「主権国家論」をとる限りトランプの「7か国旅券者入国一時停止」は批判できない

西兼司

 
アメリカのトランプ大統領が、就任前からのツイッター政治に加えて、就任後の「大統領令」乱発政治手法を繰り広げている。選挙戦の時からオバマやクリントンなどのエスタブリッシュメント擁護に反発を示していたのであるから、やっていることに予想外のことは少ないのだが、やり方がいかにも乱暴という印象はぬぐえない。
 
ついに本日(アメリカ時間30日)は、閣僚指名前であるから置かれていた閣僚代理である「イェーツ司法長官代理」を、27日に署名した「テロリストの入国からアメリカ合衆国を守る大統領令」を批判したことを以て解任した。この大統領令は、該当するイラク・イラン・リビア・ソマリア・スーダン・イエメンの旅券所持者の90日間入国禁止に加えて、シリアの旅券所持者の例外を除く無期限の入国禁止が、大統領の一種の行政命令として政府機関に出されたものである。
 
政府機関の一種である空港の旅券検査所での混乱をはじめ、旅客を対応させざるを得ない航空会社、移民労働力に依存してきた巨大資本企業、余波をどのような形で受けるかもしれない欧州各国政府が混乱しながらも反発し、司法長官代理の公然たる反抗に加えて、国務省でも反対署名運動が広がり、州政府レベルでも反発が「提訴」だけではなく広がることが予想され、司法府(裁判所)レベルでも当然反発が公然化してくるだろう。暗殺以前に、弱気を出せばいつ追放される(辞任の意思表示に追い込まれる)か、判らない政局に突入してしまったのである。
 
私自身は、もちろんこうしたアメリカ政府のクーデター的な動きは極めて腐敗した(腐朽した)下剋上の動きであって、没落していく国家の末期にはありがちなことだとは思っているのだが、意外にもそうした認識を持っている日本人が少ないようなのだ。本日の情報では、オバマ前大統領が史上最多の爆弾をばらまいた最悪大統領であったことが伝えられたが、常識的な認識であるはずのアメリカの戦後大統領は覇権国棟梁であるが故の悪事で手が汚れきっている筈だ、という知的直観が見受けられない。
 
冷静に見れば、トルーマンも、アイゼンハワーも、ケネディも、ジョンソンも、ニクソンも、フォードも、カーターも、レーガンも、ブッシュも、クリントンも、(息子)ブッシュも、オバマも悪いことばかりをしてきたのは、駐留軍基地がおかれた空間で苦しみながら生きている日本人であるならば実感と共に承知していることではないか。「小指の痛みは全身の痛み」と云ったのは、沖縄県祖国復帰協議会の代表であった喜屋武真栄さんの言葉であったが、小笠原、沖縄の返還を成し遂げた佐藤栄作首相の言葉でもあった。
 
日本国憲法の改正衝動が国会で正面から提起され、国会がそれに応じる構えなのは、それはそれで大変良いことであると思うのだが、しかし、実は国会議員が自分の眼で憲法をきちんと読んでいる節が見られない。目は文章を追っていても頭は憲法を読んでいないという状態は、護憲政党「日本社会党」全盛時代の国会状況と何も変わっていない。「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」がどのように書き込まれて、どのような関係であるのか、立体的に国民に説明し、改正衝動を説得的に具体的に語れる国権の最高機関の人間はどれくらいいるのか、はなはだ心もとない状況である。
 
端的に言って、日本の国会議員には「国権の最高機関」の意味を公然と「主権者国民」と「他の国権機関」との関係論として語ってもらいたいと願うものであるが、それはそれとして、日本もアメリカも「主権国家論」の枠内で自らを措定していることに変わりはない。日本の国家元首は「国権の最高機関」が国会と措定されていることで、難しい議論をしなければならないことになっているが、アメリカの場合はそうではない。
 
アメリカの大統領はアメリカの国家元首である。アメリカ大統領への公務員の反抗は、元首への反抗であって、つまりアメリカへの反抗と見做されても仕方のないものである。公務員がそれをすれば、反逆と見做されても仕方がないものである。それを司法長官代理が行った。
 
