高橋一行
1. 私にとってのサブカル
2. サブカル論の現在 日本文化論として
3. サブカル論の現在 ポストモダン論として
4. 情報化社会のサブカル
1. 私にとってのサブカル
例えば、内田樹は、6歳の時に、母親からマンガ雑誌を買ってもらったというエピソードから、そのマンガ論を始めている(内田2010)。本当に大喜びをしたと彼は書いている。それは祝福すべき体験である。しかし、私の家は極貧だったから、子どもの頃、私はマンガを買ってもらえなかったし、テレビもあまり見せてもらえなかった。そのため、私の世代ならば、誰もが崇拝する手塚治虫に、私は思い入れがない。しかし小学生の高学年になって、赤塚不二夫の「おそ松くん」、「秘密のアッコちゃん」、「天才バカボン」は見ているし、横山光輝の「魔法使いサリー」は楽しみのひとつだった。また藤子不二雄の「オバケのQ太郎」や「パーマン」も見ている。まもなく、「巨人の星」や「あしたのジョー」も始まっている。それらには親しんでいる。
次に私がマンガを読みだしたのは、大学生の時で、この頃は、山岸涼子や萩尾望都、竹宮恵子、樹村みのるなどの少女マンガをずいぶん読んだ。それから同時に、「ビッグコミック」や「アクション」などの青年誌も毎号必ず読むという習慣が、これは40代くらいまであった。その頃はマンガ論を書きたいと思っていたのだが、しかし、吉本隆明が80年代前半から盛んにサブカルについて書き始め(それらは、吉本1984や吉本2009に収められている)、また呉智英の『現代マンガの全体像』(1986)などが出て来て、私の書こうと思っていたものが、それら以上の出来になるとは思えなかったので、結局、書かなかったのである。
次に私がマンガやアニメに親しんだのは、現在33歳、30歳、28歳になる、3人の子どもたちとともに過ごすことができたからである。「ドラえもん」や「ワンピース」は全巻持っている。佐々木倫子のキャラクターの物まねは、子どもが小さい頃の我が家では、日常的になされていた。深夜に放映された「エヴァンゲリオン」は、眠たいのをこらえて何とか起きていた長女と一緒に見た覚えがある。宮崎駿のアニメは多分すべて見ている。
しかしそれだけでサブカル論が書けるとは思わない。例えば東浩紀が、2007年の本の後書きに、「(私も)すでに30代半ばを過ぎ、いよいよ錆が目立ちつつある」と書いている。この言葉が象徴しているように、私が今回読んだマンガ論の書き手の中で例えば、東浩紀や伊藤剛が現在40代後半で、彼らが良い仕事をしたのは10年前。大塚英志とか、大澤真幸とか宮台真司という、私とほぼ同い年の、つまり50代後半の人たちのものも読んだのだが、彼らの書いたもので面白いは、20年前のもの。しかも皆、30代で本を出した時点で、彼らは自分がもう若くないと思っている。それで、20代の友人を周りにたくさん持っていて、彼らから情報を仕入れて、何とかやっている。そういう状況だ。50代後半の私が、今から始めてやって行かれる分野ではない。しかし若者に媚びるのではなく、彼らを見下すのでもなく、彼らと同じ時間を生きているのだということを伝えて行かないとならないと思う。そのためにはどうするか。
そういう思いがあって、ようやくここにサブカル論を書こうと思ったのは、ひとつには、これはサブカルについての論ではなく、サブカル論についての論であるということ、つまりサブカルを直接論じる能力は私にはないが、サブカルを論じているものをまとめ、自分の問題意識に従って論評することはできるだろうと思うのである。つまり自分の得意分野に引き込んで論じることはできる。それからもうひとつは、3人の子どもたちからはいろいろな示唆を受けており、そういうこともあって、何とかやってみようと思う。
