「人びとのための経済政策」について考える――松尾匡氏への質問

鳴海游

 
I.野党は人びとに「未来」を示すことができるか?
 
   日本の政治の劣化には、皆さんもう慣れっこになっているのかも知れません。しかし首相が政治を私物化しても、あるいは「嘘つき」かつ無教養であることが露呈しても、政権が安定しているというのは、どうも戴けない。その責任はまずは与党にあるのですが、責任の一端は野党にもある。いや「野党が頼りにならない」ことが、日本政治劣化の最大の原因と言ってよいかもしれません。
   枝野氏率いる立憲民主党は、2017年10月の衆院選・比例代表では一千百万票余を獲得したけれど、今年7月の参議院選の比例代表では七百九十万票余しか取れませんでした。じつに三百十万票余も得票を減らしたことになります。
   他方、共産党のほうも――無党派層の一部が共産党を応援するようになったにも拘わらず――得票を増やすことが出来ないでいる。
   そうした中で、唯一勢力を伸張したのが、山本太郎氏を中心とする「れいわ新選組」でした。「れいわ」は、選挙中マスコミからは無視されていたのに、街頭では大勢の人びとを集め、比例代表では二百二十万票余を獲得できた。「消費税引き下げ」を言えない「立憲民主党」から「消費税廃止」を主張する「れいわ」に無党派層の気持ちが移りつつあるのかもしれません。
   「れいわ」の抬頭は野党共闘の有り方をも変えつつあるようです。9月12日には共産党・志位委員長と「れいわ」・山本代表の会談が行われていますが(1)、その後の記者会見で、山本氏は「この国に生きる人々に対して、野党が力を合わせて政権交代した場合にはこういう未来が見られるよということを、もう話し始めなければいけない」と言い、志位氏は「山本さんが言った通り」と応じています。また政策面では両党が消費税廃止を目標とすることを確認した点が大きいでしょう。
   「共産党」と「れいわ」が消費税の5%への引き下げを野党の共通目標にすることを目指す一方で、立憲民主党には消費税の5%への引き下げに対して抵抗感があるようですから、これからの野党共闘では、「消費税の5%への引き下げ」を掲げるか否かが、重要な論点となるでしょう。
   
   私は現在、地域の「市民連合」に関わっているのですが、そこでも「消費税を始め、経済政策についてどう考えればよいか」が話題になってきました。多くの人から「消費税引き下げを掲げるべきだ」という意見が出される一方で、「国の借金がどんどんを増えていってよいのか?」という意見も出てくるのですが、経済政策の領域になると私たちの知識はまことに乏しい。それで専門家を招いて勉強会を開催しようということになったのですが、初回は「反緊縮」を掲げる経済学者・松尾匡氏に講師をお願いしました。(松尾氏は山本太郎氏の経済政策にも大きな影響を与えていると言われています。)
   松尾氏などが書かれた『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』という本に、<2016年のフランスでは数ヶ月間毎夜、大勢の人びとが広場で政策論議のシンポジウムをやった>という話が載っていましたが、それに較べれば、私たちの集会はささやかなものです。それでも素人には難しい経済学の勉強会に百名余が集まったのですから、経済の問題を自分たちで考えようという機運が日本でも拡がっているのは確かでしょう。
   この勉強会の模様については、動画(2)がアップされていますから、それをご覧いただくことにして、ここでは私が事前に松尾氏に文書で質問した事柄について述べることにします。なお今回は、当日の質問も多く、事前の質問事項に関しては議論ができませんでしたが、また次の機会に議論が出来ればと思っています。
   
II.松尾匡先生への質問                                  
 
   反緊縮を掲げる「れいわ新選組」(以下「れいわ」)が国政の場にも登場しましたので、まず「れいわ」が掲げた政策全般についてどう評価されるのか、お伺いしたいと思います。特に気になっているのは、松尾先生の提起されている政策と「れいわ」の政策とは違うところがあると思われる点です。以下、具体的な質問を述べます。
 
