実からは可能な限り遠くに止まり、代数学者が自分の測定する諸々の量の存在について顧慮しないのと同断で、それ以上には現実などにかかずらわなかった。148-149頁、p.101.
〔コメント5-1〕この引用文に、私はジッドの思想と行動の核心が潜んでいると思っている。「生に関するもう少し直截な理解」という言い回しを私なりに言い換えるならば、それは「生きる」とは何か、その意味とか目的とかは何か、と問うことだと思う。その際、専門家はそれぞれの専門知識を動員して語る。心理学者や宗教家であれば心の安寧や清貧に言及するだろうし、医師であれば健全なる精神は健全なる身体に宿る、と言ったりする。しかし、背徳の人はその反対を言い張るかもしれない。私が注目するフランス革命期の小説家、思想家マルキ・ド・サドは、生きることに関して、小説の登場人物「臨終の男」をして次のように言わしめている。「自然が必要としない美徳は一つとしてなく、逆にまた、自然がその必要を認めない悪徳は一つとしてないのです。かかる完璧な均衡において、自然は相互に維持し合い、全自然の科学は成り立っているのです。とすれば、自然がわれわれを駆り立てる方向にわれわれがおもむいたからとて、どうしてそれが罪になるのでしょう?」(澁澤龍彦訳『マルキ・ド・サド選集』第四巻「恋の罪」」所収「末期の対話」、桃源社、1963年、324-325頁)「自然が必要としない美徳」という言い回しに注目すると、サドは無垢の自然でなく人間の観念を通した自然を想定している。それは神なる自然ではないだろうか。美徳や悪徳と向き合う自然は、自然ではなく神――キリスト教のそれ――である。けれども、サドはキリスト教批判の文脈で自然を云々する。そのあたりを私はきちんと分別できないのではあるが、全体としてサド思想には共感している。神は死んだ、と言ったのはニーチェだが、サドにすれば、神が排除されてもそれに替わる聖存在をおいたのでは何にもならない。マックス・シュティルナーは、その点をするどく見抜いて聖存在としての「人間」を告発した。けれども、我々は「地球より重い人の生命」「かけがえのない生命」とかを、平気で口にするではないか。そのような発想が、本当のところ自然破壊の口実になったのではないだろうか? それと同じように、心・精神は肉体・物質に優先するというキリスト教的発想は、サドには受け入れ不可能である。サド研究者のボーヴォワールは言った。「肉体に恥辱を加え、肉体を昂奮させることを喜ぶためには、肉体の価値を釣り上げる必要があった。全く平然と人間を物として扱うことができるならば、肉体はもはや意味もなければ、価値もない」(ボーヴォワール、白井健三郎訳『サドは有罪か』現代思潮社、1961年、27頁)。彼女の発言を受け入れるならば、サドが拒否する人間とは精神肥大のそれ、つまりヨーロッパ的にデフォルメされた人間である。そして、サドが歓迎する人間とは肉体・自然のままのそれ、ないしは精神と物質とへの分裂を伴わない人間ということである。1970年11月に市ケ谷の自衛隊駐屯地で盾の会メンバーの森田必勝らとともに割腹自殺した三島由紀夫の心身が、思い浮かぶ。彼は、日頃ボディビルで鍛えあげた素晴らしい肢体を惜し気もなく精神の犠牲に捧げた。私が学生運動に明け暮れていた時代、彼は己れの肉体を己れの精神にくれてやったのだろう。三島にとって価値が高い自己とは、むろん、肉体の方だったのである。
〔引用5-2〕『背徳の人』かなり前から、歴史研究は心理上の考察をする手がかりとしてしか関心を惹かなくなっていた。どのようにして再び過去に熱中しえたかはすでに述べた。それは、自分のかかえている問題に似通ったものを過去に見出せたと思ったときのことだ。私はあえて主張したのだった。死者たちを問い詰めていけば、ついには生に関する秘められた示唆を得られる(obtenir d’eux quelque secrète indication sur la vie.)と……今や、若きアタラリクス自身が、私に話しかけようとして墓から立ち上がれるのだ(A present le jeune Athalaric lui-même pouvait, pour me parler, se lever de sa tombe;)。私はもう過去を聞いているのではなかった――いかにして古代の返答が私の新たな設問に満足を与えたのか――その問いとは、人間はこの先何をなしうるのか、というものだ。それこそが、私にとって知るべき重要な問題だった。人間が今までに言ったことが、言えることのすべてであったのか。自分について、もう知らぬことはないのか。もう繰り返して言う以外にないのか……すると、私のうちでは、まだ手つかずのさまざまな豊かさがあるのに、それを、文化が、品行方正が、道徳が、覆い隠し窒息させているという漠とした感じが、日毎に強まるのだった。/そこで、自分は未だ知られぬ掘り出し物をつかむために生まれてきたような気がした。闇に満ちた探究に怪しいまでに情熱を燃やしていたのだ。その探究に携わる者は、文化を、品行方正を、道徳を放棄することを誓い、自分から追い出さなければならない。/その結果、私は他者のうちに見られるもっとも野生的な表現のみを良しとし、それを多少なりとも抑圧するものを嘆くことになった。もう少しで、正直というもののうちに、拘束、慣習、あるいは恐れ以外のものを見ないところだった。私はそれを入手困難な稀なものとして高く評価することをこそ好んだだろう。231-232頁、p.155-156.
