マーラーの音楽

積山 諭

 
 
  突破(Durchbruch)とは、テオドール・W・アドルノがマーラーの作品を解くキーワードである。『マーラー 音楽観想学』(法政大学出版 龍村あや子訳)で、龍村氏は次のように説明している。
 
  突破(Durchbruch)は、「世の成り行き Weltlauf」「一時止揚 Suspension」とともに、アドルノがマーラーの形式を分析する上での基本概念として提示するものである。―マーラー論において<突破>は<世の成り行き>と対置され、この両者の対比は時間性の非連続として現れる。すなわち、<世の成り行き>とはこの場合単なる「世間」の意味ではなく、平穏でつつがなく流れて行く世間的な、あるいは表面上論理的な、伝来の芸術語法で了解可能な時間の動きを意味する。これに対し、その時間を突発的に多種多様に打ち壊し、目覚めさせようとする瞬間がすなわち<突破>として捉えられるのである。さらに、「突破」によってそれまでの内在論理が一時的に停止され、一定の時間、別世界が繰り広げられることが、いわゆる<一時止揚>にほかならない。<一時止揚>としたSuspensionは弁証法的に妥当なのかわからない。しかし、アドルノの論旨のなかで理解できる余地があるようにも思う。それは翻訳者の見識を窺わせる。つまり、正・反・合の三態を繋ぎ止めるのがSuspensionの訳語としての<一時止揚>という説明が可能のように思われるからだ。
 
  そのような哲学的解明を介してマーラー作品を聴けば新たな相貌を帯びてマーラーの意図と作品が聴ける面白さがある。
 
  吉田秀和は『マーラー』(河出文庫2011年)の文庫あとがきで次のようなエピソードを書いている。
 

1968年のある日、ベルリンで暮していた私のところにまだ若かった小澤征爾がやって来た。彼はベルリン・フィルでマーラーの第一交響曲を指揮したばかり。話は当然それに及んだ。「ところが楽員の中にはこの曲を一度もやったことがない。マーラーなんてよく知らないなんて平気でいうのが大勢いるんですよ。驚いちゃった」と彼は言った。

 
  不思議でも何でもない。ドイツではこの間までマーラーなどユダヤ系の音楽家の曲は御法度だったのだ。私は小澤がそんなことも知らないのにむしろ驚いた。でも、同じ敗戦国でも日本ではそうではなかった。
 
  とはいえ、マーラーは戦前だってごくたまにしかひかれなかった。戦後しばらくは専ら第一交響曲か、せいぜい第四。山田一雄がN響で第二とか第三とかやると、特別評判になった。外来の楽団の演目もそんな程度だった。(同書p206)
 
  それからすると確かに隔世の感がする。私たちは洪水のような新たな録音でマーラーを聴くことができる。もちろん演奏会も全国で日本のオーケストラや海外のオーケストラの実演に接しられる。そこでマーラーはどのように私たちに受容されているのか。その経緯を吉田秀和の論考は示している。そのように戦後の日本や海外でのマーラー作品を吉田は文章にしている。それはアドルノのマーラーと併せ読むとマーラー作品の多様性と内包するものを明るみに引き出す。
 
  小澤はかつての古巣ボストンで全曲を録音した。本場ドイツの響きをボストン響に移植した小澤とボストンの録音は米国でのマーラー受容に記念碑的な役割を持つ快挙と言える。小澤がボストンを離れるときに選んだマーラーの第九交響曲は別れの作品として万感迫るものがあった。私は映像でそれを見たのだが、小澤と団員たちの哀切が伝わって余りあった。同じくユダヤ人指揮者のワルターやクレンペラーの録音や実演は米国はいうに及ばず新たにヨーロッパでもマーラー受容に寄与した。それは西洋音楽の変遷史でもある。特にマーラーと親しく交わったワルターの演奏と『主題と変奏』の回想録で読み取られるマーラー像とベートーヴェン作品とワーグナー作品の新たな演奏は歌劇場指揮者としてのマーラーの面目躍如の評判をウィーンやミュンヘン、ベルリンで聴衆を魅了したことが伝えられて貴重である。それは音楽史を超えてドイツやオーストリアはじめヨーロッパの歴史を辿ることでもある。その歴史の進行はアウシュヴィッツの歴史事実に行き着く。それを経験しなかったマーラーはある意味で幸運な人生だったとも言える。しかし戦後の音楽史は政治、思想とも絡みながら現実に至っていることに盲目であってはならないだろう。マーラーを聴くということはそのような体験をするということでもあるからだ。それはアドルノの論考を読み新たに自覚することでもある。
 
(せきやまさとし)
 
(pubspace-x4974,2018.04.06)