進化をシステム論から考える(9) 複雑系について

高橋一行

(8)より続く
 
 複雑系とは何か。それは、進化論にとって、どんな意義があるのか。そのことを扱いたい。
この後に取り挙げて、詳述する予定の物理学者、金子邦彦は、『カオスの紡ぐ夢の中で』というエッセイ集に収められた「複雑系へのカオス的遍歴」の中で、「我々が相手にしているのは、進化の中で生じてきた生物がどういう風に規則を見出したり、生成し、複雑性を感じているかである」(p.48)と言い、つまり、複雑性とは、進化論の問題であることを明確に述べている。そうすると、複雑系と言うときの、何が、どの程度複雑なのかという、その複雑さとは、生物が進化の中で、増してきた複雑さのことを、指していると考えるべきなのである。今までの議論と併せて考えれば、複雑系とは、生物の進化と絶滅の機構を説明するものだと言っても良い。
 以下、夥しくある複雑系の解説書の中で、最良のものとして、吉永良正の『「複雑系」とは何か』を取り挙げて、複雑系の一般的な説明を行う(注1)。その上で、次回から、その進化論への適用について、具体的に扱う。
 まず、複雑系とは、「無数の構成要素からなるひとまとまりの集団で、各要素が他の要素と絶えず相互作用を行っている結果、全体としてみれば、部分の動きの総和以上の何らかの独自の振る舞いを示すもの」(同書プロローグ)である。
 それはカオスの概念と親近性がある。複雑系は、秩序の維持と変化の要求との微妙なバランスの上に成り立っているからである。複雑系は、カオスの縁と呼ばれるところに発生する。そのカオスの縁とは何か。それは、「近過ぎると散逸と分解の危険に見舞われ、逆に離れすぎていると硬直と画一化に囚われてしまうような、絶妙な均衡点」であり、そこにおいて、革新性と安定性とを得る場所である(同)。
 複雑系の具体例として、ひとつ挙げておく。それはパチンコである。パチンコは、玉を打ち出すときの速さと速度、つまり初期条件で、その軌跡は、一義的に決まるはずである。つまり決定論的なゲームである。しかし現実的には、初期条件は、ひとつひとつが、異なっている。そのごくわずかな違いが、玉が釘にどのような角度で、どのような速度でぶつかるかということに影響し、また、玉どうしもぶつかりながら、完全に予測ができない動きを見せる。これは、玉の動きは、すべて必然的で、神はそれを知っているが、我々人間はそれを見抜けないのだと考えてはいけない。初期条件に敏感に依存するということが、それがカオスであることを示していて、パチンコというゲームは、カオスを含んだ複雑系なのである。それは正確な軌跡の予測を、原理的に不可能にする(第1章)。
 
 話を先に進める前に、ここで複雑系と進化論について、付言しておく。本稿で述べて来たのだが、進化の問題は、絶滅の問題であった。絶滅がなぜ起きるかと言えば、本稿の今までの議論で、ネオ・ダーウィニズムに拠れば、その種が適者でないからということになり、ラウプに拠れば、運が悪いからということになるのだけれども、複雑系理論、ないしはカオス理論によれば、秩序形成が可能な領域と、絶滅とは、すぐ隣り合わせにあり、ちょっとした偶然が、秩序形成に向かわず、絶滅に導く可能性は、非常に高いのである。その高い可能性の中で、幸運なものが、秩序形成を行っている。だから、進化の絶妙さと、絶滅の可能性の高さとは、同じ機構の、裏腹の関係にある。
  