さらに何より決定的なのは、とりわけ95年あたりになって、以前のマンガファンから、最近のマンガは衰退したとか、あるいはサブカル全体があまりにも軽くなり、つまらないとか、軽薄だとかということが言われる。確かにマンガやアニメが多様化し、また今までなら、サブカルと言ったら、マンガやアニメがあって、あとは、例えば、音楽と性的コミュニケーション(宮台他2007)を入れれば良かったのだが、そこに、こののちに取り挙げる黒瀬陽平が扱う、GREEとか、モバゲーといった、ソーシャルゲームが出て来て、さらにはライトノベルもあり(竹中2016、東2007)、こうなると、先行世代が付いて行かれなくなる。しかし先行世代が付いて行かれなくなったのは、95年以降のサブカルに原因があるのではなく、それ以前の世代の感性の方にそれを理解する器がないからなのではないかと思う。むしろサブカルは、95年を過ぎて、一層サブカルらしくなったのではないかと思う。その軽さの擁護をしなければいけないのではないか。そういう問題意識があり、以下に少しばかり考えるところを述べようと思う。
2. サブカル論の現在 日本文化論として
ふたつの問題群があるだろう。
ひとつは日本文化に関わるもので、もうひとつは、ポストモダンとの関わりである。
こういう言い方ができる。戦後、マンガはまずアメリカの、ディズニーなどの強い影響下で始まった。それが60年代に急速に発達したものだから、80年代は、日本が世界一という高揚感があり、アメリカに対するコンプレックスと屈折は表面的には忘れられ、しかしそれは今でも根強くくすぶっている。とすると、サブカルチャーの戦後史は、日本の思想の戦後史そのものと重なる。
例えば、「鉄人28号」の鉄人はアメリカ軍で、その操縦をしている正太郎少年は、無垢な心、すなわち憲法9条を持つ日本人であり、アメリカ軍と日本人が良好な関係であれば、世界は平和であるという解釈を、多くの人がして来たのである(内田2010、p.158ff.)。それは「エヴァンゲリオン」でも同じことかもしれない。つまりそれらは、巨大なアメリカの下にある矮小な日本の戯画に他ならないのである。
もう少し細かく見て行くと、まず、日本では、1970年代から、マルクス主義が退潮するのと前後して、ポストモダンが出て来て、それらが左派的な言辞に影響を与え、かつ、それらが日本では特異なことに、アカデミズムではなく、ジャーナリズムの場で広がった。そして、同時に出て来たサブカルチャーと相互作用して、思想的に大きな問題となった。そこには、良く言われる、大きな物語の喪失とか、虚構の時代という風にまとめられる思想状況がある。そこに、ポストモダンとサブカルチャーが、同じ物事の表裏の関係にあって、その状況を良く表している。しかも、小林よしのりや安倍首相を見れば分かる通り、サブカルチャーは右派にも影響を与えている。
さらに私が拘るのは、私は90年代のオウム真理教の事件が、戦後最大の問題だと思っているので、そしてそのオウム真理教にサブカルチャーは本質的に関わっている。敢えて挑発的な言い方をすれば、そしてまた、大澤真幸や東浩紀の言い方をそのまま使って言えば、70年代の連合赤軍と90年代のオウム真理教事件は、前者が共産主義という社会的に認知された物語を信じたのに対し、後者が認知されにくい物語を信じていたという違いがあり、その違いには、前者がマルクス主義に、そして後者がポストモダン的なサブカルチャーに影響を受けたという点に求められると思う。かくして戦後の思想状況を考えるのに、日本では、サブカルチャーは外せない。
以下は、大塚英志の整理を使い、まず、戦後日本におけるサブカルの位置付けについて書いてみる(大塚/大澤2005)。
さて、戦後マンガはディズニーから始まり、現在においても、その繰り返しである。日本のマンガが世界で評価されていると言っても、その枠の中での話だ。
まず、ディズニーはキャラクターという概念を持ち込んだ。ミッキーマウスは鼠だが、誰も鼠だとは思わず、それはまさしくミッキーマウスなのである。
