文科系の進化論 - 進化論補遺1 –

高橋一行

(12)より続く
 
 以下は、「進化をシステム論から考える」(全12回)の補遺である。
進化論に興味があり、書きたいことがあると言うと、もうそれだけで、様々な批判を受ける。つまり、進化論に対して、様々な誤解があるということを痛感させられる。
 これは、以前に書き、また、吉田民人も言っているのだが、日本の人文・社会科学系の人たちの間では、進化論は、徹底して嫌われる傾向がある(注1)。それは、この後に詳述するが、過酷な生存競争と、最適者のみが生き抜くという考え方を、正当化し、また単純に、生物学で得られた知見を人間の社会に適用しようとするものであるように見えるからだ。
 その嫌悪感、あるいは少なくとも違和感は、私も共有していて、しかし、そういう極端な議論とはまったく異なる現代進化論があり、かつ、それを紹介する意義は極めて高いと思い、今まで、その説明をして来たのである。ただ、それでもなお、誤解されていると思う。もう一度、進化論の整理をしておく必要があるだろう。
 
 そもそも進化論は、ダーウィンが自説を発表して来た時から、キリスト教と激しい議論を引き起こして来ており、今日なお、それは消えていない。そのことがまず押さえるべきことである。また、『種の起源』は、宗教的にだけでなく、19世紀末の人文・社会科学に、極めて大きな影響を与えている。そして、ダーウィンとは独立に、適者生存の概念を提出したスペンサーも、極めて大きな影響力を与えている。これらを併せて社会的ダーウィニズムと言っておく。また、優生学は、直接、ダーウィンの主張から出て来るものではないが、しかし、古くから存在し、かつ、ダーウィニズムが補強して来たのである。そしてその考え方は、20世紀も四半世紀を残すという時期に、社会生物学として、あらためて洗練されて出て来て、それはさすがに、過酷な生存競争を正当化するという単純なものではないのだが、しかし、進化論の成果を人文・社会科学に適用しようという点では、同じことを主張するものだと受け止められている。
 ここは詳細に書く必要があるかもしれない。しかし、先に、まず、それらの何が私の嫌悪感を引き起こすのか。そこを明らかにする必要がある。理由は3点ある。
 第一に、私は進化論において、過酷な生存競争と、最適者のみが生き抜くという考え方を重要なものだと見做さない。ここが根本である。
 第二に、私は、進化論の考え方を、そのまま人間の社会に当てはめることはしない。しかし、社会的ダーウィニズムは、生物学で得られた知見を、そのまま、社会の考察に使おうとして来た。それは後で詳述するが、歴史的には、社会主義を正当化するのに使われたり、様々な改革運動を補強するのに使われて来ており、そして今では逆に、社会の現状を、それは人種差別であったり、男尊女卑を肯定するのに使われたりする。つまり、社会制度を考える際に、その自然性を強調し、それが改革に役立つ場合もあり、保守的な側面を強調するものもあり、いずれにせよ、自らの社会観を正当化するのに、この進化論が使われている。人間は確かに生物であり、その自然性を尊重することは重要だが、人間社会が自然から離脱している面を無視してはならない。私はここで、むしろ人間の自然との接続よりも、その離反の方を強調すべきだと思う。
 さらにまた、自然科学の方法論を人文・社会科学に適用することに対しての反発もある。具体的には、そこでは、統計を用いるのだが、それは上述の優生学的発想を正当化するために使われて来たのである。しかし今や、統計は、偶然を支配するための学問ではなく、偶然に身を委ねるた学問であると私は思う。つまり多様性とカオス的なダイナミズムを記述するものなのだが、しかし、そこは理解されていないと思う。
 つまり、生物が過度な競争に曝されて生きているということと、第二に、人間もまたこのように考えられた生物学的な制約のもとにいるということ、そして自然科学は、そのふたつのことを主張するために、数学を用いて、それらを正当化しているということ、この3点が問題である。私は、そのあまりのナイーブさに、嫌悪感か、少なくとも違和感を抱くのである。
 では、今まで私が展開して来た進化論はどのようなものなのか。先に、理論的に反論をしておく。
