演劇時評(2)――「カゲキ浅草カルメン」ドガドガプラス

ハンダラ

 
劇 団 名:ドガドガプラス
タイトル:「カゲキ浅草カルメン」 
公演期間:2016年2月19日~21日、2月25日~29日
会  場:浅草東洋館
出  演:丸山正吾、ゆうき梨菜、前田寛之、流しの信之、岡田悟一、中瀬古健、渡辺宏明、バアナ、璃娃、飯嶌桂依、野村亜矢、大岸明日香、久保井研、小玉久仁子、戸田佳世子、重村大介、八重柏泰士、古野あきほ、的場司、浦川奈津子、松山クミコ、ヴァニー、中村絵里奈、川又崇功、松本彩希、相馬毬花
脚  本:望月六郎
演  出:望月六郎
 
 幕末の江戸、人外の頭、浅草弾左衛門の支配地で繰り広げられる無礼講の宴、供されるのは士農工商には禁じられた獣肉、大蒜、韮、葱、生姜、落橋など禁制の野菜を用いた料理。当然、酒も振る舞われる。語られるのは、当時鎖国の価値観では禁じられていた海外の情勢・事情など禁制の情報である。集まったのは、世の中では変わり者、反逆者、余計者と看做されるような人々。即ち体制の枠になど収まり切らない自由な人々であった。勝海舟の父・小吉、海舟、水戸藩出身の尊王攘夷派・干愚鈍、そして河竹黙阿弥と後に称される劇作家等々。海舟、愚鈍、黙阿弥の三人は義兄弟の契りを結ぶが、その内実がちょっと変わっていると同時に洒落ている。というのは酒では無く、時代の空気を呑んだのである。もし誓いを反故にしなければならぬ場合、誓った空気を吐き出してしまえばよい、という遊行の精神も取り入れながら人倫の掟にのみ従う誓いであった。
かくして各々は、各々の道を歩む。愚鈍は、カルメンにアヘンを盛られて彼女に魅入られ、黙阿弥は、商家のぼんぼんから人外を仲間とする河原者になり、勝は蘭学を学んで時代の荒波を乗り切る尖兵となった。
結果、愚鈍は、未来を見通そうとする意志を失って走り、意味も無く散ったが、大きく時代の動く時には悪が一瞬仇花を咲かせることを予言し、予言に殉じた。勝は、先見の明とその聡明さによって黒船来航以降その本領を発揮する。そして黙阿弥は戯作者となって現代にもその名と作品を共に残した。
 望月六郎氏のシナリオには、華やかさの中に、沈香のように深く焚き込められた歴史や人倫の必然が畳み込まれている。今作でも義兄弟三人(黙阿弥、愚鈍、海舟)が、各々の持ち分を担い生きた点・その有様がちゃんと役者の肉体に宿っている点で秀逸だし、哀しい女性の性を生きたカルメンや、女優が演じる弾左衛門、更にその後継者たる薄倖な遊女の娘、真希乃、カルメンの旦那で八丈から島抜けしたアナーキスト・我流は大きな船を拵え一種の海賊として活躍するが、狭く因習に凝り固まった日本ではなく、自由で広い世界を見据える視点が、勝海舟の姿勢に連なる。更に海舟の父、江戸の喧嘩大将小吉についても、やはりスケールの大きさ、度量の広さや優しさ、更には蛮社の獄以降小笠原へ脱出して開国に夢を馳せた蘭学者たちを支援したという逸話を絡ませて、世界観の大きさも匂わせるなど海舟との血の繋がりを濃厚に感じさせる。当時、アメリカが小笠原を狙っていたことを含めて、地理・行政・世界情勢判断の適確、戦略的感性の鋭さに至る先見性を含め、この父にしてこの子ありで“父子鷹”という言葉がそのまま当て嵌まろう。
 英仏が日本を植民地化しようと手ぐすねひいて狙っていた幕末、彼らの狙いを正確に見抜き、その矛盾点を突いてグーの音も言わせなかった勝海舟が日本を救った。
 蘭学を学ぶに当たって辞書を調達するにも百両という大金を捻出する為に、二冊分筆写し、一冊は百両で売って、筆写する間借りた賃料を払い、もう一冊を自分で使用した。こんな所にも決して豊かではなかった勝家の事情と共に海舟の頭の良さと努力を見ることができる。