その上で、マンガの成立には、次の二点が要る。ひとつは、非リアリズム的手法、つまり記号の中でのリアリズムが成立すること。もうひとつは、キャラクターを成立させ、その中に主体を読み込むことである(p.30ff.)。
キャラクターは身体性を持たないと、大塚は繰り返し言う。ディズニーのキャラクターは、ローラーに惹かれると、ペラペラになるけれども、次の瞬間、元に戻ってしまう。彼らは決して死なない。
そしてそののちに、少年マンガ、少女マンガが流行り、アニメ化されて、普及する。さらにそこに劇画が登場する。川崎のぼるの『巨人の星』とちばてつやの『あしたのジョー』は梶原一騎の原作の下で、身体性が生じる。つまり、主人公の星飛雄馬もジョーも日々、その肉体とスポーツの技術を成長させるのである。しかも後者においては、ライバルは戦いが終わったのちには死んでしまう。劇画にはこういう進展がある。
また、少女マンガは、性的身体という観点を導入した。萩尾望都は、性的に成熟した身体を持つのに、大人になれない少女を、また竹宮恵子は同性愛を描くことで、セックスそのものをマンガに持ち込む。
さて、元々キャラクターは、世界観や物語からは乖離していて、そこには構造しかないのだけれども、時代とともに、それがますますその傾向を強める。サブカルチャーの交流、オタクの出現の背景には、こういうことがある。
その中で、宮崎駿は、物語構造が洗練され、ナショナルアイデンティティーを備えて、出現する。大塚の表現を使えば、「日本国民が再国民国家化して、国民文学がアニメとして現れた」(p.210)ということがある。
さて、以上は大塚の分析だが、さしあたって、それをそのまま引用しておく。その上で、問題はさらにそののちに生じている現象をどう考えるかということなのである。これはどういうことかというと、例えば私は、20年前、ドイツに出掛けて、日本のマンガがたくさんドイツ語に翻訳されて、キオスクなどで売られているのに驚いた。しかしそれは20年も前の話であって、今例えば、伊藤剛によれば、フランスでは、フランス人の若いマンガ家が日本を舞台にして、日本的なコギャルが主人公のマンガを描いている。それをフランスの若い人たちが読んで、日本に憧れる。そういう状況が生じている。つまり私たち日本人が欧米の影響を受け、そのコンプレックスに苦しみ、やがてそれを乗り越えて、やっと欧米に認知されたという段階があり、さらには日本のマンガが世界一だという、コンプレックスの裏返しとしての優越感が生じるという歴史を持っているのだが、ようやくそういうコンプレックスと優越感の時代を超えて、日本発のマンガが世界で読者を持つというだけでなく、創作者をも産み出すという、つまり特殊な文化が普遍性を獲得する段階に来たのではないか(伊藤2008)。それもまた、アメリカの影響下での話に過ぎないという批判はあるだろうが、しかし私は今や、少なくとも欧米のコンプレックスからは脱出していると思う。
もうひとつ伊藤が挙げている例を書いておく。カナダ人の描くマンガでは、主人公はマンガ家志望の白人の少女と黒人の少女なのだが、そこでは白人の少女曰く、日本人が描かないと、それはマンガではないとされているのである。さらには、その白人少女は、黒人少女に対して、お前は日本人ではない。さらには白人でさえないという暴言を吐くのである。
すでに私の世代で、もう西欧文化に対する憧れはない。私の専門は西欧政治思想で、私よりも年上の世代からは、なぜそんなものをありがたがるのかと時々言われるのだけれども、私は、それらをありがたがってはいないし、またその裏返しとしてのコンプレックスも持っていない。しかし日本では長く、西欧文化をありがたがってきた歴史があり、今でも、マンガがようやく西欧に認められるという事態を以て、マンガが評価されたのだと考える人もいるし、あるいは国策として、マンガを西欧に売り込めということも言われる(私の勤める大学でも、そういう研究が行われている)。しかし、事態はとっくにそういう段階を超えている。