1.デフレが終われば、実質賃金は上がるのか?
   まず「れいわ」の「お金配ります」という政策について。「確実にデフレ脱却は出来ます。一人あたり月3万円を給付。……インフレ率2%に到達した際には、給付金は終了、次にデフレ期に入った際にまた再開します(3)」とのこと。
   これに対して松尾先生は、インフレ期には「名目賃金が上がっても実質賃金は下がっているという現象は一時的には起こる」ことを指摘され、「実質賃金が下がった局面でも人びとの生活水準が下がらないように給付金などで手当てしたり、最低賃金を引き上げたり、労働運動のバックアップをしたりすることは必要(4)」と言われている。まず疑問に思うのは、「れいわ」はインフレ期にも「給付金」などの財政支出が必要なことを忘れているのではないか、ということです。
   そして、これに関連して松尾先生にお伺いしたいのは、「労働組合が弱い日本では実質賃金は、インフレ期には、一次的にではなく、ずっと下がってしまうのではないか?」という疑問です。例えば連合をバックアップすることで、賃上げが期待できるのでしょうか。期待できないのなら、インフレ目標は、もっと低いほうがよいのではないでしょうか?
 
2.「反緊縮」政策にも――インフレ率による以外の――歯止めが必要ではないか?
   「れいわ」は「デフレの間はどんどんお金を配る」という考えで、財政支出に対する歯止めが見当たらないように思われます。「インフレ2%になれば、給付金は終了する」、「増税する」ということのようですが、実際の政治過程で、こういうことが可能なのか?この点に疑念が残るのであれば、「反緊縮」を掲げる際にも、「財政支出」の裏付け、あるいは(インフレ率以外の)歯止めも明示しておかないと、有権者は安心できないでしょう。
   具体的には、松尾先生の次のような提起が「財政支出」の裏付け・歯止めになると思うのですが、如何でしょうか。
   「コービンの2017年の「反緊縮マニフェスト」の付属資料を見ると、教育とか子育て支援とか医療、そういう経常的な支出は大企業や富裕層への増税でまかなう。経常的な支出に対しては税金で、という考え。一方、「インフラ投資」とか「エネルギーシステムへの投資、住居や科学研究への投資は、低金利でお金を借りてくる」と書かれている。つまりストック関係の投資に関しては緩和マネーを使い、経常的な支出増は大企業や富裕層への増税という振り分けで対応している。経常的な支出はあとでインフレが進んでも減らせないという意味では、合理性のあるやり方だ。(5)」(要旨)
   コービンの分類はともかく、財政支出の裏付け・歯止めをはっきりさせることは是非とも必要だと思うのですが。
 
3.企業や富裕層への課税方法、キャピタル・フライトへの対策を考える必要があるのではないか?
   山本太郎さんは、「お金のあるところから取るというが、企業がタックスヘイブンに逃げないか」との質問に、経産省のデータを示して、「企業が海外に行くのは、その国に需要があるからなんです。『税金が安い』という理由は下位」と答えているそうです(6)。山本さんの答えは「直接投資」の話ですが、質問の方は「マネー」が外国に逃げる話なので、回答がズレているのでは?と思いました。課税に対して企業や富裕層が逃げるのは、すでに起こっていることで、アマゾンなどは日本であれだけ商売しているのに、たいして税金を払っていないわけですね。
   したがって、企業や富裕層から税金を取る方法、キャピタル・フライトへの対策はしっかり立てるべきではないでしょうか?
 