 さて、その複雑性を産み出したカオス理論の歴史を、先に辿っておく。
19世紀末、かのポアンカレから始めるべきかもしれない。多体問題と言われる、三体以上の物体の運動は、その軌跡の厳密解を計算することができない。そこで、例えば、太陽系の問題を考える際に、太陽と惑星と小惑星の関係を見るには、まず、二体の関係を解き、そこから三体目の関係を加えて、補正して行く。しかし、彼は、そこで、その補正をして行くと、軌跡が、不安定になることがあり得ることを示したのである。ここにカオスの萌芽があったのだが、しかし、それはまだ前史である。つまり、このことが人の注目を集めるには至らない。
 具体的に、カオスが解明されたのは、1961年、気象学者ローレンツが、大気の熱対流運動を微分方程式で表現し、その方程式に基づいてシミュレーションをしていたときのことである。初期値のほんのわずかな値が、結果の大きな違いをもたらすことに気付いたのである。これが、カオスの特徴である、初期条件に対する鋭敏な依存性の、最初の発見である。
 すぐに続けて、1973年、数学者のヨークと、当時の大学院生リーが、いわゆる「リー・ヨークの定理」を発見する。これは、先のローレンツの論文に、ヨークが着目して、それに数学的な定式化を施したものである。
 さらに、1975年には、生態学者のメイが、繁殖集団をモデルにした数値実験をし、離散力学系のモデルを提出する。これが、先の「リー・ヨークの定理」の具体例となっていた。この発表を、リーとヨークが聞き、自らすでになし得ていた証明に、補足を付けて発表する。
 ここでは、私は、これらのことを、数式は出さずに説明をしたい。大気の流れや、生物の個体数の増減の運動を示す方程式が、そのパラメーターの値によって、単調に増加したり、減少したりするほか、増減の振動を示す場合もあり、さらに、動きの予測がまったく付かない、カオス的な変動をする場合がある。カオスはまずは、そういう方程式が定式化され、その証明がなされたことに始まる。カオスが、注目されるのは、ここからである。以来、わずか数十年で、カオスは、研究者の数も膨大に増えて、今日を迎えている。現在では、カオスは、決定的な系において起こる確率的なふるまいと定義されている(注2)。
 
 カオスの他にもうひとつ、複雑系のルーツを挙げると、それは自己組織性である。自己組織性とは、文字通り、自生的、自律的な秩序形成がなされることである。
 自己組織性の歴史について、ブリゴジーヌを見て行きたい。彼が、「散逸構造論」を提唱したのは、1967年である。散逸構造とは、熱力学的に、平衡から遠く離れた状態にある開放系構造で、エネルギーや物質の流れが、非線形的に相互作用をしつつ、散逸して行き、その流れの中に、自己組織化が起きる現象を指す(注3)。例えば、味噌汁が冷えて行くときに、対流の中に自己組織化されたパターンが現れる。そういう例を挙げておく。
 自己組織化を、非平衡で、非線形の開放系として捉えるため、エントロピーは一定範囲に保たれ、系の内部と外部の間でエネルギーのやり取りもある。すると、ここから、生命現象を捉えることが可能になる。まさに、生物は、定常開放系としてのシステムであるからだ。
 
 さて、このカオス理論と自己組織性理論のふたつが、複雑系科学を作ったのである。
 
 複雑系理論は、アメリカのサンタフェ研究所が1980年代に開設されると、瞬く間に、そこが研究の拠点となって拡がって行く。ここでは、主として、カウフマンの業績を念頭に置きつつ、吉永のまとめに従って、この複雑系理論を、次の4つの概念で整理したい(注4)。
 最初は、複雑適応系である。これは、まず、系が、要素的な機能単位のネットワークを持っていて、それが組織化されていて、そのために、外界に対して、適応するための内的なモデルを有しており、系全体が能動的に行動するという特徴があることだ。それは開放系であり、自発的な新しい可能性を産み出すのである。
 二番目の特徴が、カオスの縁である。先の複雑適応系がどこに生じるかと言えば、系が、安定状態からカオス状態に急激に変わる、その境の地点に生じるのである。物理学では、例えば、氷が水になるとき、それを相転移と言うのだが、これは、温度が、0度において、相転移が起きるということになる。同様に、先に、カオスを表す方程式において、まさにパラメーターが、ある臨界値を取るときに、カオスが生じるということを述べたが、まさにその地点の近くで、複雑適応系が生じるのである。
 三番目の特徴が、自己組織化臨界であり、それは、相転移の臨界現象を、より一般的に捉えるものである。単に物理現象としてだけでなく、もっと、普遍的に見られるものだと考えるのである。
 ここで、テーブルの上に、砂をこぼして行って、砂山を作るという例を考える。砂をこぼし続けると、砂山は、次第に高いものとなり、しかし、ある程度のところで、なだれを起こし、こぼれる。ここで、砂山は、自己組織化されていると考えられる。絶えず砂がこぼれ落ち、その動きの中で、安定した山の形を取るはずである。動的な流れの中で秩序が維持されている。
 そのときに、ここで生じるなだれをみると、そこになだれの大きさと、頻度数との間に、べき法則が成り立つことに気付くだろう。これはなだれの大きなものは、ごくわずかしか生ぜず、小さなものは、頻繁に生じるという関係が成り立っているということである。XY座標で、X軸でなだれの大きさを表し、Y軸で、なだれの起きる頻度数を表すと、グラフが書ける。頻度は、大きさのべき乗に反比例する。
 このべき法則は、変動を表す一般的な法則である。地震を考えても、体感できない程、小さな地震は、ほぼ毎日のように起きているが、ある程度のものは、数日に一度、ないしは、数か月に一度起き、さらに大きなものは、数年に一度になり、東日本大地震クラスだと、100年に一度になるだろう。ここで、地震の規模が大きくなると、頻度数が、急激に少なくなる。つまり地震の大部分は、際立って小さなものであり、一方、頻度は極端に少ないが、つまり地震の規模のべき乗に反比例するが、しかし確実に、大きな規模の地震は起きる。複雑性の成り立つ変動において、このような規模と頻度数の関係を、べき法則、または、ジップ則と言う(アメリカの言語学者Zipfが、言語において見出した法則に由来する。つまり、単語の文字数と使用頻度の関係において、このべき法則が成り立つ)。このような例は、生物の領域では、至るところに見出せ、本稿の、後の章でも、何度も扱うことになる。
 最後に、これら、複雑適応系、カオスの縁、自己組織化臨界をまとめて、創発と言うことができるだろう。構成要素間の局所的な相互作用が、系全体の大域的構造を生成するのである。それはまさしく、相転移であり、非線形現象の特性である(第3章)。
 