 それはまず、偶然性を過度に強調する。今まで地球上に存在した生物種の、実に99.9%が絶滅していて、現在、0.1%の種が生き残っているのだが、それは、それらが最適者であったからではなく、基本的には、運が良かったからである。そこは繰り返し、確認すべきことである。しかし、それにもかかわらず、自然には自ら秩序化する能力があり、地球が発生し、そこでは始めは無機質ばかりだったものが、有機化し、さらに高分子化し、やがて生物となり、その生物は、進化する。その自己組織化は、確率的には、極めて稀にしか起きないが、ひとたび起きると、その能力は維持され、複製される。そしてその上で、揺らぎがあり、要素同士の相互作用があって、創発が起きる。かくして生物は進化する。
ここで、自然淘汰は、当然存在するが、しかしそれが進化の主たる原動力ではない。進化を駆動するのは、この自己組織化能力であり、具体的には、系の中の要素間の相互作用である。それらはカオス的なふるまいを見せ、確率的に計算され、記述される。その結果、システムとしての種は、自らの力で進化し、そして、ある程度、環境に適合すれば、生き残る。
 すると、地球上には、現在そうであるように、奇妙な形態や不思議な生態の動植物で満ち溢れる。自然の許容力は相当なものだ。繰り返すが、最適者だけが生き残るのではなく、環境に適合しないものは滅びるが、しかしそこそこ適応すれば、生き残ることができ、その結果、自然は多様な種の生き物たちであふれている。
 ところがそこに、隕石が降って来ると、そしてこのことは、地球が誕生してから、今日まで、何十回も起きているのだが、たいていの種は絶滅してしまう。それまでの環境に、最も適合していたもの、高度に進化しているものの方が、そういう場合、脆弱であらたな環境で生き残ることが難しい。逆に、バクテリアのように、進化はしないが、生き残る戦略に長けた生物は生き残り、またそれまで、日陰で生きてきた生物が、新たな環境のもとで、一斉に進化することになる。このように、生物の世界では、根本に偶然がある。しかしなお、その偶然を生かして、自己組織化する力が、自然にはある。
 その原理は、偶然性に依拠しつつ、それを活用して、自己組織性に繋げるということにある。そして、その数学的表現がカオス理論である。それは、自己と他者とを設けて、それらの相互作用を、その進化の駆動因とする。つまり、それは主体的な発展であると同時に、根本において、他者に依存している。そしてそれらの相互作用の結果として、多様化が進み、かつ、その多様化が、それらのさらなる展開を保証する。
 第二点目に言うべきは、精神は、自然から出て来ているのだが、自然から一旦離脱すれば、あとは加速度的に自然から離れて行く。そういう性質があるということである。
そもそも生物は物質からできているのだが、そして根本的には物質の論理から逃げ出せないが、しかし、一旦生物として確立すると、一見、物理法則に反するように思われることがたくさん出て来る。エントロピー則を使って、秩序形成をすることを例に出しても良い。つまり、物理法則に縛られながら、物理法則から離脱し、生物固有の法則を作り出す。
 生物が物理法則を離れて、かくも多様化し得たのであるのなら、同じことが、生物と精神の関係についても言えるはずである。簡単に言えば、精神は生物から出現したが、しかし、もはや生物から際立って遠く離れた存在である。いわば、勝手に発達してしまったのである。それは自然を離れて、多様化したのである。自己組織性というのは、そういう現象を説明する論理である。つまり、自己組織性の原理を徹底すれば、自然と社会はまったく別物だということになり、とすれば、自然科学と人文・社会科学は、別の原理で探求せざるを得ないということになる。
 つまり、社会は社会の原理で考えるべきである。生物学的に規定される訳ではない。ただ言えることは、生物でさえ、過酷なら生存競争に曝されている訳ではなく、ある程度の弱者でさえ、生き残ることができる。そのくらいの余裕はある。まして人間においてをや、と言うべきだ。
 同時に、そのことを記述するのが、自己組織性とカオス理論のふたつからなる複雑系理論で、それは、数学の発展により、数学が偶然性とその上での自己組織性を記述できるようになったのだと言えば良い。それはもはや、現状を正当化して、そこからはみ出すものを締めだすための道具でもないし、逆にまた、人間の望むように、体制を変革し、自然的な生を制御するためのものでもない。これが第三番目に言うべきことだ