〔コメント5-2〕「他者のうちに見られるもっとも野生的な表現のみを良しと」する人とは、「闇に満ちた探究に怪しいまでに情熱を燃やして」いる人のことか。それはオカルトに通じることか。「野生的(sauvage)」は、原語は同じでも「野性的」とは違う。ジッドにおいては「野生的」と翻訳するべきである。ゴート王国第2代国王のアタラリクス(Athalaric, 6世紀)は「生に関する秘められた示唆を得られる」死者の代表なのか。フランス史上最初の英雄は紀元前からガリア一帯を統率したガリア系ヴェルキンゲトリクス(Vercingétorix, 紀元前1世紀)であって、ゲルマン系のアタラリクスではない。そのあたりの事情はどうなっているのか。ドイツ嫌いのジッドだが、原初的ゲルマン人のアタラリクスには野生を感じ取ったのではなかったか。野生の自由は、婚姻の原初的形態であるプロミスキティ(無規律婚)にふさわしい。
〔引用5-3〕『背徳の人』人間にとって貧困は隷属である(La pauvreté de l’homme est esclave;)。食べるために、貧困は喜びもなく仕事を引き受ける。楽しくない仕事はすべて嘆かわしい、と私は思った。そこで、幾人かに休息代を支払ってやった。私は言った――「働かないでいたまえ、仕事はいやなんだろう?」と。私は各人に暇を与えることを夢見た。暇がなければ、いかなる新しいものも、いかなる悪徳も、いかなる芸術も花開くことができない。245-246頁、p.166.
〔コメント5-3〕主人公がシラクサの旧港で「空腹に苦しむ」労働者に接して感じた印象を綴った文章だが、ジッドの考えと見なして論評する。「貧困」とか「暇」とかに対する思いに、私は納得がいかない。いずれも相対的・両義的な価値や意義を有するに過ぎないにも関わらず、ジッドは一方的な捉え方をしている。少なくともマグリブ的ではない。イスラム以前のアラビアやマグリブでは超自然的な宗教でなく呪術的な自然信仰が存在していた。神官・僧侶でなく呪術師が重きをなす儀礼社会(氏族共同体)が存在していたのである。その面影は、北アフリカはヒッポ・レギウス(カルタゴ近郊)の司教として生涯を送ったアウグスティヌスの思想における、先史ベルベル系文化から文明キリスト教文化への展開に垣間見ることができる。アウグスティヌスの回心を私なりに解説すると以下のようになる。彼はまずもって、アマズィグ(ベルベル)文化を含む地中海先史文化の土壌に成立したユダヤ・キリスト教文化を土台とするマニ教の物質・精神混交主義に心酔した。そうした前段階から新プラトン主義を経た超越神信仰への転回である。私なりの表現を取れば、先史アマズィグ文化から文明ヘレニズム文化への移行とも読めるわけである。拙稿「マグリブ文化に垣間見える原初性―アウグスティヌスの母をヒントに―」、拙著『人類の内なる原初性―アリスティッポスからシュペングラーへ』柘植書房新社、2026年、第7章、参照。
ところで、権田保之助という学者は『民衆娯楽論』(巌松堂、1931年、『権田保之助著作集』第2巻、文和書房、1974年、所収)を刊行し、その中で娯楽(あそび)に関する三つの定説を紹介した。私のジッド批評はこれにならっている。以下に引用する。
I 三種の定義
(1) 客観的存在説…即ちそは娯楽なるものが客観的に存在しいるものと為すものであって、具体的なる表現の種類によって娯楽と然らざるものとが区別さるべきものであると為すものである。…即ちそれは人間生活を縦に切って、其の一部に作業があり、他の一部に娯楽が存すると見る観方なのである(188-189頁)。
(2) 過剰勢力説…人間及び動物は生命維持の為めにする精力の消耗にして余剰を生ずるに至り、其処にはじめて遊技娯楽を思うの念を生じ来るものであると云うのである。…生活に余力を生じ、生活の余裕が出来て初めて、其処に娯楽を考えるようになり、娯楽に没頭することとなるのであって、娯楽とは即ち余裕の産物であるという観方なのである(189-190頁)。
(3) 再創造説…これに依れば、娯楽は労働によって失われた勢力と新たに発生した疲労とを回復せしむるものであって、今日の労働によって失われた心身の均衡を回復して、明日の活動の為めに自己を再創造する効用が、娯楽の有する所のものである。…斯して逐には「娯楽」を称して Recreation の名を以て之を呼び、「娯楽的」ということを recreative という名辞を以て称するまでに成っている(190-191頁)。
II 三種の定義に対する反論
(1) 客観的存在説批判…演劇を研究せんとする演劇研究家の観劇。…同じく狩猟・漁労にしても、猟師・漁夫に取ってはそれが労働であるにも拘らず、素人が之を行う場合には娯楽となる。…茲に我々は行為そのもの、物そのものの種類に即して娯楽が成立するという見解を棄てねばならぬこととなった。而して行為に於ける目的の所在によって娯楽の成否が決せらるるものであることを主張せねばならぬ。即ち行為の外に目的があるか、もしくは行為の内に目的があるかによって、娯楽たるか否かを確定せんと欲する。行為の外に目的の存する時…我々は之を「労働」と見るのである。それと同時に、行為の内に目的の存する時…即ち自目的、或は無目的の場合には、よし其の行為が如何なる形貌を具うるものたるも、之を「娯楽」成立の基底と見んと欲するのである(192-198頁)。