 吉永吉正の解説は良くできていて、ひとつは、それが、複雑系の最も分かり易い入門書になっているということなのだが、もうひとつ注目すべきは、金子邦彦の業績が紹介されていることだ。1996年の時点においてである。その時点で、すでに、金子の仕事が、カウフマンの複雑系とは異なった特徴を持つものとして取り挙げられている。吉永は、これを、日本の研究者に特徴的なものとして挙げているのだが、私は、カウフマンの研究を、複雑系の第一段階とし、金子の研究を複雑系の第二段階と呼びたい(注5)。
 この特徴は3点ある。すなわち、カオス的遍歴、ホメオカオス、開放系カオスである。
 まず、カウフマンたちの唱えた、カオスの縁が、内部構造を持たず、単に、コンピューターの中に出現した、興味深い振る舞いのことなのに対し、カオス的遍歴は、現実に存在するシステムが、その自由度を増減させるために、秩序が生成したり、崩壊したりするダイナミクスを考え、そのことで、カオスの縁の内部構造を把握し得ているのである。つまり、カオス的遍歴は、複雑系に、世界の基本にあるダイナミクスの一般構造を与えている。それは、世界を把握する概念装置になっている。
 また、一般に、システムにおいて、静的な安定性があり、揺らぎが生じても、そこから揺れ戻すことのできるフィードバック機構を、ホメオスタシスと言うが、カオスのあるシステムでは、動的な安定性があり、自由度そのものが変動する開放系のシステムができるが、その多様性を維持した安定性機構を、ホメオカオスと言い、また、そのホメオカオスの働くダイナミクスを、開放系カオスと言う。
 その上で、複雑系研究の第一段階と第二段階とどう異なるのかということを考える。第一に、複雑な現象を、単純なものに還元することなく、また、要素の動的な関係を切り離すことなく、複雑な現象を複雑なまま、受け止めるということである。これが、カウフマンだと徹底していない。第二に、構成論的アプローチと言うのだが、複雑性を持った基本プロセスから組み立てて、モデルを構成しようとしている。具体的には、パソコンの中に、構成可能なモデルを設定し、あとはそれが、自律的なふるまいを創発するのにまかせる。その上で、そこから得られた結果を現実と対比する。第三に、要は、金子の仕事の特徴は、上述の方法によって、現実を直視しようということなのだと、吉永はまとめている(第5章)。
 私は、ここで、さらに、この第二段階の複雑系が出現したことで、科学の見方の進展があり、それは、パラダイム転換なのだと考えている。
 このことを考えるためには、もっと大きな視点で、複雑系研究を捉える必要がある。
 まず、古典物理学は、力学と電磁気学と熱力学から成り立つ。力学は、ケプラー、ガリレイに始まり、ニュートンの定式を以って、ほぼ完成する。ニュートンがまとめた、「慣性の法則」、「作用反作用の法則」、「ニュートンの運動方程式」のみっつの法則で、運動学の問題は解くことができる。ここに、世界の現象を数学ですべて解くことができるという世界観ができ上がる。均質化された時空の中で、すべては、数学的に決定されるという考え方がここで完成するのである。
 そして、電磁気学は、ここで、直接関わらないので、それは省くことにし、もうひとつの、熱力学が、その後に出て来る。これは、蒸気機関の発達に促され、熱の生む動力の問題に関心が持たれたことによる。そこからエネルギー保存則が確認され、さらに、エントロピーの増大説、つまり、自然界には、不可逆の過程が存在するという主張が確立する。それは機械論的世界観を拡張して、確率論が定式化されたことを背景にし、さらに、統計力学によって、理論的な補強がなされたのである(注6)。
 吉永は、力学の決定論と熱力学の確率論を、近代科学のふたつの車輪に例えている。単純な系を扱う力学の、きっちりした決定論と、ランダムな系を対象とする、でたらめな確率論という、ふたつの構造を持つ、従来の科学のあり方を、吉永は、「保守科学」と呼ぶ。そこに、それをはみ出すものとして、力学からは、非線形力学系が出て来て、それがカオス理論になり、また、熱力学からは、非平衡系熱力学が出て来て、それが自己組織性理論に繋がる。そして、この両者が、複雑系理論になり、「保守科学」に真っ向から対立するという整理をしている(第6章)。
 ここはしかし、本当は、さらに検討する必要がある。私は、力学に対抗するものとして、新しいパラダイムとしての熱力学が出て来て、その流れの中で、カオス理論と自己組織性理論が出て来て、複雑系理論において、それが完成したと見ている。ここは、熱力学をどう評価し、位置付けるのかという大きな問題があり、この短い論考では、そこまでは扱えない。ここでは、そのことを、示唆するに留まる。
 ただ、カオスが、力学系からはみ出すようにして出現し、一方、自己組織性は、熱力学の限界から出て来ているのは、確かなことで、つまり、カオスは、決定論的な数学の方程式が、実は、カオスを含んでいることを明らかにするし、エントロピーが増大するはずなのに、開放系では、あたかもエントロピー則に抗うかのようにして、自己組織化現象が出て来ている。従来のパラダイムからはみ出し、さらに新たなパラダイムを作っているということは、確実である(注7)。
 