さて、内田樹は、養老孟司からヒントを受けて、日本人が表意文字としての漢字と、表音文字としてのひらがな・カタカナの両方を使うことから、マンガを発展させることができたという話を展開している(内田2010、p.46ff.他)。漢字は、図像として認識され、一方、ひらがな・カタカナは音声として認識される。それぞれの認識を司る脳内の部位は異なる。さてマンガでは、図像と音声が同じコマ内に存在する。漢字と同じく図像があり、「ふきだし」はかなである。この画像処理と音声処理を、私たち日本人は、普段日本語のテキストを読むときと同じく、瞬時にこなす。ところが、欧米人には、言語記号処理の装置が、画像処理と音声処理と別々に行われ、日本人のように一気にはできないから、マンガを読むスピードが遅れるのである。欧米人がマンガを読むためには、「リテラシーを身体的なレベルで変更することを受け入れなければならない」(同、p.47)のである。
さてこの話を読んで、私は、江戸時代の、儒学と国学の関係を思い起こした。江戸時代の日本人にとって、儒学をはじめとした中国文化は圧倒的な存在であって、そこからさらに、夥しい数の漢字を持つ中国語が、日本語と比べて、際立って優れた言語であるとみなされたのである。しかしそこに国学が出て来ると、日本語のかなは表音文字であって、中国の漢字に比べて、数が少ないという事実認識はそのままで、そのために却って、少ない文字で簡潔に思想を表すことができる日本語の方が、中国語よりも優れているとされたのである。そこにさらに、蘭学が起きると、オランダ語はアルファベットで、日本語の仮名よりもさらに少ない文字数であり、西欧語こそ、より優れた言語だということになり、日本語は、中国語よりも、欧米語に近いからという理由で、中国語より優れた言語だとされたのである。つまり、中国語>日本語が、価値観が転倒して、中国語<日本語となり、さらに中国語<日本語<オランダ語となる(日本政治思想史家相原耕作の示唆による。注1)。かくして、中国蔑視、西洋崇拝が、これが明治以降も続いて来たのである。
ここで事態はさらに進んでいる。日本語は中途半端な表音文字を使用し、かつ、表意文字としての漢字も併用する。そのことが、優れた脳内の言語処理をもたらし、それがマンガというジャンルを発達させたというのである。私たちは、ようやくここで、中国蔑視でも、西洋崇拝でもなく、日本語の優位性が論じられる。
しかしこういう手続きも、私よりも上の世代には必要なのだろうが、つまりこういう手続きを経ないと、西欧の呪縛から解放されないのかもしれないが、しかし、若い世代には、そんな手続きは不必要のはずである。若い世代にとって、マンガは最初から日本のものである。
3. サブカル論の現在 ポストモダン論として
もうひとつの問題は、先に少しだけ言及したポストモダンの問題である。これを日本文化の問題として捉えるのではなく、資本主義の行方、情報化社会の問題として、世界史レベルで理解しないとならない。
この辺りはさらに分析が必要だ。恐らく90年代から、このポストモダンが今度は衰退してしまった。いつの間にか、ジャーナリズムで論じられなくなってしまった。そしてそれと並行して、サブカルチャーは拡散し、多様化した。そこでは伝統的な物語を創って行こうというのではなく、データベースに基づいて、了解可能な集団内で、コピーや物まねが量産されるという状況になっている。大きな物語がなくなったことを嘆くのではなく、最初からそんなものは存在しないという世代が今や中心になって来ている。そういう背景があると思う。
このポストモダンというのは、大きな物語がなくなったことを嘆くか、または、まだ大きな物語を信じている人に、そんなものはもうないのだと説く思想のことである。そもそも理性や自由や平等を重視し、人間の普遍性を信じるのがモダンである。そこから世界を変革しようとする思想もそこに含まれる。そのうさん臭さを指摘し、人間中心主義を非難するのがポストモダンである。
