新藤兼人論序説

積山 諭

 
  新藤兼人監督の作品に最初に接し驚愕したのは学生時代に旧フィルムセンターで観た『裸の島』である。以来、新藤監督の作品は断続的に観続けてきた。広島出身の監督にとって原爆は生涯のテーマである。『裸の島』には、その痕跡はあっても、直接の映像はない。しかし、『原爆の子』や『さくら隊散る』は正面から題材として向き合っている。『裸の島』は行きつけのレンタル・ショップにはない。しかし他の作品は幾つかあるので、この十数年は劇場ではなく、レンタル・ショップで借りて観続けている。先日、監督第39作目の『さくら隊散る』を久しぶりに観た。丸山定夫という広島で被爆した俳優の死と経歴が周辺の役者仲間たちのインタビューで構成されている。1988年公開の作品である。当時の俳優たちを起用し物語を挿入しているが、ドキュメンタリー仕立ての作品だ。そこに新藤兼人という脚本家から映画監督となり、職人と言っても良い人が、一人の先の大戦の証言者として生涯こだわった痕跡が明確に記録されている。歴史の忘却が進む現在の多くの日本人、そして原爆を落としたアメリカ人たちに是非とも見て頂きたい作品である。今こそ先の大戦の歴史事実を告発する作品と確信する。丸山と同じ、役者仲間の小澤栄太郎は、インタビューのなかで、先の大戦を被害者としてだけでなく、加害者としての視点も忘れてはならない、と述べている。
  丸山定夫(愛称ガンちゃん)という役者は広島で被爆し、即死ではなく、8月16日まで生きた。8月15日に被爆後に看病していた女優さんや仲間の俳優が「戦争終わったよ」と語りかけても何の反応もしなかったという。その役者を、残されている映像と役者仲間の証言で新藤監督は生涯と死までの過程を作品として構成している。長寿を全うした映画監督の執念とでもいう意志が貫かれている秀作だ。それは多くの広島で果てた死者たちへの鎮魂と言ってよい。モーツァルトの『レクイエム』の「キリエ」とピアノ協奏曲の一部も引用されている。それらと証言者たちの生々しい語りが作品に生き生きとしたリアル感を生み出している。即死しなかった多くの死者たちが、どのような無念で死んだのか。昭和から平成、令和を、お気楽に生きる私たち日本人に痛烈な思索を促す苛烈な作品であることを改めて実感する。
  新藤監督が『濹東綺譚』を制作する過程で読みだしたと言う、老いの性と生を自覚した監督が、荷風の『断腸亭日乗』を引用しながら語る「『断腸亭日乗』を読む」(2009年 岩波現代文庫)を繰り返し読み、戦時中の荷風の戦争観にも刺激され、私も新たに先の大戦を〝戦争を知らない世代〟として、新たな思索を継続していく契機となるからだ。
 
(せきやまさとし)
 
(pubspace-x7276,2019.10.12)