 そもそも複雑系の偶然論では、偶然は実在し、しかしそれを、確率的な必然が貫徹し、さらに、そこから、自己組織的必然が出て来る。重要なのは、そういうカオス的な状況を数学的に記述できるようになったということで、それこそが自然科学の成果である。それは当然、偶然性に依拠する以上、正確な予測と完全な制御をするものではない。
 
 その上で、以下、社会的ダーウィニズムや優生学や社会生物学がどのように展開されて来たか、見ておきたい。
 それはかつて、文科系を熱中させ、その後、嫌悪感と違和感を残して消えて行ったという感じが、私にはある。しかし、消えた訳ではなく、巷では相変わらず、遺伝子だのDNAだのという言葉は、日常的に、生存競争と適者生存を正当化する言葉であって、その影響は今でも残っていると思われるだけでなく、私たちの社会観をなお、規定しているようである。
 さて、そもそも進化論は、その始まりから現在に至るまで、人文、社会科学に大きな影響を与えて来た。
 阪上孝に拠れば、まずそれまで、ニュートンの物理学をモデルに、文科系の諸学問、とりわけ経済学が構築されて来たのだけれども、フランス革命があり、産業革命があって、変化が状態となると、むしろ生物学を応用して、文科系諸学問への適用を図ろうという試みが出て来る。阪上は、これを、「ダーウィニズムと、人文・社会科学の関係の<第一局面>」と名付ける(阪上2003、p.4ff)。
 まだ、ネオ・ダーウィニズムが確立してはおらず、つまり、進化の仕組みが、遺伝子の突然変異があり、そこに自然淘汰が掛かって成立するという風には理解されておらず、ダーウィニズムと言っても、概念の混乱はある。しかしとりあえず、生存競争と適者生存という仕組みが自然にはあって、生物が進化して来たという考え方が、ダーウィンが出現する頃に確立し、それをもっとも明確に打ち出したのがダーウィンであると考えられて来たのである。
そこには、様々なものがある。大きく分けて、個人主義的なものと、集団主義的なものがある。つまり進化の主体が、個人なのか、国家などの集団なのかということである。そして、それぞれに、レッセ・フェール的に、その自然淘汰を放任すべきというものと、逆に人為的に干渉すべきという、優生学的なものに分かれる(注2)。
 曖昧さは、しかし、それぞれの論者の多様な主張に繋がる。ダーウィンの著書そのものもまた、様々な解釈の幅を持っているのだが、それ以上に、多様な主張が飛び交ったのである。ここでは、その代表として、スペンサーを取り挙げる。
 スペンサーは、ダーウィンが1959年に『種の起源』を出版する前に、それに先だって進化論の考えに到達して来たが、ダーウィンの進化論の定式化とともに、世に広がっている。当時の社会においては、むしろ、スペンサーの方が、進化論を世に広めた功績としては大きいかもしれない。
 スペンサーについて、清水幾太郎は、次のように書いている(注3)。まず、明治時代、スペンサーほど、インテリにポピュラーな人間はいなかった。そして、スペンサーの著作は実にたくさんのものが翻訳されていた。また、影響力はすさまじく大きかった。とりわけ、自由民権運動の中で、大きな政治的機能を果たして行った。さらに、日本の社会学は、スペンサーの学説の輸入から始まったのである。そしてスペンサーこそが最も、進化の概念を、生物のみならず、人間社会全般へ、つまり、人文・社会科学の対象すべてにその適用ができることを主張していたのだと、清水は言う。
 『アメリカの社会進化思想』を著したホフスタターは、その著書の中で、スペンサーを扱い、スペンサーの哲学は、初学者にも分かるような言葉で書かれていたために、「哲学としての高さよりも影響力のほうが大き過ぎてしまった」と書き、しかし、アメリカ精神を学び、当時の知識人の状況を再構成するには、スペンサーが最も役立つとしている(注4)。
 まさに、19世紀後半と20世紀前半における、変革の機運の上昇とともに、世界的に、スペンサーを先頭に、社会的ダーウィニズムが影響を与えている。それは様々な社会改革運動を補強するのに使われている。日本においても、『社会主義と進化論』という本を、高畠素之が、1919年に出している。パンネコックの『社会主義と進化論 -マルクス主義とダアヰン説との関係-』は、1947年に、堺利彦の訳で出ている。当時の熱狂ぶりが伝わって来る。