それが日本では、アカデミズムではなく、ジャーナリズムに乗って広がり、しかしいつの間にか消えてしまったと思える。そして残ったのは、生まれたときから大きな物語がないのが当たり前と思っている若者がいて、それはポスト・ポストモダンとでも言うべき状況で、同時に、その反動で、偉大な過去を復活させようという妄想に執拗にしがみつく、原初主義者とでも言うべき人とが、その対極にいて、その両極端の間に、生真面目にかつ純朴にモダニズムを信奉する人や、お節介にもと言うべきか、相変わらずポストモダンを説く人などがいるというのが、現代の状況である。そしてこの4つのグループ間で断絶があって、相互理解は不可能であるように私には思える。それぞれが勝手に自己主張し、他者の思想を吟味することなく、生きている。これが現代である。しかもそれを日本固有の現象と考えるのではなく、日本に最も早く訪れた、しかし世界史レベルで進行している問題と考えたい。
以下は、伊藤剛の整理を使う(伊藤2014)。
80年代後半以降、しきりに、マンガがつまらなくなったと言われる。しかしそれはあまりに多種多様化してしまって、ひとりの読者が全体を見通すことができなくなったため、最近のものは劣化し、つまらなくなったという実感が、先行世代にあるということだ。
伊藤は、マンガのモダンからポストモダンへの移行についての問題意識がある。つまり、漫画全体がポストモダンのものであるかのような議論は避けている。そしてモダンとポストモダンの際は、キャラのテキストからの遊離であるとしている。
そこではまず、キャラの成立がポイントになる。1940年代後半、手塚治虫の『地底国の怪人』からそれがなされる。ここでキャラの内面化が行われる。これがマンガのモダンの成立である(注2)。その上で、そのキャラが自律し、ポストモダンに入って行く。
さて、伊藤の、モダンからポストモダンへの移行という問題意識に対して、東浩紀は敢えて、サブカルチャーをポストモダンの問題として、論じている(東2001,2007)。それはていねいに見る必要がある。まずそれは大きな物語の喪失の時代だが、それは物語の喪失ではない。むしろ物語は増えて、人はそれを欲している。小さな物語は過剰で、氾濫している。たやすく物語が生まれると言っても良い。そういう状況で、しかし大きな物語の共有化の圧力はなくなったのである。皆がその物語に従うべきという圧力がなくなったのである。その理解は正確である。あるいは彼は、大きな非物語の時代だという言い方もしている。
そこで、ふたつの東の指摘には注意を払う必要がある。まず、ポストモダンはポストモダニズムとは異なるということである。ポストモダンは、1980年代以降の状況を指し、サブカルチャーはその中にある。東はオタクと言い、私はサブカルチャーというが、それらがそのままポストモダンである。しかしその担い手は、自らポストモダニズムを主張しない。むしろそこから距離を取る(東2007、p.51ff.、宮台1994、p.141ff.)。だから、彼らの意識としては、自分たちはポストモダンではないのだが、しかしそれを私たちがポストモダンだとまとめることは、別に矛盾していない。彼らをポストモダンだとまとめることの意義は十分ある。
第二に、ポストモダンの世界像の中で育った新たな世代は、初めからそれを当たり前だと考え、世界全体を見渡そうとする必要性を感じない。サブカルチャーを意識的に創ろうとせず、最初から、その中にいる。東の言い方では、「失われた大きな物語の補填として虚構を必要とした世代と、そのような必要性を感じずに虚構を消費している世代とのあいだに、同じオタク系文化と言っても、表現や消費の形態に大きな変化が現れている」(東2001、p.57f.)ということである。