この意味は多面的に考えることができるだろう。(1)、司法長官代理が反逆せざるを得ないほど、トランプはひどい、正統性を有しているとは云えない涜職者である、とみなす立場からの議論。(2)、正統に選挙されて法的手続きを経て、正式に大統領になったトランプに対する反逆、すなわち、公務員にあるまじき非行、という立場からの議論。(3)、特にそれが司法長官という「法律解釈の行政府における責任者」の手によって行われた「政府組織の未熟、もしくは腐朽」、という立場からの議論。(4)、いや、そもそも政府組織をきちんと組織してから「政治業務に取り掛かる」のではなく、未熟のまま権力行使を行い軋轢を生み続けることで、トランプは「脱憲法体制を求めている」のだろうと、予測する立場からの議論。(5)、いやいや、80年ごろからのサッチャー、レーガンの主導した「新自由主義が産み落としたグローバリゼーションの終わり」に当たって、保護主義的労働市場保護策をとるのはオフショワ金融センター対策の前段では実業再建のためには必要だ、という立場からの議論。(6)、いやいやいや、90年ごろからの「『冷戦の終わり』の終了」に当たって、各帝国主義割拠体制を戦略的主導的に作るためには一度可能な限りフリーハンドを大きくすることが必要で、移民、難民対策、中東紛争から大きく距離をとらねばならない、という立場からの議論。
ほかにもいかようにも問題を想定することができる。
 
トランプを批判することも擁護することも可能だ。愚か者、ビジネスマン、「法の支配」を侮辱する者、白人至上主義者、労働者階級の庇護者、思慮なき暴走者、「ドイツを批判せず、日本を批判する者」、反イスラム主義者、米英同盟主義者、革命家、「自分に甘く、他人に厳しい男」、「感情的に激高する男」とレッテルも自由自在だ。しかし、それは、トランプの政策選択の余地が第二次世界大戦終了以来、最も大きくて外部からは簡単に類推できないことによる。
 
そして、それは裏返してトランプ批判がありきたりだ、ということとセットをなしている。もちろん、「ありきたりは多数派」なのである。しかし、多数派は見落としている。アメリカは主権国家ではないか。「国連的国際法体制」以前に、「新自由主義的グローバル資本主義」以前に、「IT革命によって世界とつながっている」以前に、国境国家であり、他国と自国を峻別する国家であり、被統治国民実体を持った主権国家なのだ。
 
「国民」なのか、「市民」なのかは、問題として存在する。国体は「移民国家ではないか」という問題は存在する。アメリカは移民国家である以上、移民排除は国是として許されないという話はアメリカの国是論としては成立する。しかし、逆に「移民国家論」は「先住民からの略奪国家論」隠ぺいのための空想論であったことを失念することは許されない。先住民も、建国白人集団も、アフリカ奴隷の末裔も、その後の移民たちも、イデオロギー的には排除抑圧の論理を超克することはできなかったが、対外的には「主権国家」として対外戦争に連戦連勝して権益を拡大することで、カースト制を強化するのではなく緩慢に緩めることで「国家幻想をはぐくんできた覇権国家」ではないか。
 
内部利害を優先して対外関係調整を下位に置くのは主権国家の、「主権」の一部である。アメリカの国内でアメリカ国民がイデオロギーや利権の分捕り合戦で争うのは勝手だが、外部の人間がまじめに付き合うのは愚かである。
 
まして、トランプの真意は解らない。また、トランプの政治的素性も分かりにくい。実際、司法長官代理解任の理由となった7か国旅券所持者の入国禁止期間はシリア旅券を除けば90日間と暫定期間であることが明示されている。トランプはもっと何事かをすることが明らかである以上、冷静に付き合うのが他国民の節度である。
 
日本には米軍基地もあり、沖縄の人はその負担の過剰さに喘いでいる。アメリカが覇権国の位置を降りようとしている以上、どんなに困難であっても日本は21世紀型帝国主義国としての進路選択を戦略的に迫られるのだ。トランプを批判している暇は、日本人にはないのではないか。

以上

                               
 
(にしけんじ)
 
(pubspace-x3952,2017.02.02)