(2) 過剰勢力説批判…生活の窮乏の間に存しながら、生活資料の獲得に対しては極めて無関心の状態にある彼ら野蛮最下級の種族が、然らば何物に対して最も真剣になりつつあるのであろうか。…彼らの生活に於て、最もまじめに最も真剣に働くものがある。それは即ち娯楽である。…我々が普通に生産的行為、他目的的行為と見做しいる所のものも、彼等未開種族の間には、全く其の反対なる自目的的行為として行われているものが珍しくない。其の一例を挙ぐれば、彼等の間に行われる牧畜である。…以上を要約するに、窮乏せる生活資料と、安定せざる住居と、凶暴なる自然の脅威との間に生存を維持しつつある彼等自然人の間に於て、彼等が最も多く顧慮し、最も多く焦燥すべき筈である生活資料の蒐集獲得に対しては、実際上極めて無頓着の態度を示しているに反し、自目的なる行為に就きては驚歓に値する程の熱心さを以て、之に当りつつあるの事実を認めざるを得ないのである(198-207頁)。
(3) 再創造説批判…此の再創造説には生産中心の思想を想わしむる臭味がある。今日の疲労を回復して明日の仕事への元気を養うという考え方は、生産中心の思想にきわめて近い縁がある。…生産が主であって、それがあっての享楽である。此の考え方は果して正当なものであり得るだろうか。…「生産の為めの再創造」という思想は倒れねばならぬ。而して「創造の為めの生産」が打ち立てられねばならぬのである。…「娯楽」は「生産」の奴婢に非ず、「生産」こそ「創造」の奴僕であるという状態が将来さるべきである(207-211頁)。
〔引用5-4〕『田園交響楽』盲目の娘は、まるで意志のない何かの塊りのように、連れ出されるなりに任せていた(L’aveugle s’est laissé emmener comme une masse involontaire.)。目鼻だちは整って、まず美しいほうといえるが、まったくの無表情だった。部屋の隅の、屋根裏へ通じる内梯子の下の所に、この娘がふだん寝場所にしていた藁布団がある。私はそこから毛布を一枚とって来た。/近所の女はお愛想を見せて、娘を念入りにくるむ手伝いをしてくれた。夜空が冴え返って、冷え冷えしていたからである。馬車の角燈に火を入れると、まんまるに縮こまって私にもたれかかる。魂の抜けた肉塊の毛布包みを乗せて、私はその家を後にした。どんよりと体温が伝わって来るので、わずかに生きていることが判るのである。道々私は考えた。――この子は眠っているのかしら。だとすれば、それはどんなにか暗い眠りなのだろう。……それにこの子にとって、眠りと目ざめとはどこが違うのだろう。主よ、この不透明な肉体のうちに棲む一つの魂は、その中に閉ざされながら、あなたの恵みの光の来て触れる時を、待ち望んでいるに違いありません。10-11頁、p.17-18.
〔コメント5-4〕プロテスタントの牧師である主人公は、「主よ、」と呼びかけつつも、牧師としてでなく自らの価値観に即して盲目の少女を観察する。視力に恵まれないだけのことで「暗い眠り」とか「不透明な肉体」と表現する。暗くて不透明に思うのは、目が見える人の明るくて透明な世界と比較しているからである。そうした場面をあえて設えつつ、ジッドは〔五感のおごり〕を意識しているのではないだろうか。たとえば「あいつは耳が聞こえないから、音楽なんて理解できっこない」と言って人を見下げるケースがある。けれども、ある曲を理解し楽しむということは、耳が聞こえる聞こえないの問題だけではすまされない。たとえば音楽に親しむとき、耳の聞こえない人は別の感受性でもって耳の聞こえる人と共鳴しあい、雰囲気を共有しあっている。あるいは、目が見えない人は、日ごろ信頼するAさんが黄色に悦びを感じ緑色に安堵を覚えるなどの追体験を経て、色の感性を養う。その時に各々の欠を補うものは何だろうか。自然や社会に対する喜怒哀楽の共感、ユングの言うシンクロニシティではないだろうか。なお、ジッドが〔五感のおごり〕を意識していたとして、自らが驕り高ぶっていなかったというわけではない。ジッドの作品にはよく実体験がネタ帳のように潜んでいるからである。
〔引用5-5〕『田園交響楽』ここで私は、引き取った当座に味わった深い幻滅感を白状しておかなければならない。明らかに私はジェルトリュードの教育について、一編の小説を作り上げていたのだ。ところが現実の裏切りようは余りにも無残だった。何をされてもけろりとした遅鈍なその表情、というよりもまったくの無表情が、せっかく意気込んだ私の気持ちを凍りあがらせてしまった。彼女は一日中防禦の身構えで暖炉のそばにじっとしていた。私たちの声が耳に入るか、殊に誰かが近寄りでもしようものなら、その顔つきは忽ちこわばるのだった。無表情でなくなるのは、敵意を示す時だけなのだ。少しでも彼女の注意を呼び起こそうとすると、獣のようなうめき声を立て始めた。こうした不機嫌が収まるのは、食事の匂いがしはじめる時だけで、私が差しだす皿にまるで獣のようにガツガツと飛び付いてくるありさまは、見るに耐えぬものがあった。愛には愛で応えるのと同じ行き方で、この魂の執拗な拒絶に出あっては、嫌悪の情を禁じ得なかった。19頁、p.31-32.