この第二の問題を、私は以下のように解釈する。このポストモダンに、オタクが出て来て、サブカルが興隆する。その理解は正しい。問題はしかし、今が、ポストモダンが続いているのか、ポスト・ポストモダンなのかということだ。モダンの向こうが、ポストモダンなのだから、ポスト・ポストモダンはあり得ない。本当はそう考えるべきだ。しかし敢えて私は、ポスト・ポストモダンだという。それは、ポストモダンが当たり前になった時代で、そういう時代に、ポストモダンを説くことが、滑稽だからだ。そしてポストモダンの本質は、ポストモダンを説くことにあり、しかしそれが当たり前になって、ポストモダンの意義を説く必要がなくなれば、それはもうポストモダンではない。そう私は考える。またモダニズムは、ポスト・ポストモダン的状況の中では、多種多様な物語の中のひとつでしかないのだが、彼らモダニストは、自らの物語が唯一正当だと考えるから、これもこの状況の中では滑稽である。特殊な伝統に過ぎないものを絶対化する右派の原初主義と、この左派の理性信仰のモダニズムと、対になっているように私には思える。
さらに、80年代までは、ポストモダンが興隆して来たと言っても、まだモダニズムがそれなりに残っていて、モダニズム的感覚で世界を了解することができた。それが95年以降はいよいよそういうことができなくなった。それはやはり、ポストモダン、ないしはポストモダンの徹底としてのポスト・ポストモダンとして、世界を捉えなければならなくなったからである。そしてそのことがサブカルチャーに良く表れている。
ここで定義ができる。
サブカルチャーとは、氾濫する小さな物語群の中で、発信者と受け取り手が共犯関係にある作品のことと定義したい。要するに仲間内では分かるが、仲間でないと分からない。しかしそれはそれで良いと居直る(注3)。
そこからさらに、私のモダニズム、原初主義批判に繋げたい。ポストモダン、ないしはそれを当たり前だと思っているポスト・ポストモダンにおいて、サブカルチャーは、物語の怪しさについて、自覚している。しかし、モダニズム、原初主義はそれを自覚していない。問題は、どうして人は物語を欲するのかということなのに。今、私たちは、そのように問うべきである(注4)。
4. 情報化社会のサブカル
さて、この相互に断絶し、分散化し、拡散した現代社会を論じなければならない。ここで、黒瀬2013を使って、このことを論じたい。
黒瀬が、現代社会の特徴的なサブカルチャーとして提出する具体例は、ソーシャルゲーム(GREEやモバゲーなど)やAR(Augmented Reality : 拡張現実)やゲーミフィケーション(後述)やニコニコ動画や初音ミクである。そしてこれらを論じるのに、彼は、寺山修司と岡本太郎を持ち出す。1983年生まれの黒崎は、60年代、70年代に活躍した寺山や岡本をリアルタイムでは知らないはずであるのだが。
最初の観点は、寺山の演劇の手法と現代社会の現状に共通するものとして、次の観点を確認する。それは、現実と虚構が偶然出会うこと、そしてそれが増殖して行くことである。
例えば、ゲーミフィケーションとは、一例を挙げれば、2008年の大統領選挙において、選挙活動支援サイト「マイバラクオバマ・ドットコム」が分かり易いのだが、それは、選挙で自分の支持する立候補者を応援することが、そのままゲームになるウェブサイトである。また、ARとは、現実世界と人間の間に層として存在する仮想空間のことで、その三者が相互作用することで、現実世界が拡張される。具体的には、スマートフォンを利用して、現実の風景の中に、バーチャルなタグが浮かび上がって来る。そういうアプリケーションである。さらに、今はやりの、アニメ聖地巡礼も、アニメという仮想空間のモデルとなった現実の舞台を特定し、そこを聖地として訪れるというもので、現実と虚構とをぶつけて、新たな空間を作り出しているのである。黒瀬のこの本は、2013年のものだから、当然ここでは取り挙げられていないが、2016年に流行ったポケモンGOを例として考えるのが最も分かり易いと思う。またこのことは、この指摘が正しく、そこで言われている現象が年々ますます進行しているということを示している。