鵜浦裕に拠れば、日本において、国家主義者加藤弘之は、ダーウィン進化論によって天皇制中心の国家体制を正当化しようとし、植木枝盛などの自由民権派は、その同じ理論によって、加藤を批判した。また、社会主義者の幸徳秋水も、キリスト教者の内村鑑三も、仏教界の井上圓了も、ダーウィン理論を使って、自らの説を正当化しようとしたというのである(鵜浦1991)。
 私たちは、今日、むしろ人種差別や男尊女卑を正当化したいと考える保守的な思想が、あるいは昨今の情勢では、過酷な生存競争を掲げる新自由主義が、社会的ダーウィニズムを自らの理論の補強に使っているかのように考えがちかもしれないが、ここでは、むしろ、変革の理論として使われてきたことに注意すべきである。
 
 さて、優生学である。
 優生学は、言葉としては、ダーウィンのいとこのゴルトンが作ったものである。1883年のことである(注5)。
 先に書いたように、『種の起源』は1859年に出ているから、ゴルトンがダーウィンを読んでいたのは明らかであり、しかし同時に、先のスペンサーと同じく、この時代のイギリスの知的雰囲気の中では、必ずしも、ダーウィンの影響を受けなくても、独自に、この考えに辿り着くことは可能であったとも思う。
 米本昌平によれば、19世紀後半に、「自然科学主義」とでも呼ぶべき考え方が出て来る。それは、社会や人間の振る舞いまでをも、自然科学的に統一的に解釈しようとする傾向のことである(米本他1991、p.15)。それは、唯物論や実証科学など、人間の社会や制度が、生物としての人間の諸特徴によって規定されるものだと思う傾向のことである。
 ここでも注意すべきは、優生学は、しばしばナチスと結び付けられて考えられるような、極右の学問ではなく、むしろ、社会主義者や自由主義者が唱えていたものである。
 この優生学の特徴を良く表しているのが、1907年のピアソンの講演の題「確率 - 優生学の基礎- 」である。確率が、このようなものとして捉えられているというのは、私には恐怖心を起こさせる。ピアソンは、ゴルトンを受け継いでいる。ゴルトンは、生物と同様に、人間についても、大量の測定をして、遺伝形質の出現、例えば身長や胸囲が、正規分布に従うことを見出した。それは平均付近に多数が集中する事象を表現していて、同時に、そこからはみ出るものを異常だと見做すことになる。つまり、正規分布は、異常と正常を区分けするものである。その考えを洗練させたのが、ピアソンである(米本1991、p.19)。
 偶然性と多様性、生成と消滅のダイナミズムを表すべき統計が、この時代にこのように使われていたということについて、あらためて思い起こすべきなのである。
 鈴木善次は、優生学の考え方は、プラトンの『国家』に見出されるのではないかと言っている。つまり、優れた子孫を残すべきだという考え方が、そこに見出されるからである。
 そして私は、さらに、人為的に優れた人間を作り出せるという考え方は、ユートピアと呼ばれる文学の領域に、常に存在していたように思う。そしてユートピアは、必然的に逆ユートピアになる(注6) 
 
 さて、先の阪上の表現を使えば、第2局面が、1975年のウィルソンの社会生物学である(同上p.27ff.)。
 まず、それは社会的ダーウィニズムがそうであったように、単純に、適者生存を唱えるものではない。それは、集団遺伝学の成果を踏まえ、つまり、ネオ・ダーウィニズムの確立を受け、また、血縁選択説と包括適応度を主張したハミルトン以来の進化生態学を押さえている(注7)。
 第二に、ウィルソンは、邦訳で数えて、本文のみで1100ページを超える分量の本の中で、膨大な量の資料を駆使しつつ、生物の社会性を論じている。それは生物学の基礎についての研究に他ならない。しかし、その最終の第27章を、「ヒト : 社会生物学から社会学へ」というタイトルにして、そこにおいて、いささか逸脱してしまう。
 つまり、巨視的な観点に立てば、「人文科学も社会科学も単に生物学の特殊な研究領域に過ぎなくなる」と彼は言う。人類学と社会学はヒトに関する生物社会学を構成していると言うのである(ウィルソン1999、p.1071)。そうなると、やはりここにも、ナイーブに、人文・社会科学に入り込んで来る自然科学と、それを、熱狂的に受け入れて、しかし時間が経つと、それが嫌悪に変わって拒否し始める人文・社会科学系との、あるいは、一方で熱狂的に自然科学を受け入れる人々と、一方でそれを嫌悪する人との、不幸な関係が見える。