〔コメント5-5〕ジェルトリュードと名付けられた盲目の少女は、欠落した世界で不自由していたのでなく、その世界を基盤に生きていたのである。よくわかる。私には幼い頃の風景が心に残っている。私が生まれ育った越後の高田には盲目の芸能集団「瞽女(ごぜ)」が暮らしていた。彼女たちの芸能活動は、盲目の欠点を補って余りある生活を創出していた。この引用文においては、そのことよりもむしろ、「現実の裏切りようは余りにも無残だった」点にある。それは、ジッドがキリスト教を批判的に見つつニーチェに関心をもった思想遍歴に関係する。少女が発する「獣のようなうめき声」は牧師の耳にそう聞こえるだけなのだ。ニーチェは古代ギリシアと中世キリスト教世界の間の価値転換を重視する。ただ、それだけでは少女の獣的唸り声は分析不可能である。もう一つ、文明と非文明の間の価値転倒を考慮すると何かが見えてくる。拙稿「ニーチェ哲学の価値転換(Umwerthung)と歴史知の価値転倒(Werthumkehr)」、拙著『バロック的叛逆の社会思想―ニーチェ・フロイト・ブルクハルト批判』社会評論社、2023年、第3章、参照。
〔引用5-6〕『田園交響楽』いつも炉端で老婆のようにじっとしているのでは、身体に障りはしまいかと、やがてジェルトリュードを戸外へ連れ出してみた。(中略)あとで話してくれたことだが、そのとき聞いた鳥の歌声を、頬や手をなでるあの熱と同じに、やはり光の作用なのだと想像していたそうである。もとより深く考えたわけでもないが、熱い空気が歌い始めるのは、水を火にかけると煮え立つのと同じことで、少しも不思議はないと思っていたという。とはいえ、そのようなことは気にもとめず、何事にも注意を向けることなしに、私に引き取られたあの日までは深い麻痺状態(un engourdissement profond)の中に生きてきたという方が、むしろ真実に近いのだろう。その可愛らしい歌声は、小さな生き物たちが、その唯一の役目ででもあるように、遍在する自然の喜びを感じ、かつ表現するために発するのだ、と教えてやったときの、彼女の限りない喜びようが今でも目に浮ぶ。26-27頁、p.45-46.
〔コメント5-6〕かつて少女が老婆と過ごした暮らしぶりについては何らの素描もない。よって、それまではたして「深い麻痺状態」に置かれたのかは定かでない。けれども、目が見えるようになった刹那、「こうなったらもう、あたし死ぬほかはありません(Vous voyez bien qu’il ne me reste qu’à mourir.)」(88頁、p.147.)と感じたことは紛れもない事態である。牧師が感じた「麻痺状態」とは文明の高みからみた印象にすぎない。
〔引用5-7〕『田園交響楽』彼女の告白の無邪気さや率直さまでが、私を安心させていたのだ。私はこう考えていたのだ。――まだまだあれは子どもなのだ。もし本当の恋なのだったら、恥ずかしげもなく顔を赤らめずにとても言い出せたものではあるまい、と。いっぽう私自身はどうかというと、自分の愛はただ不具の子に注ぐ愛にしか過ぎないもの、と強いて思い込んでいたのだ。彼女を病人としていたわり、それを教え導くことを、自分の道徳的負担とも義務とも見たのだ。そう、前に記したような話を彼女の口から聞いたあの夕暮れにさえ、私は心が軽々と浮き立つのを感じ、そんなふうにしてますます自分の気持を思い違えたのだ。現にあの時の言葉を書き写しながらでさえ、やっぱりそうだったのだ。……恋を罪悪と見、罪悪はすべて魂の重荷になるものと信じていた私は、自分の魂が押しひしがれないのを見て、それが恋とは思いも及ばなかったのである。61頁、p.99-101.
〔コメント5-7〕少女への愛は「自分の気持を思い違えたのだ」とする心は性道徳のなせる技である。いまでは誰もが「正しいこと」、「自然なこと」と信じて疑わない一夫一婦制や親権、人類の始原からかくあって他の形態ではありえようはずはないと観念している家族関係は、実は原初からの普遍的なものでなく、歴史的に生成した一つの過程的結果でしかないのである。そこには、明らかに価値意識や美意識の転倒とグラデーションが生じている。原初、性の規律は性の開放、無規律婚(promiscuity)に資した。けれども文明期、性の規律は性の抑圧たる性道徳(sexual morality)に転化した。そうした歴史貫通的な観点を持たないと、たとえばジッド研究者マルタンのように、ジッドを「虚弱神経症者」に括ってしまうことになる。「ジッドは自らの社会的・家系的ルーツの両義性――この語はまさしく語源的な意味で用いられている――をことさらに強調している。しかしこの両義性には実質的な精神の錯綜・分裂が付帯していた。それは彼の神経質な性格に起因するもので、自然の成りゆきとして、幼少年期から青年期にかけ本人の自覚に伴って大きく増幅していったのだ。/これを「虚弱神経症者」と呼ばずして何と言おうか」(クロード・マルタン、吉井亮雄訳『アンドレ・ジッド』九州大学出版会、2003年、23頁)。
〔引用5-8〕『田園交響楽』ジェルトリュードの宗教教育は、私に新たな目で福音書を読み返させることになった。それにつれてますます、我々のキリスト教の信仰を形づくつている数多の概念が、キリスト自身の言葉というよりはむしろ、聖パウロの釈義に負うところが多いように思われてくるのだった。/最近ジャックとした議論の主題は、つまりこれであった。いささか潤いの乏しい気質で、あの子の思想は心臓から十分な養分を摂取することがないため、いきおい伝統主義や教理神学に走るのである。あの子は、私がキリスト教の教義中から「自分の気に入るもの」だけ選びとる、といって非難する。けれども私は、キリストの言葉をあれこれと選びだてするのではなく、ただキリストと聖パウロとを並べた場合、キリストの方を選びとるだけの話なのだ。この二人を対立関係におくことを恐れるあの子は、二人を分離させることを拒み、二人の間に何ら啓示の相違を認めまいとする。そして私が、ここでは人間の声を聞いたかと思うと、かしこでは神の声を聞くように内心を漏らす、といって抗議してくる。しかも、あの子が論ずれは論ずるだけ、私としては次の確信を強めざるを得ないのだ。曰く、彼はキリストの言葉の片鱗にさえ響き返っている類いない霊妙音を、とうてい感得し得ないのだと。63頁、p.104-105.