4.インフレ率2%時には日銀のバランスシートに「穴」が開くと思いますが?
   インフレ率が2%になると、国債の割引現在価値は下がるので、国債を大量に保有する日銀のバランスシートに穴が開きます。黒田総裁は、2017年5月10日の衆議院財務金融委員会で、「長期金利が1%上昇した場合、日銀が保有する国債の評価損が23兆円程度に達する」と答えています。そしてこれを基にして、野口悠紀雄さんは「消費者物価上昇率が2%に上昇した場合には、短期金利も2%以上になるだろう。長期金利はそれより高くなるので、3%になる可能性が十分ある。仮に3%だとすれば、保有国債の評価損は、69兆円」としている(7)。日銀は国債は満期まで保有すれば良いのかもしれませんが、その場合は日銀の当座預金(現在400兆円)は減らない。これに仮に2%の利子を付けると、日銀は年8兆円程度の金利を負担することになる。また仮に利子を付けなければ、400兆円の当座預金が流出して、インフレが進行するでしょう(8)。 
   松尾先生は、「法定預金準備率」(“日銀への準備預金(当座預金)/金融機関が受け入れている預金”の比率に対する縛り)を引き上げることを提唱されています(9)が、「法定預金準備率」が引き上げられてもインフレ下で預金金利がゼロであれば、市中銀行の預金は引き出され、日銀の当座預金も引き出されるわけですね。インフレ下、金利を上げずに預金の流出を止めるとなると、「預金封鎖」に拠るしかなくなるのではないでしょうか?
   さらに、インフレ率が2%になると、国債を保有する金融機関も破綻するところが出ると思いますが、金融機関が破綻すると信用が収縮するので、これを防ぐためのコストも必要になるでしょう。このときは「インフレ下では増税で対応する」=「国債増発では対応しない」という原則を政府は守ることができるのでしょうか?
 
5.労働力人口の減少は心配しなくてよいのか?
   松尾先生は、生産人口の減少について次のように言われています。
   「近年、あらゆる労働力人口の推計が上方に裏切られ続けているのです。/これは、高齢者はたしかに増えてはいますが、他方で子どもが減っていますし、主婦や退職者が働きに出るようにもなっているからです。今後主婦や退職者の社会進出がさらに進んでいけば、この比率が下落して困る事態にはなりません。(10)」(要旨)
   しかし主婦や退職者は就業しても、正規雇用の労働者一般と較べて平均的な年間総労働時間はかなり短いでしょう。定年退職者の再就職の場合、労働内容も定年前とは変わって、労働者への負荷が高い職種からは離れている場合が多い。また現状は完全にリタイアする年齢が上昇してる途中だから労働人口の減少が緩和されているが、完全にリタイアする年齢の上昇はある時点では止まるから、多少遅れても労働人口比率の低下は避けられない。つまり経済成長に対する供給側からの制約がタイトになるわけです。
   そうすると、松尾さんたちも言われる「未来への投資」をもっと重視したほうがよいのではないでしょうか。
 