 かねてから、私は次のことを考えていた。つまり、ふたつのことを指摘すべきだ。ひとつは、進化論において、複雑系理論を使わないでも、すでに複雑系理論の手法で示される解決案と同じものが示されている。またもうひとつは、複雑系は、思考実験という面が強く、それでだけで、何か新しいものが出て来たという感じがしない。
 前者について言えば、進化論において、中立説が出て来て、表現型の変異がある前に、遺伝子レベルで、十分な変異の蓄積があり、環境の変化に応じて、一気に、つまり創発的に進化がなされるということは、もう説明されている。また、進化発生学の成果として、淘汰によらずに、様々な発現があることも示されている。さらに、進化システム生物学が、中立説と、進化発生学を取り入れて、進化の問題をおおむね解明している。私はそれらを今まで、本稿で扱ってきた(注8)。そこでは、始原生物の発生についても、すでに、十分研究がなされている。ネオ・ダーウィニズムは、間違っているとは言わないし、それは、一時期、確かに圧倒的な成果を、生物の歴史に残したのであるが、しかし今日、はなはだ不十分なものだということは、誰もが感じている。複雑系の理論装置を使わなくても、事実上、複雑系理論の発想は、共有されている。
 同時に後者の問題があり、つまり、複雑系理論が、何か画期的な発見をした訳でもないし、何か事件と世間が思うような実験成果を出した訳でもない。それは、実にうまく進化を説明するが、しかしそれだけだ。
 つまり、それは、他の領域でも進行しているもののひとつに過ぎないという感じがある。本稿第6章で展開したように、斎藤成也は、中立説がパラダイム転換だと言っている。また、進化発生学は、革命的だと考える論者も多い。しかし、実はそうではなく、複雑系こそが、パラダイム転換の根源なのだが、その認識は、世間ではない。
 上述のカウフマンは、複雑系がパラダイム転換であり、その原理が、自然淘汰よりも、大きな役割を演じると考えている。つまり、複雑系が、ダーウィニズムに替わるものだと考えている。
 先に、吉永は、カウフマンに代表されるサンタフェ研究所の複雑系理論と、金子邦彦の提出する日本の複雑系研究の違いを3点挙げたが、これは、逆に言えば、まだ、カウフマンたちと仕事では、その点が不徹底だということになる。私はその点に同意する。つまり、カウフマンは、複雑系がパラダイム転換だと考えつつも、まだ、そこに、従来の考え方の残滓が残っているということになる。しかし、それにもかかわらず、カウフマンに言うように、複雑系は、パラダイム転換なのである。それは、金子邦彦が徹底した。それは、どうしてそういうことが言えるのかと言えば、複雑系理論が最も良く、進化の機構を説明し得るからである。そして、最も良く説明し得るということの中に、理論の包括性と根源性が宿っていると考えられるからである。しかし、そのことは、いきなり大上段にかざすことではなく、具体的に、ひとつひとつ解説して行きながら、示すべきことだろう。以下の章で、そのことを詳細に見て行きたいと思う。
 