〔コメント5-8〕聖書解釈の基準にパウロをもってくるジッドのやり口は私の方法と一致する。「キリストと聖パウロとを並べた場合、キリストの方を選びとる」という選択も一致する。ただし、私の場合はパウロとキリストでなくパウロ(文明)とイエス(先史)を並べる。傍証として、まずは「マタイによる福音書」第12章から引用する。なお、これは〔コメント2-5〕に挿入した「マルコによる福音書」第2章と内容的に重複しているが、引用の意図は相対的に異なる。
12:1そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた〔先史的〕。12:2パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」〔文明的〕。12:3そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。12:4すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである〔先史的〕。
共同の食事(コムニタス)を示すこの内容は先史の精神(歓待の儀礼)に相応しい。ジッドが描く牧師が「キリストと聖パウロとを並べた場合、キリストの方を選びとる」という心持ちは、私にはよくわかる。新約聖書の記述中にはあきらかに〔文明・人工〕と〔先史・野生〕の二種が混在しており、前者の機能をパウロが、後者の機能をガリラヤの漁師とともにあるイエスが担っているのである。たとえば、初期キリスト教教父の一人オリゲネスはパウロの後継として以下のように振る舞った。「コリント人へのパウロの書簡によれば、イスラエル人の出エジプトの時の各できごとは、キリストによって与えられた完全な恩恵の予型であり、キリスト者たちの教訓のために書かれたものである(一コリ10.1-11)。オリゲネスはこの考えを聖書全体にあてはめる」(オリゲネス、小高毅訳『諸原理について』創文社、1978年、訳者序言、viii頁)。
なお、私は比較宗教民俗学の見地から次のような理解で、キリストとイエスとを分けて捉えている。 ①人間になった神(神人:しんじん)=キリスト、キリスト教。②神になった人間(人神:ひとがみ)=イエス、オリエント自然信仰。イエスの肉体の共食(最後の晩餐)には②があって、それを後継者たちが①に転用した。その時に「私たちは人間=人神の肉(サクルス)を食べているのでなく、パンと葡萄酒つまり神=神人の体(ソーマ)を食べているのです」というアレゴリーが意味を持つようになった。こうしてキリスト教徒は、イエス信仰の原像として②を否定した。
六 アラカルト
〔引用6-1〕『プロメテ』パリ中の色々な知名の士がぞろぞろと彼〔プロメテウス〕の眼の前を通っていた。どこへ行くのだろう、と彼は不思議に思った。そこであるカフェのテーブルにつき、ビールを一杯注文すると、彼は尋ねた。「ボーイさん、あの人たちはどこへ行くんだね?」(中略)「あの人たちは何を探しているんだ」。ボーイは答えた。「(中略)あの人たちが探しているのは自分の個性(personnalité)なんです」。404頁、p.19-20.
〔コメント6-1〕“personnalité”は「個性」をも「人格」をも含意する。ボーイは会話中で「特異性(idiosyncrasie)」とも言い換えている(405頁、p.20.)。作品のあらすじをAIに調べさせてみたら、「神話のプロメテをパリの日常へ招き、自由と責任を皮肉に描くアンドレ・ジッドの風刺的な物語で、会話の妙と寓話的な展開が印象に残ります」と答えてくれた。アイスキュロスの作と伝えられる「縛られたプロメテウス」で有名だが、古代ギリシア人は、神々の物語の中にじつは人間の物語を織り込んだのだった。彼らには、本当は神でなく人間こそが最高の存在だった。けれども、神話の中ではやはり人間たちよりも神々のほうが圧倒的に強い。そこから、神々の中から人間の見方をする異端分子が出現した。その一神にプロメテウスがいる。この神は大神ゼウスに逆らって弱い人間たちに火と様々な技術を与えた。そのためスキティアの岩山に鎖で縛られ、日中、大鷲に内蔵を喰いちぎられ、夜中に再生した内蔵をあくる日また喰いちぎられるという永劫の責め苦にあった。それでもプロメテウスはゼウスに屈しない。本作品の最後には例の店で「これからそいつを食べるんですよ。……信じないのですか?」「食事はとてもここに書き表せないくらい素晴らしく陽気だった。鷲の味もたいへんよかった(Le repas fut plus gai qu’il n’est permis ici de le redire, et l’aigle fut trouvé délicieux.)」と書かれている(443-444頁、p.156.)。その言い回しは、ジッドが古代の神(ゼウス)的理念を否定しているのではなく、ディオニューソス的理念でもって古代を総体的に現代に浮上させてみたかったのではないか、と勝手に思っている。
〔引用6-2〕『背徳の人』ところで、率直に言うなら、若き王アタラリクスの姿こそは、私を最も強く惹きつけるものだった。この15歳の子どもが、ゴート人に暗々裏にそそのかされて、母親アマラスンタに反抗し、ラテン流の教育に背き、馬が全身を上げて煩わしい馬具に逆らうように訓育を投げ捨てようとし、年とって聡明すぎるカシオドルスとの付き合いよりも、いまだに粗野なゴート人との交わりを好み(préférant la société des Goths impolicés)、数年にわたって、同年輩のごつい寵臣どもと荒々しくも淫蕩な生活を自由奔放に味わい、ついには18歳の若さで、腐り果て、放蕩に酔い痴れて死んでしまった、その姿を私は思い描いた。よりいっそう野生的でまだ変化を被っていない状態を志向するこの悲劇的な跳躍のうちに、マルスリーヌが微笑みながら「あなたの発作状態」と呼んでいたものに呼応する何物かを見出していた。肉体はもうそれに捧げはしなかったが、少なくとも自分の精神をそれに適応させることを良しとしたかった。その一方では、アタラリクスの無惨な死に一つの教訓を読むべきだ、と自分を説得しょうと努めたのだった。110頁, p.76-77.