 ブロイアーは、この、ウィルソンが引き起こした社会生物学論争を、穏やかにまとめ、ウィルソンを擁護しているように思える(ブロイアー1988)。彼は、まさしく多様な社会生物学論争を扱っていて、そもそも社会生物学はウィルソンひとりの主張するものではなく、またウィルソン自身も相当に膨大な著書を書いており、その中で多様な議論をしていて、それを批判する人も実に多様である。
とりわけ生物学の知見をそのまま、人文・社会科学に当てはめようということについては、確かに、ウィルソンは、そのように明言したけれども、実は、社会生物学の主張もそれほどナイーブではない。論者は皆、人間は仲間と共感する能力を持っているということは十分自覚していて、しかし、それにもかかわらず、人間もまた生物だから、生物としての特徴を持つ、つまり、生存競争をしているということを強調しているようなのである。その主張は、私には、存外、穏やかに思える。
 こういうことを書くのは、欧米では、ウィルソンの著作が出てから、この社会生物学についての大きな論争があったからである。そしてウィルソンがあまりに無邪気に、人文・社会科学に踏み込んでしまったことに対して、人種差別や優生思想に繋がるのではないかという批判があったからである。ブロイアーは、19世紀末には、進歩派が、ダーウィニズムを支持したのに、今日では、形勢は逆転して、左翼が、ダーウィニズムを、ファッシストを利するものだとして攻撃していると嘆いている(ブロイアー1988、p.9)。ブロイアーが言っているのは、第一に、生物社会学に対する批判があまりに大きいために、ウィルソンの自然科学者としての業績まで、批判されてはならないということであり、自然と社会の質的な違いを考慮するならば、ウィルソンの提案は、それほど過激なものではないということだと思う。
 私はこれに同意する。私たち人文・社会科学者が、あまりにダーウィニズムに対して、期待を持ち過ぎたり、逆に嫌悪感を持ち過ぎたりしている。その刺激的な説に対しては、十分な評価と注意を以って、自分たちの領域に持ち込めば良い(注8)。
 つまり変革の理論としてであれ、人種差別を補強するものとしてであれ、あまりにナイーブに、生存競争と適者生存を肯定して、社会に当てはめるということに対しては、批判すべきであるし、生物学があれば、人文・社会科学は要らないという考えも、拒否すべきである。しかし、生物学者が、人文・社会科学に口を出すべきではないということではない。人文・社会科学は、十分、自然科学から刺激を受けることは可能だ。
 優生学も、それ自体を悪と考えて拒否すれば、それで良いという訳ではない。米本によれば、優生学が批判され始めたのは、1970年代になってからである。1960年代のアメリカでは、「30年前のナチズムの亡霊を忘れたかのような無邪気な優生学的提案が、目白押しになされた」(米本2000, p.47)のである。ナチス優生政策が具体的に批判されたのは、実証的な歴史研究が本格化した、1980年になってからである(注9)。つまり、歴史の中で、優生学の何が悪であったのか、検討すべきなのである。つまりここでも、人文・社会科学者が、十分な注意を以って、統計学や遺伝学を考察の対象としなければならない。
 
 もうひとつ挙げておく。1990年代、ヒトゲノムの研究が進み、これは新たな不安を人々に引き起こした。ゲノムとは、前に書いたように、遺伝子の総体を指す。それが解読されれば、その人が将来引き起こすであろう病気がすべて分かるだけでなく、その人の趣味や性向も分かり、行動パターンも解読され、消費行動まで解読されるという風に考えられ、そこに出現するのは管理社会の最たるものであるとさえ考えられた。しかし、結果は、むしろ逆ではなかろうか。将来生じるであろう病気でさえ、環境や生活習慣の組み合わせで出て来るものであり、まして性格や行動パターンが、ゲノムの解読で分かるはずがない。古典的な遺伝決定論や遺伝の宿命論から、むしろ人は解放されるはずである(米本2000、p.255)。複雑系の確率論が理解されれば、人の将来や人の行動は、夥しい要因が複雑に混ざり合って、決まって来るものであり、単純にゲノムによって決められるものでないことは、容易に理解されるはずだ。しかし、実際にはそうならず、確率論の展開とともに発展した自然科学が、人の管理を一層強めて行くという恐怖心を煽っているのではないか。
 もちろん、その恐怖は言われなきものではなく、先の優生学的な発想が、私たちの間にある以上、ヒトゲノムの研究がいつ、優生政策に使われないとも限らない。人間の遺伝操作の可能性はある。その誘惑に捉われる人々が容易に出現するだろうと思われるのである。