また初音ミクや、ニコニコ動画も、そのバーチャルな空間における映像や音楽を通して、ユーザー間のコミュニケーションを増幅させる。そういう装置である。
一方で、寺山修司が、天井桟敷で試みていたのも、この現実と虚構の偶然の出会いを組織することと、このふたつの混在による、もうひとつの現実を作り出すことなのである。つまり、寺山の演劇は、出会いの偶然性を想像力によって組織することなのである。
寺山本人は、虚構によって、現実を変革しようと言っていたそうだが、本人の言葉に騙されてはいけない。寺山はモダニストではない。
さらに寺山は、演劇によって、現実の外部にある他者、外部に追いやられた霊を呼び出そうとしているのではないかと、黒瀬は言う。あるいは混沌や闇を呼び起こす。歴史の中で追い出された敗者の霊を呼び起こす。それは先の拡張現実、まさに負の拡張現実なのではないか。演劇とはそもそも、聖なる空間で、ネガティブなものを呼び起こす行為なのである。
もうひとり、岡本太郎の作品もまた、拡張現実的である。ここでは、大阪万博の「太陽の塔」と、渋谷駅に設置されている「明日の神話」が取り挙げられる。そこには、縄文時代の芸術や世界各地の原始芸術からの強い影響がある。そして前者は、万博のテーマである「人類の進歩と調和」に徹底的に反逆するというモチーフがある。それは未来の繫栄を謳う万博に対する負の拡張現実である。また「明日の神話」は、核爆発をテーマにした作品である。第五福竜丸がモデルで、被爆した骸骨が描かれている。
黒瀬はそこで、「情念定型」という言葉を使うのだが、それはまず縄文時代から伝わる情念であり、また核爆発に込められた人間の欲望、すなわち希望と脅威という両義性の持つ魔力である。
そこからその「情念定型」が、手塚治虫の「地底国の怪人」や冨樫義博の「ハンター×ハンター」のキャラクターの顔に現れているというのである。それはまさしく縄文的な顔をしており、核爆発の激しさを想起させる。それは日本の美術の基底に、縄文時代から続く「情念定型」のデータベースがあるからではないかと黒瀬は言う(注5)。その日本論は、いささかナイーブであるという感じは否めないのだが、しかしそこに欧米コンプレックスもその裏返しとしての優越感もないように思える。
また、寺山修司と岡本太郎はポストモダンの先駆けだが、モダニズムに対しての強烈な違和感があって(寺山修司は既成のモダニズム演劇を嫌い、また岡本太郎は丹下健三や磯崎新などのモダニズムに対する強い反発があった)、その反発の力がものすごく、そのために、ポストモダンをも突き抜けてしまう。そしてポストモダンのあとの世界をうまく説明する。同時に、日本の太古のイメージを持ち得ている。寺山と岡本を論じ、そこから現代社会を論じることで、優れた日本文化論であると同時に、原初主義、モダニズム、ポストモダニズム、ポスト・ポストモダンを一気に駆け抜ける論点をも提出し得たと思う(注6)。
注
1 日本のポストモダニズムはしばしば江戸時代に言及する。それは明治以降ずっと西洋の影響下にあり、戦後はアメリカの支配にあった日本が、ようやく1980年代に、そこから脱却し得たかのような幻想に陥り、そうした際に彼らが見出したのは、江戸なのである。それは、鎖国により外国の影響がなく、自閉的なスノビズムを発達させ、ポストモダンを先取りした時代だと考えられているが、しかし、相原によれば、江戸時代にすでに、中国という圧倒的な外国からの影響下にあり、そのコンプレックスと、その屈折と反動とそこから作り出される「妄想」(相原が使う用語)があり、さらには、今度は蘭学に対するコンプレックスが現れるのである。これがまさしく日本文化だと思う。