〔コメント6-2〕マスリーヌが微笑んでいる先に原初が遠望される。「よりいっそう野生的でまだ変化を被っていない状態」はジッドが好んで題材にするものである。ジッドは野生が好きで文明は嫌い、というのではない。どちらもなくて済むものではないことを作品に描くとともに、自身の生き様としていたのである。
なお、東ゴート王国第2代国王アタラリクス(Athalaric)について訳注にはこうある。
「アタラリクス(516?-534)。526年、10歳にして王位につくが、時の摂政の圧力に抗し奔放な生活を享受するうちに夭折」。松谷健二『東ゴート興亡史―東西ローマのはざまにて』(中央公論社、2003年)にはこう書かれている。「それがいつのことだったか、さだかではない。ともかく紀元前一世紀のころ、いまから二千年以上も前の話である。北部ヨーロッパ、ことにスカンディナヴイアではいやな気候がつづいたらしい。そのころ、南部スウェーデン、いまイェタランドと呼ばれているあたりに暮らしていたゲルマンの一部族は、悪い予感におびえていた。このままではいつ飢饉に襲われるかわからない。」(17頁)。松谷によると、ゲルマン人の一部は紀元前にスカンジナヴィアに暮らしていたが、やがて生存の危機に陥ってバルト海を南渡した、それがゴート人だ、としている。しかし、最近の研究によると、ゴート人の先住地はスカンディナビアでなく、現在のポーランドのポメラニア付近が原住地だとされている。「ローマ帝国と接するようになって以降の時代、ゴート族が黒海の北岸に居住したことは間違いないが、彼らの生活の歴史は考古学的に「ヴィエルバルク文化」へと遡ることができ、その原住地は現ポーランドのポメラニアではないかと推定されている」(南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、2013年、160頁)。
〔引用6-3〕日記1912.02.23 昨日朝、アインシュタインという、ぽってりしたドイツ人の訪問を受ける。近代的傾向を批判するために新しい雑誌を作りたいと言っていたが、その傾向の中の何を批判するのだったか、もう忘れた。好感は持てるが、まだ人間が練れていない感じ。ドイツ人はみなそうだ。II-22頁、p.374.
〔コメント6-3〕30歳代前半のアインシュタインが50歳ころのジッドを訪問したという。アインシュタインは、1912年にスイス・チューリッヒ工科大学の教授就任し、1914年にはベルリン大学の教授に就任した。その年の7月に第一次世界大戦が勃発したが、同月、最初の反戦争声明となる「ヨーロッパ人への宣言」(「ニコライ=アインシュタイン宣言League of Europeans」)に署名した。ジッドの言う「近代的傾向」は科学技術の戦争への協力にかかわる事柄ではなかったかと想像する。
〔引用6-4〕日記1912.05.07 私の望んでいる技術(メチエ)は、技術自身の中では決して把握され得ないような、秘かな、神秘的な、隠された独創性を持ったものでなければならぬ。人々は私の文章の完璧さによってはじめて私と気づき、そのためにだれも私の文章を模倣できないというものであってほしい。II-27頁、p.378.
〔コメント6-4〕技術といえば、まずはテクノロジーとかエンジニアリングという語が思い浮かぶ。だが、ジッドはここで「アート」(技術)と対比される「メチエ」(métier 職人技)について語っている。言いえて妙である。職人の世界では、アートとメチエは切っても切り離せないものだった。アートは目に見える技であるのに対してメチエは秘められた技である。鍛冶屋の焼入れ、板前の包丁磨ぎ、左官の土壁づくりなどは、メチエのなせるものといえる。それを現代人はアートと思っている。実はアートはメチエに支えられているのでである。ヨーロッパでは、メチエはマイスターによって連綿と継承されてきた。機械工業はアートをメチエから分断してしまったのである。ジッドの考えにある技術は明らかにメチエである。
〔引用6-5〕日記1915 新しい文明が始まっている。これまでの文明はあまりにもラテン文明に頼りすぎていた。つまり、文化が造り出した最も人工的で最も空虚なものに頼りすぎていたのだ。これに反してギリシア文明は実に自然なものだった……だがラテン文明はそうした欠点があったからこそ我々に接近したのだということを認めねばならない。II-165頁、p.506.
〔コメント6-5〕時は第一次世界大戦の最中なのだが、「新しい文明」とは、さて何を意味しているのか。古代に眼を向ければ、自然に根ざしたギリシア文明から人工的なラテン文明へ移行したのだが、20世紀においては自然と人工の総合された文明ということか。文脈上ではそのように解釈できようが、心に原初性を引きずっているジッドなのだから、自然と人工のほかに、先史(societas)と文明(civitas)を行き交う文化(cultus)ではないだろうか。折しも、シュペングラーは『西洋の没落』(全2巻、1918年、1922年)を執筆していた。その中でこう記している。「カエサル主義〔ポピュリズム〕の到来は、貨幣の、そしてその政治的武器なるデモクラシーの独裁を打ち壊す。世界都市的経済と、それから政治的形成力に対する利益とが長い間勝利を占めていたが、そのあとでは、生命の政治的側面がそれよりも強いということを示している。(中略)経済の私的諸力は、大きな財産の獲得のために自由を欲する。どんな立法もそれらを妨げるべきではない。それら諸力は、自己の利益のために、法を作ることを欲する。そうしてそのために、自ら作り出した道具、すなわちデモクラシー、あるいは賃雇いの政党を利用する」。シュペングラー、村松正俊訳『西洋の没落』第2巻、五月書房、1972年、428頁。Oswald Spengler, Der Untergang des Abendlandes, Zweiter Band, Gestalt und Wirklichkeit, München, 1922, S.634.