6.供給側についての政策、「未来への投資」そして「教育」について
   松尾さんは労働生産性の上昇について次のように言われる。
   「労働生産性が上がれば、ひとびとに必要な生活物資を少ない労働で生産することができますし、そうすれば、生産性が上がった部門の労働配分を減らして介護など必要なところの労働配分を増やすことができます。……ひょっとしたら、人工知能などで画期的な生産性上昇が起こるかもしれません。そしたら問題は解決されるということになりますが、しかし、それを政府が自由にコントロールすることはできません(11)」(要旨)
   たしかに、一般的には「労働生産性は政府が自由にコントロールすることはできない」のかもしれませんが、少なくとも教育のあり方と経済発展の間には有意な関係があることは否定できないのではないか。例えば、明治以降の日本経済の発展の土台に、小学校から大学に到る教育制度の確立があったわけです。
   このように、公教育のあり方は政策として考えることができる。「未来への投資」を考える上でも教育への投資は、極めて重要ではないでしょうか。
   「教育」を考える場合、よく取り上げられるのは、教育への財政支出の拡大です。これはもちろん重要ですが、それと並行して重要なのが、「教育」の中身ではないでしょうか。
   「数学は公式の暗記ではなく、論理だ。/残念ながら、日本の数学授業で覚えたのは暗記方法とテストを短時間でやることだけ。」
   「[日本の青少年の]問題は、学びが消極的な点。積極的に定説に対して疑問を投げ掛けたりすることがない。/創造性のある科学者に必要なのは、いい頭ではなく、「強い地頭」。自問自答、自学自習ができないといけない。/それから、感性と好奇心。これが不可欠です。そして新しいことに挑戦しなければいけないから、やっぱり反権力、反権威じゃないと駄目ですね。年配者や先生への忖度(そんたく)は無用です。」
   引用した発言のうち、前のものは、ブラジルから来た高校生の「なぜ僕の数学力は日本に来てから低下したか(12)」という文からの引用、後のものは、野依良治氏(化学者)の「「本気で怒っている」日本の教育に危機感(13)」というインタビューからの引用ですが、この二つの発言は日本の教育が抱えている問題の核心を指摘しているように思われます。
   少し脱線しますが、今回「れいわ」から立候補した安富歩氏は「私は、現代という時代を、明治維新によって成立した日本の「国民国家」システムの緩慢な解体期として理解している(14)」と言っています。その近代日本の「国民国家」システムの一環としての教育システムは、学習の動機を好奇心ではなく「立身出世」に置くものです。そうである限り、「定説」(=師の説)に逆らう学生が少なくなるのは当然で、このシステムでは考える力は抑圧されてしまうのも当然です。
   かつては「有効」だった日本教育システムも時代の進展とともに、生産力を抑圧するものに展化しているのではないか。いまは、日本の教育を「明治維新によって成立した日本の「国民国家」システム」から解放しなければならない時だと思うのですが……。
 

(1)https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-14/2019091404_01_0.html
(2)https://www.facebook.com/chiba139shimin/videos/2415878971961024/
   https://www.facebook.com/chiba139shimin/videos/751346395335476/
(3)https://reiwa-shinsengumi.com/policy/
(4)『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』p.193-4
(5)『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』p.183
(6)https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12617 
私の質問は、私が当初読んだ記事での要約によるものだが、この記事を読むと山本太郎は実際にはかなり丁寧に答えていることが分かる。しかしキャピタル・フライトを考える場合は、預金・証券形態での逃避を考える必要があるのは、言うまでもない。
(7)『異次元金融緩和の終焉』p.192
なお、2018年9月末時点の長期国債の保有状況からすると「国債の金利がイールドカーブ全般にわたり一%上昇するという場合の影響を試算すると、長期国債の時価総額は二十九兆三千億円程度減少する」(今年5月23日の参議院財政金融委員会での若田部日銀副総裁の答弁)。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/198/0060/19805230060011a.html
(8)野口悠紀雄は次のように言う。
「仮に現在の超過準備がすべて取り崩されて日銀券になれば、マネーストック(M1)は約4割増加する。もし物価がマネーストックに比例して上昇すれば、物価は約4割上昇するだろう。現在の日本は、潜在的にこのような状態にある。市中金利が上昇したときに当座に付利がなされなければ、当座は取り崩され、実際にこのようなことが生じるだろう。
物価上昇は円安を引き起こす。そして、円安は輸入インフレをもたらす。かくしてインフレが加速する。そして、キャピタルフライトが生じる。これは、中央銀行が自国通貨の価値の維持に失敗したことを意味する。」(『異次元金融緩和の終焉』p.206。)
(9)『左派・リベラルのための経済作戦会議』p.88
(10)『左派・リベラルのための経済作戦会議』p.102
(11)『左派・リベラルのための経済作戦会議』p.103-4
(12)「なぜ僕の数学力は日本に来てから低下したか」
(13)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00010002-wordleaf-soci
(14)https://anmintei.net/a/688
 
(なるみゆう)
 
(pubspace-x7402,2019.10.22)