涙かくしのサングラス

森忠明

 
 都立田園調布高校の数学教師・西潟にしがたやすしが拙宅にやってきて、「2学期、文学志望の生徒に講演してください」と言った。ノーギャラのようである。互いに十六歳の春、都立五日市高校で出会ってよりの付き合いだ。承諾。
 お公家さん的寡黙の美男西潟と、荒法師的饒舌の私とが、なぜ四十年も仲良しなんだろう。やはり五日市高校の同窓、大阪芸術大学教授になっている小山高生いわく、「森と西潟が立ち話してるところは、原田芳雄が吉永小百合をかどわかそうとしてるようだ」。さすが芸能研究家らしい表現。じっさい若い頃の西潟は、行きずりの人に「サユリさんの弟?」とか、よく訊かれていたものだ。
 娘がお茶をもってきて、ふたことみこと会話して去ると、独身子無しの西潟は妙にしみじみした口調で、
「森くんは幸せだね。ああいう守るべき者があって……」
 皮肉や嫌がらせを言う人間ではないから、素直に頷きたいが、世界有事の刻下、”幸せ”と認定されて喜んではいられない。
「守るべき者っちゅうが、それは優等生の立派な男の思い込みでさ、オレなんか結婚以来一度も女房や娘を守るなんて僭越なこと考えませんでしたね。名探偵コナン、工藤新一くんは毛利蘭ちゃんに「おまえを絶対に守る!」って叫ぶけど、オレは女や子どもをオマエ呼ばわりできないよ。太古よりこの方、男は常に子どもや女のつよさ美しさに守られてきたんじゃないの。(ヒップポケットから手帳を取りだし)ほれ、その証拠。ここに”西日”という夏の季語で作った俳句が(講談社版カラー図説日本大歳時記から)書きうつしてあるんだ、女三人分と男三人分――交叉路の影なき西日別れ易し(野澤節子)、西日さし入る喪の家の皿の数(桂信子)、西日照りいのち無惨にありにけり(石橋秀野)。どうです。女はハードボイルド&サムシンググレート。それにひきかえて男はこうよ――西日歩き余り者にも似たるかな(大野林火)、家中を浄む西日の隅にいる(西東三鬼)、西日中電車のどこかつかみてをり(石田波郷)。ね、男はショボイの。かく言うオレも黒眼鏡で実悪ふうにキメテ?ますが、正体は涙かくしのためだろ。あんたも知ってる有明ありあけ昭一良あきいちろね、あの幼馴染が三十三年前の七月二十八日に琵琶湖で死んでから、涙が止まらねえわけさ。あいつとは肉体関係は無かったけど、なぜか想いだすたびに泣けるんです」
 

有明家断絶の日の西日かな

 
 七年前の祥月命日。三田花で供花を買い、車で多磨霊園へゆくと、なんたることぞ、有明家の墓石が無い。彼の祖母が百歳で死去、後継者絶え、墓を都に返したのだという。
「生きてるときもはかない風情のやつだったが、とうとう墓ない男になっちまった」
 夏草ばかりの墓所に花を投げ、前掲の駄句をつぶやき、汗まみれで帰ってきた。
 
(もりただあき)
 
この記事は「タチカワ誰故草」(『えくてびあん』平成15年8月号より平成18年7月号まで連載)から著者の許諾を得て掲載するものです。
 
(pubspace-x4987,2018.04.21)