〔引用6-6〕日記1922.02.04 フロイト。フロイト主義……10年前、いや15年前から、私はそれと知らずにそれを実行してきた。私の数多い見解の中には、それを取り上げて厚い一冊の本に長々と陳述あるいは展開させていけば成功を収めたかも知れないものがいくつもある。――だがそれが私の頭脳の一人息子とならねば駄目だ。そのそれぞれを養ってきちんと育てあげるということも、そのどれをも特別に育てないということも私にはできない。III-50頁、p.729-730.
〔コメント6-6〕「それと知らずに」の解釈が微妙だ。知っていたらそうしなかった、ということか。いずれにせよ、エディプスコンプレックスで知られるフロイトの性科学は、フェティシズム(性の倒錯)を病理とみる。それはおかしい。ビュフォンやルソーと同時代のシャルル・ド=ブロスは、18世紀当時としては最新の研究方法だった比較宗教学の立場から、当時のアフリカ大陸やアメリカ大陸に残存する原初的信仰について研究した。そしてその地域信仰をフェティシズムと命名し、およそ次のように特徴づけた。これは本来の宗教以前のもので、本来の宗教の出発点である偶像崇拝(Idolatrie)が存在するよりも古い。宗教でないフェティシズムと宗教の一形態である偶像崇拝との相違は決定的で、例えば前者においては崇拝者が自らの手で可視の神体すなわちフェティシュを自然物の中から選びとるが、後者においては神は不可視のものとして偶像の背後に潜む。つまり前者ではフェティシュそれ自体が端的に神なのに対し、後者においてフェティシュはいわば神の代理か偶像かである。その背後か天上には何かいっそう高級な神霊が存在する。また、フェティシズムにおいてフェティシュは、信徒の要求に応えられなければ虐待されるか打ち棄てられるかするが、偶像崇拝において神霊は信徒に対し絶対者なのである。こうしてド=ブロスは、フェティシズムを宗教と明確に区別したが、病理などではない。フェティシュを神に遇するか否かは別として、人類の歴史を貫いてまっとうに存在する精神構造なのである。
〔引用6-7〕日記1925.01.28 ギボンの『自叙伝』読了。私はこの書をいうにいわれぬ恍惚たる気持ちで読んだ。また読む時のために、最も優れた幾冊かの本の横に置く。/『ローマ帝国衰亡史』を、ぜひ熟読したい…… III-136頁、p.803.
〔コメント6-7〕ジッドがなぜギボンに惚れ込んだか、分からない。『ローマ帝国衰亡史』の著者エドワード・ギボンは、18世紀のヨーロッパ諸国の知識人に一般的だったヨーロッパ中心主義を一身に背負っていた。それは以下の文章にもうかがわれる。「アフリカ人のたいていがそうだったように、セウェルス帝もまた空しい魔法や卜占術(the vain studies of magic and divination)の熱心な信奉者だった。夢判断や前兆解読については深い造詣があり、占星術にいたっては、まさに玄人はだしだった。事実この占星術というのは、今日でこそ知らず、ほとんどいつの時代にあっても、完全に人心を支配していたといってよい」(ギボン『ローマ帝国衰亡史』第6章「セウェルス帝の死」岩波文庫、第1分冊、232頁、原書、Edward Gibbon, The History of the Decline and Fall of the Roman Empire, London, 1862, p.48.)。
それからまた、バール神を祀る古代都市エメサにまつわる皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス(位218-222)の性格に対するギボンの記述は異常なまでに否定的である。「いくら色好みの人間といっても、もし理性さえ伴っていれば、必ずや自然の命ずる一定節度というものを守り、同じ官能欲の満足にしても、たとえば社会的人間関係とか、温い情愛関係とか、さらにはまた趣味性、想像力といったようなものによって、ある程度洗練されるのが常である。ところがエラガバルス帝(Elagabalus, 以下皇帝をこの名をもって呼ぶ)に至っては、その若さと生国と、そしてまた幸運によって毒されたものか、およそ下劣きわまる快楽だけに、とめどなく身を任せたばかりか、やがてはそうした享楽のさなかにおいてすら、飽満と嫌悪を感じるようになった。あとは不自然な人工刺戟に頼るほかなかった」(262頁、p.55-56.)。
〔引用6-8〕日記1927.03.06 あまりにも多くの計画が頭の中にある。そして何もかもを一遍にやりたいという欲望が。私の頭脳が今日ほど活発だったことはない。だが死の観念は一瞬たりとて念頭から離れない。私はかつて恐怖と書いた。だが、それは恐怖ではない……あるいは単に、自分自身に対する(そのうち、神に対すると書くだろう)義務を果たす暇がないという恐怖だ。この神の観念は大きな建築物をつくるのに恐らく役立つだろう。だがそれははじめドーム天井を支えるあの支柱のようなものとして役立つ。ドーム天井が完全に出来上がってしまえばもはや支柱は必要なくなる。それに我々が神について持ち得る観念は実に茫漠とした、また実に個人的なもの(personnelle)なので、人がそれを否定しようと信じようと私にとっては大した問題ではない。神は私にとっては、暫定的な大きな存在(le grand Bouche-trou)である。そこで私もユゴーとともに大きな声で叫ぶこともできる。/「神はおわします、おわします、おわします、絶対におわします」/だが、どんな《神がおわす》かということが分からなかったら、なんの役に立とう! 我々の礼拝も依然として人間の尺度内にとどまっている。だがどうしてそれを悲しむことがあろう。III-170-171頁、p.832.