 更に、西郷との談判に独りで出かけてゆき、江戸城の無血開城をした折、西郷は、勝が訪ねて来たというので、配下の者に様子を見に行かせ報告を聞いた。「丸腰で而も一人で来た」と聞いた西郷は「何たる人物」と言い、人斬り半次郎ら薩摩の猛者が隣室で襲撃に備えていたのを「おはんら、絶対に手を出すな」と制して会談に臨んだと言われる。一方招じ入れられた勝は、事前の根回しも忘れていなかった。薩摩藩が、江戸に攻め込むことになれば、庶民は無用の死を遂げる。だから、予め江戸湾に面した網元に触れを出して江戸の町に火の手が上がったら、持ち船を全部出して庶民を乗せ、沖合に退避するように、指示を出してから出掛けていたのである。
 また現在、静岡の茶といえば銘茶として有名であるが、この茶農家のご先祖に武士だった者が多い。それも幕府の飛び切りの忠臣であった者達であった。勝の明晰な頭脳は、彼らのような忠臣が幕府方について抵抗すれば、内戦は更に凄惨なものになり、欧米の日本植民地化の手助けをすることになることが良く分かっていた。だから無用な争いは避け、内紛は極力起こさず、諸外国に対する隙を作らぬようにして日本を纏める必要があった。まして勝はアメリカに亘って欧米の文明がどのようなものであるかを目の当たりにしていたから内戦などしている時ではないことが痛いほど分かってもいた。だから「何かことあれば、声を掛けるから、今は百姓の振りをして目立たぬように暮らしてくれ」と因果を含め、独立するまでの当座の資金、入植の段取りなども総てしてから彼らを静岡へ送り込んだのである。静岡は家康に縁のある地でもあったから、忠臣たちは勝の言に従って静岡入りしその後の戦闘に加わることはなかった。
 ところで今作の舞台である浅草を中心としたエリアは、江戸が日本の中心になるまでは浅草寺を中心に栄える大きな湿地帯であったから、海舟が咸臨丸でアメリカに渡ったことにも通底する点があるだろう。水郷のイメージに近いのである。また弁財天は、水の中から引き揚げられた像である。
 行きは、船酔いに苦しみながらも操船を実習しながら渡航したが、帰りは日本人だけで操船して日本に帰りついた、とは指導した人々の証言である。艦長・勝以下日本人精鋭の能力、意識の高さを示していよう。
 褒め過ぎかも知れぬが海舟には、民衆を・また苦境に立った者を、優しく支える力と先見の明があり、その聡明は、人の社会の本質を見抜くことができた。その結果、深い思慮と慮りによって弱者を守ることが実践できた人で、日本のエリートには珍しい人物だ。一線を引いた後も弱者を守る為に、力のある者には、生涯まっとうなことをキチンと言った人でもある。  
 余談だが、タイトルに関して一言。ドガドガプラスは今年10周年。歌って踊れる劇団を標榜していることもあって、カゲキとあるのは当然、歌劇。であると同時に過激のWミーニングだろう。まして往時の浅草はレビューなどの演目も華やかであったから、現実に今を生きる我らの時代にもそのような華やかさを彷彿とさせたい、との意もあるハズである。この所ずっと浅草で公演を打っているのも無論この劇団が浅草を愛するからであり、現在劇団の合言葉は、“目指せ浅草公会堂!”である。縁あってこの記事をお読みになった方々もぜひ一度、足を運んで実際の舞台を観て頂きたい。
 役者の形に関して今回、勝父子の目と隈取にも注目したい。と言うのは、江戸っ子としての父子が、矢張りエンコの意地と、真に実力のある者の衒わない矜持を表していると思うからである。  
 
(ハンダラ[ペンネーム])
 
(pubspace-x3090,2016.03.05)