2 伊藤剛の議論において、「キャラクター」は、マンガやアニメなどの登場人物のことで、これは通常の使い方であるが、「キャラ」は、それとは異なって、人間のような図像で、一人称と固有名を持ち、コマの中で、その運動が記述されるものという定義がある(p.79, p.117)。しかしこの議論では、両者の区別はしない。
3 最後に、ライトノベルの普及は、2000年代前半の大きな特徴となっている。1990年代までは、一部のファンのものだったが、それが大きく変わった。ライトノベルは、創作の中心がキャラクターの描写にある、そういう作品である。それはまさしく、サブカルチャーの特徴を成す、キャラクターの脱物語的な、またはメタ物語的なふるまいである(東2007)。先にも言ったが、非物語と言っても、小さな物語の氾濫と言っても良い。
4 内田樹は、少女漫画の三重構造に言及する。通常、小説やマンガでは、①登場人物の発言と、②登場人物が心の中で思ったことのふたつしかないが、少女マンガでは、③として、登場人物が意識していないが、著者が①や②に対してコメントするというものがある。これは、登場人物が気づいていないことを、読者に伝えている。言わば、ここには、無意識を構造化する手法がある。これもポストモダンのひとつの手法だ。
5 黒瀬(1983年生まれ)の議論は、大塚(1958年生まれ)、伊藤(1967年生まれ)、東(1971年生まれ)の議論を前提に進められている。取り挙げる作品も重複している。
6 ジジェクは一方でヘーゲルに対して独自の解釈をし、他方で、しばしばサブカルチャーに言及する。ラカニアンとしての彼にとっては、このふたつのテキスト群は同等の価値を持つのみならず、極めて良く似た構造であるはずだ。そこでは否応なく、物語が生成してしまう、その仕組みが論じられている。あるいは人が物語を欲している、その欲望が論じられている。
参考文献
相原耕作2014「言語 賀茂真淵と本居宣長」『近代日本政治思想史 -荻生徂徠から網野善彦まで-』ナカニシヤ出版
東浩紀2001『動物化するポストモダン』講談社
—– 2007『ゲーム的リアリズムの誕生 -動物化するポストモダン2-』講談社
—– 2011(初出は2000)『郵便的不安たちβ』河出書房
伊藤剛2008「マンガのグローバリゼーション -日本マンガ「浸透」後の世界-」『思想地図』Vol.1、日本放送出版協会
—– 2014『テヅカ・イズ・デッド -ひらかれたマンガ表現論へ-』星海社
内田樹2010『街場のマンガ論』小学館
大澤真幸1996『虚構の時代の果て -オウムと世界最終戦争-』筑摩書房
大塚英志2016(初出は2007)『「おたく」の精神史 -1980年代論-』星海社
大塚英志/大澤信亮2005『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』角川書店
呉智英1986『現代マンガの全体像 -待望していたもの、超えたもの-』
黒瀬陽平2008「キャラクターが見ている -アニメ表現論序説-」『思想地図』Vol.1、日本放送出版協会
—– 2013『情報化社会の情念 -クリエイティブの条件を問う-』NHK出版
竹中均2016『自閉症とラノベの社会学』晃陽書房
宮沢章夫編2014『日本戦後サブカルチャー史』NHK出版
宮台真司1995『終わりなき日常を生きろ -オウム完全克服マニュアル-』筑摩書房
宮台真司2006(初出は1994)『制服少女たちの選択』朝日文庫
宮台真司/石原英樹/大塚明子2007(初出は1993)『増補サブカルチャー神話解体 -少女・音楽・マンガ・生の変容と現在-』筑摩書房
吉本隆明1984『マス・イメージ論』福武書店
——- 2009『全マンガ論 -表現としてのマンガ・アニメ-』小学館
(たかはしかずゆき)
(pubspace-x3972,2017.02.27)