〔コメント6-8〕ドーム天井を造るときにのみ必要な建築資材は完成品には残らない。単なる手段である。ところで、プラグマティズムの思想家ジョン・デューイは、著作『経験としての芸術』(鈴木康司訳、春秋社、1952年、John Dewey, Art as Experience, New York, 2005.)の中で、手段(means)と媒介(medium)との相違を以下のようにうまく説明している。「[媒介]は第一に仲介者を意味する。[手段]という言葉の意味もこれと同一である。それは現在隔っている物を疎通させる中間者、橋渡しである。しかし、すべての手段が媒介というわけではない。手段には2種の意味がある。一つは成し遂げられた事柄の外部にあり、他は到達した結果の中に取り入れられ、そこに内在し、残留する。(中略)色彩即ち絵画であり、音調即ち音楽である」(237頁、p.204.)。デューイは、前者の例として燃料のガソリンや建築の足場をあげ、後者の例として建築材のレンガや漆喰をあげるのだが、この区分でもってジッドの神観念を評価すると、彼の観念する神は手段である。このように彼は、一面では無神論者の側面ももっているが、他面では信仰以前の先史の精神をも理解している。
〔引用6-9〕日記1927.04.19『メトロポリス』。完全に悪趣味で恐ろしく愚劣なドイツ映画。ずいぶん製作費がかかったに違いない。見ていてそのことが念頭から去らない。/昨日、ヌーシャテルで『黄金狂時代』を再び観る。/シュアレスは自尊心のためにチャップリンにそっぽを向いている。いわれのない抵抗だ。この映画は一般の意見に賛成できる実に珍しい例だ。この点に関しては意見の相違はない。私たちは、私も諸君も、同じものを笑い、同じものを楽しむ。これは利用するのがふさわしい可能な一致だ。大衆が感嘆するものを軽蔑しないですむというのは実に素敵だ! III-173頁、p.834.
〔コメント6-9〕フリッツ・ラング監督の名作「メトロポリス」(サイレント版、1926年)は 近代物質文化を批判して余りあるものだが、ドイツ嫌いのジッドには評価が低い。「完全に悪趣味で恐ろしく愚劣」という批評がどのシーンに妥当するか、かつて有楽町の朝日ホールで弁士付きのフィルムを堪能した私には見当がつかない。チャップリンの「モダン・タイムス」(サウンド版、1936年)は「メトロポリス」にヒントを得ているように思える。1914年8月1日、ドイツがフランスに宣戦した日、ジッドの日記にこう記されている。「不安な期待の一日。なぜ動員令がくだらないのだろう? 一刻時を遅らすと、それだけドイツに時を稼がせるわけだ。攻撃されるがままになっているのは、あるいは社会党への敬意のしるしなのだろうか。今朝の新聞はジョレスの不条理極まる暗殺を報じている」(II-106頁、p.450.)。ここに記されているジョレスとは、帝国主義に反対していたフランス社会党指導者ジャン・ジョレスのことで、国粋主義者ラウール・ヴィランに暗殺された。
むすびに
アンドレ・ジッドとはいったい何者なのか? ジキルとハイドのような二重人格者か? いいや違う。彼は多様人格者なのだ。人格とは、それが幾重に渡ろうとも、二つと重ならない。存在するのはそのグラデーションなのだ。プリズムを通して多様に彩りを変化させる一条の光と同様なのである。では、その一条の光とは何であるか。ゲーテも愛した自然光である。その光を人間ジッドに例えるならば、彼は原初の野生的な人格者なのである。父方と母方二様の生い立ち、作風とキリスト教観、マグリブと野生、近親愛と原初愛、そういう個別の、旅する生活圏や思索圏にジッドは育まれ、多様なグラデーションを有する自我を確立したのである。私は中でもマグリブに彼の人格的多様性の沃土を見いだす。
ところで、わがファミリーヒストリーを一つ記す。父方祖父の寅三郎には辰壽という弟がいて、寅三郎の妻と辰壽の妻は姉妹だった。兄弟と姉妹が緩やかな家族を作っていたわけである。また、わが妻とその姉は母親が同じで父親は兄弟だった。兄が戦死したため弟が兄嫁の夫になった。そうした近親関係はおかしくもなかった。
さて、〔フェティシズム〕と〔歴史知〕と、それに〔多様化史観〕という視座及び方法でもって現代社会・現代文明を支える原初性を探ってきた私の研究歴にすれば、テーマとしてのジッドの文学と思想は自家薬籠中のものである。私は歴史学と哲学を学んで博士学位を取得し、社会思想と情報社会学、身体科学、科学者倫理で大学教員をつとめた。その間に、わが薬籠には、打出の小槌さながら多種多様な素材が入ってきた。今回はその一つを用いて読書ノートを執ってみた。本稿に先立ち、「19世紀ガリア農民の堅気と無頼―エミール・ゾラ『大地』に即して」(上・下)をサイト〔公共空間X〕でオンライン公開してもいる。あわせて参照願いたく思う。
(上)http://pubspace-x.net/pubspace/archives/16093
(下)http://pubspace-x.net/pubspace/archives/16119

(いしづかまさひで)
(pubspace-x16301, 2026.10.09)