 そういう危険性がある以上、私が進化論に関心があるということになると、その危険性に無頓着で、むしろその傾向に掉さすものであると思われるかもしれないのである。
 本当は、生物の進化ということで、そこから得られるのは、悲観的なものだけである。これは、補足的に書いて置きたい。人は最も進化した種なので、それは最も環境の変化に弱い種であるということになる。何度も書いて来たが、バクテリアは、進化しない代わりに、環境が変化しても、しぶとく生き残れるのだが、人間は、環境が変化すれば、真っ先に滅びてしまう。それは高度に進化したことと引き換えに得た特性なのである。
 さらに、人間は精神を獲得し、社会を創り、つまり、それは、容易に自然環境に変化を引き起こす能力を得たということであり、自らを滅ぼす変化を自ら作り出したのである。その変化というのは、核戦争という分かり易いものもあり、また、まったく予期しない小さな偶然的な変化が、途方もない大きな環境に変化に繋がるという危険性もあり得る。人間が最も進化した種であり、精神性を獲得したということは、同時にそういう危険性を持っているということと表裏の関係にある。進化論の教訓は、むしろそういう悲観的なものである。その中で、如何に自然の持つ多様性を尊び、その動的安定性を享受するかが重要である。
 
 最後に次のことを考えたい。
 一方で、19世紀後半に社会的ダーウィニズムがあり、1975年からの社会生物学があり、彼らは、露骨かつ素朴に、進化論の成果を社会に当てはめようとする。他方で、社会との影響関係をまったく考えない科学者も、圧倒的に多い。つまり自らの研究成果の社会への影響と、自らの研究への社会の影響を考えないということである。しかし遺伝子操作の問題などは、倫理的、法的な問題に他ならない。
 横山輝雄は、科学理論は、ある時代の特定の部分的社会集団の利害関心に直接結びついていないとしても、それは一種のイデオロギーとして扱えると言っている(横山1991、p.56)。これは、現代の科学哲学の主張から見ると、極めて妥当なものである。つまり、先に述べて来たように、進化論が、マルクス主義や自由民権運動や新自由主義という特定の集団の利害を代弁するということではなくても、やはりそれがイデオロギーであることに自覚的でなければならない。
科学そのものの中にイデオロギー性が存在している。繰り返すが、それはナチスやルイセンコのような極端なイデオロギーを思い浮かべる必要はない。進化理論はその一番の中核の部分で、イデオロギー的である。だから、単純に、生物学の結果を人文・社会科学に押し付けてはいけないのだが、しかし、自然科学がまったく中立で、人文・自然科学と切り離されているということでもないのである。両者の相互作用が必要である。
 横山は、ゲーム理論を例に挙げて、以下のように論じている(同上p.64)。これは、元々は、社会科学の中で研究されて来たものが、社会生物学で使われるようになって来たものである(注10)。つまり社会科学から生物学への影響という、今まで述べてきたこととは、正反対の向きの関係もあるのだ。そもそも、ダーウィンが、その発想を、マルサスの『人口論』や、当時のイギリスの経済、及び経済理論に負っているということが言われている。私はまた、複雑系理論においても、そのようなことがあり得ると思う。つまり、複雑系が十分複雑であるためには、社会科学からの知見が、生物学に生かされるということがあり得るはずだ。このことについて、ここではこれ以上、論じられないが、いずれ課題としたい。
 横山は、単純に、科学とイデオロギーを二分して議論しているのでは、現在の複雑な、科学技術倫理の問題に対処できないと言っている(同上p.75)。それはその通りで、進化論や遺伝学の問題は、上述の議論の上で、考える必要がある。
つまり、人文・社会科学が、その正当性を、自然科学の方法論やその成果に求めるというのではなく、その逆で、自然科学が、自らのイデオロギー性を自覚するために、人文・社会科学の議論を参照する。自然科学が人文・社会科学に介入するだけでなく、人文・社会科学の方法論が、自然科学に役立つ可能性についても検討する。両者の相互の対話が必要である。私の拙い論考がその一助となれば幸いである。
 