 このふたつのことは、次のように言い換えるべきだろう。複雑系進化論、この場合は、金子邦彦を読み解いて行きたいのだが、そのためには、まず、ここ最近の生物がなし得た成果を理解することが必要で、同時に、物理学としての複雑系の考え方を学ぶ必要がある。前者について、本稿第1章から8章までで取り組んで来たし、後者については、この章で扱った。その上で、いよいよ、複雑系進化論の解明に取り掛かることができる。
 

1 複雑系と、その源流となっているカオス理論と自己組織性理論、及び、その数学的表現である非線形や、カオスと密接な関係を持つ、幾何学の概念であるフラクタルという言葉を冠した解説書は、日本語のものだけでも、数十冊はあるが、その中で、解説の分かり易いものとして、吉永のほかに、蔵本由紀と吉田善章のものを挙げておく。なお、フラクタルについて、今回は、説明する余裕がなかった。
2 吉永(第7章)のほか、山口昌哉を参照した。
3 ここでは、ブリゴジーヌ自身の著作を、参考文献として挙げておく。
4 サンタフェ研究所に関わった多くの人たちの中で、良く知られている研究者として、カウフマンを挙げる。
5 吉永が取り上げている金子の著書は、1996年の、津田一郎との共著である。それに対して、私は、2009年の著書を次章で取り挙げる予定である。
6 山本義隆の著作を参照した。
7 複雑系理論の確立に大きく貢献したのは、パソコンの普及である。それ以前も、スーパーコンピューターはあり、軍事産業や主流の研究では使うことができたのだが、1980年代からは、高性能で、しかも、安価で簡単に手に入るパソコンが普及し、多くの複雑系の研究者が言うように、「遊び感覚」で、研究ができるようになったことが、本質的な問題として、複雑系の研究を支えている。つまり、研究の主流ではないところで、様々な研究がなされ得たのである。本当は、これは大きな問題なので、つまり、科学の進展における、物質レベルでの基盤の重要さの問題でもあり、革命が常に辺境から生じるということでもあり、注で扱うだけでなく、いずれ、主題として、扱いたいと思う。
8 田中博は、2002年の著書では、複雑系の立場から、進化論を扱い、しかし、本稿第8章で詳細に扱ったように、2007年と2015年の著書では、進化システム生物学の観点から、進化論を扱っている。しかし、アプローチは異なるが、研究対象もその結果も、同じである。
 
参考文献(今回はアルファベット順)
Kauffman, S.A., The Origin of Order Self -Organization and Selection In Evolution-, Oxford University Press, 1993
——— At Home in the Universe -The Search for Laws of Self-Organization and Complexity-, Oxford University Press, 1995, 『自己組織化と進化の論理 -宇宙を貫く複雑系の法則-』米沢富美子訳、日本経済新聞社、1999
金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』小学館1998
——— 『生命とは何か -複雑系生命科学へ-』東京大学出版会、2009
金子邦彦、池上高志『複雑系の進化的シナリオ -生命の発展様式-』朝倉書店、1998
金子邦彦、津田一郎『複雑系のカオス的シナリオ』朝倉書店、1996
蔵本由紀『非線形科学』集英社、2007
Prigogine, I., & Nicolis, G., Self-Organization in Nonequilibrium Systems –From Dissipative Structures to Order through Fluctuations- , John Wiley & Sons, 1977, 『散逸構造 –自己秩序形成の物理学的基礎-』相沢洋二他訳、岩波書店、1977
斎藤成也『自然淘汰から中立進化論へ -進化学のパラダイム転換-』NTT出版、2009
田中博『生命と複雑系』培風館、2002
——— 『生命 進化するネットワーク -システム進化生物学入門-』パーソナルメディア、2007
——— 『生命進化のシステムバイオロジー -進化システム生物学入門-』日本評論社、2015
ニュートン, I., 「自然哲学の数学的諸原理」『世界の名著31 ニュートン』河辺六男編、中央公論社、1979
山口昌哉『カオス入門』朝倉書店1996
——–  「無限の分岐 ‐カオス-」『非線形の現象と解析』山口昌哉編、日本評論社、1996
山本義隆『重力と力学的世界 -古典としての古典力学-』現代数学社、1981
——— 『熱学思想の史的展開 -熱とエントロピー-』現代数学社、1987
吉田善章『非線形とは何か -複雑系への挑戦-』岩波書店、2008
吉永良正『「複雑系」とは何か』講談社1996
 
(たかはしかずゆき 哲学)
(10)へ続く
(pubspace-x2702,2015.11.16)