1 吉田は、進化論に、ひとつは主体性の起源があり、もうひとつは、原初的な規則現象としての遺伝情報があると指摘している(吉田他1995, p.8f.)。また、社会的ダーウィニズムに対しては、主体選択の概念がなく、遺伝情報に媒介される生物進化と文化情報に媒介される人間の進化との区別に無自覚であるという批判を加えている(吉田1990, p.vii)。
2 阪上2003と、鵜浦1991などを参照のこと。また、阪上2003が収められた本の中には、他に、15人の論者の論文がある。
3 中央公論『世界の名著 コント スペンサー』の中に、清水幾太郎の解説があり、そこを参照した。また、そこには、スペンサーの著作として、「科学の起源」、「進歩について」、「知識の価値」の3つの論文があり、スペンサーの考えを見るには適している。
4 ホフスタターの著作の第二章は、「スペンサーの流行」であり、その中にこの記述がある。
5 Galton, F., Inquiries into Human Faculty and Its Development ( Macmillan,1883) にある。ゴルトンの著作の翻訳は出ていない。
6 ハックスリーは、『素晴らしき新世界』において、優れた人間と肉体労働のみに専念すべき集団とが、人為的に産み分けられている社会を描いている。これは優生学的には、ユートピアかもしれず、しかしその怖さ、つまり逆ユートピア性は、読むもの誰もが感じるはずである。
7 ハミルトンの説については、メイナード・スミス『進化とゲーム理論』が分かり易い。
8 さらに次のことを考えるべきである。一方で、社会的ダーウィニズムや生物社会学に対して、生物学の知見を社会の考察に押し付けていると言って批判して置きながら、私が、偶然性を重視し、それを活用して自己組織化する、またその自己組織化は主体的に起き、かつ、他者との相互作用が重要だという、複雑系生物学の知見をそのまま社会の考察に活用しようというのであれば、それは彼らと同じ過ちを犯していることにならないか。私が言えるのは、生物ですら、偶然的かつ自己組織的、主体的かつ他者依存的に発展しているのだから、まして社会においては、それ以上であろうということに過ぎない。あとは、社会については社会の論理で考察すべきである。
9 ここでは、米本他2000を引用して、イギリスとアメリカの優生学について論じたが、他の国についても、この本には詳しい。
10 メイナード・スミスの著作は、その名の通り、ゲーム理論を扱っている。
 
参考文献(取り挙げた順に並べた)
吉田民人『自己組織性の情報科学 - エヴォルーショニストのウィーナー的自然観 -』新曜社1990
吉田民人他編『自己組織性とは何か -21世紀の学問論に向けて-』ミネルヴァ書房1995
ダーウィン, C., 『種の起源』(上)(下)、八杉龍一訳、岩波書店1990(原文は1859)
阪上孝「ダーウィニズムと人文・社会科学」阪上孝編『変異するダーウィニズム - 進化論と社会 -』所収、京都大学学術出版会2003
鵜浦裕「近代日本における社会ダーウィニズムの受容と展開」『講座進化② 進化思想と社会』東京大学出版会1991
清水幾太郎編、『世界の名著 コント スペンサー』中央公論社、1970
ホフスタター、R.,『アメリカの社会進化思想』後藤昭次訳、研究社1973(原文は、1944)
高畠素之『社会主義と進化論』売文社1919
パンネコック『社会主義と進化論 - マルクス説とダアヰン説との関係- 』堺利彦訳、彰考書院1947
Galton, F., Inquiries into Human Faculty and Its Development, Macmillan,1883
米本昌平他『優生学と人間社会』講談社2000
鈴木善次「進化思想と優生学」『講座進化② 進化思想と社会』東京大学出版会1991
ハックスリー,A., 『すばらしい新世界』松村達雄訳、講談社1974(原文は1932)
ウィルソン, E.O., 『社会生物学』伊藤嘉昭監訳、新思索社、1999(原文は1975、邦訳初出は1983)
メイナード・スミス『進化とゲーム理論』寺本英他訳、産業図書1985(原文は1982)
ブロイアー, G.,『社会生物学論争 - 生物学は人間をどこまで説明できるか -』垂水雄二訳、どうぶつ社、1988(原文は1981)
横山輝雄「進化理論と社会 - 歴史的・理論的展望- 」『講座進化② 進化思想と社会』東京大学出版会1991
(たかはしかずゆき 哲学者)
続く